第6話―国際特別安全管理局 日本支部―

文字数 5,529文字

 かつて桐恵が所属しサザナミシステムを提唱した【神経生理学研究所 意識対消滅研究部門】は終戦後、独立行政法人【国際特別安全管理局 日本支部】へ改められ、サザナミ運用の中核を担っている。その為にセキュリティの高さは国内一であるため私達は管理局の入局にかなり手間取ってしまった。というのも入局者には虹彩認証と指紋認証の登録をしなければならないのだが、問題は私達の服装である。正面玄関に着き典礼が許可証を見せ警備員に入局の旨を告げると警備員は驚いた顔をしてこちらを凝視する。数年前に地上から姿を消した首輪付き(・・・・)がウサギの着ぐるみに入って目の前にいるのだ。疑うのもわかる。
「佐々木未紗、三岡晴夏両名の許可証もここにあるだろう。三岡さんは局員証もあるし、佐々木さんの方は俺が証人になるから登録なしで通してくれないかな」
「いや、氷瀬巡査部長。いくらなんでもそれは……」
 警備員は困った様子で白くてデフォルメ風二頭身のウサギと水色で顔だけがやたらファンシーな八頭身のウサギになっている私達を見る。これで通そうものならセキュリティに関して大問題になるだろう。
「虹彩の認証登録は可能だが、この通り指紋登録が困難でね」
「では一度その着ぐるみを脱いで登録をなさっていただくしかないですね」
「中の人などいない」
「晴夏さん、そういうのはいいです」
 堂々と割り込んだのに冷静に制された晴夏は大人しく典礼の後ろに戻っていった。
「典礼、指紋認証もこれで何とか出来ると思う」
 私は典礼に言うと外が見えるように穴が開いている目の部分から指を突き出した。私には見えなかったが、晴夏によると典礼はその光景を見て何とも言えないような悲しい眼差しをしていたという。それを聞いた私は夢を壊してしまったような気分になり少し申し訳ない気持ちになった。
「佐々木さんはこちらの方で登録をお願いします」
「わかりました」
 警備員に連れられて備え付けの登録機で認証を済ませる。入局証を持って戻ると晴夏はうな垂れたまま警備員に連れられて門を通過しているところだった。見ると右の人差し指の先端少し切られている。ふわふわの毛に覆われた手から人間の指が覗いていて、警備員男性二人に両脇を抱えられているというのもまたシュールな構図である。
 敷地に入ると、連絡が回っていたのか受付担当係により事務管理棟の応接室へ通され、そこで着ぐるみを脱ぐように指示される。無論、晴夏達は違う部屋で私の所には女性の担当が来て見張りを兼ねて手伝ってくれた。胸元にフリルのついた白いブラウスに紺色の踝辺りまであるロング丈のプリーツスカート――深めのスリットが入っているのが今の流行なのだろうか――という出で立ちは、なるべく目立たないように且つ清楚で大人しいという雰囲気を演出した方がいいという典礼の提案によるものである。受付で渡された先端の赤い所属バッジを胸の辺りに付け、着ぐるみを送風機で膨らませていた為にぼさぼさになっていた髪を、私は手早く左に纏め三つ編みにする。これで物静かな印象もずっと上がるはずだ。そして最後に首輪を隠すように赤いストールを首に巻いた。
 支度が終わった私達は、サザナミのプログラム管理室がある情報管理棟管理棟へ行く前に、職員の寮に用意されている部屋へ荷物を置きに行くことになった。
「管理棟と職員の寮はエレベーターを挟んで隣接していて、職員は勤務している階と同じ階の寮に部屋がある。ここからなら一度外に出るよりもこの先にある食堂を突っ切ってエレベーターに乗った方が早いよ」
 と言う晴夏の言葉で私達は食堂を経由することになった。通路を歩いている途中、通りすがる人達から珍しいものを見るような視線を浴びせられるが、不思議と悪意があるものはない。そして食堂に着くと私達がここに向かっていると情報が回ったのか、辺りは一目私を見ようという人で溢れていた。私が来ると知っても怖がる様子もない歓迎ムードに思わずたじろいでしまう。街を歩いていた時は着ぐるみ故、誰も私だとは気がついておらずどこかのキャンペーンの一環か何かと思われていたようだった。子供も寄ってくるので晴夏は、風船でも持って来れば良かったかなと笑っていた。私は子供の相手は苦手だったのだけれど、洋服で普通に出歩いて遠巻きにされるよりずっと楽しく、着ぐるみを着て良かったとすら思ったものだ。
「予想外だったか」
 晴夏が隣に来て笑う。
「もっと避けられるかと思っていた」
 素直に感想を述べると、それを聞いていた典礼が何故か得意気な顔で説明を始めた。
「先輩は試合選手の中でもトップレベルの人気を誇っていますからね。ファンも多いです。サザナミ執行当時に批判していたのは殆どが事情を知らない一般人ですよ。とはいえそれも仕方がない事ですがね。局員も先輩の立場は理解しています。ですが中には二人きりや俺達がいないところでのやり取りだと少し不安になる人もいますので、その点は覚えておいてください」
 それを聞いて私は最初に会いに来たときの典礼を思い出し、わかったと頷いた。
「あの……佐々木未紗さん、ですよね……」
 周囲に圧倒され突っ立っていると、控えめだが綺麗に通った声が後ろからかけられた。驚いて振り向くと人混みを避けるように一人、男性局員が立っている。背は晴夏程高くはないが、どことなく周りとは違う雰囲気があるため別の意味で目立っていた。その声で急に静かになった周りを気にするように見回し、少々落ち着かない様子だったが、周囲が開けてくれた人混みの間を歩き彼は私の前に辿り着いた。そして少し間のあと、意を決したように手を勢いよく差し出す。
「握手してください!」
「は、はい……」
 突然の事に動揺を隠せない私は流されるままあたふたとその男と握手をしながら、隣にいる典礼と晴夏に目で助けを求める。
「副局長。どこに行っていたのですか」
 晴夏が握手をしているその男を副局長と呼んだ。
「副局長……」
 周りを見ると呆れたように笑う局員達が私と――その男を見ていた。晴夏がそっと耳打ちをする。
「神木謙心。ここの副局長だよ。未紗の選手時代からのファンだそうだ」
「はぁ、それはどうも……」
「いやはや、お恥ずかしい。憧れの佐々木選手にお会いできてつい」
 状況についていけず浮ついた返事になってしまった私を気にも留めず、副局長だという神木という男は照れたように笑っていた。襟を見ると確かにバッジの先が銀色に煌めいていて副局長である事を示している。存在は知っていたが実際に見るのは初めてだ。少し高めな落ち着いた声なので聞いていた年齢のわりには若い印象を受ける。副局長という事は、この男が桐恵と並んでサザナミシステムの運営と権限を預かり桐恵不在の今、実質の最高責任者となっている男というわけだ。一体どんな人物なのか、初めて会う桐恵の右腕を見定めようとつい観察してしまう。
