#07

文字数 2,820文字

 山岸さんと初めて会ったのは29歳の夏。知人が開いた合コンに呼ばれた時に同席していた女性だった。
 その頃は独立したてで、仕事面でお世話になった義理もあり、「ただ飲み食いしに来てくれればいいから!奢るから!」と懇願されて参加した会だった。

 合コンに参加したことは人生で何度かあるが、このころからもう、複数人でひとつの場を共有するというのは向いていないと確信しつつあった時期だったので、仕事を言い訳に1時間近く遅れて参加し、その場にいても端の席を陣取り、自分に話題が降りかかりそうになればうまく誰かの話題へとなるようにアシストを出してすり抜け、届いていない着信やお手洗いを言い訳に席を立つなどして、のらりくらりと過ごしていた。

 その日3回目の離席。行きたくもないトイレから出て戻ろうとしたタイミングで、薄暗がりの通路で、すらりと背の高い女性に声をかけられた。

「私、山岸です」
「あ、はあ」

 思わぬ声かけにあい、空気の抜けるような返答をしてしまった。人と仲良くする気はないが、人の顔や服装などの外的特徴を記憶するスキルは高い方だ。ヤマギシさん。私の対局面の端の席に座っていた。自分から積極的に話題を提供するよりは、みんなの話によく相槌を打ち、空気を和ませる絶妙なタイミングで笑う、あの場によく馴染んでいた女性だ。品のある素朴な顔立ちで、仕立ての良さそうなシンプルなアイスグレーのワンピースがよく似合っていた。

「ずっと席にいないから、逆に目立っちゃってますよ」

と、いたづらっぽく忠告された。

「あぁ、そうですよね。気をつけます、すみません」

 そう言って横切ろうとすると、体をすっと入れられて通せんぼのようにされた。

「私、先に帰るねってみんなに言って荷物持ってきちゃった。手ぶらですよね?出ませんか?」

 そう言われてかすかにたじろいだが、誘い方も抜け出し方もスムーズで、行き過ぎない気遣いが心地よく、気負いさせ合う必要もない相手だなと好印象すら持った。少なくともあのような集団の場に居続けるよりは、場外発展に至る方が少なからずもましだ。この会に誘ってくれた主催者に『ごちそうさまでした。すいません、抜けますね』とメッセージを入れ、山岸さんと店を後にした。

* * *

「もう一杯飲みたいですか?」

 肩を並べて夜道を歩きながらそう尋ねられた。アッシュブラウンのセミロングの髪は艶やかで、夜風に微かになびいている。

「いやあ、2軒目とか、そういうのはもういいかな」

 ついそんな言葉が口から出た瞬間、がっついてるように思われてやしないかと、放ってしまった言葉を飲み込みたい衝動に駆られた。しかし、そんな私の後悔の念を吹き飛ばすかのように彼女はケタケタと笑ってくれた。

「話が早くていいですね。じゃあ行きましょう」

* * *

 山岸さんはその当時で28歳、私の1つ年下だった。
 ラグジュアリー風なソファに身体を沈めながら「彼氏いないの?」と聞いたところ、「彼氏がいるのにこんなお誘いをするほどモラルのない女に見える?」と、いささか周りくどい返答をされた。

「抱いた後にする質問にしてはなかなかデリカシーのない人ですねぇ」

 こういったことを冗談っぽく言ってくれるからなのか、こちらに罪悪感をさほど抱かせないのは、彼女の会話スキルの高さなのだろう。

「あのさ、もうひとつデリカシーのないこと言ってもいい?」

 山岸さんの様子を伺いながら、自然な風を装いながら尋ねた。

「なんでもどうぞ」

 化粧を直しながら彼女が答える。

「俺、今彼女作る気がないから。もしそういったこと期待してたら申し訳ないんだけど……」

 こういったことをのらりくらりとかわしながら伸ばし伸ばしにする男もいるが、当然だが相手にしているのは人間なので、ほとんどの場合こちらの思い通りにはいかず、大なり小なりトラブルに発展した話をよく耳にする。なので私は、「彼女は欲しくない、結婚もしたくない」ということは必ず最初に言い切ってしまうようにしている。その通告が事後になってしまうことはよくあるのだが———。

「それは好都合だわ。やっぱ私たち同じだったね」

 鏡から顔を外しこちらを見て、ニヤリと笑ってそう返してきた。

* * *

 山岸さんとはその日以来、およそ月に1回のペースでなんとなく、どちらからともなく連絡を入れ合う仲になった。そんな関係が、5年経った今でも続いている。

『今夜暇してる?』

 恋人らしいデートを求めているわけではないため、先々の予定を合わせることがないのは2人の間での暗黙の了解に自然となっていった。会うも会わないも、その日のお互いの気分と予定次第。軽く食事を済ませたあと、ホテルへ行くことが2人のお決まりの行動パターンとなった。
 お互いの家を訪問しあったことはなく、どんな仕事をしているかについても職業以上のことは詳しくは聞かず、私に至っては彼女の下の名前も知らないのだ。私の下の名前は、山岸さんに伝えていたのだったっけ———。

* * *

 突然、長期間にわたって連絡が来なくなったことが、この5年間で2回あった。一度目は半年以上、二度目は2年弱にわたることもあったが、忘れた頃に着信が鳴ったかと思ったら『久しぶり。今夜空いてる?』とメッセージが入る。

 「彼氏と別れてさ、」と彼女が切り出すと、堰を切ったようにエピソードトークが始まるのだ。私はそれに対して、特にアドバイスも感想も返すことなく、垂れ流されているラジオを聞くかのようなスタンスに入る。

 二度目の久しぶりの再会の際には、行為の最中、彼女が別れた彼氏の話をぽつりぽつりとしていたのだが、話しているうちに泣いてしまった。していることも中断となると、気の利いた言葉の出てこない自分は、ただ黙ってベッドに2人横たわり、震える小さな頭をぎこちなく撫でることしかできなかったものだ。艶やかな彼女の髪の毛は、まるでシルクのシーツを撫でているかのような手触りだった。

* * *

 相手に特別気を使わない仲のそんな私たちだが、ある時、ひとつだけ彼女が明確に言葉にして私に要望してきたことがあった。

「どっちかが結婚したら、もう二度と会わないっていうのだけは約束して」
「ああ。結婚したら教えて」
「そっちもだよ」
「俺はないよ」

 そう返すと、山岸さんは鼻の上まで布団を被り、奥二重の涼やかな目でじっと私を見つめて、戯けながらこういった。

「もし、2人とも一生結婚できなかったらどうしよう。ヨボヨボになるまで会い続けてると思う?」
「んー、どうかねぇ」

 まどろみながら何の気なしに答えると、彼女は「さすがにそんなのありえないよね」と小さく乾いた笑いを残してベッドから抜け出し、浴槽へと向かった。

 それからもコンスタントに逢瀬を繰り返していたが、つい3ヶ月ほど前に会ったのを最後に、また連絡がつかなくなった。
 「また新しい彼氏でもできたのかな」と、特に気に留めることもなく過ごしていた。
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