第10話
文字数 8,301文字
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こんな前代未聞の要求に、はじめ、警察は戸惑う、というよりは相手にしてくれませんでした。いたずらだと思ったのでしょう。だから僕は、関係者にそれぞれ確認するように言いました。二時間後に、もう一度電話をかけるから、と。
二時間後には、警察の対応は全く変わっていました。
春風の所在そして病気、それに八尋代議士の不在を確認できたのでしょう。
「たしかに、きみの言いたいことはわかる」
と、担当の田部という警部は言いました。
「しかし、春風ちゃんのような病気を持った親たちが、みな同じことをしたらどうなると思う? 世の中、滅茶苦茶だ」
田部警部の言うことは正論でした。
「それに、法律を守っている人ほど、バカをみることになってしまう。それは不公平だ」
それは全部、わかっていました。
「確かに、きみの家は、かつては裕福だったかもしれない。そして、きみが拉致した八尋浩介氏の事件に伴って、その裕福さは失われたかもしれない。でも、それは」
僕は、そこで電話を切りました。
説得されそうな気がしたからではありません。逆探知を怖れたからです。
八尋浩介は、自分の置かれた立場がわかっても、落ち着いていました。暴れるでもなし、騒ぐでもなし、まるで自分の家の座敷にでも座っているようでした。
そして八尋は、僕の顔を鉄格子越しに静かに見つめてきました。その静けさは、僕を、小さな子供に帰してしまうような力を持っていました。
「きみは――」
八尋は、うめくようにそれだけ言うと、残りの言葉を飲み込みました。
八尋は、僕が何も言う前に、僕が誰であるのか気づいたようでした。
「そうか、そうだったか」
それで八尋は、大きく息をつきました。
「今更、単なる仕返しでもないだろう」
八尋は、僕にそう尋ねました。
僕は、八尋のいる座敷牢に、一枚の紙を投げ入れました。それは、僕が、警察とマスコミ各社にインターネットで同時送付した、犯行声明文でした。
内容は、こうです。
『私、小林弘樹は、衆議院議員八尋浩介氏を、四月十四日未明に拉致いたしました。要求は以下の通りです。M大学付属病院に入院している小林春風の臓器移植手術を早急に実施すること。国内での実施が不可能であれば、海外で行うこと。これにかかる費用は、全て、八尋浩介氏の資産から捻出すること。そして、無事、手術が終了したことを、テレビラジオなどで広く報道すること。以上が完了するまで、八尋氏の身柄は私が預かります。』
その声明文をみて、八尋は、手術にいくらかかるのかと尋ねてきました。
僕は、医師に言われた四千万から五千万との金額を言いました。八尋浩介は、目を閉じました。八尋は、かつての小林家の資産額について知っていたと思います。それがいまや、僕は、この程度の金額も払えない。その原因は、八尋本人にあったのです。
八尋は、もう何も言いませんでした。
後は、待つだけでした。
初め、警察は報道管制を敷こうとしたようですが、僕はメールを、決して良質とはいえない日本のマスコミの、そのまた蛆のようなところにまで送っていましたので、結局漏れてしまい、そしてそこからは大手も含めた各社の報道合戦になりました。
各社は、当然ながら、父と八尋代議士との関係、それに父の破滅やその前後で撮影された僕の写真を引っ張り出してきました。銀座の寿司屋のカウンターで寿司をつまんでいるものやら、女の子と六本木あたりを歩いているものやらです。しかも、僕の妻で、春風の母である風子は、義父殺害後、逃亡を続けている佐藤陽子です。ワイドショーでは次々と特番が組まれ、たいていは僕を説得しようとした警部のようなコメントが付されました。ただ、こうしたマスコミは、それを餌にして視聴率を取り、あるいは販売部数を稼ぎはしても、それだけで春風のために何もしてはくれなかった。
春風のために本当に動いてくれた人々は、全く別のところにいました。
彼らはボランティアで、「春風ちゃんを救う会」を結成してくれました。そして彼らは、街角に立って、募金活動までしてくれた。その中には、同じような救う会の活動で臓器移植が可能となり今は元気になって高校に通っているという少女もいました。マスコミの悪口は尽きませんが、でもマスコミは、僕や父や風子の過去の取り扱いに比べれば遥かに小さくはあるものの、こうした活動のことも取り上げてくれました。
そんな方法があるなんて、知りませんでした。僕は、社会をずっと泥棒と思っていた。そんな純粋な善意が、世の中に落ちているなんて思いもしなかった。
救う会の代表の人が、テレビを通じて訴えるのです。
春風ちゃんのお父さんを犯罪者にすることなく、春風ちゃんを助けましょう。
僕の気持ちは、揺れました。
でも、間に合うのか。そんな小さな善意を積み重ねていくのでは、時間がかかってしまうのではないか。その間に、春風は死んでしまうのではないか。
僕は、警察に、春風の手術準備の進捗確認の連絡を毎日のように入れました。警察は、アメリカの受け入れ先の病院を探していると繰り返します。