「憧れの方に見つめられるのは嬉しいのですが、そんなに警戒なさらないで下さい」
 神木副局長は困ったように笑って頬を掻いた。その言葉に我に返った私は失礼な事をしたと頭を下げる。
「すみません。そういうつもりでは……。桐恵の同僚の方と会うのは、――三岡さん以外初めてでつい、気になってしまいまして。失礼致しました」
「いえ、お気になさらず。私は元々研究所におりましたので桐恵さんとは一緒でしたが、佐々木さんと直接お会いした事はないのです。試合を見て貴方のファンになりまして、ついには貴方を真似て剣道を始める始末です。桐恵さんとは、彼女が意識対消滅研究部門を新設した時からの付き合いでしてね。いつの間にか副局長なんて立場になっていました」
 柄ではないのですが、と穏やかに語る後ろでは職員たちもクスクスと笑っている。仲の良い職場なのだろうと、私はどことなく安心感を覚えた。すると神木副局長が再び手を差し出す。
「では改めて、管理局を代表して貴方を歓迎します。ようこそ、国際特別安全管理局へ。今後我々は貴方の安全保護を最優先事項に動きます」
「ありがとうございます」
 再び差し出された手を、今度はしっかりと握り返すと辺りから拍手と喝采が響いた。最初は気が回らなかったが、彼の薬指と小指の付け根にタコが出来ているのがわかった。恐らく長年にわたり剣術や剣道を経験しているのだろう。先程感じた周囲とは違う雰囲気は武道家の気迫のようなものだったのだ。しかしここまで歓迎されてしまうと、自分の立ち位置を忘れそうになる。柵のない環境というのはとても、心地良い。
「すみません、少々よろしいですか」
 そんな中、典礼が手をあげて私達を制止し群衆に向かって声を上げた。
「波川桐恵さんの事について聞きたいことがあるのですけれど。事件当日の事とか、変わった様子だったとか、何でも良いので知っていることがあったら教えていただきたいです」
 桐恵の名前を出した途端、皆は互いに顔を見合わせて口をつぐんでしまう。先程までの和やかな雰囲気から一変して辺りが静まり返った。しかしそれは、嫌な事柄に対してのものではなく、私達に対する不信感からのようだった。今度は周りの目が警戒に変わる。典礼、少しは空気を読め……と内心焦っていると、神木副局長が重々しく口を開いた。
「どうして今更そんな事を。桐恵さんの事についてならもう警察が来ていろいろ聞いていきました。私達は何も知りません。それに桐恵さんのあの行動には何か理由があると思っています。これ以上何を話せというのですか。ただの興味本位であるのなら諦めてください」
「そうですか……お答えいただきありがとうございます」
 決して興味本位というわけではないが、有無を言わせない周囲の無言の圧力に典礼は諦めたように引きさがる。私は頑なに桐恵を信じる人達を目の当たりにして感心したように呟いた。
「桐恵は随分と皆に慕われているね……」
 私は私といるときの桐恵しか知らない。職場での桐恵は私の知っている桐恵とは違うのかもしれないけれど、こうして知らない所でも桐恵が周囲に信じて馴染めているというのは素直に嬉しい。出会った時は今では考えられない程に堅物だった上に能力も正義感も人一倍強かったので周囲からは何かと嫌厭されるような人物だったのだ。
「局長があんな事をするわけがありません。きっと局長を陥れようとする陰謀か何かに決まっています」
「佐々木教官って確か今は波川局長と一緒に住んでいるのですよね。もしかして波川局長が本当に犯人だって疑っているのですか」
 周囲の職員が口々に意見を言い始めた。中には教官時代の教え子もいるみたいだが、疑っているかと言われても、はい、そうです。なんてとても言えない。というか、ここまでくるとなんだか逆に怖い。どうしてこんなにも皆が桐恵を守りたがるのか不思議に思ったが、ふいにその答えに思い当たった。彼らは怖いのだ。この世界を造った、謂わば創造主たる桐恵に裏切られたと思う事が。一種の自己防衛とも言えるこの空気が、今の私には少し息苦しいと感じた。
「そういえば、今後のご予定はどうされるおつもりでしょう。その荷物を置かれたらこちらに戻ってこられたりはしますか」
 神木副局長からついにありそうでなかった質問が飛んできた。さて、なんて答えよう。この状況下でサザナミのシステムに不審な点が見つかったから情報管理棟に、なんて言うのは良くないだろう。
「……展示棟に大天那と小桜丸を見に行こうかと思っています。たまには手入れをしてあげないと」
「小桜丸だって」
「大天那……」
「教官が試合で使っていた日本刀だ……」
 周りの騒めきで、私はこの理由が失敗だった事を悟る。武器のメンテナンスなんて理由はどう考えても好戦的だし、状況的にも桐恵に対しての使用を連想させてしまうのは目に見えている。周りはおろか、晴夏達も驚いていたし何よりも私が一番驚いていた。どうしてここで刀についての発言をしてしまったのか。私が使用していた刀は現在管理局敷地内で唯一、一般公開されている展示棟に使用凍結処理をされ保管されている。完璧な調整された環境の元、本来なら手入れも何もないのだ。しかし口にしてしまった以上どうにか切り抜けるしかない。私は胸に手を当て、もっともらしい口調で続けた。
「あの二振りはずっと一緒だった私にとっても家族みたいなもの。それに私、いやこの国を守ってくれた一番の功労者ともいえましょう。たまには手入れをしても罰は当たらないはずです」
 数年間ずっと預けっぱなしだった身で言うのも説得力に乏しいものだが、この苦しい言い訳を皆思いの外、信じてくれたようだった。それを聞いた神木副局長が残念そうな顔をしながら言う。
「そうですか。もう少し話をしたかったのですが、それはまた後の楽しみにしておきましょう。先程も言いましたが、当管理局は貴方の保護を最優先に動きますので決してこの敷地内からは出ないようにお願い致します。……晴夏くん、佐々木さんを頼みますよ」
「お任せください」
「わかりました。ありがとうございます」
 神木副局長が私に別れを述べ晴夏に声をかける。晴夏は背筋を伸ばし若干緊張した表情でそれに応えた。上司に嘘をついている事になるので内心真っ青だろう。このまま怪しまれないうちにと、それでは失礼しますと笑顔で会釈した後、足早に立ち去った。こうして食堂を抜けた先にある連絡通路を通り、無事に情報管理棟へ入るエレベーターに乗り込んだのだった。
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登場人物紹介

