その13

文字数 2,043文字

 何度も蛇行を繰り返して、黄色い閃光が上空へと昇っていく。その恐るべき瞬間は、とてつもなく長い時であるように私には感じられた。
 ひゅるるるという笛のような音以外に、聞き取れる音はない。茫然として、それ以外の情報を本能が拒否しているかのような不思議な感覚だった。
 指の一つも動かせない。恐怖に叫び、その場を逃げ出すこともできない。
 夏の夜空に釘付けになった目を逸らせない。同じ場にいるはずのツバキや日置の様子すら、今の私には伺い知れなかった。
 人は脅威を前にした時、こんなにも無力なのかと思い知った。できる限りのことはした。時間に急かされながらも懸命に頭で考え、行動し、分かるはずのない犯人の居場所まで突き止めた。それなのに。
 最早私の体は全く動かなかった。目の前に迫る恐怖を、怒りを、悲しみを、受け入れるはずの心すら全く感じられない。文字通りの虚無だった。
 終わった。何もかもが。親友に会うために六稜島まで来たのに、それすら叶うこともないまま。私はそう思った。
 黄金花が花開くまでは。
 遠く輝く月に対抗するかのように近付き、私達が最も恐れていた爆弾は、咆哮のような音と共に大きく爆ぜた。
 その様は確かにその名に相応しく、きらきらと光り輝く黄色の炎が円形に散らばり、そして次第に頭を垂れて地面へと降りていった。その道筋はしばらく上空に残り、まるで花としての自らの存在を世に知らしめるようである。
 そして黄金花はしばらく上空でその姿を維持すると、やがて静かに消えた。
 その光景は決して私の幻想でも、見間違いでもなかった。
 黄金花はこの島最大の枝垂れ花火だったのである。



「たーまやぁー!」
 紫帆は見晴台の最も良く見える場所で、子ども達と共に夏祭り最後のプログラムの始まりを祝っていた。子ども達の小さな手には、それぞれ一本の向日葵の花が握られている。
「とってもきれいだね!しほ姉ちゃん!」
「あんなに大きな花火、見たことがない!」
 子ども達の宝石のような目の輝きに、紫帆は満面の笑みを浮かべた。
「だろ?最近私が見つけたんだ!この島の地面の奥深くに埋められていたの!私の故郷の花火にそっくりなんだよ!」
「そーなんだ!」
「しほ姉ちゃん。あの花火、だれがうちあげているの?」
「ん?カエルのおじさんだよ?」
「カエルのおじさん?」
「だあれ?」
「ふふ。どうでもいい人!たぶん今頃驚いているんじゃないかな。それより余所見はダメだよ。次の花火を見逃しちゃう」
「はあーい」
 子ども達は礼儀正しくその場に座ったまま、次々と上がる色とりどりの花火に夢中になっていた。
 ツバキ達は果たして今日の祭りを楽しんでくれただろうか。強引に彼ら二人にくじを渡し、広場まで来させ、そして二人が偶然一緒になった所を捕まえて、調子に乗った日置のゲームに巻き込んだ。
 日置が元々自分を恨んでいたのは知っていたが、まさかでっちあげた黄金花の噂だけで、ここまでの計画を作り上げてしまうとは。紫帆は事前にそのことを知ると感心したと共に、なんと暇な人間なのかと呆れ果てていた。
 しかし同時に彼女はそこで閃いたのだ。何とかこれを生かせないものかと。
 結果はおそらく大成功だっただろうと、紫帆は楽観視していた。あらかじめツバキとサクマ以外の人間には「日置のゲームはドッキリである」と伝えておいたし、今日のために何人かのさくらも用意した。人の演技にうるさいツバキがもしかすれば、さくらの下手な芝居で気付くかもしれないと警戒もしていた。しかし最初の神輿の爆破だけはこちらが事前に準備したので、臨場感でそのような疑念もかき消されるだろうと祈るしかなかった。
「かーぎやぁー!」
 上空へ舞い上がる花火と共に、一斉に声を上げた子ども達に倣って紫帆も笑顔で叫んだ。
私が力になれなくても、絶対に「生き返って良かった」って言わせてみせるから。
 彼ら二人の前で紫帆が言ったことは、紛れもない彼女の決意であり本心だった。二年前、無残にも殺されてしまった可哀相なツバキ。その原因の一つは確実に私にある。彼には嫌われて当然だし、強く恨まれても仕方のないことだった。
 だからこそ紫帆は心に誓っていた。ツバキへの贖罪は必ず果たすと。たとえそれが自己満足であったとしても、やらないわけにはいかない。
 しかし魔女は、佐久間稜一が奇妙なタイミングでこの島に来たことで、関係のない彼まで巻き込んでいることには申し訳なく感じていた。だが孤独なツバキのことだけを考えれば、それはかえって好都合なのかもしれない。楽しいことは誰かと共有したほうがいいに決まっている……。
 紫帆は再び自分が楽観的な考え方に陥っていることを、全く自覚していなかった。
「今頃どうしているかなあ、二人とも」
「しほ姉ちゃんうれしそう~」
「ううん!何にもないよ!さあ、花火が終わったらおうちへ皆で帰ろうね」
「はあーい」
 反抗することなく素直に頷く子ども達を見て、魔女は穏やかに微笑んだ。
 今宵は雲一つない最高の夜である……。
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