第9話 調理理論を理解せずにただ伝統の手法だけに拘るとこうなる

文字数 6,847文字

 食材を日本に買い出しに行くことを考えると向こうの時間が深夜で固定されているのは困る。それではどこの店も開いていない。なので一度日本に戻り、時間のマーキングを解除してから再び異世界に渡った。
 これで確かに日本に戻れることと、マーキングした時間から時間経過がなかったことを確認できたので世界の行き来に不安は無くなった。とりあえず今日はこっちで時間を過ごして、明日の店が開くぐらいの時間に日本に戻って買い出しをすればええやろ。

 ナスーチャに村を一通り案内してもらい、最初の建物──フォーレスカヤ政庁に戻ると、宰相のシュニットが最上階のナスーチャの部屋の列びに滞在用の部屋を用意してくれていたのでそちらでちょっと仮眠を取らせてもらうことのした。こっちではまだ昼過ぎだが、俺の体内時計だととっくに深夜1時を回ってるからさすがに眠い。完全に時差ボケやな。
 スプリングの無い木製ベッドはあまり寝心地が良いとは言えないが、車中泊に慣れてる俺にとっては全然問題なく寝れる。

 そして、体感で4時間ほど寝て自然に目を覚ました俺は、政庁の建物内に漂うなんとも言えない異臭に辟易することになった。

「うー……なんの(にお)いやコレ? ()っさいなぁ」

 部屋を出て階段を1階まで降りると、俺に気付いたナスーチャが駆け寄ってくる。

「ユージロー、起きたんですね。十分に休めましたか?」

「ああ。だいぶ頭はスッキリしたけど……この臭いはなんなん?」

「あー……これは……晩の食事の準備の匂いです」

「うーわー……これは思った以上にヤバイな。一つ聞くけど、この臭いってエルフにとってはすごくいい匂いとかそんなことないよな?」

「全然そんなことないです! 他に食べるものがないので仕方なく食べてるだけで、食事の時間は誰にとっても苦痛なのですよ!」

「おっけ。それ聞いて安心したわ。で、これって俺も味見さしてもらえるん?」

「えー……こんなものを食べたいのですか?」

 明らかに引いた様子のナスーチャ。そこまでか。

「正直そそられんからほんとにちょっとでええけどな。でも味見してみんことには分からんこともあるからなぁ」

「では、ユージローの分も用意しますが、本当に不味いですからね? 気を悪くしないでくださいね?」

「はは。そこまで念押しされるってある意味楽しみやわ」

 そして、夕餉(ゆうげ)の時間になる。エルフは食事の時は床に座布団のようなクッションを置いて車座になって座って食べるのが基本らしい。ある程度立場ごとに食事グループは分かれるものらしく、俺はナスーチャと10人の長たちと共に車座になって座った。周囲を見回せば幾つかのグループができていて、すでに座っているのが30人ほど、立って給仕をしている少女たちが10人ほどいる。

 やがて座っている各人の前に食事が運ばれてくる。足付きの四角い盆のような膳に料理を一人前ずつ盛って提供するスタイルは和食の伝統的な形に通ずるものがある。
 メニューは楕円形のパン、鰻と野菜の煮込み料理、プラムに似た果物1つ、ワインらしき酒の入った小さい壷と陶器のタンブラー。以上。これは思った以上に食生活が貧しそうやな。
 そっと周囲の面々の表情を盗み見れば、誰もが能面のような無表情で諦めにも似た達観した雰囲気を漂わせている。これはアカンなぁ。食事は日々の暮らしを頑張るための活力を得るリフレッシュの場であるべきなのに、ここでは完全に命を支えるための義務的な行為──給餌(きゅうじ)になってしまっている。
 日本でもブラックな生活スタイルで精神を病む人間は多いが、その多くは食事が楽しみではなくただの給餌になっているという共通点がある。人間には栄養だけでなく食事を楽しむことも必要だというのが俺にとって譲れないポリシーだから、この状況を何とかしてやりたいという気持ちがふつふつと沸き上がってくる。

「命を支える日々の糧が備えられたことへの感謝を」
「「「感謝を!」」」

 代表してエルフ式のいただきます的な口上を述べるナスーチャに残りの全員が唱和して食事が始まる。

 俺も見よう見まねで同様のエルフ式いただきますをしてから早速不味いと定評の料理を食べてみることにした。まずは主菜である煮込み料理のスープを木のスプーンで掬って啜ってみる。
 例の異臭の発生源なので間違いなく不味いと確信していたが……