そんなふうにして、幾日かが過ぎていきました。
僕は八尋浩介に、毎日三食、食事を作っては牢に入れていました。牢は日当たりこそあまりよくはなかったものの、布団も毛布も用意してあり、季節は五月になろうとしていましたから、寒さはあまり感じなかったのではと思います。それに体を動かすスペースもあり、八尋は、毎日、ラジオ体操のようなことをしていました。
八尋は、監禁されている間ずっと寡黙でしたが、一度だけ、ちょっとした議論をしたことがありました。
いや、議論というよりは、世間話に近かったかもしれません。
「僕はね」
座敷牢の小さな高窓から僅かにのぞく夕空を見ながら、ふいに八尋が言い出したのです。
「本当は、文学者になりたかったんだ」
「あなたがですか」
僕の言い方は、かなり不躾だったかもしれません。
「向いてないと、思うだろうね。僕はもう、どこからみても、悪徳政治家だ」
八尋は、自嘲的でした。
「文学者になりたかったあなたが、なぜ、政治家になったんです」
と僕が尋ねると、
「僕はね、より多くの人を救いたいと思った」
と彼は言いました。
「救う?」
「知らないかな」
八尋は言います。
「政治家はね、苦しんでいる人たちが百人いたとすれば、そのうちの九十九人を救う仕事だっていうんだ。でもね、一人は、救われない人がでてきてしまう。それを救うのが文学者の役目だ。そういう逸話があるんだよ。――ちょっと、違っているかもしれないが」
「あなたは、本当に九十九人の人たちを救ってきたとお思いですか?」
僕がさらに失礼な質問をすると、八尋はでも怒るでもなく、僕の方を見ました。
「世の中が求めるものは、きみが思っているよりも、もっとずっと単純だ。そして単純なことを単純に進めていくことに、多くの人々は幸せを感じる。それは国としては愚かなことかもしれない。けれどこの国は、いや日本だけじゃない、たくさんの国が、そうして多くの人の望みをかなえるように運営していくことを選択した。なぜなら、これが一番マシな運営方法だからだ。僕が出来ることなんて、その歯車を必死に回すくらいのことでしかない。その結果、壁にぶちあたり、衝突してこなごなに砕け散るとしても、もう進んでいくしかない」
「衝突しないように方向転換することが、政治家の役割でしょう」
「理想論だよ」
八尋浩介は、諦めたように呟きました。八尋は、あのスキャンダルさえなければ、総理の器とも言われていた男です。でも、スキャンダルは起きた。父は破滅して自殺し、一方八尋は確かに「禊」選挙を済ませ、代議士に返り咲きはした。結局、そこまででした。八尋は、何期衆議院議員をつとめても、もはや大臣にはなれない、それがスキャンダル議員の、この国での末路です。もっとも、僕に、八尋に同情する気持ちはありませんが。
「この国は、盗人の国ですね」
僕は、細かな説明はせずに、ただそれだけを言いました。
八尋は、その言葉をどう受け止めたのでしょう。あるいは、僕の父の死に関して、自分を責める言葉と受け取ったのでしょうか。それとも、八尋が「思うより単純」と表現した、この国一般の話として聞いたのでしょうか。
ただ八尋は、僕の言葉に同意したように、うんうんと頷いただけでした。
いよいよ、延々と弁護士さんにお話ししてきた僕のこれまでの人生についても、終わりが近づいてきました。
そうです、終わりは、唐突に訪れてしまったのです。
バカみたいな話です。
僕は、やはり本当の意味では、盗人になれなかったんでしょう。
いつものように廃屋の一室で目覚め、自分の朝食と八尋の朝食を作り、八尋に持っていくと、八尋は牢の片隅に作られた便器の脇で、尻を出したままの姿で倒れていたのです。
もしかしたらそれは、座敷牢から抜け出すための八尋の罠だったのかもしれない。なのに僕は、そんなことすら考えずに、朝食の盆を乱暴に畳の上に置くと、座敷牢の中に駆け込みました。
僕が揺すっても老人は、動きません。
脈をとると、幸いにまだ、脈はあります。
ということは、心不全ではない。
ならば脳溢血、と思いました。
この老人をここで勝手に死なせ、知らぬ顔で春風の手術の交渉を続けることも僕には選択肢としてはあった。少なくとも心中で、春風の手術と八尋の命を天秤にかけることはできたし、あるいは、するべきだったのかもしれない。
笑ってくださって結構です。
俄か盗人は、そんなに気が廻らない。
倒れている姿を見て、僕はただ、これは大変だと思った。
拉致監禁・営利誘拐なんですから、要求が通らなければ八尋を殺すことだってあるはずなのに、僕は、老人をおぶると車に走っていました。
それで、車をフルスピードで飛ばしました。
死ぬなよ、このジジイ、なんて罵りながらね。
救急病院に乗り入れて、八尋を医師たちの手に手渡した僕は、ベンチに座りこみ、ふうとため息をつき、それで、全てが終わったことにようやく思い至りました。
医師や看護師たちは、まだ僕が誰であるか、老人が誰であるかに気づいていない。
逃げるべきか、とも思いました。
逃げて、もう一度、他の誰かを狙いなおす。拉致して監禁して、春風の手術を要求する。僕の心は揺れました。
