一話完結

文字数 1,998文字

 一式陸上攻撃機の側方銃座に座って窓の外をぼんやり眺めていた。真っ青な空に浮かぶ雲が絨毯のように広がり、下界の景色を遮っている。初めて飛んだ日の空もこんな空だった。
 一年半前に飛行予科練習生として航空隊に入隊し、様々な訓練を経た後、教官が操縦する複座の練習機に搭乗した。それが初めての飛行だった。幼い頃、空を自由に舞う鳥を見ては自分も飛びたいと夢見ていた自分にとって、夢が叶った日でもあった。だが、軍隊では嬉しいことばかりではなかった。むしろ、つらいことの方が多かった。訓練は厳しく、理不尽なことは日常茶飯事で、時には訓練中に墜落死する同僚もいた。
 つらかったこと、悔しかったこと、嬉しかったこと、悲しかったことが脳裏に浮かんでは消え、心が静まっていく。もう直ぐこの世を去るというのに、こんな心持ちになるとは思ってもいなかった。切腹前の武士もこんな心境だったのだろうか。
「怖いか?」
 不意に声を掛けられ、ハッとした。振り向くと、着古した飛行服を身に着けた機長の里見上飛曹が心配そうな表情を浮かべて立っていた。体が勝手に動き、立ち上がって直立不動の姿勢をとる。
「怖くはありません。今はお国のために死ねる喜びでいっぱいです」
 条件反射のように、型通りの言葉が口から出た。
「無理するな。顔が青いぞ」
 里見上飛曹はそう言うと、しゃがんで床から突き出ている桜花の風防をポンと叩いた。
「こいつに乗って出撃したら、生きて帰ることはできん。怖くて当然だ」
 桜花は爆弾に翼とロケットエンジンを取り付けただけの特攻兵器だ。飛び出した後は敵艦に体当たりするしかない。体当たりできなかったとしても墜落して死ぬことになる。
 何と言ったらいいのか迷っていると、里見上飛曹が立ち上がって顔をまじまじと見てきた。
「随分と若いな。長尾二飛曹は何歳になった?」
「十六歳になりました」
「俺の娘と同じくらいか。郷里はどこだ?」
「信州の山間にある村です。桜吹雪が美しいことで知られています」
「それは一度見てみたいな」
「ちょうど今頃、散っていると思います。自分も、もう一度見たかったです」
 里見上飛曹は床から顔を出している桜花を見てつぶやいた。
「誰がこんな名前を付けたんだろうな」
 その言葉には、やるせなさと寂しさが入り混じったような響きがあった。
「家族はまだ村にいるのか?」
「はい、両親と弟が住んでいます」
「親御さんはつらいだろうな。遺書は書いたのか?」
「葉書を送りました」
 郵便物は軍に検閲される。色々書きたかったが、書けなかった。
「上飛曹殿にお願いがあります。親に自分の最期の様子を伝えていただけないでしょうか」
「約束はできんな」
 あっさり断られたが、諦められない。
「直ぐにでなくとも、戦争が終わった後でいいんです」
「最期の頼みだから引き受けてやりたいが、俺たちが生還できるとは限らんのだ。今回生還できたとしても、俺が終戦まで生き残るのは無理だろう」
「そんなことは……」
「軍のお偉いさんは俺たち兵士を消耗品としか見てない。使い捨てにしていいと思ってやがる。いずれ、俺の番がくるだろう」
 使い捨てという言葉に動揺した。英雄だと持ち上げられても、所詮自分も使い捨ての身なのだ。心のどこかでわかっていても認めたくなかった。しかし、言葉が出てこない。
「余計なことを言ってしまったな。でもな、俺は使い捨てにされても恨みはしない。それで敵の本土攻撃が弱まり、俺の家族が助かる確率が高まるとしたら、死にがいがあるってもんだ。もし、俺が戦死せずに終戦を迎えたら、お前の家族に会いに行ってやる」
 頭を下げて礼を言い、遺品として自分のゴーグルを里見上飛曹に渡した。その瞬間、操縦席の方から大声がした。
「上空から敵機来襲、護衛機応戦中」
 里見上飛曹は銃座に座って機銃を打ち始め、自分は桜花に乗り込んだ。
 ボンという音が響き、機体が揺れる。
「右主翼被弾。機長、指示を」
「雲の中に突っ込め!」
 里見上飛曹は操縦士に命令をし、機銃を撃つのを止めた。乱気流で激しく揺れ、機体が軋む。
「上飛曹殿、このままでは墜落します。桜花を切り離してください」
「心配するな、このくらいじゃ、落ちやしない」
 重い桜花を切り離せば、機体への負担が減る。それに速度も上がる。敵機から逃れられるかもしれない。搭乗員を巻き込みたくはなかった。
「でも」
「今切り離せば、お前は犬死だ。そんなことはさせられん」
 出撃を待つだけの時間が続き、焦りばかりがつのる。しばらくして、機体の揺れが治まった。雲から抜け出たようだ。
 偵察席に行っていた里見上飛曹が戻って来た。
「前方に敵艦隊を発見した。頼むぞ」
「お世話になりました。行ってきます」
 自分が敬礼をすると、里見上飛曹が敬礼を返してレバーを下げた。
 ガコンという音と共に、一式陸上攻撃機が離れていく。ロケットエンジンの点火スイッチを押した。

<終わり>
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