第5話 カッカウォソ チナン ナラエ (近くて親しい国へ)

文字数 7,267文字

 この小高い丘からの眺望を、あの頃の史樹もきっと眼にしたことだろう。
 韓国展望台から見える、この海を照らすほどの白を。
 海照らしと言う通り名のままに、眼下では一つ葉田子の花々が陽光を跳ね返し、真っ白に海を照らしている。

 花言葉同様、一点の曇りも無い清廉の花。

 その一つ葉田子の花を花束にして、二人で共に徳恵に捧げようと約束したのに、自分だけ先に逝ってしまった史樹。
 此処対馬の厳原には、徳恵の結婚を祝した記念碑が在る。
 そこに二人して一つ葉田子の花を捧げよう。
 そう約束したくせに・・・・・。

 恐らくはあの運命の日を迎える迄の数日間、史樹はたった一人でこの対馬に滞在していた筈だ。

 そう思うと胸が締め付けられる・・・・・ぎゅっと。

 史樹は自身の患っている病が膵臓癌のステージ4bだなんて、一言も言ってくれなかった。
 長い間会えなかった彼に会えるのだと、あの日取るものも取り敢えず勇躍してジェットフォイルに乗り込んだ私。
 まさかあの日が、彼との永久の別れになるとは思いもよらず。
 あの日から早や、五年の月日が流れた。

 今日四月二十日は、史樹の命日に中る。
 
 一点の曇りもない紺碧の空に、海の向こうに臨む隣国の山並み。
 此処から臨むそれ等隣国の景観は、こんなに手が届きそうなくらい近いと言うのに。
 
 やはりこの蒼い海を隔てた我が祖国は、青い太平洋を隔てたアメ
リカの数倍、否、数十倍も遠くに感じる。

 近くて遠い国。
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 何年経っても変わらない日本から見た韓国を示す、それが言い得て妙でいて適切な言葉のように思う。

 思い起こせば史樹の逝った年の夏、イギリス国民がEUからの離脱を選択し、同じ年の冬、アメリカ国民は新大統領にトランプを選択すると言う番狂わせが起こった。
 そうして世界中の人々があの年を起点に、自ら内向きで自国を孤立させる方向へと舵を切り始める。

 皮肉にも史樹が逝った年は、そういう年であった。
 世界中でナショナリズムがグローバリズムを圧倒し始め、世界をひとつにすることよりも、自国の利益を優先する方がより有益で自国の為になる、と。
 そう唱えるポピュリュリスト、即ち大衆迎合主義者が世界中を席捲し始めた。

 無論我が祖国、韓国でも然り。

 あの年韓国海運業界トップの韓進海運が破綻し、韓国産業界は一時パニック状態に陥った。
 そしてそれと呼応するようにあの国家を揺るがすほどの大事件、大統領友人に依る国政介入事件が勃発する。
 世論は一気に反朴槿惠へと傾いていった。
 果たして大統領弾劾法案が可決され、レームダックと化した大統領と朴槿惠政権。
 往時国内景気の悪化も相まって、国民の青瓦台への不満は頂点に達していた。
 当然朴槿惠政権の執り行った政治的判断や行為は、総て世論に否定されることになる。
 内向きで米英同様より右傾化を強める往時の韓国世論に取って、或る種親日とも取れる従軍慰安婦問題に於ける日韓合意は、その最も顕著な形で現れた。
 
 その合意調印に際しての日本政府の条件のひとつが、ソウル日本大使館前の従軍慰安婦少女像の撤去だったのだが、凡その人が予測した通りそれが履行されことはなかった・・・・・無論、今も尚。
 その上往時の韓国政府は、合意調印の翌年早々釜山日本総領事館前に民間団体が新たな少女像を設置した件でも、何ら有効な対策を打ち出せず、唯々手を拱いているだけと言う為体(ていたらく)だった。
         ‐87‐  

 対して日本政府は、駐韓大使を一時帰国させると言う報復に出る。

 韓国人の私が言うのも何だが、当然と言えば当然の帰結だ。
 先に日本政府からの支援金十億円を受け取っておいて、約束を反故にしたのだから。
 そればかりか往時の野党は、支援金を返上してでも日韓合意を取り消すべきだと主張した。
 仮初にも政府間で為された合意を、幾らその政権が機能しなくなったからと言って野党が取り消そうなどと言う手前勝手な理屈は、駄々を捏ねる子供の恣意である。
 幾ら反日が票集めの最強の武器とは言え、余りにも大人気ない。

