九 ー一月ー

文字数 6,864文字

 七輪の上で、餅の固い頭上を突き破りぷくりと中身が飛び出してきた。
「おお、いい感じじゃないか」
「はい、そろそろ良い頃合いかと」
 御付きは七輪の右側にある皿の一枚を手に取ると、七輪上の餅二個をうつした。それを満足気に神様が見る。
「この時期はいいねえ、焼いた餅が一層美味しそうに見える」
「一月ですからね」
 御付きは右隣の卓上机に皿を置いた。その前に神様が喜々と座る。
 毎年一月は、いつも仕事を行う大部屋沿いの縁側で餅を焼いて食べることが恒例となっている。一月といえどここ高天原では季節など存在しないため、気温を心配する必要もない。悠々快適に縁側で餅を食べることができる。
「今年のお正月もまた参拝者が減りましたね」
「仕方ないさ、あの町も人は減っているからね。それに、大きな神社に行く方が楽しいだろうさ。屋台だって出てるしね」
 神様は、砂糖醤油の入った小皿に餅をつける。それを口に運ぶと、目が弓なりになった。その様子を一瞥すると、御付きは次に焼く餅を七輪に並べていく。
「来てくれる方はいらっしゃるんですけどね。一誠(いっせい)くんもご兄弟連れて参拝にいらっしゃってました」
 そう言いながら、御付きの顔がみるみるしぼんでいく。それから、手にする箸で餅をいじった。
「一誠くんとさちさん、ずっと様子が可笑しいままですよね。十一月の後半から徐々に悪化してるといいますか……」
 文化祭当日までは、和気藹々(わきあいあい)とした雰囲気で御付きも和やかに見守ることができた。それが一遍して、ぎくしゃくした様子の二人が年を越した今まで続いているのだ。当事者でもないのに、なんだか近頃胃痛もしている御付きである。
「そんなことだってあるだろうさ。青春というやつなのではないかい」
 一つ目の餅を食べ終えた神様は二つ目の餅を箸でつかむと、きな粉の入った小皿につけた。
「青春といえど、あまりにも、こう、長くないですか? 二人ともずっと顔が曇ったままですし」
「長い? こちらからしたら一瞬だよ一瞬」
 餅を口にふくむと、神様は再度満足そうに笑む。そんな神様に、御付きはいつも通りじとりとした目で見るしかなかった。
「お二人なら何かあってもきっと解決してくれると僕も思ってましたよ? だけど、一向に良くなる気配がないじゃないですか」
 御付きのため息とともに七輪の餅もまたぷくりとふくらんだ。
「君がどう思ったところで、結局は彼ら次第なんだから。それに、人に介入するのはご法度なんだろう」
「それは、そうなんですけどっ」
 餅が更に更に大きくなりそうで、御付きは慌てて七輪の餅を掴んだ。



 祖父母宅の六畳の洋室。『三陽(みはる)伝承話集』の「三陽山鬼伝説」のページを開いたまま、一誠は何度目かのため息をついていた。
 十一月にあった文化祭。その日を境に一誠は、さちの様子がいつもと違うように思い始めた。暗い顔が増えてきて、一誠がどうかしたのかと尋ねても曖昧に笑ってごまかされる。無理に聞くのも良くないかと思っていつも通りでいたら、十二月に入って数日、初雪が降ったあたりだ。
『しばらく会うの控えませんか?』
 そう言われて、一誠はやっと自分が想定していたよりもことが大きくなっていたことに気づいた。
 さちは、雪や日の短さを理由に出していたが、絶対違うと一誠は思っている。
「理由がわからないまま、俺どうしたら……」
 さちからの提案のショックが強かったのか、次会う日の約束もできずに一か月経ってしまった。このまま会えないままなのではないかと、一誠は日に日に落ち込む時間が伸びる一方だ。
 また出かけたため息は、床に座った背後からの衝撃で勢いよく吐き出された。
「お兄ちゃん見つけたー!」
 頭上からの元気な()(すみ)の声に、一誠の耳がつんざく。そんな兄に気づくことなく、真純は目の前の首に腕を巻き付けた。
「お兄ちゃん、こんなとこでなにしてんの?」
「……その前に、いったん離れてもらっていい?」
「えー、やだ」
 見えなくても容易に想像できる弟のにこにこ顔に、一誠は頭を垂れた。
「真純何してんの、お兄ちゃんつらそうじゃん」
 背後の扉から入ってきただろう心結(みゆ)が、一誠から真純を剝がしていく。おかげで一誠は息を整わせることができた。
