第1話 喉を潤す茨

文字数 40,330文字

インヴィジブル・ファング
喉を潤す茨



                               登場人物



                                  都賀崎 侑馬 (グラドム・シャルル)

                                  石黒 友也

                                  大柴 光 (リカント・ヴェアル)

                                  ロイヤス・ミシェル

                                  ミラー

                                  シレーヌ・テノ―パル

                                  ガウラ・ファウスト

































































   とにかくね、生きているのだからインチキをやっているのに違いないのさ。 太宰治







































































      第一牙  【 喉を潤す茨 】









































  全てを擲ってまで守るものなど、この世に存在するだろうか。

  もしあるとしたら、それは本当に守るだけの価値があるのだろうか。







  闇夜の生き血を啜り、薔薇色のワインを呑み干し、宵闇とともに堕ち、錆びた朝を唄い、狂楽に踊りだす。

  貴方の愛に齧り付き、骨の髄まで噛みついたら、一番美しい表情を見せる。

  満月、三日月、新月、いつの夜でも姿を見せるその姿は、まさしく蝙蝠。

  ただ蝙蝠と違うのは、その姿は妖艶に口元を歪めて笑い、二足歩行することが出来、蝙蝠よりも達が悪いということだ。

  誰もその存在を認めないまま、時代は進み続けて行く。

  だが、時代が認めなくとも、存在が確実であり、進化しているのもまた、今から知る事実となり、現実離れした現実となる。







  月がその身を隠し始め、太陽がその存在を消す為に、神々しく光を放ち始める時間。

  森の奥、霧の道を通り抜けてさらに奥へと歩みを進めて行くと、そこに、薄らと姿を現したのは、茨に呑みこまれそうな城。

  蝙蝠が城へと向かって飛び、とある小窓から部屋の中へと入っていく。

  その部屋は、埃を被り蜘蛛の巣もはっている、錆び付いた豪華なシャンデリアがあり、大きな額縁の中には、この城の持ち主だろうか、こちらもすでに色褪せた肖像画が飾られていた。

  背もたれの長い椅子に座り、足を組んで優雅にワインを呑んでいる男が一人。

  「胃もたれしそうだ。」

  ワインを横の小さいテーブルに置くと、組んでいた足を下ろして華麗に立ち上がる。

  「人間相手は疲れるが、極上の血を手に入れるためだ。背に腹は変えられねぇしな。」







  ぽっころぽっこり・・・・・・

  なんとも珍しい目覚ましによって起こされた脳は、身体に司令を出し始め、やっと足や手が動き始めた。

  朝食は食べずにトマトジュースだけを口にし、学校へと歩いていく。

  「都賀崎くん!おはよう!」

  「ああ、おはよう。」

  少年がにっこりと目を細めて笑って返事を返せば、同じ学校の女生徒たちはキャーキャーと騒ぎながら走っていく。

  薄い青のような、少し白が交じったような銀髪の癖っ毛で、見るからに美少年。

  成績優秀で、少しひ弱そうなところも、女生徒から人気が高い理由なのだと、以前誰かに言われた気がするが、本人は気にしていない。

  背筋を伸ばして歩いていると、後ろから暑苦しい影が近づいてきた。

  「よぉ。相変わらずの人気ぶりだなぁ?都賀崎侑馬くんよぉ~?」

  「おはようございます。石黒友也くん。君も相変わらず喧嘩っ早いですね。」

  ニコニコと笑って言葉を返す侑馬に、友也は眉間にシワを寄せ、頬を引き攣らせながら笑い返す。

  ツンツンたたせた黒髪の友也は、なんでも力任せの男だが、暴走族や不良は嫌いだと豪語しているが、見た目は友也も十分に不良だ。

  侑馬が自分の席に座ると、一斉に周りに女生徒達が集まってくる。

  好きな食べ物は何か、嫌いな食べ物は何か、よく見るテレビは何か、スポーツは何をするのか、休日は家で何をしているのかなど、正直どうでもいい事ばかりだ。

  だが、侑馬は微笑みながら、一つ一つの質問に丁寧に答えて行く。

  「よく飽きないよな、都賀崎も。」

  友也の背後から声をかけたのは、同じクラスの大柴光。

  光も喧嘩っ早く、よく友也と衝突もするのだが、侑馬の事に関しては、これほど意見が一致する二人はいないだろう。

  茶色の髪はサラッとしていて短く、目にもかからない程度に整えてある。

  チャイムが鳴って授業が始まれば、女生徒たちは渋々自分の席へと戻って行き、自分の席から侑馬を眺める。







  「俺、絶対に怪しいと思うんだ。」

  「はぁ?何がだよ。」

  お昼休みに、友也と光は二人で屋上に来て数個のパンを抱えながら食べていた。

  突然、友也が口にしたことで、光は詰め込んでいたパンを牛乳で流し込み、話せる状態を作ると、友也に訊ねた。

  くるっ、と顔だけ光に向けると、元からなのか、険しい顔で口を開く。

  「都賀崎だよ、都賀崎!あいつが飯食ってるとこ、見た事ねぇんだよ!いっっっっっっっっつも野菜ジュースとかコーヒーとかコーヒー牛乳とかしか飲んでねぇんだよ!ベジタリアンなのか?どう思う?なァ!大柴はどう思う!?」