 そんな風に相手が日本となると、大人気なく、我が儘な子供になり下がる我々韓国と韓国人。

 朴槿惠政権の評価はさておき、元はと言えば従軍慰安婦の日韓合意調印も、往時の経済的に疲弊した韓国の状況を好転させるべく為されたのではなかったのか。
 果たせるかな釜山での新少女像設置事件以降、米ドルを融通し合う通貨交換協定即ちスワップ協定協議の中断も、日本政府が駐韓大使の一時帰国と同時に決定した。
 五年を経た今では経済協力は疎(おろ)か、朴槿惠政権が対北朝鮮戦略の一手として日本と交したGSOMIA(日韓軍事情報保護協定)でさえ、期間満了後は交渉再開の目処が立っていない。
 たとえそれが北朝鮮に対する非常に重要な協定であったとしても、親日に繋がるものは決して許されないのだ。

 反日の結果国が脆弱になったとしても、何ら厭わない我が同胞。 
 つまり韓国と言う国家に取って、反日と亡国は表裏一体なのだ。

 つと、今し方釜山での新少女像設置を義挙ではなく暴挙と、或いは反日と亡国は表裏一体だとした自らの言葉に、自身戦慄を覚える。
 もし此処が韓国で、もしその言葉を口にしたとすれば・・・・・。
 私はその日から、祖国の地を踏めなくなってしまう。
 そして石を投げ付けられ、唾を吐き掛けられることになるだろう。

 もう一度海の向こうの山並みを、じっと見詰める。

 五年前あれ程あのとき、韓国財閥と朴槿惠政権との癒着が取り沙汰されたと言うのに、未だに韓国の財閥は健在だ。
          ‐88‐
 
 財閥解体など、夢のまた夢なのである。
 正に我が祖国は、財閥の財閥に依る財閥の為の国家なのだ。
 無論反日も無くならない。
 韓国のナショナリズムに於ける負の連鎖に、終わりなどない。

 果たせるかな朴槿惠の後任大統領は、反日姿勢を崩さなかった。
 また次期大統領と目されている人物もやはり、日本と手を結ぶ気はなさそうである。
 何故ならそれが、韓国国民の最も望むところだからだ。
 言い換えればそれが韓国のポピュリズム、大衆迎合主義の具現と言うことなのであろう。

 よくよく考えれば徳恵も朴槿惠も、同じ日韓の不和に依る犠牲者であった。
 日本帝國に併合された大韓帝國最後の王女徳恵翁主は、せっかく掴んだ武志との幸せな結婚生活も、日本での療養生活も、何もかも反日のナショナリズムに奪われてしまう。
 韓国人の私だからこそ言えるのだが、往時の我が国の精神医療たるやそれは惨憺たるものであった。
 大した治療を受けれる訳でもない我が国に帰国するより、往時であれば日本の医療機関に掛かっていた方が余程ましだったと言う推論は、私の中では確信と言っても過言ではない。

 また朴槿惠の両親は日本に近付き過ぎたが故に暗殺された。
 そして若くして両親を失った朴槿惠は、その孤独を克服せんが為に心の隙間を埋めてくれる友を求めることになる。 
 やがて巡り会った唯一無二の親友と信じる相手に利用され、散々に裏切られることになるのだ。
 父同様韓国の最高権力者にまで上り詰めた彼女であったが、命こそ奪われないまでも、政治的にはやはり父同様その命脈を絶たれるに到る。

 それ等の悲劇は総て、日韓の不和故の帰結と言えよう。
 
 もし日韓の不和さえなければ、徳恵は武志に看取られながら日本で生涯を全うしていたかもしれないし、朴槿惠も両親を失うこともなく、大統領にこそなれいまでも、結婚や出産と言った女としての幸せを享受出来ていたのかもしれない。

 今も尚断ち切れ無い日韓の不和故の、憎しみと、悲しみの連鎖。
          ‐89‐  

 北朝鮮の脅威よりも、景気の動向よりも尚、反日が優先される。
 それが祖国韓国の偽らざる、真実の姿。

 どんなに私ひとりが日本と仲良くしよう、日本を恨み続けても何も得することなどないと訴えたところで、だ。

 それに声を上げれば、私は韓国に帰れなくなってしまう。

 それが故に、私はこの五年間黙り続けて来た。
 時が来る迄は、決してひと言も喋らないと心に誓ったのである。
 当然のこと毎朝眼が覚めれば、揺るが無い反日思想を根幹に置いた国体が眼前に突き付けられる。
 毎日遣り切れないし、韓国人である私の人生を投げ出したくなるときもあった。
 死にたい、と、思ったことも。

 それでも私には、絶対に死ねない訳が出来た。
 そう、どんなに反日や嫌韓の嵐が激しく吹き荒れようと、私は絶対に負ける訳にはいかないのである。
 何故なら私には・・・・・。

