第1話

文字数 853文字

 廊下の観葉植物が枯れていた。早朝、トイレに向かっていた拓郎は気づいて、しゃがみこんだ。
 植木鉢にはきちんと日差しが注がれている。しかし低い茎は萎え、葉は変色していた。拓郎が手を伸ばすと、乾いた感触がして、音もなく葉が落ちた。

 同僚の結婚式でもらった引き出物だ。
 カタログに欲しい物が見当たらず、まごついていたら、背中越しに美弥子が「これいいじゃん。うち植物ないし」と言ったのだ。

 「気温の変化に強く、水やりも最低限で大丈夫‥‥って」
 美弥子がカタログを読み上げる間に、拓郎は注文を済ませた。物が増えるのは面倒だが、選ぶのはもっと面倒だった。
 少なくともこれが届けば、美弥子は喜んでくれるだろうーー。拓郎はひとり合点をした。

 振り返ると、もう美弥子はゲームに興じている。たいして興味はなかったらしい。
 すらりとした鼻筋が、ときどきピクピク動く。夢中になっている証拠だ。薄い生地のシャツに、ふわふわしたパーカー。予定のない週末、二人で過ごすときの光景だった。

 「大丈夫」なはずの観葉植物が、目の前で枯れている。
 なんだ。大丈夫じゃないじゃん。
 拓郎は思う。
 べつに悲しくはない。
 いま思えば、確かに彼は水やりをしなかった。しかし枯れることも想定していなかった。興味がなかったのだ。
 いったい、こんなに手のかかるものが、なぜ引き出物に紛れ込んでいたんだ。枯れれば縁起も悪いではないかーー拓郎は自分の不作為を棚にあげ、腹立たしさすら覚えた。

 朝の廊下はひっそりしている。植物を選んだ美弥子は、もう家を訪ねてこない。数週間前に喧嘩をして、出ていった。
 拓郎にしてみれば、彼女が一方的に怒りはじめたようなものだ。
 些細な言葉遣いが、彼女の神経を逆撫でした。何を言ったのかすら、拓郎は覚えていない。
 あぁ。
 彼はため息をついた。美弥子とは何年付き合ったんだっけ。彼が「大丈夫」だとすっかり信じていた関係は、実にあっけなく崩れた。
 窓では結露した水滴がきらきら光る。哀れな植物は、黄色くなった葉をもう一枚、床に落とした。
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