  「どうって・・・・・・。別に気にしたことねぇな。」

  「俺、今日にでも都賀崎の後をついていこうって思うんだ!大柴も来ねえか??」

  「や、止めた方がいいんじゃないか?」

  一応止めてはおいたものの、こうなってしまっては友也を止められるわけもなく、その日、なぜか光も一緒に侑馬を尾行することになった。

  「やあ。君たちは本当に仲良しなんですね。」

  「「ゲッ。」」

  「すごい嫌われようですね。」

  眉をハの字に下げながら笑っている侑馬は、大して傷ついてもいないようで、手に持っている野菜ジュースをチビチビと飲んでいる。

  屋上に来て、フラフラ歩き回ったかと思うと、手摺に近づいて下を眺める。

  「都賀崎が此処に来るなんて珍しいな。」

  光が、先程からマイペースに行動している侑馬に声をかけると、くるり、と身体を回して友也と光のほうに向ける。

  肘を手摺に乗せると、目と口が綺麗な弧を描きながら表情を作りだした。

  野菜ジュースをまた口に運ぶと、ストローを少し齧りながら、光の質問に対しての答えを言いはじめた。

  「それがですね、女生徒達があまりに五月蠅いので、逃げてきたんです。きっと此処に来れば、君達に会えると思いまして。しばらく、厄介になります。」

  ニコニコ笑いながらそう言うと、侑馬はまた身体を回転させて、のんびりと空を眺める。

  女生徒達が侑馬を探している声が時折聞こえたが、当の本人は全く聞こえないふりを貫き通し、大欠伸までしていた。







  運命の下校時間・・・・・・

  友也は探偵のように壁に張り付き、侑馬の動きを細かに観察しているが、侑馬は今日掃除当番のようで、女生徒たちと楽しそうに話しながら掃除をしていた。

  なかなか帰らないため、友也と光は下駄箱で靴を履いて待つことにした。

  そろそろ掃除が終わる時間だろうと思っていると、いつの間にか侑馬は靴を履いて、帰り道を歩いているところだった。

  周りには女生徒たちがいて、一人一人の家まで送っていくようだ。

  知りたくも無い家まで知ることになったが、侑馬の本性を探るためだからと自分に言い聞かせ、二人は、主に友也は喰らいつくように追って行った。

  いよいよ最後の一人となり、無事に家に送り届けると、侑馬はてくてくと歩き出す。

  「ふぅ~・・・やっとかよ!なんで女共をわざわざ送って行くんだよ!ポイント稼ぎか!?この野郎!!」

  「石黒、お前、本当は羨ましいのか?」

  「んなわけねぇだろ!」

  「しっ!バレる!」

  光に注意されると、友也は慌てて自分の手で自分の口を押させて、侑馬に気付かれていないかを確認する。

  電柱から身体半分ほどを出して侑馬を見ると、特に気付いていないらしく、いつものように背筋を伸ばして歩いている。

  先程は女生徒に歩調を合わせていたのか、ずっと足早になった侑馬に置いていかれないよう、必死になって友也は後を追うが、サッサッと次々に曲がり角を曲がってしまう。

  ついには、軽く走らないと追いつけないほどになってしまった。

  「おい、さっきから同じ道を歩きてる気がするの、俺だけか?」

  「奇遇だな、石黒。俺も、さっきから通ってるコンビニの店員が同じ顔だと思ってた。」

  「そんなとこ見てたのか!?すげぇな!!」

  後をついていってるのがバレているのかと思っていたが、侑馬は一度も振り返らずに歩き続けていたため、友也は大丈夫だと自分に言い聞かせた。

  二時間ほど、狐につままれたような遊びを繰り返していると、やっと違う道に入って行った。

  細い路地裏を通り、野良猫に笑いかけては更に細い道へと入っていき、気付くと街中からずっと遠くなっていた。

  侑馬の背中だけに視線を向けて歩いていたため、街から離れていたことさえ分からなかった。

  森の入口まで来たが、侑馬は森の奥へと進んでいく。

  「・・・・・・行くか?」

  「俺は石黒に任せるよ。」







  迷っているうちに、侑馬を見失うと瞬時に判断した友也は、すぐに尾行を再開する。

  どんどん空は暗くなっていき、森の奥へ行くにつれて不気味な気配を感じるが、今更帰るわけにもいかず、侑馬を追って行く。

  「あれ?」

  急に侑馬が視界から消え、急いで姿が見えなくなった場所まで行ってみるが、やはりそこに侑馬の姿は無かった。

  慌てて森の奥に進んでいくと、目の前に突如現れた黒い影に、思わず息を呑む。

  「なんだ?これ・・・・・・。」

  随分と古そうな城、それを呑みこむようにしている茨が、なんとも不気味さを際立たせている。

  光の腕を強引に掴み、城の中へと入るため、大きな木の扉に近づく。

  「い、行くぞ・・・・・・。」

  ギィィィ~・・・

  重く湿気った木、錆びた金属の共鳴、湿気の籠った扉の奥から漂う臭い、真っ暗で何も見えない視界に、友也は息を潜める。

  中に入っていくと、所々にシミの出来た赤い絨毯がひかれていて、天井には落ちてきそうなシャンデリアがあった。

  友也と光が中に入ると、扉は重さでバタンッ、と勢いよく閉まる。

  ゆっくりと歩を進めて行こうとすると、どこからか、バサバサ、と鳥か何かが飛び交う音が聞こえてきた。

  そして、コツン、コツン、と友也でも光でもない足音が響き、階段の上から誰かが下りてくるのが分かった。

  ボウッ、とシャンデリアに小さな灯りが灯ると、蜘蛛の巣が張っていたことに気付く。

  足から徐々に見え始めた姿は、階段の中盤ほどの、古びた肖像画が飾ってある場所で足音を止めると、豪華な錆びた手摺に腰を下ろした。

  足を組んだのも見えて、その身体を纏ってるものが、黒の靴、黒のズボン、黒のマント、黒の上着と、黒づくしであった。

  「お、おい!ここに、都賀崎っていう男が来なかったか?」

  「・・・・・・都賀崎?」

  「おお!俺より背は小さくて、頭は良いけど、結構優男なんだよな。女にも人気でよ、調子乗ってんだぜ、あいつ。化けの皮剥がしてやろうと思ってよ!」

  「ほぅ・・・。興味深いな。」

  男は頬杖をつき、喉を鳴らして笑うと、もう片方の手でパチンッ、と指を鳴らした。

  小さな豆電球くらいしか無かった灯りは、徐々に大きくなっていき、男の顔もはっきりと見え始めた。

  スラッと伸びた足に腕、色白の肌に赤く染まった瞳、妖艶に弧を描き、少し癖のついた髪の毛は銀色に光り輝いていた。

  その男の顔がはっきりと見えると、友也は口を開けて呆然とする。

  男の風貌は、明らかに自分が先程まで追いかけていた相手なのだが、話し方や表情は丸っきり別人で、同一人物だとは思えなかったからだ。

  友也の表情から何もかもを理解したような男は、ククク、と喉を鳴らして笑うと、友也の隣にいる光に声をかける。

  「ヴェアル!お前も悪乗りし過ぎだ。見ろ、こいつ、思考停止状態になってるだろうが。」