佐々木 未紗:ささき みさ

4月1日生まれ(誕生花:オオアマナ)

戦争開始18歳→退役21歳(教官)→終戦22歳→現在26歳

黒髪でストレート。

試合では桐恵と共に最前にいたが不意の事故により右目を負傷。退役。

桐恵といれば安心であるという信頼感と依存心が強い。

サザナミ施行後は外出も禁止されているため軟禁状態。


波川 桐恵:なみかわ きりえ

7月17日生まれ(誕生花:白薔薇)

戦争開始18歳→異動21歳(部門新設)→終戦24歳(サザナミ提唱)→現在26歳

亜麻色の髪でウェーブかかったロング。背が高い。

未紗が戦闘行為で精神に不安定になったことに気がつき争いのない世界を作るために退役後も協会に残り研究を開始。カウンセリングを兼ねて未紗と同居。

三岡 晴夏:みつおか はるか

8月21日生まれ(誕生花:ブルーベリー)

戦争開始20歳→参加21歳→終戦24歳→現在28歳

毛先がハネている黒髪のクセっ毛。長身。

未紗の友人。

サザナミプログラム構成に関与。

氷瀬 典礼:ひせ のりあき

3月31日生まれ(誕生花:苺)

戦争開始14歳→参加16歳(未紗の部隊)→終戦18歳→現在22歳

茶色の地毛。猫っ毛でふわふわ。色白。色素が薄い。小柄。

特務警察。階級は巡査部長。

試合では未紗と同じ部隊にいた。


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