でもね、看護師さんに呼ばれてしまったんです。
ご家族の方、って。
僕は、決して家族なんかじゃない。むしろ、八尋は僕にとって仇だ。でも、呼ばれて、行きました。
八尋は、いくつか管を体に繋がれて眠っていました。
僕が直感した通り、脳溢血でした。
麻痺などは残るだろうけれど、命には別状ないと、医師は言いました。
僕は適当な偽名を書類に書き、必要なものを取ってくるからといい、車で病院を出ました。
とりあえず、ここを離れなくてはと思い、群馬を抜けて埼玉へと入りました。
ラジオをつけると、春風を救う会のボランティアの話をやっていました。お金は着実に集まっている、救う会のメンバーにはアメリカの医療事情に詳しい人間もいる、そうボランティアメンバーが言うのです。
「小林さん」
と、メンバーは僕に呼びかけてくる。
「あなたが歩んできた人生は、幸せとは言えなかったかもしれない。しかもそれは、あなたのせいではなく、いわばそれはあなたにとっては不可抗力なもので、あなたは世の中を呪っているかもしれない」
僕は、そういうふうには考えたことはなかった。僕の人生はそんなに不幸せとは思っていなかったし、世の中を呪ってもいなかった。ただ僕は、世の中は、盗人ばかりだとは思っていたけれど。
「小林さん。そんなふうに、諦めないで欲しい」
僕は、八尋浩介の座敷牢での、諦めたような表情を思い出しました。大物政治家が心中では諦めてしまっているのに、それでも諦めるなと、この人たちはラジオから僕に訴えてくる。
彼らは、春風のためにベストを尽くしてくれていると言う。こうやって資金集めをしなくてはならない今の仕組みを改善するような働きかけもしているという。
善意か、と僕は運転しながら思う。
僕だって、世の中の善意というものは知っている。
アパートの住人たち。
近所の商店街の、パン屋や八百屋のおじさんやおばさん。風子がアルバイトしていた酒屋のおかみさん。
全てが盗人じゃない。全てが黒じゃない。でも、そうした善意の力が微力でしかないというのも事実だ。
破滅していったのは、僕の父だけではない。ネズミ講に騙されたのは、僕の母だけではない。
二つの力は、拮抗なんてしていない。
盗人だ。
この世で、やはり強いのは盗人たちだ。
だから、自分も盗人になるのだ。
今回は、失敗してしまったけれど、もう一度、盗人をするのだ。そして強い力を持って、勝者になる。勝者になって復讐を果たし、春風を救うのだ。
春風が、盗人になる必要がないように。
春風を、盗人にしないように。
僕は盗人が嫌いだから、だから、自分の娘がせめてそうならないように。
「たとえ、あなたがそうやって奪い取ったお金で、春風ちゃんが助かったとしても」
ラジオが僕に語りかけてくる。それは単なる人の声ではないように、僕の耳に響く。
「その時、春風ちゃんは泥棒になってしまいます。春風ちゃんは、その命を、盗み取ったことになってしまう、盗びとになってしまう」
そう言われてしまうことは、わかっていました。それでもいいと思っていた。春風が助かればいいと思っていた。
「がんばりましょう、急ぎましょう。春風ちゃんを、小林さん、本当の意味で、あなたの手で助けてあげましょう」
僕は、車で当てもなく何時間も何時間も、山や街を走り回りました。もう僕は、どうしたらいいのかわからなくなっていた。運転しながらも、僕は、父や母、それに風子が話し掛けてくるのを聞いたような気すらした。
僕がどうしていようと、一日はゆっくりと過ぎていきます。朝のまだ冷たくきりりとした空気は、日が昇るとともに和らぎ、やさしいものになって、昼過ぎには窓を全開にしておいても汗ばむほどになりました。それが二時を廻り三時を過ぎてくると、次第に日の色が褪せたようにみえ、窓から流れ込む風もひんやりとしてくる。見ていても気づかないほどにゆっくりと太陽は傾きを強め、朱の色合いを強める。そして気が付けば夕焼けです。僕が、ぐるぐると回り、一歩も進み出られないうちに日は沈もうとしている。
疲れていました。
考えてみれば、朝も食べていない、昼もです、休憩も取っていない、それでずっと、ただひたすら運転を続けていたのです。
そして考えていた。
ラジオが、ニュースになりました。
「先月十四日に拉致誘拐されていた衆議院議員の八尋浩介さんが、今朝、前橋市内の救急病院に犯人の小林弘樹容疑者と思われる人物によって担ぎ込まれました。八尋さんは軽度の脳溢血で、現在では意識も取り戻しています。警察では緊急検問を行い、そのまま逃走していると思われる小林容疑者の行方を追っています。なお、八尋さんの秘書は、今日午後に記者会見を行い、春風ちゃんの医療費については八尋さんが全て負担する意思のある旨、表明、五千万円を「春風ちゃんを救う会」に寄付しました」
僕は、急ブレーキを踏み、車を路肩に寄せました。
なぜだ。
なぜ八尋は、そんなことをする必要があったのだ。
八尋は監禁から逃れることができたのです。だから、金を払わねばならない理由などない。
何もありません。
ないのです。
あるとすれば、それは、八尋の良心の呵責のようなものでしょうか。
偽善?
