第2話

文字数 3,147文字

 ガラス張りの校舎をあとにし、校門を出た。
 視界の右上には、視野を遮らない程度の小さなサイズの時計がデジタルで表示されている。現在、夕刻5時20分。
 頭上を見上げると、都市全体を覆う天蓋パネルは、もっともらしくすみれ色からオレンジのグラデーションに染まり、あまつさえこの星には本来実在しない雲すらもまだらに浮かべていた。
 赤や青、緑など色とりどりの髪を持った子どもたちが、ぞくぞくと校舎から校門を抜けて出て来て、ゆっくりと歩く瑠衣を追い抜かし駆けてゆく。
「せんせー、さよーなら」
「はい、さようなら」
 左右に撫でつけた黄色い髪さながら彼は、ひとりひとり律儀に挨拶を返した。
 ひとびとの通る歩道に挟まれてある二本の太い専用レーンを、数人乗りの自動運転ポット・クラシカが、一定の速度で往来する。
 歩道では手ぶらの子どもたちの一部が、空に指を差して、ドラッグする様子が見られる。
「歩きながらコフルを操作するのは禁止ですよ」
 教師らしくそう注意をすると、子どもたちは「はぁい」と素直に従い、人差し指を下におろすーー画面を閉じる動作をして、走り去った。
 かつて存在したどこかの国では、小学校の教師という職業はとにかく多忙だったらしい。現在はあらゆる職業で合理化が進み、『カロウシ』なんて言葉はもはや歴史書の中のほんの片隅でしか見られないものとなった。それに、その言葉が用いられていた国も、いまはもうない。
 午後5時に帰宅できることはこの星では別に特別なことではないが、なんにせよ瑠衣はこの仕事を気に入っていた。
 少なくとも、以前の職業よりは、自分に合っている、とおもう。
 しばらく歩いて、地上2階地下25階建ての自宅マンションにつく。エントランスの扉の前に立つと、右後頭部でキュル、とコフルが起動する音がする。直後に目の前のドアが消滅した。認証が終わり、ロックが解除されたのだ。
 この星では、生まれてから3年以内に、脳内にコフルと呼ばれる微細な端末を埋め込むことが義務づけられている。現状、このコフルを持たなければ、さっきのように、この星の建造物のドアはひとつも開けることができない。このコフルは生体認証に必要な端末であり、なおかつOSを含み、ネットワークにもアクセスすることができる。簡単に言えば、かつて地球で用いられていたパソコンや携帯電話を脳内に取り込んだようなものだ。
 エレベータの前に立つと、やはりドアは霧消した。中に入ると、自動で地上2階へと昇ってゆく。ーーこの星では、空に意味がない。空気もまた、それほど意味を持たない。というのもこの星の唯一都市はドーム上の蓋で覆われていて、空模様はあくまで映写にすぎない。1日を24時間とし、地球とおなじようなサイクルになるように設定されている。大気組成はもともと地球とほぼ一緒だが、これも都市内ではより人間に適した具合になるように、いちおう管理されている。だからこの都市で生きる限り、自然の空や自然の空気というものにはどこにいたって無縁だし、あくまで人工品のそれらに大した価値はないのである。
 そういう理由もあって、この都市では、どちらかというと地下に住むことが奨励されている。これは防犯上の都合が主な理由だが、あえて地上に住むメリットもないのもある。地上にある建物の多くは、そもそも街の景観を保つために作られた飾りという側面が大きい。
 それでも地上に住むのは、金銭的にあまり余裕がないか、よほど変わった者だけ。瑠衣の場合、そのどちらにも当てはまる。
 2階の通路を少し歩き、1室の前に立つと、またドアが消滅した。
 たたきで靴を脱ぐ。この習慣はこの星では当たり前だが、現在の地球では珍しい文化なのだと、どこかで聞いたことがある。
 と、ここで奇妙な違和感を覚えた。
 なぜなら、玄関からつながる廊下の先、格子状にガラスの貼られた装飾ドアの向こうから、光が漏れている。このさきはリビングだ。誰もいなければ電気はつかないはずなのに、一体どういうことだろう。システムが誤作動したのだろうか。ーーあるいは、誰かいるのか。
 おそるおそるドアに近づくと、やはりドアはシュンと音を立てて消滅。と同時に聞こえてきたのは、
「あ、おかえりぃ、瑠衣」
 よくよく聴きなれた、そしてずいぶんと間の抜けた声だった。
 瑠衣は全身からだらりと力を抜き、呆れたようすでため息をつく。
「おまえか……」
 リビングのソファには、若い男がだらしなく座っていた。赤く短い髪をつんつんと尖らせ、重ねたタンクトップから覗く、細いが引き締まった体のあちこちには、タトゥーが刻まれている。
 瑠衣は、それ以上おどろくようすもなくそのまま台所へゆき、ハンドウォッシャーーーその名の通り手を洗う装置ーーに両手を差し入れる。シャツの衿をゆるめ、堅苦しいベストを脱ぐ。
「どうやって入った?」
 じぶん以外のコフルでドアが開くよう設定したおぼえはない。
 男はこともなげにこう返した。「風呂場の窓」
「は? 10センチくらいしか開いてなかっただろ」
 さすがにこれには瑠衣も慌てる。約30センチ四方の小さな窓である。そこからひとが入ってこようなどとはかんがえもしなかった。じぶんの防犯意識の欠如にあらためて気づかされ、ヒヤリと背筋が寒くなった。
 瑠衣が台所を出、ソファに近づくと、男はごく自然な動作で脇へ寄った。男の隣に空いたスペースに座る。
「なんでいる」
 職場での丁寧な態度から正反対に、ぶっきらぼうな声音で瑠衣がそう問うと、
「べつに。ただ単に、幼なじみと久々に飯でも食おうかなっておもっただけ」
 男ーーキアロも、つっけんどんに返した。ローテーブルのうえにあった3枚の宅配ピザのうち、箱をひとつ手にして、瑠衣のほうに差し出す。「ほれ。ハニーピザ、好きだろ?」
 まるで飼い犬に餌をやるような飾り気のない仕草に、瑠衣は大きくため息を吐いた。いちいちつっこむのも面倒だ。黙って箱から一切れ受け取る。
ーーそうだった。こいつはいつも、そうだ。
 と、瑠衣はあらためて納得する。
ーーおれが突然こいつの『リエゾン(パートナー)』をやめると言ったときも。そのあともずっと、変わらない。