 そして今漸くのこと、悲嘆に暮れる日々と決別すべき時がやって来たのだ。
 史樹の悲願を果たせる日が、直ぐそこに。

 今こそ近くて遠い国を、(カッカウォソ チナン ナラエ(近くて親しい国に)。

 そう決意を新たにし、大きく息を吸い込む。
 次いで私がどうしても死ねない、そして負けられないと、私に確信させるその核心の方に向き直った。
 と、その刹那聞き知った幼い声が耳朶を打つ。

「ママぁ」

 洋樹さんに抱えられながら手を振ってくる洋一に、私も手を振って応えた。
 三年前に産んだ長男の洋一(ひろかず)。
 そしてお腹の中には、もう一人・・・・・。
 この子が産科の診察で男の子だと分かったその日に、洋樹さんはお腹の子を史一(ふみか
         ‐90‐  

ず)と名付けた。
 そう彼が命名した意図は洋一も勿論、この新たな命も私と洋樹さんと、そして史樹の三人で繋いだものだから、と、私は思う。
 改まってそのことを、洋樹さんに訊いた訳ではないけど。

 まさか洋樹さんと結婚するなんて、思ってもいなかった、あの夜。
 一夜限りの間違いで終わるかも知れなかった、あの夜のことだ。

 私はあの頃史樹の未完成の論文を引き継ぎそして完成させる為に、日本に留まり続けていた。
 と、言ってもそれは言い訳に過ぎず、ビザが切れる寸前迄何をす
するでもなく、夜になると泣きながらお酒を呑み、知らぬ間に眠り、頭痛で起きられない朝を迎えると言う、最悪の日々の連続を私は無為に過ごしていたのである。
 その頃の私は史樹の死を受け入れられず、自暴自棄になっていた。
 自らも死ねば史樹に会えるかも知れない、と、そんな風に訳の分からない思念に取り憑かれ、正に医者の不養生、精神科医の私が精神疾患に罹る寸前の状況にあったと言えよう。
 そして愈々滞在ビザが切れる迄数日となったあの夜、洋樹さんが私を訪ねて来てくれた。
 それ迄にも論文のことで、何かと相談に乗って貰ったりはしていたけど、夜に、しかも二人きりで会うのはあの夜が初めてだった。
 と、言うより、二人きりになるのを、私も洋樹さんも避けていたのかも知れない。

 そう、あの夜のこと、例の如く強かに酔っ払い、史樹そっくりの洋樹さんを史樹の身代わりにしてしまった私。
 言うならばあの夜は、洋樹さんが私を抱いたのではない。
 史樹に見立てた洋樹さんに、私が私を抱かせたのだ。

 酷い女、最低の女。
 
 夜が明け次の日の朝を迎えたとき、私は洋樹さんに言った。
 そのとき滲む瞳を見られないように、私は彼に背を向けていたことを覚えている。

「本当のこと言うとね。
 昨日の夜、私は史樹に抱かれていたの。
 洋樹さんじゃなく、史樹に・・・・・酷い女だよね。
 貴方と史樹の姿形が似てるからって、あんまりだよね。
          ‐91‐  

 きっと私は、一生史樹のことを忘れられないと思う。
 でも、それが私の今の本当の気持ち。
 だから、昨日の夜のことは、忘れて。
 洋樹さんは全然悪くないから。悪いのは・・・・・」

 私、と、二の句を継ごうとしたそのときだった。
 洋樹さんの唇が私の唇を塞いだのは。
 やがて唇を離した洋樹さんが言ってくれた。

「悪いのは俺だ。
 君がそう思っていると知りながら、君を求めたんだから。
 弟の婚約者を寝取った俺が、一番悪い。
 君は何も悪くない。
 でも俺はたとえ罪人になっても、君を好きだと言う気持ちから逃げる訳にはいかないんだ。
 どうしてかって、それは二度と史樹みたいに韓国籍を詐取して迄、韓国人と結婚したいと考える日本人を創ってはならないからだ。
 だからこそ君の心の中から、史樹への思いを消す必要はない。
 否、と、言うよりも消してはいけない。
 俺は今後一生弟の婚約者を寝取った男と言う十字架を背負うし、君は今後俺のことを史樹だと思っていい。
 俺、成瀬洋樹は、弟、史樹の身代わりでもいい。
 それでも君と生涯を共にしたいんだ。
 そして生涯を懸けて、君を愛す。
 だから御願いだ。俺と結婚してくれ」

