澪の喜劇(解決編)

文字数 2,310文字

「正直に答えてね? お姉ちゃんに一つ聞きたいんだけど」と九愛(ここあ)は言った。
「なんぞ、妹よ。どんとこい」

「あなたは一番奥から水の瓶を二本取りましたか?」

「妹よ。その質問に対する答えはYESだ」
「なるほど〜。これで犯人がわかりました! でも、まずは時系列を整理しましょう。最初に飲んだ人はパパ。昨日の夜だし。その後、朝にママが飲んでる。それからお姉ちゃんが部屋に持って行って、その間にママがもう一回飲んだ。一本しかなかったって言ってたしね。オーケー?」
 一同が頷いたのを見て、九愛(ここあ)は言葉を続けた。
「実は、三人の中で、それを言うかぁ? って感じのことを言っちゃったお馬鹿さんがいました。お姉ちゃんです!」
「妹よ、私はむず痒いぞ」
「パパが飲んだ時点で、お酒は手前から三つ並んでいるうち、一番奥か真ん中にしか存在し得ません。なぜならば、一番手前にお酒がある場合、パパもお酒を飲んでいるし、その後にママかお姉ちゃんもお酒を飲んでいることになるからです。では、パパの後、一番奥にお酒があった場合を考えてみます。ママは手前の水を一番奥に戻しました。すると、真ん中にお酒がある状態で、お姉ちゃんは瓶を取っていくことになります。確かに彼女は言ったのです…… 前後に隣り合った二本だと。もはや、これほどまでの自爆はありません。このパターンだと、お姉ちゃんは確実に犯人です!」
「私は犯人ではない! これ以上続けるなら、部屋に戻らせてもらおう!」
 九愛(ここあ)は姉を宥めつつ、ゆっくりと続けた。
「では、パパが飲んだ時点で、真ん中にお酒があった場合、ママはお水を飲んで、一番奥に戻します。すると、手前にお酒、奥の二つが水、ということになりますね? ですから、お姉ちゃんが手前から二本を取っていれば犯人、奥から二本取っていればママが犯人ということになるのです。ここで、先ほどの質問。お姉ちゃんには正直に答えてもらいましたね?」
「私は奥から隣り合う水を二本取った」
 三人が、一斉に母の方へと視線を向ける。
「そうなのです…… ズバリ、犯人はママ、あなたです!」
 母は鼻で笑いながら、自分の取り皿に大皿から唐揚げをよそい始めた。
「バレちゃしかたないわね。私が飲みました。めんごめんご。今度買ってきてあげるわ。だから、今は晩御飯を食べなさい」
「ママ! ここあの大事な一本だったの! 何でも言うこと聞いてもらうからね!」

 流れで食事を進めることになったのだが、あまり会話はなかった。
 姉妹がちらちらと視線を送り合い、仏頂面の母と、ぽかーんとした父のことを、密かに指差しあったり口パクで意思疎通してみたりする。
 食後、九愛(ここあ)が洗い物をしている間、三人は食卓からテレビ番組を眺めていた。
 

が、何一つ功を奏していないらしかった。姉は完全に諦めており、母の方もイライラしてきているようだ。
「ここあがやるしかないか……」と誰にも聞こえないように呟いて、さっさと洗い物をやめ、母の隣に立った。わざと不機嫌そうな表情を作って、父に聞こえやすいように、はきはきした口調で言う。
「言う通りにしてよね」
「何よ?」
「あのさ、うちら姉妹だけど、もう一人でやっていけるから。ていうか? いちいち小言ばっかり言われるのもウンザリっていうか?」
「はぁ? 何が言いたいの?」
 九愛(ここあ)は、母が本気でキレているかのように感じて、言葉を詰まらせた。
「はっきりと申せ。私がいる!」
 姉の援護射撃に元気を貰い、意を決して言い放つ。
「パパと離婚して、ここから出て行って!」
 気まずい沈黙。
 母が席を立ち、「わかりました」と言って踵を返そうとした時である。
「え、ちょ、待ってよ、ママ? 離婚? 意味わからんけど」
 父が慌てふためき、部屋から出て行こうとする彼女に食いついて、その肩を掴んだのだ。
 鬼の形相で振り返る母。
「ご、ごめんなさぁーい! 真犯人は僕です! もっと早く自白すべきでした! 昨日、とりあえず二本取って、開けてみたら片方が酒っぽい匂いがしたから、気づいたら全部飲んじゃってて、ヤバいと思って、水に入れ替えてから、戻したんです。嘘は言ってないでしょ⁉︎ 言葉が全然足りなかっただけで!」
「はぁ〜。パパ、知ってた。朝見たら無くて、それで三人で一芝居打ったの。うちら、夫婦仲が冷めてるんだと思ってずっと心配してたんだよ。ママのこと庇えば、情熱が復活するかなって思ったんだけど…… ママのことちゃんと好きなの?」
「あ、当たり前です!」
「あんたらがチューしてるとこ一回も見たことないんだが? これだから男女カプは」
「それはだって、TPOの問題というか…… 愛はありまぁす!」
「だったらチューせい!」
「そうだよ! 犯人は、ここあの言うことを何でも聞く!」
 娘二人に絞られる父の姿を見るにつけ、母は次第に柔和になっていった。
 そして小悪魔じみた瑞々しい表情を父に向け、わがままするみたいに言ったのである。
「ですって。見せつけちゃう?」
「え、でも恥ずかしいよ、ママ……」
「そこはパパらしいんだけど、ね?」
「わかった。いいよ、しよ……」
 夫婦が身を寄せ合った。父は身を屈め、母は背伸びをした。
 九愛(ここあ)は、姉が嬉しそうに呆れながら、「何を見せられているんだか」と言ったのを聞き逃さなかった。

 それから一年半が経ち、志々見家に待望の男の子が誕生した。彼は家族全員の賛成をもって、『澪』と名付けられたのである。
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