「…………あ゛~……」

 こ・れ・は・な・い・わ。
 いやほんとマジでないわ。泥臭くて生臭くて雑味が酷く、旨味はほとんど出ておらず、脂でギットギトで、それなのに味付けはめっちゃ薄い塩味のみ。そして薄味をごまかすためと思われるが香味野菜の主張が強すぎて素材同士の味の殺し合いっぷりがヤバイことになっている。もうこれだけでエルフ料理のレベルが分かった。これは調理理論とか何も理解できていない子供の創作料理レベルや。
 ぶっちゃけ、これとまったく同じ食材縛りでも俺ならまだ食えるもんに出来る。食材の質の悪さだけでなく料理人のレベルの低さも深刻やな。

 気を取り直してパンを手に取る。粉の挽きがかなり粗く、どっしりとした重いパンで、色からしておそらく小麦ではなくライ麦みたいな原料と思われる。少しちぎって食べてみれば固くて酸味が強く、地球でいうところのドイツパン、それもライ麦100%のロッゲンシュロートブロートに近いものだと確信した。
 ただ、ドイツパンは癖が強いとはいえ塩味もしっかりしているからそれなりに旨いのだが、このパンは塩味がほとんどないのでぶっちゃけるとただ固くて不味(まず)い。
 パン作りにおいて、生地に混ぜこむ塩の役割は非常に重要で、塩を入れ忘れたパンは普通に作ったパンに比べると信じられないほど不味くなる。日頃からこんなパンしか食べてないとしたら同情を禁じえない。この世界には小麦は無いんか?

 周りの食べ方を見てみれば、ちぎったパンをスープに浸してふやかしながら食べているようだが、そもそも浸すスープが不味いので誰もが辛そうに顔をしかめながら食べている。なんやこの苦行。フルーツとワインだけはまともなのがせめてもの救いやな。

「ユージロー、大丈夫ですか? 慣れているワタシたちでも辛いのですから無理して食べなくても結構ですよ」

 頑張って食べている俺を心配して隣から声をかけてくれたナスーチャにせっかくなので気になったことを訊いてみる。

「なぁ、なんで鰻とこの野菜を一緒に煮ようと思ったん? これ明らかに組み合わせの相性悪すぎやろ? お互いに悪いところを目立たせ合って完全に喧嘩しとるやん」

 そう言った瞬間、聞こえていた全員の食事の手が止まり、シンと静まりかえる。

「あぅ。薄々感じてましたがやっぱりそうですか。これはエルフの伝統料理で、本来は赤身のマスを使うものなのです。マスとこの香草は相性がとてもいいので一緒に煮るととても美味しいのですが、イールだとこの通りとても食べにくくなるんです。戦争でワタシたちより上の世代のエルフは全員戦死してしまったので料理を含む多くの伝統が断絶してしまい、教えを乞える相手が今までいませんでした。ワタシたちエルフにとっては魚料理といえばこれなので、これで美味しくないなら何をしても無駄だと諦めていたのです。ワタシ自身、ユージローに会うまではイールはどうやっても不味い魚と思い込んでいましたから」

「あー……そういうことか。平均年齢がやたら低いこととか色々納得したわ。ちなみにこの塩味の薄さは、塩が貴重品だからとかそういう理由やったり?」

「そうです。この辺りでは塩は採れないので半年に一度来てくれるキャラバンから購入するのですが、かなり高額な買い物になりますし、そろそろ次のキャラバンが来る時期で在庫が少なくなくなってきているのでいつもより薄味になってますね」

「ちなみに、塩っていくらで()うてるん?」

「ユージローに分かりやすい単位で言えば、1kgで2000円ぐらいでしょうか」

「高っか! あのさ、明日、俺は日本に買い出しに行くけどナスーチャさんも一緒に行かんか? 日本語標記が読めへんから今まで買ってへんのは分かっとるけど、そこは俺が教えたるからさ。見分けさえつくようになれば日本で買えば塩なんて1kgで100円もせんのやで?」