悪く勘ぐろうとすれば、いくらでもできます。ここで春風の医療費を出すということでポイントを稼いでおけば、本当の意味で八尋はスキャンダルの禊をすることができるかもしれない。そうすれば、ついに、八尋が夢見ていた大臣の椅子も廻ってくるかもしれない。日本の政治家にとって、七十一という年齢は、まだまだ老け込む年ではないはずです。
しかし、僕には、そう決め付けることができなかった。豪腕政治家、土建屋政治家、そうした悪名ばかりが鳴り響いていた男の、拉致された後の、あの静けさは何だったのか。あの諦めたような表情の、全てが偽りであるというのか。
八尋浩介は、本当に、文学者として一人を救うことで生きたかったのではないか。八尋が病床から見せたものは、ボランティアの人たちと同様の善意なのではないか。
盗人の親玉の、善意。
八尋の申し出を受けるべきなのかどうか、小林弘樹という人間としては、やはりどうしてもわからなかった。決めかねた。八尋浩介という人間も、この世の中のことも、僕は最後までわかりませんでした。迷っていました。
ただ、春風の父としては、迷いはありませんでした。やるべきことは決まっていた。寄付を受け、春風に手術を受けさせ、健康な体にしてやるのです。
僕は、ゆっくりと車を出しました。
自首するために、です。
僕の戦いは終わっていたのです。
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結局、全部お話しし終えるまでに、何回、ここへおいでいただいたんでしょう。五回? 六回でしょうか。お忙しい中、本当に恐縮です。
先生に僕の日記を持ってきてもらったり、後は足りない部分は僕が想像で付け足したりもしました、特に、昔の記憶は曖昧でしたから――。でも、僕は僕なりにベストを尽くして、先生にお話しさせていただきました。
こうしてずっとお話ししてみると、僕はやはり不幸ではなかったと思えてきました。世の中は盗人ばかりかどうか。やっぱり、まだわからない。そういう人が多いっていうことは、確かだと思いますけど。
出所したら、ですか?
まず、墓参りには行かないといけないですね。僕は、この先、何年生きるか、どうやって生きるか、そしてどういう気持ちで死ぬのか。それは全然、わかりません。でも、父も母も、もう全ては終わってしまった。彼らが悲しい気持ちで死んでしまったことを、僕は悔やんでいるんです。
それから、後はどうしようかな。
春風のことは、まだ、決めかねてます。そうです、養子縁組の件です。弁護士さんもご存知の通り、一件じゃないんです。申し出は、たくさんいただいています。みなさん、しっかりとした、いいお家の方ばかりです。春風には、その方がいいんだろうなとも思う。でも、決められない。親のエゴですかね。
春風は、術後も良好だそうです。拒否反応や後遺症もほとんど出なくて、きっと移植などしなかった普通の人と同じように健康な生活が送れるようになるだろうって、話です。ボランティアの方が、来てくださって。弁護士さんも、お会いになっていますよね。
唯一気懸かりなのは、風子のことです。風子、どこかで僕の事件のこと、見ている、聞いているはずなんです。あいつ、春風のことが心配でしょうがないはずなんです。もう楽になりなよ、って言いたいです。
風子にとって、逃亡は戦いです。
もう、いいじゃないかって言いたいんです。
勿論、風子と、もう一度暮らしたい。
風子といた時間。あるいは短かったけれど、風子と春風といた時間。それは、僕の今までの暮らしの中で一番幸せだった。確かに、僕らは貧しかった。僕が子供時代の方が、豊かさという意味ではずっと上でした。でも、幸せなのは貧乏だった時の方です。圧倒的にそうです。だからこそ、父や母にそういう幸せの存在を示すことができなかったことが残念だし、もし可能であれば、出所したら、また風子や春風と暮らしたいのです。親のエゴとしては、春風を手放したくないのです。
え?
どうしたんですか、先生。
そんなにニヤニヤして。
僕、何か、おかしなこと言いましたか?
え?
何ですか?
どうしたんですか?
風子?
風子が、どうしたんですか?
笑っているってことは、悪いことじゃないんですね。
先生。
先生?