 そして滞在ビザの切れる前日、私は洋樹さんとの結婚を決めた。
 何故だか私は結婚した後も、無論今も洋樹さんのことを、史樹のように呼び捨てには出来ない。
 それは史樹に悪いからとか、史樹と洋樹さんを区別しようとか、そう言うのではない。
 理由など何も無いのだ。
 強いて言えば史樹は史樹で、洋樹さんは洋樹さんだからである。
 同様に人が人を愛することに、理由など無い。
 韓国人が日本人を好きになっても、日本人が韓国人を好きになったとしても、そのことに理由などないのだ。
 つまりそこに、ナショナリズムの介在する余地は無いのである。
 
 数日後結婚の報告をしにソウルに戻った際、それなりの覚悟をしていた私に史樹のときとは打って変って、「おめでとう」と言って私を抱
         ‐92‐  

き締めながら、「もし二人男の子が生まれたら、一人を朴医院の跡取りにしてくれ」と続けて微笑んでくれた。
 あの反日で凝り固まっていた父がである。
 やがて大人になった史一は、父との約束を或いは果たすのかも知れないのだ。
 そんなことを考えられるようになった今、私は幸せだと思う。
 成瀬の父も同様、反対するどころか歓迎してくれた。

 それもこれも史樹のお陰だと思う。
 命を懸けて私を愛してくれた、彼の。

 と、言うより、こうなることを史樹は知っていたのかも。
 総ては彼に導かれた結果なのかも知れない・・・・・。

 五年間掛けて、彼の書き掛けた論文を私が引き継ぐことも。
 その論文を完成させる為に、洋樹さんが協力してくれることも。
 そして洋樹さんと結婚することも、子供達が生まれてくることも総て、史樹が導いたことだったのでは・・・・・。

 その史樹との約束を果たすときが来たのだ、今。
 そう、この眼前に拡がる純白の世界の創造主である一つ葉田子の花を、徳恵に捧げるときが愈々。
 と、花束を作ろうと展望台の外へ出た私は、漆黒のマタニティドレスを身に纏っていることを思い出した。
 袖口に降り落ちてくる一つ葉田子の白が余りにも鮮やかに映ったのは、自身の喪服のせいだったようである。
 何時のまにやら私の面前に現れた洋樹さんもまた、喪服姿である。
 洋一の手を携えてその場に立つ彼の、その肩口に舞い降りた一つ葉田子の花もまた、鮮やかに白い。
 私の袖口の一つ葉田子の白と、洋樹さんの肩口のつ葉田子の白。

 それは史樹の命日に相応しい、白と黒のコントラスト。

 そして洋一と繋いだ手の彼のもう一方の手には、一つ葉田子の花束が握られていた。

「さあ行こう、厳原へ。
 史樹との約束を果たしに。洋一と、史一と一緒に」

 洋樹さんの言葉に微笑み、大きくひとつ肯く私。
         ‐93‐  

 同時に彼が私に、一つ葉田子の花束を手渡した。

 史一を身籠ったことが分かったその日、「論文も完成したことだし、史樹との約束を果たしに対馬へ行こう」と、そう言ってくれた洋樹さん。
 その彼が洋一を抱きかかえながら、私の前に居る。
 何だか不思議な感じだ。

 うっすらと口元を緩める私に、「そうそう論文のサブタイトルって、まだ決まってないんだっけ?」と、唐突に問うて来る彼。
「ええ、いいのが見付からないの。
 何だか論文のタイトルが長くて、それに味気なくて、何かしらのサブタイトルは付けないとね」
 浮かない顔で応じる私に、得意げな顔で身体を寄せて来た彼が、「いいのがあるよ。今、思い付いたんだ」と耳元に囁く。

 彼が思い付いたと言うその論文のサブタイトルを聴いて、瞠目をじ得ずに硬直する私。
 何故なら彼が告げて来たそのサブタイトルは、これだ、これしかない、と、思う唯一無二のものだったから。
 論文のサブタイトルは、それに決まり。
 否、サブタイトルではなく、タイトルにしよう。
 あの長ったらしい学術論文然としたタイトルは、この際サブタイトルにすればいい。
 と、そう私は心に決めた。

 一度眼を瞑り、瞑目したままで天を仰ぐ。
 次いでゆっくりと眼を開ける。
 私はたった今そうと決めた論文のタイトルを、天を仰いだままで声に出して言ってみた。 
 天上の史樹にも伝わるように。
「徳恵(とくえ)に清廉の花を」、と。


 快晴の青と、蒼い海と、そして一つ葉田子の白。

 私はその鮮やかな色が様々に彩るこの美しい対馬の厳原に、今から約束を果たしに行けるのだと、漸く史樹に伝えることが出来た。
 洋樹さんと、洋一、そして史一と私の、四人で。                                   (了)

         ‐94‐  
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