イカ釣り船

文字数 2,057文字

「ヤクザひとり殺したよ」男は名刺がわりに言った。キッツイ挨拶やん。ボクは思う。
「朝よ、家の近くでヤクザ三人に襲われた。刀で腹をさされた、背中まで突き抜けた」
男は薄ら笑いを浮かべながら言った。
男は家が貧しかったから、中学を卒業して働いた。一生懸命に働いた。十年程して、独立、ちっちゃな食品スーパーをやった。昭和三十年代だ。いまから三十年も前の頃だ。男を磨くにゃ、いい時代やん。
儲かった。男は金融業・不動産業と事業を拡げていった。イカ釣り船の船主は一代記を滔々と語る。
「いまでも傷痕残ってるよ。見るか? 」と、男は勲章を見せるように言う。
「いいです、いいです」ボクは二回否定する。
「わしゃ、その刀で、ヤクザ叩き斬った」男は日本刀を振りかざすように言う。       
正義の刃? ほんまかいな、なんか、ドラマチックやん。ボクは思った。
 船主の家へ、よろしくーー の挨拶をしてから漁師の家へ行く。
道すがら、強い風が吹いていく。海からの風、海風ってやつ。浜通りにある小さな食堂の軒下(ほんまもんマグロ丼あります)と、稚拙な文字が風に揺れている。
風が風を追いかけ、大漁旗をあおり、グレイに翻していく。殺伐、孤独になっていく町。こんな風景、いつか見た。ボクはデジャブに苛まれる。風が風をデフォルメしていく。
すべてをさらけ出せ! 
リアルの対義にあるいびつな風景。案外、そんなところに本当の姿が隠れているのかもしれない。地球が歪んで見える。丸くないのに球体、強風にあおられた奇妙奇天烈な町。
荒れ狂った海に対峙する漁師たち。でも陸に上がった漁師たちはやさしく大らかだ。
ボクもそんな心でありたいネ。でもそんな心になかなかなれないよ。
 ボクはアイを捨ててきたんだ。醜いアヒル、ハクチョウになれよと、道端にひょいとゴミを捨てるみたいにアイを捨てて来た。アイは、
「アイアイサー」とーー でも声が裏返っていたよ。
海からのエネルギーは漁師たちの心を荒々しく洗っていく。海へ出ると漁師たちは強者(つわもの)になる。海と対峙する姿勢だ。
「海はやさしい、けど恐い」漁師が言ったコトバだ。
ボクの心にはまだまだ届かないよ、馴染まないよ。でもよぉ~ と自問自答する。
でもよぉ~ やさしく大らかな心って? これがなかなかむづかしいんよ。風にゆらぐ(ほんまもんマグロ丼)の文字のように落ち着きどころがない。やさしくおおらか、そんな心持ちになれないんよ。アイ、そうなんよ。
三ヶ月後に会う? とんでもない! 三ヵ月は別れへのプロローグだ。なおも自問自答する。
 ボクには邪気がある。助平心がある。浮気心だってある。自己を律してりゃ、人にやさしくなれるって? 
アイだってそうだった。盾はたった一回だけ矛に身体を許したんだ。ボクは店長から聞いた。アイはボクのことを思いながら店長に抱かれたってー 
わからない、わからない。やっぱり醜いアヒルだよ。
アイよ、罪人だよ。罰だ、罰、罰だ。三ヶ月、放置してみるか。
 ボクはポケットをまさぐり(のど飴)を取出し頬張った。頬が喉仏みたいになった。
それからボクは飴を舌の上でころころ転がした。甘酸っぱさがはじけていく。音はならないけどシュワア~ とした感じ。濃密だよ。濃密な人生でありたいね。飴を喉のなかであっちへやったり、こっちへ転がしたり、自由自在やね。自由自在の人生よ。でも、最後はいつも噛み砕いてしまう。自然に溶けるまで待てないんだ。
なんでもそうなんや。始めゆっくり、中じっくり、仕舞いはエイヤー。最後は、はしょってしまう人生なんだ。アイなら最後までゆっくり、じっくり味わうやろネ。
「わがままやし、価値感の違いやし」アイの声が聞こえるよ。
あぁ、あぁ、ため息ひとつだ。やっぱり三ヶ月後に会おう。放置はやめて会いにいこう。
 
 ボクは翌日からイカ釣り船に乗った。夕方、海原を夕日に向かって出る。そして朝日に向かって帰る。夜を徹して働く。アイよ、労働、それは試練だ。文字通り試練の海へ。
 集魚灯にイカが集まる。ボクは、漁師が釣りあげたイカを発砲スチロールの箱に詰めていく。揺れ動く甲板を磨くように人生の基盤を磨いていく。イカ? もうたくさんだよ。
漁師はタバコを吸いながらテキパキと仕事をする。いまどき珍しいタバコを吸っている。
「タバコはやっぱりエコーだよ」漁師はTVコマーシャルみたいに言う。なんか懐かしいタバコだ。エコー、だから漁師はイカを釣り上げる時、声をエコーさせるんだ。
「ソォ~レレレ、ホォ~レレレ」。
 ボクは一ヶ月で真っ黒になった。夜でも焼ける。どうやら集魚灯で焼けるらしい。
「甲板に飛び込んできたフジヤマのトビウオ、真っ黒け、真っ黒け、集魚灯で真っ黒け」ダミ声だけど小節を回して漁師が歌っていく。ボクは、
「アイよ、アイよ」とアイを呼ぶように合いの手を入れていく。
 ボクは夜の海でくたくたになるまで働いた。朝は漁師の家の離れで眠り、昼間はイカ、タコ、クラゲみたいに怠惰に寝そべった。時に書きかけの脚本『阿比留(アヒル)』を書いた。
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