「心結ありがとう」
「いいよ」
 それから心結は一誠の傍に座ると、心配そうに彼の顔を見た。
「お兄ちゃん、最近元気なさそうだね。夏休みなやんでいたときのお兄ちゃんみたい」
「そうかな」
「うん、そうだよ」
 じっと見つめてくる目に、一誠は苦笑した。夏休みのときも、心結は一誠が悩んでいることに気づいてくれた。よく見ていることに、少し助けられる。
 ただ、一誠が七歳も下の妹に心配かけたくないのも事実だ。悩みの種が、さちが会うの控えたいということだけに尚更。
「……少し悩んでいるけど、大丈夫だから」
「本当に?」
「本当に」
 そっか、と納得しない声音のまま心結はうつむいた。心配してもらっただけに、一誠は申し訳ない。
「あと、もう一ついい?」
「うん、いいよ」
「さちちゃんと今度いつ会える?」
 驚きの声が出そうになって、一誠は慌てて口をふさいだ。悩むことになった相手の名前が出ることは予想していなかった。
 そんな兄を心結はうつむいているせいで気づかないまま、言葉を続ける。
「秋祭りの日に会ったきり会えてないから、次いつ会えるのかなって」
「そうだな、またいつ会えるか訊いてみるよ」
「さちちゃん、私と会うの嫌になったのかな」
 一誠は思わず言葉が詰まった。まるで、自分を見ているようで痛々しい。
「えー、さちちゃんそんなことないと思うよー?」
 のんきな真純の声に、一誠と心結がそろって弟を見る。真純は不思議そうに首を傾げた。
「さちちゃんお祭りのとき、お姉ちゃんと楽しそうだったよ。きらいって思っちゃう方がわかんないよ」
「真純に何がわかるの?」
 精一杯に睨む心結を意に介さず、真純は言う。
「だって、さちちゃんにこにこ笑ってたもん!」
 にっこり笑う真純に、心結は不安が抜けたようにぽかんとした。
真純の言葉はその通りで、だから一誠は自分こそ何かさちにしてしまったのかと思う。でも心当たりがないせいで、さちの提案に納得できなかった。
「さちちゃんって誰だ?」
 突然の第三者の声に、三人はそろって扉の方を向く。中途半端に空いた扉から、母の兄である伯父が顔をのぞかせていた。
 一月の連休、その中日にあたる今日、祖父母の家に一誠たち佐原一家と母の兄家族、妹家族が集まっている。
 昼食を早々に済ませた一誠は、トイレから帰る途中たまたま目についたこの部屋で、以前「三陽山鬼伝説」を読んだことを思い出した。そのままさちのことも思い出して、なんとなしに読んでしまった次第である。
「一誠が戻ってこないと思ったら、下二人も一緒にそろって恋の相談か?」
「ちがうよー、(ひろ)(たか)おじさん。友達の話だよ」
「そうかー、一誠の彼女でも真純の彼女でもなかったかあ」
 にやにやする伯父に、一誠は苦笑するしかなかった。その伯父は、一誠の膝に乗っていいる本を見るとぱっと目が見開いた。
「なんだ、懐かしいもの読んでるな」
 伯父は部屋に入ってくると、一誠の膝から本を取った。ゆっくりページをめくりながら目を細める。
「宏隆伯父さん、知ってるんですか?」
「知ってるも何も、しょっちゅうばあさん、ああ、お前らのひいばあさんな。そのひいばあさんに読み聞かせられたからな。耳にタコだったよ」
 心結と真純が首を傾げる。先に口を開いたのは心結だ。
「お兄ちゃん、あれ何の本なの?」
「あれはね「三陽山鬼伝説」が載ってる本だよ」
「え、鬼伝説! 宏隆おじさん、おれも読みたい!」
 真純にせがまれて伯父が真純に本を見せる。喜々としてページをのぞいた真純の顔は、すぐさま苦々しい顔になった。
「なにこれ、字ばっかりだし、絵もなんかへん」
 忌憚ない真純の意見に、伯父は吹き出す。
「そりゃ、真純から見たらそうかもな。これは、昔に作られた本だから尚更な」
 伯父がそう言いながら、一誠にページを開いたまま本を返す。横から心結が見たが、やはり難しそうな顔をした。
「そういえば、母さんも言ってました。子どもの頃、ひいおばあちゃんに三陽山の鬼の話教えてもらって、山にも鬼を捜しに行ったって」
「ああ、あったな。ばあさんから話聞いた後に、お前らの母さんと俺とで鬼を絶対見つけようってなってさ。山の中をあちこち歩き回ったよ。結局迷子になって、親父とお袋にこっぴどく叱られたけどな」