 それを聞いたナスーチャが愕然とする。

「う、嘘でしょおぉぉっ!? 日本だと塩がそんなに安いんですか! そうと知ってれば普段から買ってきてたのにっ!」

 ナスーチャの叫びを聞いた長たちもざわつく。反対隣に座るシュニットが思わずといった感じで口を挟んでくる。

「ユージロー殿、我の聞き間違いでなければ、塩が20分の1の値段で手に入るということですか?」

「ああ。日本は海に囲まれた島国やし製塩技術も高いから塩はぜんぜん貴重品やないしな」

「おおっ! 素晴らしい! 姫様! 是非とも塩の買い付けをお願い申し上げます」

「もちろん買いにいきますとも! 塩代を浮かせられるなら、安いライ麦じゃなくて上等な小麦を買えますし!」

 なんかまた気になる発言が出たな。

「あー、このライ麦だけじゃなくて普通の小麦もあるんや?」

「ありますよ! でも、このエルフの土地──フォーレスカヤ領は湿地が多くて麦の生産には不向きなので他領からの輸入に頼ってて、どうしても輸送費で高額になってしまいます。購入のための予算も限られているので比較的安いライ麦ばかりを購入していますが、もし予算が許すなら小麦を買いたいとは思っていますよ」

「ちなみに値段は?」

「小麦だと1kgで1000円、ライ麦だと2kgで1000円ぐらいですね」

「あー……やっぱりそういう感じやったか。日本やとライ麦は逆に需要が少ないもんで割高になるからだいたいこっちと同じぐらいやけど、小麦は大量に流通しとるからパン用の強力粉でも1kgで300円ぐらいで、25kgの大袋単位での購入やったら1kgあたり250円ぐらいで買えるで?」

 そう教えてやればナスーチャの顔からすーんと表情が抜け落ちる。また、周囲の長老たちの視線も心なしかじっとりと湿気を帯びる。シュニットが周囲を見回して一つため息をついて言う。

「……姫様、貴女はニホンに自由に行けるのですから、これまでもニホンから塩や小麦を買ってきてくだされば今のような財政難にはならなかったのではありませんか?」

「あぅ。だって、知らなかったんだもの」

 ガックリと項垂れるナスーチャにフォローを入れる。

「よかったやん。とりあえずこれからは食糧の調達コストがぐっと下がって、質もグッと上がるってことや。それだけでも俺を呼んだ甲斐はあったってもんやろ? 
 それとシュニットさん、日本で売ってる塩や小麦は見た目ではそうとわからんような袋に入った状態で売られとるから日本語が読めんナスーチャさんが自分で気づいて買ってくるのは難しいで。値段もこっちの常識からすれば安すぎるから事情を知らなかったら、これが塩や小麦のはずがないって思うやろ? いずれにせよ、現地人の協力者がおらんと日本から安定的に食糧を調達するんは難しいからあんまりナスーチャさんを苛めたらあかんに。
 それより、俺という現地人の協力者を見つけて説得してここに連れて来たんはナスーチャさんや。これから俺によってエルフにもたらされる益はすべて間接的にはナスーチャさんの功績なんやでむしろちゃんと感謝せなあかんのっちゃう?」

「……その通りですな。我らが再び故郷の地に戻れたのも、こうして自治領としての自立を保てているのも勇者として最も危険な戦いの場に赴いて命懸けで最後まで戦ってくれた姫様の活躍あればこそ。姫様だけならば王都でもニホンでも自由気ままに何不自由なく暮らせるのに、このフォーレスカヤ領の復興のために領主としての重責を自ら引き受けて日々奮闘してくださっている上に、我らのためにユージロー殿を説得して連れてきてくださった姫様には、我らは感謝こそすれ、不満を口にすべきではありませんでした。姫様、申し訳ありませんでした」

 素直に自らの非を認めてナスーチャに頭を下げるシュニット。まるで初めから用意してあったようなスラスラと発せられる長セリフ。……あー、これはもしや俺はシュニットに上手いこと反響板として利用された感じか? 他の長たちの気まずそうな様子から察するに、シュニットは周りの不満を感じ取ってあえて代表して不満を口にして、俺にナスーチャをフォローさせて、自分もそれに乗っかることでナスーチャに感謝すべきことを皆に喚起したってところか。
 自分をあえてスケープゴートにする大した忠誠心、そしてなかなかの狸っぷりやな。さすがはナスーチャの腹心ってところか。
 だが当のナスーチャは頭を下げているシュニットの姿にアワアワと焦っているので彼の意図には気づいてなさそうだが。

