どうして死ななかったんだ

文字数 2,149文字

 ところで、君はどうして死ななかったんだ。
 あんなに死にたがってたじゃないか。

 僕は昨日、ベトナムの赤いジャングルで血塗れになったカタワの小僧が消えるのを見た。イジメに耐えかねた小娘がマンションの13階から落下して砕け散るのも見たよ。
 彼らはみんな死にたい死にたいと言って、そうして死んだいったんだ。不思議だろう?君と彼らとの違いってのは、一体なんなんだろうな。
 
 そう、友達なんてね、何にも言いやしなかったんだ。
 信じられない事だが、昨日目の前で普通に酒を飲んだりバカ話をしてたやつが、今日になって居なくなっちまうって事があり得るんだよ。
 変わった様子?そんなもん、覚えてるわけないじゃないか。いつ何時も目を見て話せっていうのか?

 ただ、そいつはこう言ってた。
『美味しいモノをたらふく食いたいな』
 言葉ってやつは可能性であると共に、とても信用に値するもんじゃないな。こいつはとんだ嘘つきだよ。だって、死ぬぐらいなら食えば良かったじゃないか。あの店にだって、下らないご馳走なら有ったんだ。ミョウバン混じりの、メルトダウン寸前の、苦くて臭い、焼酎で洗い流すようにして食うご馳走がさ。

 ある時はアル中のオヤジが死んだんだ。あのオヤジだけは本当に大したもんだよ。僕は創作も含めて無数の死を目撃してきたけど、あのオヤジほど計画的に自分を殺した人もいなかった。なにせ、彼の生きて来た日々を辿ると、赤ん坊の時から死ぬ前日まで、全てが死ぬ為の伏線を孕んでるようにしか思えないんだから。
 親が生きてるのに親代わりのキチガイに育てられ、謎めいた教えを聞かされ、愛情の代わりに暴力を貰い、そうしてポンコツとなった精神。すごろく状の暗闇を乗り継ぎ、行く末は酒とクスリのポリバケツさ。
 こうした用意周到さは僕らには到底マネできないだろうな。やろうったってできない事だよ。

 人が死んだって学習しないやつもいる。そろそろ分かっただろう?搾りかす同然の命を現世に縫い付けて、僅かばかり寿命を延ばすことが、如何に愚かで残酷な事かを。自分の無力さを受け入れられず、ありもしない解決策や、腹の底までアキンドでしかない輩に銭をばら撒く不始末、挙げ句の果てにはキリストから仏陀まで古今東西の神々を引っ張り出して、それで救われたかい?

 君は偉いんだ。人間誰しも死にたい。死にたくない!なんて平然と言えるやつは、どんな局面でも絵にならないだろう。お涙頂戴のバカバカしい芝居になら、さもクライマックスじみた展開で面白いかもしれないがね。
 ああ、君は好きな人と抱き合ってる時、どう思う?死にたくないかい?それとも、このまま死んでしまいたいかい?僕は後者だと思うんだ。
 
 僕は昨日、葬式から帰ってきた人々の顔を見て来たよ。若いやつが死んだ時、それはもう悲惨を通り越して地獄みたいになってる。親は死骸より死骸みたいな顔で、口ん中であぶく混じりの譫言を言ってる。社交辞令で来た連中は隠れてアクビをし、退屈そうに悲しそうな顔してる。面白いのは、バカな親達は、社交辞令で来る人々を、自分達と同じように悲しんでいると思い込んでいるんだ。

 冷静に考えてごらんよ。よそ様の、自分と無関係の、好きな食べ物さえ知らないような小僧小娘がくたばったからって、誰が胸を痛めるってのさ。呼ぶ方も呼ぶ方だし、行く方も行く方だよ。何がしたくてそんな事するの?死んだガキが、それで喜ぶとでも?いやいや、気まずいに違いないよ。知らない連中の泣き真似を見せられて、何をどうしろっての。坊主の念仏と味気ない花々と、オマケの骨のツボ欲しさに大金を投じて。それを見て、何をどうしろっての。嘆いてるに違いないよ、言ってたろう?『何もしたくない』って。

 ある年の話だけどね、次々と仲間が死んだ年が有ったんだ。長く生きてると、不思議とそんな『当たり年』みたいなのがあるんだよ。
 連中は、実に下らない理由でアッサリと死んでしまう。まるで自分から死んでいくみたいにさ。交通事故だの、心不全だの、自殺だの、老衰だの、病気だの、行方不明だの。そんな簡単に、人が殺せるのかって思うぐらいさ。

 僕も君も、みんなを助けたかったよな。
 でもね、これは本当なんだが、死んでいく人を助けるなんて不可能なんだよ。僕はそれを知ったから、もう何もしない様にしているのさ。時計を叩き壊したからって、時間は止められないってのと同じ事だ。何もしないでいられないのは百も承知さ。でも無駄な事はやめよう、後片付けが大変なんだから。

 やっぱり、大切なのは遠くに行く事さ。生きるにしても死ぬにしても、勝手知ったる日常の渦中では、ある種、なかなか難しいモノがあるとは思わないか?

 君が大嫌いな世間様に、面白おかしく弄り回されるのも不快だろう。成金趣味の金黒の車に乗せられたり、知らないやつに裸にされる屈辱は君も知ってる事だろう。何よりも銭勘定や、あれやこれやの実に下らない問題の始末が山積みになってるんだ。まるで夏休みの宿題か、或いは核廃棄物だよ。終わっちまったのに終わってないんだから。

 だからね、何をするにしたって遠くへ遠くへ行ってみるべきなんだ。旅立つように、さ。
 そうすりゃ、君も僕も、誰にも知られず本当に消えてしまえる事だろう。
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