64. 限りなくにぎやかな未来

文字数 3,450文字

「オディールさん、ありが……と……。あれ……?」

 蒼は感謝の言葉を伝えようとしたが、オディールの姿が見当たらない。蒼はキョロキョロと辺りを見回すも、オディールの姿はどこにもなかった。

「あれ? オディールさん、どこ行ったの?」

 すっかり酔っぱらって赤ら顔のレヴィアに聞いてみる。

「は? オディール? 誰じゃそれ?」

「何言ってんの! レヴィアの友達だろ? 金髪碧眼の僕らを救い出してくれた綺麗な人だよ」

「はぁ? お主らを救ったのは我一人じゃぞ! 孤軍奮闘してムーシュを見つけ、お主を正気に戻したのはこの我じゃぞ!」

 レヴィアはジョッキをガンとテーブルに叩きつけて怒る。

 え……?

 あんなに仲良かったオディールのことをレヴィアはもう忘れてしまっていた。いくら飲みすぎだとは言え、そんなことあるのだろうか?

 疑問に押し潰されそうになりながら、蒼は不安を抱えたままムーシュにも聞いてみる。

「さっきまでここに座ってた金髪の人……、覚えてる?」

「え? そこはずっと空席でしたよ? ほら、お皿もないし……」

 蒼は頭を抱え、深い困惑に陥った。いったいこれはどういうことだろうか?

「そもそも、金髪碧眼の女の子なんて転生時のお主しか知らんわ」

 レヴィアが不機嫌そうにグッとジョッキを傾ける。

「ぼ、僕……?」

 蒼は思わず息をのむ。オディールと自分との間に流れる不思議な縁に気づいたのだ。彼女の金髪碧眼の容姿は、かつての幼女だった自分とどこか面影が似ている。あのまま成長したどこかの世界の自分が、何の気まぐれかこの世界の自分を救って帰っていった……。そう考えると、すっと全ての謎が解けるかのような閃きが心を照らした。

 この世界を守り、その真実を啓示し、そしてみんなの記憶を霧のように消し去って去っていった別の世界の未来の自分。その奇跡のような力がどうやって可能になるのかは皆目見当もつかない。しかし、深い願望を胸に秘め、それを信じ続ければ、いつか自分もそのような運命を辿るのだろう。

 蒼は大きく息をつくとグラスをギュッと握りしめる。

 そうだったか……。

 つぶやいた蒼はウーロン茶をグッと飲み干した。


         ◇


 蒼とムーシュはみんなと別れた後、渋谷へと山手線沿いに歩く。日本とも今晩でお別れ。明日にはまた異世界へと送還されるのだ。

 懐かしい日本を去るのは残念だったが、死んだはずの人がいつまでもいるわけにはいかないのは確かだった。

 もちろん、言霊の力を使って世界を捻じ曲げて行けば日本に残る未来もあるのだろうけれども、今はそのタイミングではなく、やるべきことは異世界にある気がしたのだ。

 のんびりムーシュと歩いていると、ビルの間に渋谷の超高層ビル群が大きく見えてくる。

「ねぇ主様、戻ったらどうするの?」

 赤らんだ顔を浮かべ、ムーシュは蒼の手を優しく握り、恋人のように指を絡ませてきた。彼女の瞳には、酔いに任せた淡い情熱が宿っている。

 彼女の柔らかな指の感触に心臓が高鳴るのを感じつつも、蒼は冷静さを装い、悟られぬよう慎重に答えた。

「んー? 魔王にでもなろうかな?」

「えっ!? ついに!? ヤッターー!!」

 ムーシュは興奮し、ボン! と爆発して悪魔の姿に戻ってしまう。

「おいおい、その姿はヤバいって!」

 蒼は焦るものの、ムーシュは気にも止めず、魔王になった時のプランに夢を巡らせる。

「そしたらムーシュは魔界ナンバー2なのでーす! まずは親衛隊を作ってぇ……やったぁ!」

 歓喜に震えるムーシュは、興奮の余り、両手を高く天へと突き上げた。

「それから、王国の国王にもなるぞ」

 蒼はニヤッと笑った。

「えっ!? 人間界も!?」

「そう、世界統一。これで無駄な争いを無くし、利権を全部ぶっ壊して僕らの星をこういう輝く世界にするんだ」

 蒼は目を輝かせながら、渋谷の摩天楼を指さした。

 そう、自分の力を使うならまず、異世界からなのだ。そうやって経験を積んで、いつか別の世界の困っている自分たちを助けに行く、それが自分らしい生き方のように思えていた。