 悪びれもなくにかっと笑う伯父を、真純は目を輝かせながら見上げた。
「伯父さん、鬼に会ったの!?」
 そんな甥に伯父は一瞬戸惑うも、すぐに苦笑気味に首を振った。
「いいや、会えなかったよ。野生の小動物を少し見たぐらいだ」
 途端に残念な顔をする真純の頭を、伯父はがしがしと撫でた。しばらくそうしてると、そういえばと何か思い出したように伯父が言った。
「俺がちっさい頃、一度だけじいさんが鬼の話をしたことがあってさ」
「じいさん、俺たちのひいおじいさんですか?」
 一誠は曽祖父に会ったことはない。一誠が産まれる数か月前に病気で亡くなったそうだ。
「そうそう。普段は全く鬼の話題に触れないし、むしろばあさんが鬼伝説の話をしだすと嫌な顔しかしなかったんだけどな。やけに珍しいからよく覚えているよ」
 その話に一誠たち兄妹はそろって首を傾げた。
「どんな話だったんですか?」
「それがな『鬼には決して近づくものではない、大事なものを取られてしまう』って言ってたんだよ」
 兄妹そろって今度は怪訝な顔をする。
「だいじなものー?」
「そんなの、鬼伝説の話の中には書いてないよ?」
 真純と心結がじっと本を見つめる。
 それに、と一誠は思った。それに、その言い方だと。
「まるで、鬼に会ったことがあるような」
 つぶやきのようなその声に、伯父が力強くうなずいた。
「そうなんだよ。そう思ったっから、会ったことあるのか訊いたらだんまりでさ。結局わからないままなんだよ」
 一誠は改めて手元の本を見る。挿絵のおどろおどろしい鬼が、なんだか寂しく見つめてきているようだった。



 このままではやはり納得できないと、一誠はほぼ毎日放課後山に通うことにした。
雪が積もっているせいで、行くだけで一苦労だ。それも、さちに会えさえすればなんてことない。そう思って一誠は、最初にいつも待ち合わせている山沿いの道路まで行った。それが日を追うごとに、山の中に進んでいき、最終的には談笑する場所と定着した頭上の開けている場所まで来た。
「全く会えない……」
 石の上に腰掛けて、一誠はぼーと空を見る。重く重くのしかかる雲は、今にも雪が降ってきそうだった。
「もう会えないのかな」
 そう一誠がつぶやくと、ふと何かの視線に気づいた。恐る恐るそちらの方を見ると白い兎がじっとこちらを見ている。
「なんだ、兎」
 わずかな期待が外れてしまって、一誠は盛大にため息をついた。
「そういえば、さちさんと関わるきっかけは兎だったな」
 車に轢かれたであろう兎を助けてほしいとさちから懇願されて、二人の関係は始まった。その兎を助けることはできなかったが、二人の仲は当初よりもだいぶ良くなった。
 ちらりと兎のお墓に目をやる。今でも山に来ると、まず初めに兎にお墓の手を合わせる。さちも定期的に花を供えると言っており、今も白い山茶花が供えられていた。
「……あれ?」
 その墓に、何か違和感を覚える。一誠が山に来る三〇分前まで雪は降っていた。なのに、目の前の山茶花は雪を被っていない。
「もしかして、近くにいる?」
 すでに帰ってしまっているかもしれない。しかし、少しでも可能性があるのならば一誠はそれにかけるしかなかった。
 一誠は大きく深呼吸すると立ち上がる。日が落ちるのも早いことを考えると、おちおちゆっくりもしていられない。
 談話場所から抜け出して、一誠は上へと登り始めた。
 今まで踏み入ったことがない場所なので、周囲を見回しながらゆっくりと登り続ける。進めば進むほど、木々が迫ってくるような感覚を覚えた。息が上がってきて、一誠にわかりやすく疲労がやってきたときだった。
「じゃあ、そろそろ行くね」
 ふと耳に入ってきた、ずっと聞きたかった声に一誠の動きが止まる。
「そろそろ帰って、夕ご飯の支度しなきゃ」
 ゆっくり声の方をたどれば、さちがそこにいた。傍には何匹か兎がいてさちを見上げている。その中には、一誠を見ていた白兎もいた。
何もできずに立っていると、やがて赤い瞳が一誠に向いた。みるみる目が大きくなるとともに、身体がぴきっと固まる。
 静かな空気の中、先に動き出したのはさちだった。背中を向けた彼女は、一目散に上に登っていく。数秒遅れて、一誠も慌てて駆け出した。
「さちさん、待ってください! 一回、話をさせてください!」