風子ですね。
風子が、現れたんですね。
自首して。
そうなんですね――。
こんな前代未聞の要求に、はじめ、警察は戸惑う、というよりは相手にしてくれませんでした。いたずらだと思ったのでしょう。だから僕は、関係者にそれぞれ確認するように言いました。二時間後に、もう一度電話をかけるから、と。
二時間後には、警察の対応は全く変わっていました。
春風の所在そして病気、それに八尋代議士の不在を確認できたのでしょう。
「たしかに、きみの言いたいことはわかる」
と、担当の田部という警部は言いました。
「しかし、春風ちゃんのような病気を持った親たちが、みな同じことをしたらどうなると思う? 世の中、滅茶苦茶だ」
田部警部の言うことは正論でした。
「それに、法律を守っている人ほど、バカをみることになってしまう。それは不公平だ」
それは全部、わかっていました。
「確かに、きみの家は、かつては裕福だったかもしれない。そして、きみが拉致した八尋浩介氏の事件に伴って、その裕福さは失われたかもしれない。でも、それは」
僕は、そこで電話を切りました。
説得されそうな気がしたからではありません。逆探知を怖れたからです。
八尋浩介は、自分の置かれた立場がわかっても、落ち着いていました。暴れるでもなし、騒ぐでもなし、まるで自分の家の座敷にでも座っているようでした。
そして八尋は、僕の顔を鉄格子越しに静かに見つめてきました。その静けさは、僕を、小さな子供に帰してしまうような力を持っていました。
「きみは――」
八尋は、うめくようにそれだけ言うと、残りの言葉を飲み込みました。
八尋は、僕が何も言う前に、僕が誰であるのか気づいたようでした。
「そうか、そうだったか」
それで八尋は、大きく息をつきました。
「今更、単なる仕返しでもないだろう」
八尋は、僕にそう尋ねました。
僕は、八尋のいる座敷牢に、一枚の紙を投げ入れました。それは、僕が、警察とマスコミ各社にインターネットで同時送付した、犯行声明文でした。
内容は、こうです。
『私、小林弘樹は、衆議院議員八尋浩介氏を、四月十四日未明に拉致いたしました。要求は以下の通りです。M大学付属病院に入院している小林春風の臓器移植手術を早急に実施すること。国内での実施が不可能であれば、海外で行うこと。これにかかる費用は、全て、八尋浩介氏の資産から捻出すること。そして、無事、手術が終了したことを、テレビラジオなどで広く報道すること。以上が完了するまで、八尋氏の身柄は私が預かります。』
その声明文をみて、八尋は、手術にいくらかかるのかと尋ねてきました。
僕は、医師に言われた四千万から五千万との金額を言いました。八尋浩介は、目を閉じました。八尋は、かつての小林家の資産額について知っていたと思います。それがいまや、僕は、この程度の金額も払えない。その原因は、八尋本人にあったのです。
八尋は、もう何も言いませんでした。
後は、待つだけでした。
初め、警察は報道管制を敷こうとしたようですが、僕はメールを、決して良質とはいえない日本のマスコミの、そのまた蛆のようなところにまで送っていましたので、結局漏れてしまい、そしてそこからは大手も含めた各社の報道合戦になりました。
各社は、当然ながら、父と八尋代議士との関係、それに父の破滅やその前後で撮影された僕の写真を引っ張り出してきました。銀座の寿司屋のカウンターで寿司をつまんでいるものやら、女の子と六本木あたりを歩いているものやらです。しかも、僕の妻で、春風の母である風子は、義父殺害後、逃亡を続けている佐藤陽子です。ワイドショーでは次々と特番が組まれ、たいていは僕を説得しようとした警部のようなコメントが付されました。ただ、こうしたマスコミは、それを餌にして視聴率を取り、あるいは販売部数を稼ぎはしても、それだけで春風のために何もしてはくれなかった。
春風のために本当に動いてくれた人々は、全く別のところにいました。
彼らはボランティアで、「春風ちゃんを救う会」を結成してくれました。そして彼らは、街角に立って、募金活動までしてくれた。その中には、同じような救う会の活動で臓器移植が可能となり今は元気になって高校に通っているという少女もいました。マスコミの悪口は尽きませんが、でもマスコミは、僕や父や風子の過去の取り扱いに比べれば遥かに小さくはあるものの、こうした活動のことも取り上げてくれました。
そんな方法があるなんて、知りませんでした。僕は、社会をずっと泥棒と思っていた。そんな純粋な善意が、世の中に落ちているなんて思いもしなかった。
救う会の代表の人が、テレビを通じて訴えるのです。
春風ちゃんのお父さんを犯罪者にすることなく、春風ちゃんを助けましょう。
僕の気持ちは、揺れました。
でも、間に合うのか。そんな小さな善意を積み重ねていくのでは、時間がかかってしまうのではないか。その間に、春風は死んでしまうのではないか。
僕は、警察に、春風の手術準備の進捗確認の連絡を毎日のように入れました。警察は、アメリカの受け入れ先の病院を探していると繰り返します。
そんなふうにして、幾日かが過ぎていきました。
