弔いとレジリエンス
文字数 1,999文字
隣の彼が文庫本をテーブルに置いた。大きな賞をとった有名小説だ。
「これ読んでいて思い出したんだけどね……」
彼は言った、
「あれは小学校の2年か3年かだったと思う。席替えで私の隣になった女の子がいてね」
わたしが相槌を打つと、彼は続けた。
「仮にYさんというけど、Yさんは同じクラスの子からもイヤがられて避けられてた。その隣になると『ハズレ』とまでいわれてた」
「それってイジメじゃない?」
わたしが言うと、そうだね、と彼も同意した。
「『Yは汚い』って。実際に服にも清潔感はなかった。母子家庭で貧乏だっていう噂もあった。
ただ、公立だったから、当時も貧乏な家の子は多かったし、『親が生活保護を受けている』なんて噂の子もクラスで何人もいた。『汚い』だけならありふれたことだけど、それだけでもイジメの原因になることが多かった。
でも、Yさんはそれだけじゃなくってね……」
*
Yには厄介な癖があった。隣の席になって、その癖を間近に見ることになった。まず、爪を噛む癖。ただ、そんな癖だけなら神経質な人に時々ある。もっと病的な癖があった。たまに、自分自身の髪の毛を抜くのだ。それもあってなおさら周りから気色悪がられていたし、見ている私からしても痛々しかった。
隣の私はしばしば、消しゴムを貸したり教科書を見せてあげたりした。Yはよく忘れてくる――いや、消しゴムは買えなかったのかもしれない。
給食費を滞納していると噂されたこともあった。当時は個人情報やプライバシーへの意識は希薄だったし、日本社会のこと、保護者同士で不謹慎に噂話をする。その噂を信じ込んで我が子に教え、友達づきあいを指図 する親までいる。
貧困なのは、たしかなようだった。貧しい家の子は珍しくない。ただ、貧乏の子の多くは、給食をお替りしまくる。しかしYはむしろ少食で、残すことが多かった。
いま思い返すとわかる――拒食症だった。Yも、私も、摂食障害だった。当時は、給食を食べるよう強制されていた。好き嫌いするな、という『教育』の一環として。昼休みも、午後の授業になっても。放課後になっても食べ終わらないことも珍しくなかった。無理やり食べて吐いたり。そのたび教室は大騒ぎになったし、なおさらイヤがられてイジメに繋がった。
私にも家庭にいろいろ事情があったから、Yのことは他人事 には思えなかった。そのうえYには自傷癖まであったと、いまではハッキリそう言い切れる。
学年が上がるとクラス替えもあって、私とYとはクラスも別々になった。
5年生のときだったと思う。
――Yが、死んだ。
これも噂が情報源だったが、家の共同住宅からの『飛び降り』。当時の小学生にはケータイなんてなかったし、そもそもインターネットもなかった。テレビや新聞で流れなければ小学生の情報源なんてたかが知れている。
とにかく、死んだのは事実だった。教室を見に行くと、Yの机には花が置かれていたから。それにしても花を置くなんて、よかれと思ってしているのかもしれないけれど、なんと残酷なことなのだろう。そう思えたし、いまでもそう思う。まるで他人事だし、イジメにすら思える……。
どうやら、自殺の原因は家庭内の事情だった、ということで決着したらしかった。イジメも原因の可能性があったし、イジメ自体はあった。しかし、うやむやにしたらしい。イジメ自殺ということで大騒ぎになることもなかった。
いつしか、Yの机に花が置かれることもなくなった。そしてYの席自体もなくなった。
みんな、Yのことを忘れてしまったのか? それとも、Yのことを忘れてしまいたいからなのだろうか。
同級生の中には、本当に忘れてしまったやつも多かったかもしれない。残酷でもあるが、小学生の若さならばそれくらい環境順応性が高い。
「忘れたい」「目を背けたい」という人も多い。特に教諭などオトナたちからすればそうだ。しかも『自殺』は日本社会のタブーだから、ということも大きかったろう。
Yの死は、校内からフェードアウトした。
だが私にはYのことが忘れられない。他人事ではないし、そうして片付けてはおけない。
*
それって恋だったんじゃないの? わたしはそう思った。でも、とてもじゃないけど、言えるような話題ではない。もしかすると、Yさんだって隣の彼に恋していた可能性すらある。けれど、恋なんてそっちのけに悲しい話だ。
「いまでも忘れられないくらいだから、悔しいんだと自分でも思う。なにか私にやれることはなかったのか、と」
力なく嘆くような彼に、
「しかたなかったんだよ、あなたのせいじゃないよ……」
そう伝えるのが、わたしの精一杯だった。
でも彼は言う。
