第1話
文字数 1,975文字
色を忘れた空に、星がまたたく。
熱を許さないホームのコンクリートに、温もりを吸い取られた木製のベンチ。冷え切ったベンチに、ぴったりと吸いつくぼく。
いつしか雨が降り注ぎはじめた。しとしとと音のない冷たい雨が、ホームを夜色に染めようとしていた。
時計は、四時十分を指している。レールはまだ震えない。
「まだかな」
「時計見ればわかるだろ」
「だって――」
ぼくらは、物心がついた時にはすでに同じ施設にいた。名前を与えたら、人権も与えなきゃいけない。お前らは人じゃない。人じゃないお前らには人権など必要ないからと、ぼくらは数字で呼ばれていた。
命は、だれかの意思ひとつ。ぼくらには、生死を選ぶ権利もない。
「ねえ、どこに行く? やっぱり、海かな。でも、大きな街のほうが、人に紛れるにはいいって聞くけど」
「海一択だろ。お前の擬態は、海では最強なんだから」
ぼくのおしりがきゅっと鳴る。いつも弱いとばかにされてたぼくだけど、37号は、いつだってぼくのことを認めてくれる。ぼくの擬態能力は最強だって。
ホームは、屋根のある部分を残して、すでに夜色に染められていた。
「隠れる場所、すぐに見つかるかな」
「追手が来たって、おれがいれば平気だろ」
きゅっきゅっと、ベンチがぼくの代わりに抗議する。
「ぼくだって、戦えるよ」
大きなレンズが、ぼくを捉える。
「おれの能力は知ってるだろう。おれが相手の能力をコピーすれば、戦闘で負けはないんだ。絶対に。だからお前の力は必要ない」
たとえ勝てたって、そんなのは一時のものだ。あいつらはずる賢い。卑怯な手だって、大笑いしながら喜んで使う。だからぼくは、絶対なんて言葉は信じない。
「それはわかってるけど――」
雨がぼくのひざを打つ。ホームはすでに闇に飲まれている。あとはぼくらだけと言いたげに、雨は大胆にぼくらを濡らしはじめた。
「始発まで、あと何分かな」
きゅっとベンチを鳴らして、ぼくは時刻表にふり返った。
四時四十七分。
まだあと十五分もある。
ときおり闇の向こうから、バタンと扉の閉まる音がする。追手かと身をすくめるけれど、37号は「新聞配達だろ」「農作業にでも行くんだろう」と、ぼくに安心をくれた。
電車がくれば、電車さえきてくくれば、ぼくらは間違いなく逃げ切れる。
突然雨が強くなった。トタン屋根を激しく鳴らし、ぼくの不安をあおるように跳ねる。
でもこれはチャンスだ。白い大粒の雨は、ぼくらの姿を夜の中に隠してくれるだろう。
空気の湿り具合から、この雨が数時間続くことは確実だ。
「ねえ、夜が明ける前に電車を降りない? 雨と闇の中を歩くほうが、見つからないと思うんだ」
「任せるよ」
任せるなんて言われたのは、生まれてはじめてで、心が激しく喜びで震えていた。不安なんて、感じている暇はない。絶対、絶対にぼくが、37号を無事に海まで連れて行くんだ。
ぼくにもこんな強い気持ちがあったのかと驚いたけど、悪くない感情だ。
だれかを守るって、こんな感情なのかな。ヒーローって、こんな気持ちでいるのかな。
「ぼく、ヒーローに生まれたかったかも」
雨がぼくらの言葉をかき消してくれるだろう。そう思ったら大胆なことも言えた。
「無理だろ」
「ひどい! 否定するにしても、ちょっとくらい悩んでくれてもいいんじゃないの?」
ぼくは抗議する。
「お前は戦い向きじゃない。平和な世界で、なんにも考えずに生きてけばいいんだ」
「それはそうだけど――」
だれかを殴ったり、蹴ったりする戦闘訓練は本当に嫌だった。どうしてこんなことをしなきゃいけないんだって、毎日思ってたのも事実だけど。
「だから、お前は海に行け。生き延びろ」
プワー
強い光と激しい警笛と共に、始発がホームに滑りこんできた。
化粧の濃い白衣を着た女性が、改札口から現れた。薬品の匂いを誤魔化すために、いつも香水がキツイ。ふり返らなくても、だれがきたのかがすぐわかる。
「ほっほほほほ。怪人がヒーローになりたいなんてね。笑っちゃう」
一両編成の列車が、煌々とホームを照らしている。
「ほら、お前の棺桶よ。廃棄処分のお前にもう用はないの。どこへなりともお行きなさい」
「博士。どうして」
「37号との約束なの。37号はね、あなたを生かす代わりに、これからヒーローと戦うの。素敵よね。タコとカメラの怪人が、友情を抱くなんて」
「だったらぼくも」
「だーめ。今から一度でも逆らったら、組織の敵として抹殺するから、そのつもりでね」
こんな別れってない。でも、ぼくらは博士に逆らえない。ぼくらの命は、博士の親指ひとつでいつでも消えてしまうから。
無情にも列車のドアは閉まる。ぼくはたったひとり。
でも心細くはない。
ぼくはヒーローにはなれないけど、死に場所くらいは自分で選ぶ。