  ふと、友也は自分の隣にいる光に視線を向けると、姿は光のままなのだが、肩にフクロウを乗せていた。

  組んでいた足を下ろすと、男はバァッ、とマントを広げて天井高くを通り、友也の顔にぶつかるくらいまで近づいてきた。

  なんとか顔スレスレほどで止まったが、やはり男の正体は、自分の探していた人物と一緒であると確信することしか出来なかった。

  ニヤリ、と口元を歪めた男は、友也に向けて牙を剥き出しにする。

  目を真ん丸にさせた友也を見て、男は楽しそうに、いや実に愉快そうに、腹を抱えて笑いだした。

  「友也、今の貴様の顔、世界中の人間に見せてやりたかったぞ!ハハハハハ!!!そんなアホ面も出来るとはな。もっと早く気付いてやるべきだったな!」

  「え?・・・と、都賀崎・・・?ちょ、え?マジ?え?は?と・・・え?」

  隣にいる光が友也の肩をポンッ、と叩き、首を横に振った。







  男に食堂まで連れて来られ、長いテーブルの端と端に座る。

  所々に蝋燭がポッ、ポッ、と灯っているだけのテーブルは、男の表情を窺うにはあまりにも少なく、自分の顔色を見られないためには十分だった。

  レアの肉を出され、男はナイフとフォークを使って優雅に食べ始めたが、今の友也はそんな気分では無い。

  隣の光を見ると、素手で掴んで食べていた。

  頬を引き攣らせて、また自分に用意された肉を眺めていると、肉を三分の一ほど食べ終えた男が、ナイフとフォークを皿の端に置いた。

  「で?何か探し物があったとか・・・?」

  ニヤリ、と妖しい笑みを見せつけた男に、友也は何をどう伝えれば良いのか分からず、おどおどし出す。

  頬杖をつき、真っ赤な液体を注がれたワインを一口飲むと、くるくる回しながら、友也の回答を待っていた。

  刺々しい視線に耐えきれなくなった友也は、さっさと言って、さっさと帰ろうと考えた。

  暗がりの部屋の奥にいる男の方を見て、少しだけ睨むような顔ではっきりと、男に対して問いかける。

  「あんた・・・都賀崎・・・なのか?あ、なんですか?」

  「・・・・・・・・・・・・プッ。」

  友也の必死の言葉を聞いて、手で口元を隠し顔も斜め下の方を見ながら、思いっきり吹きだした。

  目に涙を浮かべるほどに笑ったらしく、指で涙を拭いながら顔を友也に向けると、男は小さな二つの牙を出して笑いかける。

  「そうだ。都賀崎侑馬だ。本業はこっちだがな。」

  「本業って・・・。職業じゃねぇじゃん・・・。」

  「何か言ったか。」

  「いいえ。」

  口調がここまで違ってくるとなると、相当裏表の激しい男だったのだな、と勝手な解釈を始めた友也は、侑馬だと名乗る男の格好を見て、その“本業”を聞いてみることにした。

  実際のところ、聞いたら自分は生きて帰れないのでは、と思ったが、開いてしまった口は、そう簡単には止まらなかった。

  「吸血鬼、ってことか?ことですか?」

  「そうだ。ヴァンパイアだ。問題あるか。」

  問題があるなんて言ったらどうなるのだろうか。

  恐怖心が徐々に慣れていったところで、光についても聞いてみることにしたが、当の本人は、肩に乗っているフクロウにミミズを与えていた。

  バサバサッ、という音が部屋に響いたかと思うと、いつの間にか男の許に二匹のコウモリがいた。

  もう何から聞いていけばよいのか分からず、普段使わない脳味噌がフル回転し始めると、あまりのスピードに、文字通り、火花を散らしているようだ。

  「幾つか聞きたい事がある。・・・あります。」

  「何だ。」

  「光のこと・・・ですけど。」

  「そいつはヴェアル。狼男だ。そのフクロウは確か、オズリ―・ストラシス。次!」

  詳しいことは何も言わずに、本当にちゃっちゃっと答えるだけのようだ。

  「あー・・・そのコウモリは?」

  「ジキルとハイドだ。可愛いだろう。ちなみに、ジキルは雄でハイドは雌だ。次!」

  「なんでわざわざ、ふ、副業?してるん・・・ですか?」

  「暇つぶしだ。次!」

  マイペースというか、マイペースと言ったらマイペースという言葉に対して失礼なような気がするくらい、自分勝手な男だ。

  一回だけでいいから睨みつけたい友也だが、充血したように真っ赤な瞳が、それを許してはくれない。

  暗闇の中でも、ボウッ、と浮かび上がる不気味な赤い色は、トラウマになりそうだ。

  「これって、学校にバラしたら不味いんですか?」

  ふと、自分が男の秘密を握ったことを理解し、勝ち誇ったような笑みを男に向けると、男は友也よりの更に一段階上の笑みを見せる。

  「不味くない。」







  「・・・・・・へ?」

  思っていた回答と違ったため、友也は呆気に取られる。

  「貴様は俺の正体を知った事に優越感を浸っているのかもしれないが、そもそも、貴様が無事に尾行出来たのは、俺のお陰だと言っても過言ではない。わざわざ尾行させてやったというのに、手土産も何も買わずに他人の家に上がり込むなど、愚の骨頂!そうは思わないかね?」

  返事に困っている友也を他所に、男はさらに続けていく。

  「人間という生き物は実に不愉快だ!俺たちに比べて、弱くて脆くて低能なくせに、口だけは実に達者になっていく!自然にまで手を出し、自分達で勝手に境界線を決めて行く!この愚行に対して、貴様はどう思う?・・・いや、やはり答えなくていい。どうせ参考にもならない、くだらない答えしか持ち合わせていないのだろう。」

  一人でどんどん喋る男に、友也は聞いていない最後の質問をする。

  「あれ?名前・・・は?」

  流暢に話をしていた男は、ピタリ、と口を閉じて、正面のずっと奥にいる友也を見ると、目を細めて眠たそうな顔になる。

  まばたきを数回すると、手を顎に当てて、何かを考え始める。

  足を組んで物事を考えているその姿は、というよりも、黙っていれば、男の友也から見ても格好良いと言わざるを得ないのだが、口を開けば飛び交うのは毒舌。

  ここまで極端に人格が違うと、逆に清々しささえ感じる。

  そんなことを考えていると、男は目を静かに開け、友也に聞いてくる。

  「記憶を辿ってみた結果、貴様に名を名乗っていなかったことが分かったが、貴様のような下等な人間に名を言うべきなのだろうか。」

  なんとも失礼なことをベラベラと言ってのける男に、友也はテーブルの下で拳を作るが、自分の方が大人だと言い聞かせて、冷静に対処する。

  「な、なんと呼べばよろしいのかと思いまして・・・。」

  「・・・・・・。俺の名前を教えるということは、同時に、なぜその名を授かったかという説明も含める必要があると考える。となると、時間がかかってしまう。しかし、貴様の脳味噌の動き具合から判断すると、それは時間の無駄になってしまう可能性が高い。よって、名前だけ簡潔に答えた方が良いように思う。」

