澪の喜劇(出題編)

文字数 2,690文字

「浮気のセンは無さそうかぁ。もうダメなのかな? ……うん。そうだよね。手筈通りに。じゃ、また後で」
 コンビニの外に置いてあるゴミ箱の前で、志々見(しじみ)九愛(ここあ)は通話を切った。タピオカミルクティーをズルズルと鳴らしながら最後まで吸い込む。これは、森秋教授からの単位奪還作戦を完勝したことに対するご褒美のドリンクである。家に帰れば、彼女にはさらなるご褒美ドリンクが待ち受けている、はずであった。
 彼女は口の中のタピオカをもぐもぐしつつ、目の前に停まっている父のレクサスに手を振った。
 乗り込むと、早速父が茶々を入れてくる。
「あの電話、ま〜た男? こないだ三股してるとか何とか言ってたけど、ほどほどにね」
 助手席のシートベルトを下ろしながら、九愛(ここあ)は言い返した。
「違うっても〜。もっと大事な電話だったの! パパの方こそさぁ……」
「パパの方こそ?」
「何でもない」
 九愛(ここあ)はそこで口を噤んだ。
 車はコンビニを出て、二十分ほどで家に到着した。その間、彼女は運転している父の横顔をちらちら見ながら、彼に何かを言われても、生返事をしてばかりだった。母親の顔を思い出して、志々見姉妹に浮上している『夫婦仲すっかり冷え切ってる説』をどうにかするための、新しい情熱について、深く考察していたのだった。
 帰宅した二人は手洗いを済ませて、揚げ物のいい香りに誘われるみたいに、リビングへと入っていった。
 九愛(ここあ)が、いつも通りの自然な流れで台所に行くと、バットの上に山積みになった唐揚げを大皿に盛り付けている母親の姿があった。
「おかえり。はい、これ運んで。あと、お姉ちゃんを呼んできて頂戴」
「オッケー。ママ、ついでにアレ出しといて。冷蔵庫に入ってるから。学校でマジ頑張ったし。ここあ、今日は一本開けちゃお!」
「はいはい。分かったから。それを置いたらお姉ちゃんを呼ぶ!」
 九愛(ここあ)の言うアレとは、青い瓶に入ったスパークリング清酒のことである。20歳になったばかりの彼女にとって、そのジュースみたいな口当たりは、まさに呑兵衛への入り口に相応しいものなのだ。三本買っておいた分の、既に二本を飲んでいた。まだラス1が残っているはず、というわけである。だが、浄水ポットの水はすぐに飲めないからと、空いたボトルに水を入れてしばらく再利用する志々見家の習慣が、九愛(ここあ)に悲劇をもたらしてしまうことになる。
 姉の部屋は真っ暗だった。電気を点けると、男同士の恋愛を彷彿とさせる、ばら色のポスター群が目に入った。その下で、掛け布団の上からベッドにうつ伏せに倒れている女がいる。脂ぎった長い髪の毛が、いくつもの毛束を作って放射状に広がっており、「タコみたい……」と思わず呟いてしまうのだった。
「妹よ、寝てなどいない。眼鏡を取ってくれたまえ」
 九愛(ここあ)は彼女が眼鏡を掛けて髪の毛を括り終わる待ってから、二人で仲良くリビングに戻った。趣味は全く違えど、背丈や大きめのバストも同じくして、年子の姉妹は通じ合っていた。
 そして、事件が発覚する。
 九愛(ここあ)は、食卓を囲ってまず三本の瓶を全部手元にたぐり寄せた。どの瓶も開封済みだったことに少し疑念を抱きつつも、一本目の蓋を開けたのである。瓶に口をつけて、ちょっと飲むと、それはただの水であった。次なる二本目も水。
 冷蔵庫の中で縦に三本並んでいたもののうち、一本は残っていたはずだと言い、三本目を開け、口に運んで確認する。
「ぜーんぶ、水じゃーんっ!」と悲鳴を上げたのである。
「それで全部だったけど」と母親は言った。「自分で飲んだんでしょ」
「ここあのご褒美ドリンクなんだよ?」
「誰もあんたの酒なんか飲んだりしません」
「それじゃあママは絶対飲んでないっていうの?」
「そうね〜、晩御飯作る前にちょっと飲んだけど、普通にお水だったわよ? というか一本しか無かったし」
「じゃあパパ〜! ここあの飲んだでしょ!」
「え、俺? いや、あ〜、えーっと、昨日、風呂上がりに冷えた水が欲しくて、冷蔵庫に三本あったから、とりあえず二本取って、開けてみたら片方が酒っぽい匂いがしたから、戻したよ。風呂上がりだったしね。開けちゃったことは謝るけど」
「え、開けたの? それで、もう一つの方は?」
「グラス一杯飲んで、その分補充して戻しといた」
「どこに⁉︎ ま、パパのことだし、どうせ手前側に突っ込んだんだろうけど。次の人が一番冷えたのを飲めるようにするのがルールのはずだけどな〜」
「そ、それはおっしゃる通りです…… 深く考えずにそのまま手前に置いちゃったぁ」
「あきれた〜」九愛(ここあ)は溜め息を吐いて母親の方を向いた。「やっぱママでしょ⁉︎」
「だから水しか飲んでないってば」母親はうんざりした様子で、語気を強めた。「今朝も! 頑張って! パパのお弁当を作りながら! 手前のを取り! 一杯飲んで! きちんとルールどおりに! 補充して! 奥に戻しました!」
「うっ、つよい。それならお姉ちゃん。今日休みでしょ? や〜っぱり、犯人はあなたか」
「疑うことなかれ、わが妹よ。今日は本腰入れてゲームオブスローンズを見ようと思って、前後に隣り合う二本を部屋に持ってったわ。もちろん、どっちも水だった。真剣にドラマを見ようとしてる人が、酒なんて入れると思う? どうせ自分で飲んだんでしょ。残念でした、ヴァラー・モルグリス」
 九愛(ここあ)は「ぐぬぬ」と声に出しながら眉間にしわを寄せて、顎先をつまむみたいにいじくりながら、家族三人の顔を眺め回した。
 そして、静かに目を閉じて、何やらぶつくさ呟いていたかと思うと、突然立ち上がり、ぱっと目を開けた。
「な〜んだ。超簡単じゃん!」
 彼女は食卓の席に座り直して続ける。
「まず、一つ質問に答えて欲しいんだけど…… それと犯人には、ここあの言うことを

聞いてもらうからね? 白状するなら今のうち、です!」
 しかし、容疑者三人は九愛(ここあ)の要求に対して『ま、自分は関係ありませんし?』みたいな顔をするのであった。



 犯人は九愛(ここあ)を除く三人のうち一人。犯人しか嘘をついていないし、その嘘も酒を水と偽ったものだ。
 三人とも水の中に酒が混じっていれば、すぐにわかる。

 さて、あなたは一つだけ誰かにYES/NO質問をし、正直な答えを引き出すことができる。
 誰に何と質問をすれば、犯人が分かるだろう?
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