 上がる息の中一誠はなんとか叫ぶも、さちは答えるどころか振り返りもしない。ただひたすら走り続けている。
「さちさんお願いです、話を! 話をさせてください!」
 なんとか追いつこうと一誠は走るも、スピードは徐々に落ちていく。それでも諦めることはできない。今諦めてしまえば、本当にもう二度と会えないような気がしたからだ。
 やがて一誠の視線の先で、さちは今の季節には不自然に葉が密集した木々のトンネルの中に入っていった。一誠もそれに続こうと一歩入ったところで、さちの背中が振り返った。
「来ちゃ駄目!」
 さちの珍しい叫びに一誠は一瞬怯む。しかし、すぐに叫び返した。
「じゃあ、逃げないください!」
勢いのまま叫んだ声は、そのまま盛大な咳もつれてきた。しばらく咳き込み続けて、なんとか息を整えようとする。次に顔を上げたときには、暗いトンネルの中で、ゆらゆらと揺れる唐紅が見えた。
「……ここ、人が来たことないから、来たらどうなるかわからないんです」
 悲しそうな声音が一誠の耳に届くのに、その表情はうかがいしれない。
「さちさん、いったん外に出ませんか?」
 努めて発した優しい声音に、さちはゆっくり一誠の方に歩いてくる。彼女が傍まで来ると、一誠は一緒に外に出た。
 改めて一誠が見たさちは、辛そうだった。思わず顔を背けたくなって、それではいけないと一誠は身体に力を入れる。改めて、真っ直ぐにさちを見た。
「わがまま聞いてくれてありがとうございます。俺どうしても、さちさんと話したかったんです」
「……私の方こそすみません。せっかく来てくれたのに、逃げたりして」
 一誠はぎゅっと拳を握ると、口を開いた。
「さちさんがしばらく会わないと言った理由を、俺ちゃんと聞きたいんです」
「それは、雪が降って危ないから」
「だとしても、今のさちさんならきっと全く会えなくなる状態を作らないと思うんです。そうじゃないと、文化祭の準備でいつ山に行けるかわからなかったとき、毎日山を下りようとしないですよね?」
 さちの顔がそっと背けられた。髪が彼女の顔を隠していく。
「……私は鬼だから」 
 それは、何度も一誠が耳にしてきた言葉で、もう気にしてないと思い込んでた言葉だった。それをまた言った理由が、一誠にはわからない。
「鬼でも、今までいろんなことできてきたじゃないですか」
「はい、だから私欲張っちゃったんです」
 わずかにさちの声が震える。
「なんでもできると思ってしまったけど、やっぱり私は鬼で人と同じように生きることはできないんです」
「そんなこと」
 否定しようとする一誠を遮るように、さちの指がトンネルをさした。
「昔の鬼たちは人に決して知られない、来ることもできない場所を作りました。人に敵視されることで、共に暮らせないと悟ったからです。この木々の向こう側もその内の一つです」
 一誠はトンネルの中をじっと見る。その先は何処までも闇が続くだけで身震いしそうになった。この先で、さちはひとりで暮らしているのだ。
「何百年も前の鬼たちがすでに知っていたのに、今更人と一緒に過ごそうなんて元々できない話だったんです」
 諦めたようなさちのもの言いに、一誠は強く首を振る。
「さちさんだからこそ、できることだってあるんですよ。人との関わりだって、さちさんの優しさで今まで心結や真純、倉田(くらた)や木下(きのした)さんだって仲良くなったじゃないですか」
「そのときだけ、だからです」
 かさかさと、トンネルの葉が音を鳴らす。まるで、さちに戻ってくるよう呼びかけるように。
「この先もずっとと思ったとき、この目が偽りではない赤い目なこと。額には二つの角があること。老いる速さが違うこと。これを、知られることもなく人と関わり続けるなんて無理な話なんです」
 周囲にゆっくり闇が落ちていく。肌を撫でる空気が痛くなってきた。
「一誠さんの周りには、素敵な方たちがたくさんいます。だから、私じゃなくて人の皆さんと会ってください。私とは……会うのをやめましよう」
 上げられたさちの顔には微笑が浮かんでいて、紅い瞳が滲んでいた。
「なんで私たち出会ってしまったんですかね」
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