 この星が生まれたのは、約1000年前らしい。らしい、というのは、この星で生まれ育った瑠衣自身、この星のことをよく知らないからだ。500年前に地球から突如として発見され、300年前からこの星へ移住が始まった。星に暮らす人間はすべて地球にルーツを持つ。この星にはもともと、ほとんど水がない。生物もいない。ーーそんな程度の知識しかない。
 実際のところ、この星のことは、研究者でさえ、いま現在もまだよく分かっていないという。
 にも関わらず強引に地球からの移住を進めたのは、この星から強力なエネルギー源の採取が期待されたから。有史以来、人間の強欲さは変わらないようだ。
 さいしょにここへ移り住んだ人間たちは、この星にひとつ拠点を定めた。そこを中心に開発がなされ、いまでは50,000平方キロメートル程度の面積の『都市』が、まあるく鎮座している。星自体は地球の10分の1ほどの大きさだが、この都市をかこむ境界から外は、ほとんど『未開』と言っても過言ではない。もちろんある一定の距離までは、地形の調査などは済んでいる。しかしそこから向こうへはまだ、ヒトは立ち入ることができていない。陸路にしろ空路にしろ、さまざまな悪環境が、人類による陵辱をさまたげている。
 この星の人間は、何もこのドームにかこわれ守られた『唯一都市』のなかで300年、ただ安穏と生活してきたわけではない。

『ーーヒトがこの星で暮らすことは、すなわち、だれかが戦わなければいけない、ということだ。』と、ある著名な学者は言った。
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