第8話 料理指南に日本の料理人を選ぶのは正解だ

文字数 4,566文字

 僅かな浮遊感の後、突然嗅覚が木材の匂いを感じとる。目を開けば木材を組み上げて建てられたログハウスのような建物の一室に俺はナスーチャと共に立っていた。
 つい今しがたまでジーンズにTシャツ姿だったナスーチャはゴブラン織りのアオザイのような手の込んだ独特の民族衣装に変わり、俺もいかにもなファンタジー風の服装に変わり、筋肉でムキムキになっている。我ながらすげえ腕の筋肉と胸筋やな。これがドワーフの身体か。

 ここはそれなりに広いがあまり飾り気のないシンプルな部屋で、ベッドと執務机があり、机の上に置かれた旧式なランプのオレンジ色の明かりが室内を弱く照らし出している。壁には精緻な細工の施された細剣と小さな盾が架かっており、トルソーには堅革を金属で補強した胸当てが架かっているが、装飾品というより明らかに実用品と分かる細かい傷がいくつもある。クローゼットはなく、床に衣装箱が直置きされている。
 ええな。まさにファンタジーの冒険者向けの宿屋って感じやん。

 ナスーチャが窓に近づき、木製の両開きの扉を外に開けば、真昼の明るい光が室内に差し込んでくる。

「ユージロー、ここがワタシたちの世界です」

 並んで外を眺めれば、この窓が周囲よりかなり高い場所にあることが分かる。丘のようになった所の頂きにこの建物があり、建物の前には神社の境内のような人が集まれるような広場があり、そこから階段を下った通りの左右に同じような形の木造の家々が建ち並んでいる。
 これは完全に寺とその寺前街って形やな。いや、むしろ城塞の村って感じか。

 遠くに目をやれば村全体が先の尖った杭の壁で囲まれ、その向こうを流れる大河の水を引き入れた水堀が村を囲んでいることが分かる。
 村の外は雑草が繁茂しつつも焼けた土が剥き出しの地面になっており、直径5㍍はありそうな巨大な焦げた切り株がそこかしこに残され、最近植林されたであろう若木の姿も見えている。

「あー……いかにも最前線の砦って感じやな」

「そうですね。この河の向こうが元魔王領でこちら側にはワタシたちエルフの森がありました。魔王軍が攻めてきた時に森は焼かれ、魔王軍が築いた橋頭堡がこの砦でした。その後、人類連合軍の反攻によって敵を河向こうまで追い返した後は人類連合軍の最前線の砦となり、戦後はワタシたちエルフの手に戻され、復興拠点となっています」

「そうかぁ。魔王はどうなったん?」

「主力軍同士の会戦の隙をついて魔王城に潜入した勇者パーティによって討伐され、魔王の能力で統括されていた魔物たちは散り散りになりました。今はもう大した脅威ではありませんよ」

「なるほどな。で、今は戦後復興ってわけか。勇者はどうなったん?」

「日本を始めとした異世界から来てくれていた勇者たちはそれぞれ報酬を受け取って自分の世界に戻って活躍しておられますよ。神器のスマホはそのまま持っておられるので時々こちらにも遊びに来られてますが。現地の勇者は、ワタシも含めてですがそれぞれが復興に励んでいるところですね」

「あー……神器を持ってるからそうなんかなーとは思っとったけど、やっぱりナスーチャさんも勇者パーティの一員やってんな。そりゃー神様と直接会話したり世界間を気楽に行き来できるはずやわ」

「話が早くて助かります。ではユージロー、ついてきてください。民の主だった者を紹介しましょう」

 ナスーチャについて部屋を出れば、ここが凡そ4階建てぐらいの巨大なログハウスであることが分かる。この部屋が一番高い場所にあり、中央部が吹き抜けになっているので、一階の広間に何人かが集まっているのが分かる。部屋の中がスッキリしていたから宿屋かと思っていたが、場所的に明らかに一番偉い人の部屋やんなぁ。

──カラァン……カラァン……

 ナスーチャが部屋の前にあった紐を引っ張ると鐘の音が建物中に響き渡り、人々が慌ただしく動き始める。

「この鐘は?」

「ワタシが今から下に降りていくので主だった者に招集をかけるものですね」

 なるほどな。この感じからしてナスーチャはエルフの中でもやんごとなきお方みたいやな。
 その予想を裏付けるようにすれ違うエルフたちが皆立ち止まって恭しく頭を下げる。……エルフが不老なのはファンタジーの定番だけど、それにしても若すぎないか? ナスーチャの見た目が高校生ぐらいなのに出会うエルフたちは小学生から中学生ぐらいに見える。
 階段を下りきって1階の広間に着けば、ずらっと並んだ10人の高校生ぐらいの見た目のエルフたちの中で唯一大学生ぐらいに見える一人が進み出て恭しく頭を下げる。

「姫様、お帰りなさいませ。そちらのドワーフの方が神託の勇者様であらせられますか?」

「勇者ではないけど、神託によって選ばれた、今のワタシたちにとって最も必要な能力をお持ちの方ユージロー・タナカよ。外見は神器で変えてるけど勇者の国ニホンから来ていただいたわ」

 おお、とエルフたちがどよめく。彼らにとって日本というのは特別な存在らしい。

「ユージロー、こちらはこの地のエルフの最長老──といってもまだ30歳にもならないのだけど、宰相のような役割をしてくれているシュベニックス。通称シュニットよ。ここにいる皆はエルフをまとめる長たちだけど、一度に覚えるのは難しいと思うから、追々で紹介していくわね」

「ああ。助かるわ。今の俺は酒も入っとるからいっぺんに覚えるの無理っぽいしな」

 ドワーフの姿になったからといってドワーフ体質になるわけではないらしい。まあこの世界のドワーフが酒に強いかは知らんけど。それにしても、最長老で20代って、ここのエルフたちって若作りじゃなくて本当に見た目通りの年齢だったりするのか?