「爪を噛むのだって、拒食だって自傷だって、きっと死ぬのだって、自分でコントロールのできることじゃないんだ。だから、周りの人が、世の中が、そうならないような環境を調 えないといけないんだ」
「これ読んでいて思い出したんだけどね……」
彼は言った、
「あれは小学校の2年か3年かだったと思う。席替えで私の隣になった女の子がいてね」
わたしが相槌を打つと、彼は続けた。
「仮にYさんというけど、Yさんは同じクラスの子からもイヤがられて避けられてた。その隣になると『ハズレ』とまでいわれてた」
「それってイジメじゃない?」
わたしが言うと、そうだね、と彼も同意した。
「『Yは汚い』って。実際に服にも清潔感はなかった。母子家庭で貧乏だっていう噂もあった。
ただ、公立だったから、当時も貧乏な家の子は多かったし、『親が生活保護を受けている』なんて噂の子もクラスで何人もいた。『汚い』だけならありふれたことだけど、それだけでもイジメの原因になることが多かった。
でも、Yさんはそれだけじゃなくってね……」
*
Yには厄介な癖があった。隣の席になって、その癖を間近に見ることになった。まず、爪を噛む癖。ただ、そんな癖だけなら神経質な人に時々ある。もっと病的な癖があった。たまに、自分自身の髪の毛を抜くのだ。それもあってなおさら周りから気色悪がられていたし、見ている私からしても痛々しかった。
隣の私はしばしば、消しゴムを貸したり教科書を見せてあげたりした。Yはよく忘れてくる――いや、消しゴムは買えなかったのかもしれない。
給食費を滞納していると噂されたこともあった。当時は個人情報やプライバシーへの意識は希薄だったし、日本社会のこと、保護者同士で不謹慎に噂話をする。その噂を信じ込んで我が子に教え、友達づきあいを
貧困なのは、たしかなようだった。貧しい家の子は珍しくない。ただ、貧乏の子の多くは、給食をお替りしまくる。しかしYはむしろ少食で、残すことが多かった。
いま思い返すとわかる――拒食症だった。Yも、私も、摂食障害だった。当時は、給食を食べるよう強制されていた。好き嫌いするな、という『教育』の一環として。昼休みも、午後の授業になっても。放課後になっても食べ終わらないことも珍しくなかった。無理やり食べて吐いたり。そのたび教室は大騒ぎになったし、なおさらイヤがられてイジメに繋がった。
私にも家庭にいろいろ事情があったから、Yのことは
学年が上がるとクラス替えもあって、私とYとはクラスも別々になった。
5年生のときだったと思う。
――Yが、死んだ。
これも噂が情報源だったが、家の共同住宅からの『飛び降り』。当時の小学生にはケータイなんてなかったし、そもそもインターネットもなかった。テレビや新聞で流れなければ小学生の情報源なんてたかが知れている。
とにかく、死んだのは事実だった。教室を見に行くと、Yの机には花が置かれていたから。それにしても花を置くなんて、よかれと思ってしているのかもしれないけれど、なんと残酷なことなのだろう。そう思えたし、いまでもそう思う。まるで他人事だし、イジメにすら思える……。
どうやら、自殺の原因は家庭内の事情だった、ということで決着したらしかった。イジメも原因の可能性があったし、イジメ自体はあった。しかし、うやむやにしたらしい。イジメ自殺ということで大騒ぎになることもなかった。
いつしか、Yの机に花が置かれることもなくなった。そしてYの席自体もなくなった。
みんな、Yのことを忘れてしまったのか? それとも、Yのことを忘れてしまいたいからなのだろうか。
同級生の中には、本当に忘れてしまったやつも多かったかもしれない。残酷でもあるが、小学生の若さならばそれくらい環境順応性が高い。
「忘れたい」「目を背けたい」という人も多い。特に教諭などオトナたちからすればそうだ。しかも『自殺』は日本社会のタブーだから、ということも大きかったろう。
Yの死は、校内からフェードアウトした。
だが私にはYのことが忘れられない。他人事ではないし、そうして片付けてはおけない。
*
それって恋だったんじゃないの? わたしはそう思った。でも、とてもじゃないけど、言えるような話題ではない。もしかすると、Yさんだって隣の彼に恋していた可能性すらある。けれど、恋なんてそっちのけに悲しい話だ。
「いまでも忘れられないくらいだから、悔しいんだと自分でも思う。なにか私にやれることはなかったのか、と」
力なく嘆くような彼に、
「しかたなかったんだよ、あなたのせいじゃないよ……」
そう伝えるのが、わたしの精一杯だった。
でも彼は言う。
「爪を噛むのだって、拒食だって自傷だって、きっと死ぬのだって、自分でコントロールのできることじゃないんだ。だから、周りの人が、世の中が、そうならないような環境を