第1話

文字数 3,185文字

 大型ショッピングモールに併設された公園は午後になると親子連れで賑わう。
 まだ小学校に上がる前の小さな子供と若い母親が最も多く、今日みたいな憂鬱な月曜の午後にあってその賑わいは一層生命感に溢れた。
 僕はこの日、友人を誘って公園のはずれにある比較的人気のない場所にあるベンチに座った。

 友人は予定していた時刻の5分前にやってきた。今まで彼が予定していた時刻より早く来たことはない。いつもは30分ほど遅れることが多い。この日、彼は初めて予定の時刻より早く来た。

「ちくわってさ。何で切る?」来たばかりで、まだベンチに座っていない友人を見上げるようにして僕は聞いた。

 友人は僕の妙な質問に少し間を置いてから答えた。
「何でって?そりゃデカすぎて食べにくいときなんか切るでしょ」
「いやいや、そうじゃない。何を使って切るってことだよ」僕はちくわを刃物で切るような身振りをしながら友人を見た。
「ああ、そういうこと。包丁でしょ」友人は細かく何度か頷きながら僕の隣に座った。
「だよなぁ」
「なんで?」
「いや。こないださあ、彼女が家に来て、おでん作ってくれたんだよ。その時にチリトリある?って聞かれて、チリトリ持ってなかったな、と思って『ないよ』って答えたんだ」
「うん」
「そしたら、彼女が言うんだ。じゃあどうやってちくわ切るの?って」
「それって、、、」
「そう。ちくわはチリトリで切るもんらしいんだよ」僕はそう言った後、自分でもおかしなことを言っていることに気付いて少しだけ不安な気持ちになった。
「なるほどね」友人は僕の不安をさらに煽るように静かに答えた。
「なるほどって?」
「んー。メンヘラちゃん」友人はそう言うと意地悪く僕を見た。
「ええー?いやそういう感じじゃないんだよなあ」
「じゃあどういう感じよ?」
「んん。なんていうかもっとシリアスっていうか。冗談では返せない雰囲気っていうか」
「ほら、メンヘラちゃんじゃんだよ。やっぱり」友人はそういうとな何故か妙に楽しそうに僕を指差した。
「そうなの?」
「そうだよ。よく分かんないこと言ってお前の気を引こうとしてるだけだろ?」
「そうなのかな、、、」僕はついさっき感じた不安が悲しさに変わっていくような気がして、そう言った後少し黙った。
しかしその悲しさが、彼女に対するものなのか、友人に対するものなのか分からず、次の言葉を探せずにいた。
「そうだよ。お前は優しすぎる。俺ならそんなの無視だな」そういった友人は何だか逞しく見えた。それがまた僕には寂しかった。
「像が鼻くそをほじるところ想像したことあるか?」僕は自分の足元とその下にザラザラと気怠そうに広がる砂と小石の群れを眺めながら言った。
「ないね」友人は素早く答えた。
「ない?じゃあ今想像してみてくれよ」
「やだよ」
「いいから。とにかく頭の中で想像するんだ。像があのちんちんの先みたいなところに足でもなんでも、その辺に落ちている枝とか使ってもいいから、なんとか工夫を凝らして鼻くそをほじってる姿を想像してみてくれよ」僕がそう言うと、友人は僕の顔をまじまじと不思議そうに見た。
僕は少しだけ友人と目を合わせて、それからすぐに視線を足元に移した。
「わかった。ちょっとやってみる」友人はそう言うと、ちょっと不安になるくらい長い時間沈黙した。
「どうだ?」僕はその沈黙に対する不安に堪え切れずに友人の回答を急かした。
「難しそうだな。っていうか、出来るか?そんな、、、」
「そうなんだよ。そういう感じなんだよ。彼女がチリトリでちくわを切るってことを言った時の俺の頭の中は。そういう感じの想像があって、でもそれは一言で馬鹿にできないっていうかさ。なんか想像の連鎖が止まらなくなってしまって、、、」
その時、僕たちのすぐ目の前を小さな子供、3歳ぐらいの小さな女の子が淡いピンク色のスカートを揺らしながらヨタヨタと不器用そうに走って横切った。そのすぐ後に、小太りの母親がいかにも面倒そうなしかめ面をして子供を早足で追いかけ、ちょうど僕たちの視界の脇まで来たところで「走らない!」と棘のあるトーンで叫んだ。僕たちはその母親の声に、何だかとてもナーバスになってしまい、しばらく意味もなく黙った。