「いいね、いいね!」

 喜びに弾けるムーシュは、子羊のように無邪気にピョンピョンと跳ねる。

 その時だった、辺りがざわざわとするのに気がついた。

「あっ! コスプレだ!」「ホントだ、すごーい!」

 ムーシュの立派な翼と角を見て通行人が集まってきてしまう。

「あー、見世物じゃないので……」

 蒼は頑張って制止するが、ムーシュの圧倒的なリアリティを放つ悪魔の姿に大衆は魅了されてしまう。周りは一瞬にして、スマートフォンを構える人々で溢れかえった。

「な、なんなのこれ……日本恐ろしいトコロ……」

 好奇の目に取り囲まれる中、ムーシュは彼らの熱狂に飲み込まれるようにして、青ざめていった。 

「ねぇねぇ、これ、どうやって作ったの?」

 ヤンキーの男たちがムーシュの翼をつかんで聞いてくる。

「あーっ! もう! 主様、行きましょ!」

 ムーシュはそう言うと、バサバサっと翼をはばたかせてヤンキーたちを振り払い、蒼をキュッと抱きしめて一気に飛び上がる。

「うわっ 飛んだぁ!」「スゲー!」「何これ、撮影なの?」

 やじ馬たちはパタパタと月夜に飛び去って行く二人を見ながら大騒ぎをしていた。


        ◇


「ちょ、ちょっと、ムーシュぅ、胸が当たってるって」

 蒼は真っ赤になってもがいた。

「何言ってるの? いつもこうやって飛んでたでしょ?」

「いやまぁそうなんだけど……」

「で、王国も滅ぼすって?」

 ムーシュの顔は喜びに満ち、鼻息を荒くして聞いてくる。

「滅ぼすんじゃないよ、乗っ取るんだよ。【即死】を今回【睡眠】に変えてもらったから、軍隊を全員眠らせて一気に制圧するんだ」

「えっ!? もう殺せないの?」

「もう、殺さなくていいの!」

「なーんだ」

 ムーシュはちょっとつまらなそうに言った。


      ◇


 高く、高く舞い上がり、やがて渋谷上空にたどり着いたとき、目の前に広がるのは、宝石箱が天空に散りばめられたような壮麗な光景だった。見回せば新宿と六本木のビル群が競い合うように輝きを放ち、二人はその眩しい美しさに感嘆の息を漏らす。

「素敵ねぇ……」

 うっとりしながらムーシュはつぶやく。

「僕らの星はこれ以上に素敵にするんだよ」

「そんなこと、できるの?」

「もちろん! ムーシュが協力してくれたらね」

 蒼は嬉しそうにムーシュを見つめる。

「おーし! ムーシュはやりますよぉ!」

 気合の入ったムーシュは鼻息荒くバタバタと風を切りながら、さらに上空へと加速していく。

 吹き抜ける清々しい風が、二人の周りを優しく包み込んでいた。蒼の眼差しはムーシュに優しく注がれ、ムーシュもまた、その眼差しに応えるように明るく微笑む。

「頼りにしてるからな」

 蒼はポンポンとムーシュの背中を叩いた。

「お任せください!」

「計画も立てて行かないとなぁ」

 蒼は東京の夜景を見下ろしながら考え込む。

「まず主様が魔王になるでしょ? そしたら、正室はわたくし、ムーシュでぇ……、おうちは魔王城の最上階! うっしっしー」

「おいおい、正室って何だよ?」

「奥さんってことよぉ! うふふふ」

 ムーシュは幸せいっぱいに笑う。

「そ、それ、もしかして……プロポーズ……?」

 蒼は、突如として耳に飛び込んできた『奥さん』という言葉に心を揺さぶられ、戸惑いながらも、恐る恐る聞いた。

「ムーシュは奴隷になったあの時から心も身体も主様のものですよぉ」

 ムーシュは蒼にほほ寄せると耳元でそっと(ささや)く。

「いや、奴隷と奥さんって全然違うんだけど?」

「んー、イケズぅ……。今回ぃ、ムーシュは主様の命を助けたじゃないですかぁ?」

 ムーシュは口をとがらせ、ジト目で蒼をにらんだ。

「おぉ、そうだな。ありがとう」

「えー? それだけ?」

「な、何が欲しいんだ?」

「……。目をつぶって……」

 ムーシュは小悪魔のような微笑みをたたえ、蒼の瞳に深く視線を落とす。

 蒼は一瞬ためらうが、やがて心を決めたように軽くうなずき、温かい微笑みを浮かべながらそっとまぶたを閉じた。

 ムーシュは幸福に満ち溢れた表情で、静かに蒼の唇に自らの唇を寄せる。

 蒼は優しくムーシュを受け入れ、初々しい緊張を纏いながらも彼女の舌と繊細に絡み合わせた。

 煌びやかな渋谷の上空で二人は運命の歯車を共に動かし始める。彼らの周りには、希望に満ちた未来が輝き始め、その光は二人を導いていく。

 その夜、東京の上空は幻想的な流星群によって幻想的に照らされたという。


 
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