「……そうでしたね。向こうの世界は夜中でしたからユージローは今日はもうお疲れですよね。では、部屋をご用意するので一旦このままお休みになられますか?」

「いや、確かに疲れてはおるけど、ちょっとワクワクで目が冴えとって今は寝れそうにないから、ちょっとこの村を見て回りたいんやけどええかな?」

「いいですよ。では眠くなるまでワタシがご案内しましょう。……シュニット、ユージローの案内をしてくるからその間に彼の逗留のための最上の部屋の手配をお願いね。長の皆さん、後ほど会合を開きたいと思ってるから、先に各々のお仕事を終わらせておいていただける?」

「は! 姫様の仰せの通りに」

 長老たちがそれぞれ散っていき、俺はナスーチャに連れられて建物の外に出た。正面の出入り口から出たらそこは広めのウッドデッキになっていて、広場を見下ろせるようになっている。おそらくここは舞台で、広場に集まった人たちにお知らせやら演説やらをできるようになっとるんやろな。
 舞台の端にある階段から広場に降り立ち、振り返って今出てきた建物を見上げれば、俺の知っているログハウスとは随分と(おもむき)が違うことに気付かされる。内部の居住空間を広くするためだと思うが六角形のドーム状の構造をしているようで、今俺が出てきた一番大きな母屋? の左右に同じ形の幾分か小さい建物が隣接している。

 広場から階段を下った中央通りの左右に建ち並ぶ建物群は屋根と壁の境がない四角形のドーム型──ドーム型テントをそのまま大きくしたような形の木造の2階建てになっていて、日本ではまず見られないような異国情緒に溢れていてワクワクしてくる。
 品揃えはいまいちだが野菜や果物のような物を売っている八百屋や武器やポーションのような物を売っている雑貨屋もあり、その店番がみんな中学生みたいな見た目のエルフというのも文化祭の出店に生徒の身内として参加しているようでテンションが上がる。神器による言語理解機能は現状では会話限定らしく書かれている値札の文字はさっぱりだが。

「この特徴的なドーム型の家がエルフ式なん?」

「そうです。お気に召していただけましたか?」

「めっちゃええな。今はどの建物も新しいけど、いずれ屋根が苔むしてきたりしたらまた違う味わいが出そうやな」

「……戦争前がまさにそうでしたよ。この村は周辺の森と共に一度焼け落ちましたが、それ以前は今のような村を囲む杭の壁も水堀もなく、巨大な木々に囲まれて、村の前を流れる美しい大河から恵みを得つつ、自然の中に溶け込み共存していた、静謐とした時間が流れる平和で美しい村だったんです」

「あ……ごめんな。デリカシーのないことを言ってしもたな」

「いえ、いいんです。今ではワタシたちの記憶にしかないかつての姿に戻すために復興を頑張っているんですから! それに、ユージローにエルフの建築を誉めてもらえて嬉しかったですよ」

「そっか。まあ、俺も縁があって呼ばれたんや。旨いもんでみんなが頑張る力を取り戻せるよう、出来ることはしたるわ。……俺に求めてるのはそういうことなんやんな?」

「え、ええ。……そういえばまだユージローに何をしてもらうか、具体的には言ってませんでしたね。ユージローにはワタシたちの主食であるイールを美味しく食べれるようにその料理法を伝授していただきたいです」

「たったそれだけでええんか?」

「たったそれだけ? どういうことですか?」

「俺は確かに鰻料理も得意やけどな、それはあくまで一面でしかないんやで? 本職は日本料理の板前やし、実家は潰れたけど洋食レストランやったからそっちも一通り出来るし、学生の頃はパン屋でもバイトしとったから、エルフに伝えられる料理のレパートリーは鰻以外にもたくさんあるに?」

 俺がそう言うと、ナスーチャはその大きな瞳をこれでもかと大きく見開く。

「まさか! 日本の美味しいお料理を他にも作れるんですか!? カレーライスは作れますか?」

「いや、カレーを作れへん日本人はほぼおらんやろ」

「じゃあ牛丼は?」

「作れるで」

「ハンバーガーは?」

「簡単や」

「フライドチキンは? ラーメンは?」

 そもそも、異世界と日本を行き来自由で、大容量ストレージで物資の持ち込みができる以上、再現できない料理なんてまずないやろ。
 むしろなんでナスーチャが日本から食材を買い付けてこないのかが不思議だったんだが、この村の店の陳列を見てなんとなく察した。
 たぶんナスーチャは俺が異世界語が読めないのと同様に日本語が読めない。それに日本はあまりにも食材の種類が多すぎて何がなんやら分からんのやろな。だから出来合いの惣菜やファーストフードばかり食ってたんや。

「ぶっちゃけ、ナスーチャさんが想像できる料理で俺が作れんもんはまずないと思うで」

「はわわわわわ! こ、これは大変なことですよ! 神様の人選はやはり間違っていませんでした! ワタシはイールさえなんとかなればと思ってましたが、神様は期待を遥かに超える人材を選んでくれたんですね!」

 ぶわっと感極まったナスーチャの目から涙が溢れてくる。本当に切羽詰まっとったんやな。しかし神様もちっとぐらいヒントを出してやりゃあええのにイケズやなぁ。まあ、たぶん神様の方にもなんらかの事情があるからこういう回りくどい方法を取るんやろうけど。例えば直接的な手助けはご法度とか。

 とりあえず、まずはこのエルフの村の食事事情を把握して、あと食事の質の改善に使える予算を確認してから、改革の計画を立てるとこから始めんとやな。
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