「俺そろそろ行くわ」友人はそう言うとバッグを脇に抱えて立ち上がった。
「あ、今日もしかして面接か」
「ああ。だるいけどな」友人はそう言って、僕の目の前に自分の拳を出した。
 僕は自分の拳を友人の拳に一瞬触れてから友人を見た。
「おう頑張ってな」僕がそう言うと、友人は少しだけ笑って去った。面接を控えていたから、早く来てくれたことを僕はこのとき初めて理解した。

 翌日、僕は彼女のためにプラスチック製の切れ味の良さそうなチリトリを買った。切れ味、というのは全く僕の想像に過ぎないのだか、チリトリが地面からゴミを掬い上げる口の広がった部分で切るという一応の予測をつけて探してみた。

 先日友人と話した公園の隣にあるショッピングモールで、色々とチリトリを見て回ると、この掬い上げる部分がシリコン製だったり、ゴムの皮膜をコーティングすることで床を傷つけないようにするなど、チリトリといえど様々な工夫が凝らされていて、改めて「切れ味」という視点で探すことの難しさを実感した。結果的に100円ショップに売られていた、なんの工夫も凝らされていない粗雑な作りのプラスチック製のものが切れ味という視点からは最も優れていると判断し、それを一つ購入して家に帰った。

 彼女は金曜の夜に家にきた。
「あのさ。こないだチリトリ買っておいたから」
「え、本当?」
「これなんだけど。こういうので良かったかな?」そう言いながら僕は薄いグレーのなんの変哲もないチリトリを彼女に差し出した。
僕の家に着いたばかりでまだコートも脱いでいない彼女は少し驚いた様子でゆっくりとチリトリを受け取って、それから両手で優しくチリトリを持った。
「うん。良いよ」
「良かった」僕はそう言ってチリトリを持った彼女をしっかり見た。
「でもね。やっぱり切れなかったんだよ」彼女はチリトリを見たまま言った。
「え?」
「本当はね。何度も試してみたんだ。でも切れなかった。こんなこと言って変だと思うでしょ?でも私は真剣に切ってみた。私が初めてのその話をした後、家に帰って、ちゃんとちくわも買ってね」僕はなぜ彼女がこれほどチリトリとちくわについて真剣に話をするのか分からず、それでも彼女が友人の言うようにただのメンヘラだとは到底思えず、モヤモヤとした気持ちになりながら聞いた。
「そうか。それはチリトリの問題?」彼女は微笑みながらゆっくり首を横に2度ふった。
「違うの。私が小学校の頃、友達が言ったんだ。ちくわだったらチリトリでも切れるよって。でも私は信じなかった。信じなかっただけじゃなくて、ちょっと馬鹿にしちゃったんだよね。その子のこと。でね、それが1年生の頃だったんだけど、2年生になる前に死んじゃった。交通事故。でそのあと私は、すごく後悔した。チリトリで切れるわけないじゃん、って言った時の彼女の悲しそうに俯いた顔が忘れられなくて。ずるいんだよ。今更。試そうとしてる私は。でも、あなたと一緒にいると何だか彼女のこといつも思い出しちゃうんだ。懐かしい感じがするのかな」そう言って彼女は力なく笑った。
 彼女がそう言った後の僕のアパートの部屋はあまりにも静かだった。彼女の小さかった頃、友達とランドセルを揺らしながらの帰り道、授業が終わった後の教室の喧騒、物理的に僕の人生には無い記憶が何故か僕の体内を激しく駆け巡り、彼女と強く結びつく感覚を得た。

「ちくわ買いに行こう」僕はそう言って彼女の手を取った。
「うん」
 僕たちは狭いアパートの玄関を順番に外に出て、コンビニに向かって街路樹の並ぶ歩道を歩いた。僕と、彼女と、彼女の小さな友人のために。
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