  それならばさっさと言えばいいものを、じれったく引き伸ばしている男にキレそうになった友也だが、肩をポンッと叩かれ、そちらを見る。

  フクロウを肩に乗せた光が、男よりも先に名前を告げる。

  「グラドム・シャルル四世だ。」

  どうやら、男、シャルルよりも光の方が話が分かるようだ。

  未だに一人で何かを言っているシャルルを横目に、友也は肉を食べ始めると、意外と美味しい事に気付く。

  ミディアムくらいの焼き加減が好きなのだが、レアでもいける。

  人間の価値はどうだとか、自分たちはこういうところがスゴイだとか、自慢話と批判を交互に繰り返しているシャルルの傍では、コウモリが友也を狙う様に見ている。

  「そう!人間の価値とは逸れ即ち!そいつの血が上物かどうかだ!そこで決まるんだ!」

  それはシャルル限定のような気もするが、話しかけるのも疲れてしまい、友也はテーブルに顔を乗せたまま寝てしまった。

  「シャルルの話が長いから、寝ちまったよ。」

  「俺のせいではない。こいつの根性不足だ。」







  ―翌日

  いつものように友也は学校に向かって歩いていたが、頭の中では夢と現実の境目が揺れていて、どこで切ったらよいのか分からない。

  髪の毛をガシガシと勢いよくかき乱していると、後ろから声が聞こえてきた。

  「石黒君、どうかしましたか?」

  髪を乱していた手を止めると、ゆっくり顔だけを振り向かせ、その人物が誰かという確認作業に入る。

  ニコニコとした笑みを浮かべ、背筋をまっすぐに伸ばした美少年、都賀崎侑馬だ。

  「いや、何でも無い。」

  「?そうですか。それは良かった。」

  「お、おい、都賀崎・・・・・・?」

  「何ですか?」

  じっくりと舐めまわす様に侑馬を見てみるが、いつもの侑馬となんら変わりは無く、もっと言えば、昨日出会った吸血鬼とは遠い存在に思えた。

  きっと昨日は悪い夢を見たんだと、友也は思う事にした。

  「や、おはよう。」

  「おはようございます。」

  ニッコリと微笑むと侑馬はサッサッと歩きだし、当たり前のように女生徒達が侑馬の傍に群がっていく。

  やはり昨日のことは夢だったのだと、少し安心した友也は教室へと歩いていく。

  いつものように授業が終わり、いつものようにお昼を食べ、いつものように家路に向かって歩いていると、声をかけられた。

  声や口調からして侑馬であることが分かると、「おう」と元気よく返事をする。

  「今日、暇ですか?」

  「ああ?まあ、暇だけどよ。」

  友也の答えにニコッと目を細めて笑った侑馬は、嬉しそうに両手を合わせる。

  「じゃあ、僕の家に来ませんか?是非ご招待したいと思いまして。」

  「いいのか!?」

  「もちろんですよ。」

  満面の天使の笑みの侑馬と、コンクリートの道をずっと歩いていたのだが、急に辺りはジミジミしだし、奇妙な音や声が聞こえてくる。

  だが、友也の前を歩いている侑馬はサッサッ、と歩調を緩める事もなく歩き続けている。

  声をかけようとしたが、ガサガサッ、と何処からか聞こえてきた音に顔は自然と引き攣り、出来るだけ侑馬から離れないようにして着いていく。

  辺りを気にしながら歩いていると、友也の目の前にコウモリが飛んできた。

  「うわあぁぁあぁ!?」

  手を振ってコウモリを振り払おうとするが、コウモリは羽根をバタバタさせて友也を威嚇し、なかなか離れようとしない。

  侑馬に助けを求めようとした友也だが、すでに侑馬はいなくなっていた。

  仕方なく駆け足で森の奥へと進むと、いきなり顔面に逆様の顔が現れた。

  「~~~ッ!!?☆●×□!?」

  言葉にならない叫びをすると、逆様の顔はプッと吹き出し、しまいには大声で笑いはじめた。

  「と、都賀崎!?じゃ、ない・・・。」

  くるり、と枝に引っ掛けていた足を外し、地面に静かに下りてくると、目は赤く充血し黒に覆われた小さな牙を持っているシャルルが嘲笑う。

  「貴様は実に学習能力が無いな。馬鹿を通り越して成す術が無い。」

  「なっ!?」

  ニヤリ、と笑うと踵を返して茨に抱かれた城に入っていく。

  来た道を戻ろうとした友也だが、来た道はすでに暗闇に包まれ、森の中からは不気味な鳴き声や瞳が狙っている。

  「帰ってもいいのだぞ。帰れるのなら、だがな。」

  そう言ってまたニヤッ、と笑うシャルルに苛立った友也だが、大人しく城の中へと入ることにした。

  中に入っても気味悪く、薄明かりしか無いためか視界は狭く、臭いも生臭い。

  「さっさと座れ。鈍間が。」

  拳を作りながらもグッと堪えていると、先日見たコウモリが二匹シャルルの近くに止まって友也を睨む。

  「早速だが、貴様にはあの女共を黙らせてもらう。」







  「は?」

  「聞こえなかったのか?それとも聞く気が無かったのか?それとも貴様の耳は詰まっているのか?」

  一度で聞き取れたものの、内容が頼みごとであったために、友也は自分の耳を疑ってしまったのだが、その反応が逆にシャルルの機嫌を損ねたようだ。

  「なんでそんなこと俺に頼む・・・んですか?」

  友也の言葉に顔を顰めると、シャルルは鼻で盛大に笑った。

  「誰が頼むと言った?これは命令だ。」

  「いや、あれ?でも・・・。」

  「“黙らせてもらう”とは命令であって“頼み事”では無い。毎日黄色い声を出されては、俺の耳がおかしくなりそうだ。」

  どうでもいい、ましてや友也には直接何も関係ない事を命令されたが、段々と脳も身体も慣れてきたのか、シャルルの文句を上手に聞き流せる。

  延々と続くのかと思われたが、コウモリが何かに反応するとシャルルもすぐに口を閉じ、気配がこの部屋に来るのを待つ。