「はわわわ! シュニット、頭を上げてください! ワタシが戦うことしかできなくて領主としては未熟なのは事実なのですから! ニホンから塩や小麦を購入することを考えつきもしなかったのは確かにワタシの怠慢です。でも、ユージローのおかげでこれからワタシたちの生活はずっと良くなりますよ! きっとこれからは昔のように食事が楽しみになりますよ!」

「それは……本当に楽しみですな。ユージロー殿、姫様から伺いましたが、貴方はイールを美味しく食べれるように出来るとか。王都でも食せないほどの美味な料理を振る舞っていただけたと姫様が語っておりましたが、それは本当なのですか? 姫様のお言葉を疑いたくはないのですが、イールの不味さを知っている我らには到底信じがたく思えるのです」

 俺に向き直り、真っ直ぐに俺の目を見るシュニット。おそらくこれも他の長たちを代弁しての言葉だろう。確かにこの料理を実際に食べてみた今となってはその気持ちは分かりすぎるほど分かる。ちょうど白焼きが2本残ってるし、今後のエルフ料理の改革を進めやすくするためにも、いっちょド肝を抜いたろか。

「そやな。実際に食べてみんことには俺の言葉に説得力もないわな。ただ、鰻──イールの下処理も調理法も俺のやり方とエルフのやり方はぜんぜん違うから、俺が途中まで処理して持ち込んでる2本分ぐらいしかすぐには出せへんで。ここにいる長の10人にまずは食べてもらおうと思っとるけど、2本じゃせいぜい味見の1切れずつぐらいにしかならんけどそれでええかな? ここにいる全員に振る舞おうと思うんなら捕るところから始めたいから早くとも明日になるな」

「もちろんです。それでは場所をこの広間から会議場に移しましょう。本当にそんなに美味なるものであるならば、他の者たちの前で食すのは申し訳ありませんからな。それと、ユージロー殿の報酬の話もせねばなりませんですしな」

「そやな。確かに場所を移すのは賢明な判断やと思うで。ナスーチャさん、車に積んでる道具を出すために一旦車をストレージから出したいんやけどどこでやったらええかな?」

「あ、そうですね。では、政庁前の広場でお願いします」

 それから俺は政庁前の広場で車をストレージから出し、クーラーボックスにしまってあった白焼き2本と鰻を焼くための道具類だけを取り出して再び車をストレージに仕舞い、会議場に移動してストレージからまだ炭火が赤々と燃えているバーベキューコンロを出し、長老たちの目の前で蒲焼きを仕上げてみせた。
 最初は所詮はイール、とあまり期待してなさそうだった彼らも、タレが炭火に落ちて焦げるいい香りの煙が会議場内に充満しはじめるとフラフラと引き寄せられて俺の周りに集まってきて期待に目を輝かせはじめた。ええやん。そういう反応が見たかったんや。

「……ってなんでナスーチャさんも一緒になって目ぇ輝かせとるんよ? あんたはもう知っとるやろ」

「ええ。美味しいと分かってるからこそワタシも口直しがしたいですよ」

 そして焼き上がった蒲焼きの人数分に切り分けて長たちに味見させてみた結果──シュニット含む長全員が泣いた。号泣だった。中高生ぐらいの若者たちの集団をマジ泣きさせてる絵ヅラの酷さといったらもうね。

 ナスーチャも最初に食べさせた時は感動して涙を流していたが、彼女はまだ日本の旨い食事にある程度慣れていたからあの程度で済んだのだ。
 不味いエルフ飯しか普段食べてない長老たちは感動のあまり人目を憚らずにオイオイと声を上げて文字通り号泣し始め、その声を聞いて駆けつけてきた警備兵たちは完全にポカーンとしていてなかなかカオスだった。

 結果、彼らの俺に対する評価とナスーチャへの忠誠度が爆上がりし、その後の会議では、俺のフォーレスカヤ領における活動に対する全面的かつ最大限のサポートが全員一致で採択され、俺は長老たちと同等の発言力のあるいわゆる外部顧問に相当する“フォーレスカヤの相談役”という役職と共にエルフの食生活改善のためならかなり自由に動ける権限とそのための予算を与えられたのだった。

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