37号、待ってて。絶対ひとりでなんて戦わせないから。
熱を許さないホームのコンクリートに、温もりを吸い取られた木製のベンチ。冷え切ったベンチに、ぴったりと吸いつくぼく。
いつしか雨が降り注ぎはじめた。しとしとと音のない冷たい雨が、ホームを夜色に染めようとしていた。
時計は、四時十分を指している。レールはまだ震えない。
「まだかな」
「時計見ればわかるだろ」
「だって――」
ぼくらは、物心がついた時にはすでに同じ施設にいた。名前を与えたら、人権も与えなきゃいけない。お前らは人じゃない。人じゃないお前らには人権など必要ないからと、ぼくらは数字で呼ばれていた。
命は、だれかの意思ひとつ。ぼくらには、生死を選ぶ権利もない。
「ねえ、どこに行く? やっぱり、海かな。でも、大きな街のほうが、人に紛れるにはいいって聞くけど」
「海一択だろ。お前の擬態は、海では最強なんだから」
ぼくのおしりがきゅっと鳴る。いつも弱いとばかにされてたぼくだけど、37号は、いつだってぼくのことを認めてくれる。ぼくの擬態能力は最強だって。
ホームは、屋根のある部分を残して、すでに夜色に染められていた。
「隠れる場所、すぐに見つかるかな」
「追手が来たって、おれがいれば平気だろ」
きゅっきゅっと、ベンチがぼくの代わりに抗議する。
「ぼくだって、戦えるよ」
大きなレンズが、ぼくを捉える。
「おれの能力は知ってるだろう。おれが相手の能力をコピーすれば、戦闘で負けはないんだ。絶対に。だからお前の力は必要ない」
たとえ勝てたって、そんなのは一時のものだ。あいつらはずる賢い。卑怯な手だって、大笑いしながら喜んで使う。だからぼくは、絶対なんて言葉は信じない。
「それはわかってるけど――」
雨がぼくのひざを打つ。ホームはすでに闇に飲まれている。あとはぼくらだけと言いたげに、雨は大胆にぼくらを濡らしはじめた。
「始発まで、あと何分かな」
きゅっとベンチを鳴らして、ぼくは時刻表にふり返った。
四時四十七分。
まだあと十五分もある。
ときおり闇の向こうから、バタンと扉の閉まる音がする。追手かと身をすくめるけれど、37号は「新聞配達だろ」「農作業にでも行くんだろう」と、ぼくに安心をくれた。
電車がくれば、電車さえきてくくれば、ぼくらは間違いなく逃げ切れる。
突然雨が強くなった。トタン屋根を激しく鳴らし、ぼくの不安をあおるように跳ねる。
でもこれはチャンスだ。白い大粒の雨は、ぼくらの姿を夜の中に隠してくれるだろう。
空気の湿り具合から、この雨が数時間続くことは確実だ。
「ねえ、夜が明ける前に電車を降りない? 雨と闇の中を歩くほうが、見つからないと思うんだ」
「任せるよ」
任せるなんて言われたのは、生まれてはじめてで、心が激しく喜びで震えていた。不安なんて、感じている暇はない。絶対、絶対にぼくが、37号を無事に海まで連れて行くんだ。
ぼくにもこんな強い気持ちがあったのかと驚いたけど、悪くない感情だ。
だれかを守るって、こんな感情なのかな。ヒーローって、こんな気持ちでいるのかな。
「ぼく、ヒーローに生まれたかったかも」
雨がぼくらの言葉をかき消してくれるだろう。そう思ったら大胆なことも言えた。
「無理だろ」
「ひどい! 否定するにしても、ちょっとくらい悩んでくれてもいいんじゃないの?」
ぼくは抗議する。
「お前は戦い向きじゃない。平和な世界で、なんにも考えずに生きてけばいいんだ」
「それはそうだけど――」
だれかを殴ったり、蹴ったりする戦闘訓練は本当に嫌だった。どうしてこんなことをしなきゃいけないんだって、毎日思ってたのも事実だけど。
「だから、お前は海に行け。生き延びろ」
プワー
強い光と激しい警笛と共に、始発がホームに滑りこんできた。
化粧の濃い白衣を着た女性が、改札口から現れた。薬品の匂いを誤魔化すために、いつも香水がキツイ。ふり返らなくても、だれがきたのかがすぐわかる。
「ほっほほほほ。怪人がヒーローになりたいなんてね。笑っちゃう」
一両編成の列車が、煌々とホームを照らしている。
「ほら、お前の棺桶よ。廃棄処分のお前にもう用はないの。どこへなりともお行きなさい」
「博士。どうして」
「37号との約束なの。37号はね、あなたを生かす代わりに、これからヒーローと戦うの。素敵よね。タコとカメラの怪人が、友情を抱くなんて」
「だったらぼくも」
「だーめ。今から一度でも逆らったら、組織の敵として抹殺するから、そのつもりでね」
こんな別れってない。でも、ぼくらは博士に逆らえない。ぼくらの命は、博士の親指ひとつでいつでも消えてしまうから。
無情にも列車のドアは閉まる。ぼくはたったひとり。
でも心細くはない。
ぼくはヒーローにはなれないけど、死に場所くらいは自分で選ぶ。
37号、待ってて。絶対ひとりでなんて戦わせないから。