  バンッ、と勢いよく開いたドアから現れたのは、学校でも会ったはずの光だった。

  肩にはフクロウを乗せたまま、友也に軽く手をあげて挨拶をすると、シャルルの方に向かって叫び出した。

  「シャルル!大変だ!」

  「なんだヴェアル、騒々しい。」

  足を組み、頬杖をつきながら偉そうに口を開いたシャルルに、光は何か新聞らしきものを顔面に突きつけた。

  それを黙って受け取り、ため息をつきながら読み始め、だいたいの内容を頭に叩きこむと、テーブルの上にバサッ、と置いた。

  「俺にどうしろと?」

  ふとシャルルが視線を床に落とすと、どこから入ってきたのか、コオロギがじっと床に居座っていたため、シャルルは手で掴んでそのままジキルとハイドに餌として与えた。

  耳に残りそうな不気味な音と共に、コオロギは二匹の口から姿を消した。

  「ミシェルが今こっちに向かってるって・・・。」

  「何だと!?」

  光が全部を言い終わる前に、ガタンッ、と勢いよく椅子から立ち上がり、牙を剥き出しにして赤い目で光を睨む。

  睨まれている当人は、空気が変わったことに気付きながらも、フクロウに餌を与え始めた。

  わなわなと拳を作って怒りを押さえているシャルルのせいか、立ててある蝋燭はガタガタと揺れはじめ、シャンデリアに乗っている埃も落ちてくる。

  ゴォォォォォォォォ、と今のシャルルに効果音をつけるならそんな音だろう。

  「あの女が来ると、碌なことが無い。ジキル、ハイド、今日はもう見張りはいい。ヴェアル、城の鍵を閉めるからさっさと出て行け。貴様もだ、友也。」

  「シャルル、もう着いてる。」

  ガシャーン、と天井近くにある窓を勢いよく貫いてきて、そのまま反対側の壁に正面からぶつかっていった影が一つ。

  そのせいで微かに風が吹き、シャルルの癖っ毛が少しだけ靡いた。

  大きな音が聞こえたせいで、二匹のコウモリは遠くの天井から影を睨みつけ、光の肩のコウモリもバサバサと羽根を大袈裟に動かす。

  目を細めて影を見つめるシャルルは、ゆっくりとコツ、コツ、と足音を響かせながら、陰に近づいていく。

  そして、埃が舞っている中ちらっとだけ見えた影を掴むと、ズルズルと引きずってきた。

  「痛い痛い!!!!シャルル痛いっつってんでしょーがァァァッ!!!離してよ!離せ!乱暴で冷酷な吸血鬼のくせにィィィッ!!」

  声からして少女らしいが、口調は女の子らしいとは言えない。

  少女の言葉にピタッ、と足を止めたシャルルは、階段の中間辺りの肖像画が飾られている高さに立ち、少女の首根っこを掴んでぶら下げる。

  「ほぅ・・・。随分と偉くなったもんだな、たかが魔女の分際で。よかろう。離してほしいのなら、ここから真っ逆さまに落としてやろう。」

  「いやーっ!!ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!!!ハンヌ!モルダン!助けてー!!!」

  少女が叫ぶと、どこからかカラスと黒ネコが姿を現し、シャルルに落とされそうになっている自分の御主人を眺めている。

  「シャルル、それくらいにしておけ。」

  「チッ。」

  「だ、誰?」







  「ロイヤス・ミシェル、よろしくね。こっちのカラスがハンヌ、黒ネコはモルダン。みんなミシェルって呼ぶから、適当に呼んでね。」

  「で、何しに来た。」

  相当ミシェルが嫌いなのか、それとも魔女が嫌いなのか、不機嫌を隠そうともせず、逆に見せつけるようにしているシャルル。

  目を合わせようともせず、モルダンの顎を人差し指でずっと摩っている。

  モルダンは気持ちよさそうに目を細めながら、ゴロゴロを喉を鳴らしていると、急にミシェルの真剣な声が聞こえてきた。

  「魔女狩りが、始まったの。」

  「・・・・・・。」

  一瞬だけ指の動きが止まったように感じたが、また摩り始めると、モルダンはピクッ、と反応してミシェルの許に擦り寄っていく。

  仕方なく、ため息をついて視線をミシェルの方に向けると、シャルルよりも先に光が声をかけた。

  「なんでまた急に?」

  「わからない。でも、首謀者はわかってるわ。」

  「首謀者?」

  「“ガウラ・ファウスト”と“シレ―ヌ・テノ―パル”、それから“ミラー”の三人。特にミラーはいつ現れるかも分からないから、気をつけないと。」

  頭にずっと疑問符を浮かべている友也は、きっと唯一話についていけてないのだろうが、そもそも話を聞いてよいものかとも思いはじめた。

  そーっと城から抜けだそうとした友也だったが、音や動きなど、人間には無い感覚や人間より優れた五感を持っている、この部屋の動物たちが、それを簡単には許してくれない。

  ついでに、シャルルも友也が出て行こうとしたことに気付いて、近くにあったテーブルの上にあったフォークを投げると、友也の顔の横スレスレを通って、ドアに突き刺さった。

  血の気も引く衝撃に、友也はぎこちなく身体を反転させる。

  「誰の許可を得て出て行こうとした。」

  「いや、俺関係無い、です。それに、よく分かんないし・・・。」

  頭をかきながら自嘲気味に笑う友也に、光が親切に教えようとしたのだが、人を子馬鹿にしたように笑うシャルルが、偉そうに言う。

  「ククク・・・・・・ハハハハハハハハハハ!!!本当に貴様は低能だな!一から教えないと分からないのか!仕方ない・・・・・・。俺がその小さな脳味噌にも理解出来るように説明してやろう!」

  「いや、結構・・・。」

  断ろうとした友也だが、拒否さえ掻き消されてしまう。

  「いいか!ファウストはいわばブラック・ドッグのことだ。貴様のような人間なら、一度吠えただけでも殺せる。シレ―ヌはローレライだ。セイレーンといってもいい。最後のミラーはドッペルゲンガ―のことだ。以上。」

