第一節
文字数 1,426文字
地獄の侯爵 アモンはこの頃にはすっかり人間世界への興味を失っていた。人間たちは悪魔が耳元で囁 かなくとも自ら望んで堕落 したので、彼は地獄にある自分の居城で美しい詩を詠 んで過ごしていれば良かったのである。
その人間の男が彼の許 を訪れたのは、地獄の昼下がり、アモンが庭に咲き乱れる薔薇 を眺 めながらその様 を詩に詠んでいた時だった。
様々な誘惑と罠 に満ちた回廊 をくぐり抜けてここまで辿 り着 くとは、随分 と信仰心が厚い人間に違いない。そう思い、アモンは興味を惹 かれて男を眺 めた。
人間にしては美しい男だ。繊細 なプラチナブロンドが白皙 を覆 い、アイスブルーの瞳が宝石のように煌 めいている。
男は地獄の侯爵を前にして、驚いたように目を見開いた。彼が聞かされていたアモンの姿は、鳥の頭と狼の躯 に蛇の尾を持つという、醜 いものだった。だが目の前にいる黒髪の悪魔は言いようもなく優美な容姿を備えている。
「人間」
アモンが口を開くと狼の牙が覗 き、喉 の奥に赤い炎がちらちらと揺 らめくのが見えた。
「我 になにか用か」
男は何も答えることができなかった。人間を堕落させるのが悪魔の真髄 なら、この美しさこそがそうに違いないと男は思った。幼い頃から魂の奥深くに刻まれた信仰心が揺らぎ、膝を屈しそうになる。恍惚 に霞 む頭の奥で、自分はこの悪魔を祓 いに来たのではなかったかと自問する声がする。
男は力を振り絞り、懐 に隠し持っていた聖水を悪魔の貌 めがけて振りかけた。
アモンは驚いてさっと片手で貌 を覆 ったが、男の強い信仰心が宿った聖水は思った以上の威力 を有していた。からんっという音がして、アモンの右の牙が庭の石畳の上に落ちた。
アモンは。
その本性の通り、悪魔的な美しい笑みを湛 えて男を眺めた。黒い双眸 が炎の色を宿して妖しく光る。今や彼ははっきりとこの人間の男に興味を抱いていた。
アモンの裾 の長い衣服の下から大きな蛇が這 い出してきて、シューッと長い舌を吐くと、琥珀 色の瞳でじいっと男を見つめた。
男は文字通り蛇に睨 まれたカエルのように、ぴくりとも躯 を動かせなくなった。
蛇はそのまま男に一息 に飛びかかり、その躯に巻き付いた。男は恐慌 状態に陥ったが、強く締 め付けられて呼吸すらままならない。
「敬虔 なキリスト者の若者。そなたの美しさと勇気、信仰心を称 え、その魂を我が一部としてやろう」
アモンがそう告げると、蛇は己 が身を巻き付けた男の躯 を地面から持ち上げ、アモンの口元へと運んだ。
男の美しいアイスブルーの瞳が恐怖に見開かれる。蛇の尾がアモンの臀部 の辺りに離れがたく巻き付きいるのが見えた。地獄の侯爵 の姿について鳥の頭と狼の胴 は偽 りであったが、牙と蛇の尾については真実だったのだ。
尾の蛇が口元へ運んできた男を、アモンは赤く揺らめく美しい瞳で見つめた。愛撫するように唇で頬に触れ、赤い舌で舐め上げる。ただ口づけているだけのようでありながら、恍惚として身を震わせる男の躯は徐々にアモンの口中へと呑み込まれていく。そのまま、男の魂はアモンの中へ取り込まれた。
男の信仰心、清い魂、恐怖、絶望、様々なものが我が身に取り込まれ、アモンは満悦 だった。彼はこれ以降、詩を詠 む合間に自分の中で業火 に焼かれ苦悩する美しい青年の魂を眺めては、悦 に入 った。何篇 か、彼のことを詩に詠みさえした。
彼は遂に石畳の上に落ちた己 が牙を見出すことが出来なかったが、そのことが気にならぬほど、新しく手に入れたこの玩具 を気に入っていた。
その人間の男が彼の
様々な誘惑と
人間にしては美しい男だ。
男は地獄の侯爵を前にして、驚いたように目を見開いた。彼が聞かされていたアモンの姿は、鳥の頭と狼の
「人間」
アモンが口を開くと狼の牙が
「
男は何も答えることができなかった。人間を堕落させるのが悪魔の
男は力を振り絞り、
アモンは驚いてさっと片手で
アモンは。
その本性の通り、悪魔的な美しい笑みを
アモンの
男は文字通り蛇に
蛇はそのまま男に
「
アモンがそう告げると、蛇は
男の美しいアイスブルーの瞳が恐怖に見開かれる。蛇の尾がアモンの
尾の蛇が口元へ運んできた男を、アモンは赤く揺らめく美しい瞳で見つめた。愛撫するように唇で頬に触れ、赤い舌で舐め上げる。ただ口づけているだけのようでありながら、恍惚として身を震わせる男の躯は徐々にアモンの口中へと呑み込まれていく。そのまま、男の魂はアモンの中へ取り込まれた。
男の信仰心、清い魂、恐怖、絶望、様々なものが我が身に取り込まれ、アモンは
彼は遂に石畳の上に落ちた