第3話 鈍色の雲

文字数 1,127文字

 頼母が、長原村の小さな庵に隠棲して5年の月日が流れていた。

 山間の小さな集落で、近所の百姓達と共に畑で汗を流し、歌を編む晴耕雨読の生活を続ける頼母だが、何時も藩主容保が国元に戻ることを切に願っていた。

 しかしこの間、孝明天皇の死、大政奉還、王政復古というように、頼母が懸念した最も悪い形で時代は流転し、願いは叶えらぬまま戦の火蓋は切って落とされた。


 慶応4年1月。
 京都洛南鳥羽で旧幕府軍と新政府軍が戦いを開始。
 4日間に渡る戦いは、新政府軍の掲げた錦旗の効果もあり、新政府軍が戦局を有利に進めた。
 会津藩は、旧幕府軍の前線で戦い、多くの犠牲者を出し敗北した。

 そしてその数日後、藩の行先に心を痛める頼母の元に「家老職復帰」の命が下ったのだった。


「えがったなし。お殿様とやっと仲直りしたんだべ」
 この5年誼みを結んだ、百姓の米吉が挨拶にやってきた。
「そうだと良いのだが。しばらく皆に会っていないし、戻った所で俺は仲良くしてもらえるか分からないなぁ」
 頼母は苦笑いを浮かべて答えた。
「頼母様は、変わってらっがんなぁ。また虐められねぇように気を付けっせよ」
 そう言うと米吉は声を立てて笑った。

「やっぱり変わっているかぁ。俺は道の真ん中を歩いているつもりなのだが、右から見れば左に見え、左からみれば右に見えるようで、どちらからも怒られるんだよ。難しいものだな」
 復帰への不安も相まってか愚痴が口をつく。
「はははっ。殆どの人は自分がど真ん中を歩いていると信じてっからなぁ。そしてそれは頼母様も同じだべよ」
 からからと笑う米吉に対し、頼母は片眉を上げた。

(そういうものかもな。だから交わらない時もある。しかし俺は、この道で嘘偽りなく己が心を尽くしたい…… )

「頼母様、ご武運を」
 改まった顔で深く頭を下げる米吉に、頼母は笑顔で礼を返した。



 会津藩は、既に燃え盛る炎の渦の中にあり、討伐の軍は刻々と東へ進んできている。
 非戦恭順を説いた、神保修理は主戦派の怒りを買い、腹を切った。
 頼母は友を想い、郷里を想う。
 迫りくる火が美しい郷里を焼いてしまわぬよう出来ることは何か。
 
(守るべきもののため、場合によっては鬼となり、殿には、さらに厳しい決断を迫ることになろう。「腰抜け侍」の次に、俺は何と呼ばれるのだろう)

 世間に何と言われようとも、自身だけでなく愛するもの達が苦難に晒されるとしても、会津藩筆頭家老を代々受け継ぐ者として、果たさねばならない使命がある。
 頼母は覚悟を決めた。

 光の差さぬ空の下であっても、現世を生きる者達は、留まることは許されない。
 烈風に晒されながらもいかに己を失わず、歩んでいくしかないのだ。
 

 新しい時代は、もうすぐそこまで迫っている。
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