  説明すると言ったわりには、とても大雑把でアバウト、もっと言うと説明不足といっても良いくらいに、シャルルの説明はすぐに終わった。

  人物紹介をシテ欲しかったわけでは無かった友也だが、なんとなくは分かったようだ。

  説明をした本人はとても充実した時間だったようで、歓喜のワインを呑み始めてしまったため、友也は詳細を光に聞く。

  光の隣に座っていたミシェルも話に入って来たかと思うと、黒ネコのモルダンが友也の傍に歩み寄り、頬を擦り寄せてきた。

  「ま、シャルルの説明で大体合ってるんだけどな。」

  光の説明によると、ブラック・ドッグというのはケルベロスのような生き物で、叫び声が凶器となる動物のようだ。

  角や牙が発達していて、人一人くらいなら簡単に殺せる力があるという。

  続いてのシレ―ヌとは、ローレライとかセイレーンとか言っていたが、簡単に言うと人魚のことらしい。

  昔から船乗りの間では不吉の象徴とされていて、唄を聴いてしまうと、海の中に引きずり込まれてしまうという話もある。

  人魚姫のような話もあるが、実際のところ泡になるのかは不明だ。

  最後のミラーとかいうのは、先程シャルルも言っていたように、ドッペルゲンガ―のことで、決して本人と出会う事は無いが、三人とも会うと“死”を連想させる存在ということだ。

  「あ、それよりミシェル、魔女狩りって、お前の友達とか家族は?隠れてるのか?」

  光の質問に、ミシェルは口を固く結び、下の方を向いてしまった。

  「わからない・・・・・・。魔女狩りが始まったって聞いて、私だけ先に逃げてろって言われたから・・・・・・。」

  ミシェルを慰めるように、モルダンがミシェルの前に座り、首を傾げて見上げる。

  「魔女狩りって、何が起こるんだ?」







  友也が光に訊ね、光がそれに対して答えようとすると、なぜか今まで黙ってワインを呑んでいたシャルルが答え出した。

  「魔女裁判にかけられ、九十九・九%磔にされて火炙りだ。」

  「ひ、火炙り!?」

  「だが、たまにアイアン・メイデンでメッタ刺しになる場合もあるがな。どちらにせよ、美しくは死ねないということだ。」

  あまりに現実離れした内容に、友也は顔を真っ青にする。

  「それにしてもミシェル。お前、自分だけのうのうと先に逃げてきたのか。情けない。お前も魔女のはしくれなら、それなりの術があっただろう。」

  「シャルル、止めろ。」

  「そうだぞ、都賀・・・シャルル・・・・・・?」

  ミシェルが膝の上で拳を作り、ギュッ、と強く握りしめているのを見て、光も友也もシャルルを非難する。

  だが、シャルルは表情一つ変えずに友也たちの方を目を細めて眺め、バサッ、とマントを動かしながら後ろを向く。

  そして、一旦は背を向けると、顔を少しだけ友也と光に戻した。

  「貴様らも、他人事ではないんだ。そんな甘い事を言っている暇があるなら、自分のことくらい自分で守れるように、せいぜい気を引き締めることだな。」

  シャルルが腕を伸ばすと、そこにコウモリが飛んできて止まる。

  カラスのハンヌはシャルルが気に入らないらしく、階段の手すりに止まったままシャルルをずっと睨み、叫んでいる。

  ゆっくりと赤い目でハンヌを見ると、シャルルは八重歯のような小さな牙を見せつけると、力の上下関係を認識したハンヌは、すぐに大人しくなる。

  階段を一歩ずつ確かめるように歩いていくと、中段くらいの場所でシャルルは止まり、その場で身体を反転させ、友也たちの方を見た。

  「魔女狩りによって魔女がどうなろうが、俺には関係ない。だが、俺の邪魔をするようであれば、誰であろうとこの手で息の根を止めてやる。」

  黒で覆われた身体はよく見えないが、暗闇にぼんやりと浮かび上がる充血したような赤い目だけが、気味悪く、だが頼もしく光る。

  シャルルの言葉を聞くとミシェルの顔にも緩みが生じ、光もやれやれといった感じにため息をつく。

  その夜も城で寝てしまったらしい友也は、光によって家まで届けられたとか。

  「シャルルも手伝えよ。」

  「なぜ俺が手伝わねばならない。」

  「見れば分かるだろ!?石黒はシャルルよりも俺よりもデカイんだぞ!?俺一人で運ぶのが大変だってことくらい、賢いと豪語してるシャルルになら分かるはずだろ!」

  「さっぱりだ。意味不明だ。貧血気味のようだ。」

  「・・・・・・後で覚えとけよ。」

  「覚えておく価値があればな。」







  「石黒君、おはようございます。」

  「・・・・・・おう。」

  「顔色が悪いですよ?保健室に行った方がいいんじゃありませんか?」

  ニコニコと満面の笑みで近づいてきた侑馬に、若干ビクビクしながら顔だけを侑馬に向けた友也の目に映ったのは、いつも通り周りに女生徒を引きつれた侑馬の姿だった。

  これは現実なのか、それとも現実に忠実に似せた夢なのか、はたまたこれが間違いなく現実であって、二回ほどの悪夢を見たに過ぎないのか・・・・・・。

  友也の中で整理がつかないまま、侑馬は周りの女生徒を気にすることなく会話を続ける。

  「先生には僕から言っておきますから。無理しないでくださいね。」

  「お、おお。サンキュ・・・・・・。」

  ガタッ、と椅子から立ち上がって教室のドアに向かって歩くと、なぜだか友也の背後から、複数の足音が続いてくるのが聞こえた。

  振り返ってみると、友也の後ろを侑馬がついてきていて、さらに侑馬の後を女生徒たちが続いている状態だった。

  「な、なんで着いてくるんだ?」

  「僕、保健委員なんですよ?学級委員もやってますけど。」

  着いてこなくていいと言おうとしたが、丁度チャイムに掻き消されてしまったため、女生徒達は自分の教室や席へと戻って行き、侑馬だけは同行することとなった。

  他の教室からわざわざ来るなど、友也からしてみれば有り得ない感覚であったが、それよりも今は、自分の二、三歩後をついてくる侑馬が気になって仕方が無い。

  光が心配して見ていたような気もするが、ニコニコ笑っている侑馬の善意を断る事も出来ずにいた。

  保健室についてノックをして入ったが、中に保険医の先生の姿は見られなかった。

  「ああ、先生は出張のようですね。」

  入口に張ってある、『保健室』・『職員室』・『外出中』・『帰宅』・『出張』・『校庭』・『その他』と書かれた紙の『出張』の部分にマグネットがくっついているのを見て、侑馬が口に出したようだ。