僕は八尋浩介に、毎日三食、食事を作っては牢に入れていました。牢は日当たりこそあまりよくはなかったものの、布団も毛布も用意してあり、季節は五月になろうとしていましたから、寒さはあまり感じなかったのではと思います。それに体を動かすスペースもあり、八尋は、毎日、ラジオ体操のようなことをしていました。
八尋は、監禁されている間ずっと寡黙でしたが、一度だけ、ちょっとした議論をしたことがありました。
いや、議論というよりは、世間話に近かったかもしれません。
「僕はね」
座敷牢の小さな高窓から僅かにのぞく夕空を見ながら、ふいに八尋が言い出したのです。
「本当は、文学者になりたかったんだ」
「あなたがですか」
僕の言い方は、かなり不躾だったかもしれません。
「向いてないと、思うだろうね。僕はもう、どこからみても、悪徳政治家だ」
八尋は、自嘲的でした。
「文学者になりたかったあなたが、なぜ、政治家になったんです」
と僕が尋ねると、
「僕はね、より多くの人を救いたいと思った」
と彼は言いました。
「救う?」
「知らないかな」
八尋は言います。
「政治家はね、苦しんでいる人たちが百人いたとすれば、そのうちの九十九人を救う仕事だっていうんだ。でもね、一人は、救われない人がでてきてしまう。それを救うのが文学者の役目だ。そういう逸話があるんだよ。――ちょっと、違っているかもしれないが」
「あなたは、本当に九十九人の人たちを救ってきたとお思いですか?」
僕がさらに失礼な質問をすると、八尋はでも怒るでもなく、僕の方を見ました。
「世の中が求めるものは、きみが思っているよりも、もっとずっと単純だ。そして単純なことを単純に進めていくことに、多くの人々は幸せを感じる。それは国としては愚かなことかもしれない。けれどこの国は、いや日本だけじゃない、たくさんの国が、そうして多くの人の望みをかなえるように運営していくことを選択した。なぜなら、これが一番マシな運営方法だからだ。僕が出来ることなんて、その歯車を必死に回すくらいのことでしかない。その結果、壁にぶちあたり、衝突してこなごなに砕け散るとしても、もう進んでいくしかない」
「衝突しないように方向転換することが、政治家の役割でしょう」
「理想論だよ」
八尋浩介は、諦めたように呟きました。八尋は、あのスキャンダルさえなければ、総理の器とも言われていた男です。でも、スキャンダルは起きた。父は破滅して自殺し、一方八尋は確かに「禊」選挙を済ませ、代議士に返り咲きはした。結局、そこまででした。八尋は、何期衆議院議員をつとめても、もはや大臣にはなれない、それがスキャンダル議員の、この国での末路です。もっとも、僕に、八尋に同情する気持ちはありませんが。
「この国は、盗人の国ですね」
僕は、細かな説明はせずに、ただそれだけを言いました。
八尋は、その言葉をどう受け止めたのでしょう。あるいは、僕の父の死に関して、自分を責める言葉と受け取ったのでしょうか。それとも、八尋が「思うより単純」と表現した、この国一般の話として聞いたのでしょうか。
ただ八尋は、僕の言葉に同意したように、うんうんと頷いただけでした。
いよいよ、延々と弁護士さんにお話ししてきた僕のこれまでの人生についても、終わりが近づいてきました。
そうです、終わりは、唐突に訪れてしまったのです。
バカみたいな話です。
僕は、やはり本当の意味では、盗人になれなかったんでしょう。
いつものように廃屋の一室で目覚め、自分の朝食と八尋の朝食を作り、八尋に持っていくと、八尋は牢の片隅に作られた便器の脇で、尻を出したままの姿で倒れていたのです。
もしかしたらそれは、座敷牢から抜け出すための八尋の罠だったのかもしれない。なのに僕は、そんなことすら考えずに、朝食の盆を乱暴に畳の上に置くと、座敷牢の中に駆け込みました。
僕が揺すっても老人は、動きません。
脈をとると、幸いにまだ、脈はあります。
ということは、心不全ではない。
ならば脳溢血、と思いました。
この老人をここで勝手に死なせ、知らぬ顔で春風の手術の交渉を続けることも僕には選択肢としてはあった。少なくとも心中で、春風の手術と八尋の命を天秤にかけることはできたし、あるいは、するべきだったのかもしれない。
笑ってくださって結構です。
俄か盗人は、そんなに気が廻らない。
倒れている姿を見て、僕はただ、これは大変だと思った。
拉致監禁・営利誘拐なんですから、要求が通らなければ八尋を殺すことだってあるはずなのに、僕は、老人をおぶると車に走っていました。
それで、車をフルスピードで飛ばしました。
死ぬなよ、このジジイ、なんて罵りながらね。
救急病院に乗り入れて、八尋を医師たちの手に手渡した僕は、ベンチに座りこみ、ふうとため息をつき、それで、全てが終わったことにようやく思い至りました。
医師や看護師たちは、まだ僕が誰であるか、老人が誰であるかに気づいていない。
逃げるべきか、とも思いました。
逃げて、もう一度、他の誰かを狙いなおす。拉致して監禁して、春風の手術を要求する。僕の心は揺れました。
