第1話

文字数 1,989文字

 初めて不破小萩(ふわこはぎ)さんを見たのは、村で唯一のコンビニの喫煙所。曇天の下、ふてぶてしく煙草を吸っていた。大きな荷物を(かたわら)らに、手には小さな観葉植物を一つぶら下げて。
髪は黒いけどヤンキーチック、ご近所さん達と遠巻きに見た。

 そんな不破さんがうちで働きたいと訪ねてくれて、夫と私は二つ返事で採用したのだ。
どんな子でもいい、我が家はとにかく人手が欲しい。これからポインセチアの出荷が始まるというのにグエン君とダハミさんが辞めてしまったから。
「寮はありますか」という不破さんの問いに、自宅二階の四畳半に下宿させてあげることにした。とにかく人材を逃がしてはならない。


「船田さん」
 不破さんが口を開いた。その日の晩、不破さんと私達夫婦の三人でアンコウ鍋を食べていた時。
「二階に誰かいますか?」
 私と夫は顔を見合わせ、仕方なく私が話し出す。
「向かいの部屋に娘の友香(ゆか)がいるの。中学二年生。実は不登校で籠っちゃって」
「そうすか」
「我が家じゃ眠り姫って呼んでいるの。理由がわからなくて、まるで魔女の呪いがかかっているみたいだから」
 苦笑いで話す私に、不破さんは断言した。
「船田さん、呪いは解ける、大丈夫っす」
 正直、ご近所さん達のありきたりな助言に疲れ果てていた私。その一言がびっくりして、有難くて、私は後から何度も噛みしめたのだ。

 不破さんは細いのに、意外と力持ちで手際がよかった。黙々と農作業をしてくれて、感謝していたある日のこと。
 不破さんは休憩時間にハウスの裏手で煙草を吸っている。ふと目を離したら、いつの間にか森川さんの敷地内で梯子(はしご)を押さえているではないか。
必死に梯子を登っているのは岸さんとこの(しょう)君。窓で待ち構えているのは、森川さんとこの陽菜(ひな)ちゃんだ。長い髪を垂らした姿は、まるでラプンツェル。童話のようにはいかないから、梯子を使っての逢瀬なのか。

 ハウスに戻って来た不破さんを問いただした。
「不破さん、なにやってたの?」
「梯子あぶねえから押さえています、いつも」
「いつも? あの二人の親は土地の境界線でもめて犬猿の仲なのよ。逢瀬の手助けしているの?」
「ロミジュリっすか」
「ロミオとジュリエットってこと? まあ、ね」
 首を(かし)げる私を見て、不破さんはちょっと笑った。不破さんは笑うと可愛い、下の名前通りに。

 怒涛のクリスマスを乗り越え、新年。
今年は小正月に地域の独身男女を一堂に会した婚活イベントが催されたのだが、それが大荒れとなってしまった。そこに日本酒の樽酒があったのもまずかった。
とりあえず私と不破さんで、泥酔した金田さんとこの(すみれ)ちゃんを支えて歩かせ、自宅まで送っていった。自宅に着いた菫ちゃんがおもむろに、
「私の靴はぁ?」
 見ると靴を履いていなかった。
「菫ちゃん、あとで王子様が靴を届けてくれるわよ」
「シンデレラっすね」

 私は帰る道すがら、不破さんにお礼を言った。
「友香が夜、コンビニに行くとき、不破さん、こっそり付いていってくれているよね」
「夜は危ないっすから。私、空手やっていたので守れます、船田さんには恩がある」
 私も酔っていたのかな、ちょっと泣いちゃった。
「煙草吸いに行くついでっすよ」
 不破さんはぶっきらぼうに付け足した。


 果たして王子様は靴を持ってやってきた。正しくはオフィス用のサンダルを。
「見つけた、不破さん! ひどいじゃないですか、ロッカーにこれだけ残して黙って辞めるなんて!」
「あ、やべえ」
 私は初めて狼狽(うろた)える不破さんを見た。
背が不破さんと同じくらいの眼鏡の男性。その男性が差し出した名刺には、大手園芸会社とその肩書。「社長の三男」と不破さんが渋い顔で耳打ちする。立ち話もなんだからと、私と夫は慌てて自宅に案内した。

 居間で聞いた話では、なんでも会社のしきたりで、次期後継者達は身分を偽りバイトとして各部署を回り、仕事を覚えながら課題を探るらしく……
「そこで僕は不破さんを見染めたんです」
「坊ちゃんは、どっかのお嬢様と一緒になった方が会社のため、あんたのためだ」
「不破さんだって、元々はお嬢様じゃないですか、お父様の会社がTOBで買収されて」
「うるせえな、元じゃダメだろ」
「僕には不破さんが必要なんです、裏表がない不破さんが」
「まあ、ここまで来たのは偉かった、それから、あんたがくれたポトスは元気だよ」

 ああ、不破さんが来てからというものの、この村にロマンチックが渋滞している。

 いつの間にか、友香が(ふすま)の隙間から覗いている。
最近、不破さんと友香は、サンルームに放置されていた観葉植物を一緒に剪定して株を増やしているのだ。不破さんは余計なことを言わないし、上からこないし、そして温かい。友香が心を開きだしている。

 だから不破さんにはもう少しこの村に居て欲しいし、そうは言っても、お姫さまに返り咲いて輝いても欲しいし、私はそのとき情緒がおかしくなって、また泣いちゃった。


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