  鍵はなぜ開いているのだろうという疑問もあったが、侑馬の手にいつの間にかあった鍵を見て、侑馬が開けたことは判断出来た。

  鍵を持っている理由はさておき、友也はベッドへと直行し、上履きを脱いで横になり、頭まで布団を被った。

  そのまま静かに寝かせてくれればよかったものを、侑馬が独り事を言いはじめた。

  「それにしても、石黒君が体調不良なんて珍しいですね。何か落ちてるものでも拾って食べたんですか?ハハハ。所詮、三秒ルールなんて迷信ですからね。気をつけてください?体調不良といえば、隣のクラスの・・・ええと、誰でしたっけ。まあ、いいか。その人も、君みたいに拾い食いをしたようですよ。お腹を壊して今日お休みしてるらしいです。トイレに駆け込む人をたまに見かけますけど、ああいう人ってちゃんと間にあってるんですかね。その前に、何を食べればあんなにお腹を壊すのか、僕には理解出来ないんですけど、石黒君は・・・・・・。」

  「うるっせぇぇよ!都賀崎!そもそも俺は拾い食いなんかしてねぇ!」

  ベラベラと喋っていた侑馬に苛立ち、友也は思わず頭まで被っていた布団を持ち上げて顔を出し、怒鳴り散らしてしまった。

  しまった!と思った時にはもう遅く、ニコニコ笑った口元を変えないままの侑馬が、保険医の先生の椅子を持ち出して腰を下ろし、ゆっくりした動作で足を組む。

  両手を近づけ全ての指を絡ませると、肘を膝につけて、絡ませた指の上に顎を乗せる。

  ニッコリと一度大袈裟な笑顔を作ると、その表情を崩さずに口先だけに棘を見せた。

  「石黒君、良い度胸してますね。」

  背筋がゾクッ、と一瞬にして凍りついたかと思うと、友也は頬を引き攣らせながらもなんとか笑顔を繕う。

  人には表の顔と裏の顔があると言うが、ここまではっきりと分かれている人がいるのだろうか。

  いや、例えいたとしても、純白を纏った天使から、漆黒を喰い尽くす悪魔へ、天国から地獄へ、善から悪へ、天から地へ、日常から非日常へといとも簡単に突き落とせる人など、存在し得るのだろうか。

  「すみませんでした。」

  「いいんですよ。気にしないでください。僕もお喋りが過ぎましたね。」

  フフフ、といつもの笑顔に戻った侑馬を見て、友也の心臓の心拍数は正常値へと戻っていく。

  椅子に座り足を組んだままで足をプラプラ動かす侑馬に、友也は何処かに行って欲しいと心で願うが、そんなもの通じるわけもなかった。

  また頭まで布団を被ると、次第に暖かくなっていくのを感じ、眠気に襲われる。

  無駄な抵抗をすることも許されないまま、友也の瞼は下へ落ち、脳の思考も停止して眠りについた・・・・・・。







  友也が次に起きたのは、すでに陽が落ちた頃だった。

  どうして起こさなかったのかと侑馬に文句の一つでも言おうと、教室に早足で向かってみたが、教室にはすでに誰も残っていなかった。

  ため息をついて自分の鞄を持ち、下駄箱に向かって歩き出すと、そこに人影が見えた。

  「あ!都賀崎!」

  そこにいたのは侑馬で、少し距離はあるものの確実に届く声の大きさを出したが、侑馬は顔を向けると何も言わずに何処かに行ってしまった。

  追いかけようとした友也だが、ふいに後ろから声をかけられた。

  「石黒、どうした?」

  「大柴。今、都賀崎がいたんだけどよ、無視されたんだよ。ったく。」

  「・・・都賀崎が?」

  「ああ。」

  表情が険しくなった光は何か思いつめた後、今日も侑馬の城に行くかと友也に聞く。

  続けて夜城へと行っているためか、なかなか睡眠時間が取れないことを伝え、友也は先に帰っていった。

  友也が自宅に向かって帰るのを確認すると、光は友也とは逆方向に歩き出した。

  自分の家に着いた友也は、久しぶりに感じる自分の部屋、自分のベッドに横になると、抱きつくように勢いよくダイブした。

  下から母親がお風呂に入れだのご飯を食べろだの叫んでいるが、それよりも睡眠が優先されてしまい、友也は先程保健室で寝たというのに、またぐっすり寝始めた。

  友也の家の外にいる影に気付かぬまま、夢の中へと誘われて・・・・・・。

  森の中の霧を抜けてさらに奥へと進んだ場所にある、茨に呑みこまれそうな城のドアを開けると、光は名前を呼ぶ。

  「シャルル!いるか?」

  ポツ、ポツ、と蝋燭の火が灯りだし、階段の上から全身黒に覆われた男が、欠伸をしながら下りてきた。

  「当たり前だ。俺の城だからな。」

  頭をボリボリかきながら下りてくると、定位置に座って足を組み、自らワイングラスにワインを注いで口へと運ぶ。

  香りの違いも味の違いも光には分からないが、シャルルには分かるようだ。

  三分の一よりも少なくワインを注ぎ、ゆっくりかきまわしながら香りを嗅ぐと、少しだけ口に含んで舌で味わう、それの繰り返しだ。

  ミシェルによって割られたガラスから、光のフクロウであるストラシスが入ってきて、光の肩へと向かって飛んできた。

  「それより、シャルル。今日、何時ごろ学校出た?」

  「なぜだ。」

  「いいから。」

  「・・・・・・はぁ。確か、五時前だ。」

  「・・・。もしかしたら、石黒がミラーを見たかもしれない。」

  光の口から出てきた名前に、シャルルの動きはピタリ、と止まって視線だけが光の方に動いた。

  「・・・・・・何だと?」

  いきさつを簡単に話すと、聞いているのかいないのか、頷きもせずにワインを注ぎ直して何度も味わって飲んでいた。

  「なるほど。それは確実にミラーだな。あの馬鹿は気付かなかったのか。」

  「仕方ないだろ。大方の人間は体験も経験もしないんだ。」

  「なんにせよ、早速敵情視察に来たか。と同時に、宣戦布告というわけだな。」

  「どうするんだ、シャルル?」

  組んでいた足を優雅に下ろし、椅子から立ち上がって階段を上がっていくと、窓から見える月を眺めてニヤリ、と笑う。

  小さな牙が月に反射してキラリ、と光り、赤い目が月さえも呑みこむように輝いている。

  「勿論、果たし状として受け取ろう。」

  バサバサッ、とシャルルから発せられた殺気に反応したのか、ストラシスだけでなく、シャルルの許に来ようとしていたジキルとハイドまでもが、怖がって部屋の隅の方へと逃げた。