でもね、看護師さんに呼ばれてしまったんです。
ご家族の方、って。
僕は、決して家族なんかじゃない。むしろ、八尋は僕にとって仇だ。でも、呼ばれて、行きました。
八尋は、いくつか管を体に繋がれて眠っていました。
僕が直感した通り、脳溢血でした。
麻痺などは残るだろうけれど、命には別状ないと、医師は言いました。
僕は適当な偽名を書類に書き、必要なものを取ってくるからといい、車で病院を出ました。
とりあえず、ここを離れなくてはと思い、群馬を抜けて埼玉へと入りました。
ラジオをつけると、春風を救う会のボランティアの話をやっていました。お金は着実に集まっている、救う会のメンバーにはアメリカの医療事情に詳しい人間もいる、そうボランティアメンバーが言うのです。
「小林さん」
と、メンバーは僕に呼びかけてくる。
「あなたが歩んできた人生は、幸せとは言えなかったかもしれない。しかもそれは、あなたのせいではなく、いわばそれはあなたにとっては不可抗力なもので、あなたは世の中を呪っているかもしれない」
僕は、そういうふうには考えたことはなかった。僕の人生はそんなに不幸せとは思っていなかったし、世の中を呪ってもいなかった。ただ僕は、世の中は、盗人ばかりだとは思っていたけれど。
「小林さん。そんなふうに、諦めないで欲しい」
僕は、八尋浩介の座敷牢での、諦めたような表情を思い出しました。大物政治家が心中では諦めてしまっているのに、それでも諦めるなと、この人たちはラジオから僕に訴えてくる。
彼らは、春風のためにベストを尽くしてくれていると言う。こうやって資金集めをしなくてはならない今の仕組みを改善するような働きかけもしているという。
善意か、と僕は運転しながら思う。
僕だって、世の中の善意というものは知っている。
アパートの住人たち。
近所の商店街の、パン屋や八百屋のおじさんやおばさん。風子がアルバイトしていた酒屋のおかみさん。
全てが盗人じゃない。全てが黒じゃない。でも、そうした善意の力が微力でしかないというのも事実だ。
破滅していったのは、僕の父だけではない。ネズミ講に騙されたのは、僕の母だけではない。
二つの力は、拮抗なんてしていない。
盗人だ。
この世で、やはり強いのは盗人たちだ。
だから、自分も盗人になるのだ。
今回は、失敗してしまったけれど、もう一度、盗人をするのだ。そして強い力を持って、勝者になる。勝者になって復讐を果たし、春風を救うのだ。
春風が、盗人になる必要がないように。
春風を、盗人にしないように。
僕は盗人が嫌いだから、だから、自分の娘がせめてそうならないように。
「たとえ、あなたがそうやって奪い取ったお金で、春風ちゃんが助かったとしても」
ラジオが僕に語りかけてくる。それは単なる人の声ではないように、僕の耳に響く。
「その時、春風ちゃんは泥棒になってしまいます。春風ちゃんは、その命を、盗み取ったことになってしまう、盗びとになってしまう」
そう言われてしまうことは、わかっていました。それでもいいと思っていた。春風が助かればいいと思っていた。
「がんばりましょう、急ぎましょう。春風ちゃんを、小林さん、本当の意味で、あなたの手で助けてあげましょう」
僕は、車で当てもなく何時間も何時間も、山や街を走り回りました。もう僕は、どうしたらいいのかわからなくなっていた。運転しながらも、僕は、父や母、それに風子が話し掛けてくるのを聞いたような気すらした。
僕がどうしていようと、一日はゆっくりと過ぎていきます。朝のまだ冷たくきりりとした空気は、日が昇るとともに和らぎ、やさしいものになって、昼過ぎには窓を全開にしておいても汗ばむほどになりました。それが二時を廻り三時を過ぎてくると、次第に日の色が褪せたようにみえ、窓から流れ込む風もひんやりとしてくる。見ていても気づかないほどにゆっくりと太陽は傾きを強め、朱の色合いを強める。そして気が付けば夕焼けです。僕が、ぐるぐると回り、一歩も進み出られないうちに日は沈もうとしている。
疲れていました。
考えてみれば、朝も食べていない、昼もです、休憩も取っていない、それでずっと、ただひたすら運転を続けていたのです。
そして考えていた。
ラジオが、ニュースになりました。
「先月十四日に拉致誘拐されていた衆議院議員の八尋浩介さんが、今朝、前橋市内の救急病院に犯人の小林弘樹容疑者と思われる人物によって担ぎ込まれました。八尋さんは軽度の脳溢血で、現在では意識も取り戻しています。警察では緊急検問を行い、そのまま逃走していると思われる小林容疑者の行方を追っています。なお、八尋さんの秘書は、今日午後に記者会見を行い、春風ちゃんの医療費については八尋さんが全て負担する意思のある旨、表明、五千万円を「春風ちゃんを救う会」に寄付しました」
僕は、急ブレーキを踏み、車を路肩に寄せました。
なぜだ。
なぜ八尋は、そんなことをする必要があったのだ。
八尋は監禁から逃れることができたのです。だから、金を払わねばならない理由などない。
何もありません。
ないのです。
あるとすれば、それは、八尋の良心の呵責のようなものでしょうか。
偽善?
悪く勘ぐろうとすれば、いくらでもできます。ここで春風の医療費を出すということでポイントを稼いでおけば、本当の意味で八尋はスキャンダルの禊をすることができるかもしれない。そうすれば、ついに、八尋が夢見ていた大臣の椅子も廻ってくるかもしれない。日本の政治家にとって、七十一という年齢は、まだまだ老け込む年ではないはずです。
しかし、僕には、そう決め付けることができなかった。豪腕政治家、土建屋政治家、そうした悪名ばかりが鳴り響いていた男の、拉致された後の、あの静けさは何だったのか。あの諦めたような表情の、全てが偽りであるというのか。
八尋浩介は、本当に、文学者として一人を救うことで生きたかったのではないか。八尋が病床から見せたものは、ボランティアの人たちと同様の善意なのではないか。
盗人の親玉の、善意。
八尋の申し出を受けるべきなのかどうか、小林弘樹という人間としては、やはりどうしてもわからなかった。決めかねた。八尋浩介という人間も、この世の中のことも、僕は最後までわかりませんでした。迷っていました。
ただ、春風の父としては、迷いはありませんでした。やるべきことは決まっていた。寄付を受け、春風に手術を受けさせ、健康な体にしてやるのです。
僕は、ゆっくりと車を出しました。
自首するために、です。
僕の戦いは終わっていたのです。
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結局、全部お話しし終えるまでに、何回、ここへおいでいただいたんでしょう。五回? 六回でしょうか。お忙しい中、本当に恐縮です。
先生に僕の日記を持ってきてもらったり、後は足りない部分は僕が想像で付け足したりもしました、特に、昔の記憶は曖昧でしたから――。でも、僕は僕なりにベストを尽くして、先生にお話しさせていただきました。
こうしてずっとお話ししてみると、僕はやはり不幸ではなかったと思えてきました。世の中は盗人ばかりかどうか。やっぱり、まだわからない。そういう人が多いっていうことは、確かだと思いますけど。
出所したら、ですか?
まず、墓参りには行かないといけないですね。僕は、この先、何年生きるか、どうやって生きるか、そしてどういう気持ちで死ぬのか。それは全然、わかりません。でも、父も母も、もう全ては終わってしまった。彼らが悲しい気持ちで死んでしまったことを、僕は悔やんでいるんです。
それから、後はどうしようかな。
春風のことは、まだ、決めかねてます。そうです、養子縁組の件です。弁護士さんもご存知の通り、一件じゃないんです。申し出は、たくさんいただいています。みなさん、しっかりとした、いいお家の方ばかりです。春風には、その方がいいんだろうなとも思う。でも、決められない。親のエゴですかね。
春風は、術後も良好だそうです。拒否反応や後遺症もほとんど出なくて、きっと移植などしなかった普通の人と同じように健康な生活が送れるようになるだろうって、話です。ボランティアの方が、来てくださって。弁護士さんも、お会いになっていますよね。
唯一気懸かりなのは、風子のことです。風子、どこかで僕の事件のこと、見ている、聞いているはずなんです。あいつ、春風のことが心配でしょうがないはずなんです。もう楽になりなよ、って言いたいです。
風子にとって、逃亡は戦いです。
もう、いいじゃないかって言いたいんです。
勿論、風子と、もう一度暮らしたい。
風子といた時間。あるいは短かったけれど、風子と春風といた時間。それは、僕の今までの暮らしの中で一番幸せだった。確かに、僕らは貧しかった。僕が子供時代の方が、豊かさという意味ではずっと上でした。でも、幸せなのは貧乏だった時の方です。圧倒的にそうです。だからこそ、父や母にそういう幸せの存在を示すことができなかったことが残念だし、もし可能であれば、出所したら、また風子や春風と暮らしたいのです。親のエゴとしては、春風を手放したくないのです。
え?
どうしたんですか、先生。
そんなにニヤニヤして。
僕、何か、おかしなこと言いましたか?
え?
何ですか?
どうしたんですか?
風子?
風子が、どうしたんですか?
笑っているってことは、悪いことじゃないんですね。
先生。
先生?
風子ですね。
風子が、現れたんですね。
自首して。
そうなんですね――。