  部屋の一室を借りているミシェルが起きてきて、シャルルの殺気に驚いて思わず光の近くにまで向かうと、光も一歩後ずさる。

  徐々に殺気は薄れてきて、ストラシスは光の肩に戻り、ジキルとハイドはシャルルの許へと向かって行った。

  「ミシェル。」

  「な、なに?」

  いきなり名前を呼ばれ、ミシェルはビクッ、と肩を揺らして返事をすると、シャルルは人差し指をビシィッ、と向けて偉そうに命令する。

  「魔女狩りの現状を調べてこい。今すぐだ。行け。」

  「ば、馬鹿じゃないの!?私だって殺されるかもしれないのよ!?」

  「魔女なんだから変装でもしていけ。頭使え。馬鹿が。」

  「あ、そうか。・・・じゃなくて!!!シャルルが行ってくればいいでしょう!?どうせ空飛べるんだし、魔女じゃないんだからリスク少ないじゃない!」

  「やかましくて五月蠅くて我儘で面倒で自分勝手で魅力の無い女だ。俺がお前の為にわざわざそこまでする理由がどこにある?お前が持ち込んだ問題だ。お前が動くのが筋だとは思わないのか?それともお前はそう思わない神経を持っているのか?そうだとすれば是非解剖して調べてみたいものだ。そんな神経を持っているのであれば、きっと高く売れるかもしれないな。そうなると問題点として、お前のような口煩い女を欲しがる輩はいるのか、というのが挙げられる。もしも売れ残った場合、恥をかくのはこの俺だ。となると・・・・・・。」

  「わかったわよ!」







  散々なことを言われたミシェルは、借りている部屋に戻ってシクシク悲しみに明け暮れるのであった。

  冷酷非道を具現化したような男は、呑気に欠伸をしている。

  自分が言った事でミシェルが傷ついていることにも気付いていないのか、それとも気付いていながら無視しているのか。

  どちらにせよ、ミシェルが泣こうと喚こうと、自分の計画を変更する気はさらさら無いようだ。

  椅子に座って足を組み、光が持ってきた新聞を読んでいると、とある記事を見つけた。

  『謎の船沈没事件!犯人は“人魚”!?』

  通常の人間であれば、そんなものくだらないと思うか、それとも興味はあるものの信じないか、信じていても心の底ではいないと思っているかだ。

  例え人魚を実際に見た漁師がいたとしても、夢でも見たと思われるか、嘘をついていると思われるのが関の山だ。

  人魚姫でも無ければピーターパンの世界でも無いのだから、いたしかたない。

  だが、そんな普通はスル―しても良い記事を、シャルルはやる気の無い表情のまま無言で読み耽っている。

  記事には写真もついていて、シャッターを切ったときに汚れたと思われる黒い物体が大きく映し出されていた。

  しかし、シャルルや光には、それが魔女狩りを仕掛けた奴らの仕業であることは容易に判断できた。

  大きく映し出されているのは、決して汚れなどでは無い。

  それは、シャルルたちに向けられた“死”を予告するであり、人間のものか、それとも動物のものかは分からないが、血液であることに間違いは無い。

  新聞を折りたたんでテーブルに放り投げると、シャルルは欠伸をする。

  ジキルとハイドが、森で捕まえてきた餌を貪っているのを、まるで我が子が食事に没頭しているのを見るように、口元を緩めて微笑んで見る。

  「で?友也には忠告したのか?」

  「何を?」

  生肉に齧り付いている光は、シャルルの方を見ようともせずに食事に夢中だ。

  光の隣のテーブルの上には、いつの間に用意したのか、フクロウ用の木のオブジェのようなものが置いてあり、ストラシスはそこで休んでいた。

  大きな目を見開き、首をグルグルと移動させて餌が無いかを探している。

  光の返事を聞くや否や、頬杖をついて光の方を見ていると、シャルルからの気を感じ取ったジキルとハイドが、光の方へと向かって飛んでいく。

  バサバサと光の許で暴れると、ストラシスは光の方を見はしたものの、ただ見ていただけ。

  やっと生肉から視線を外してシャルルの方を向くと、ジキルとハイドは大人しく餌の場所へと戻っていった。

  「ヴェアル、何の為にお前を呼んだと思ってる。」

  「俺に食事を与えるためだ。」

  「・・・・・・ほぅ。そういう覚悟なのだと判断していいのだな?」

  棘でもなく毒でもない、だが光の心臓をビクつかせるのには十分すぎるほどの視線を送ると、光は大袈裟に笑顔を繕う。

  冷や汗を垂らしながら笑っていると、シャルルに「不気味だ」と言われた。

  「忠告って、ミラーのことだろ?言ったって防ぎようがないだろ、あれは。そもそも、石黒は魔女狩りにも、俺達のいがみ合いにも無関係だ。あ、それとも、何だかんだ言って、石黒をイザコザから助けようとしてるのか?いやー、シャルルも成長したなー。」

  「よかろう。今すぐお前の血液の九割を吸い尽くしてやろう。」

  「悪かった。」

  鋭く突き刺さるようなシャルルの言葉に、光はすぐ自分の身に起こることを理解出来、反射的に椅子から立ち上がって土下座をして謝罪した。

  自分の耳にシャルルのため息が聞こえてくると、ゆっくりと顔を上げて身体を起こし、もう一度椅子に座る。

  途中の生肉を恨めしげに見つけていると、シャルルの刺々しい視線を感じ、シャルルの方を見る。

  目を細めていたシャルルだが、光と目を合わせるともう一度話し始める。

  「最も優先すべきことは、魔女狩りの廃止。ミラーやファウストたちのことは二の次でいいだろう。友也の身の安全など、最後の最後の最後、最後尾で構わん。そもそも、あいつがいると話が進まないのは何故だ。単細胞なのか?」

  「住んできた環境が違うんだ。仕方無いだろ。」

  「ミシェル!早く行って来い!」

  「話聞けよ。」

  シャルルが叫んでから数分で出てきたミシェルは、女の子とは思えないほどに険しい顔をしていて、睨みつけ、舌打ちの連続をする。

  些細な抵抗をしていたが、シャルルに一睨みされただけで大人しくなる。

  「じゃあ、ジキルかハイド貸してよ。」

  「ハンヌでもモルダンでも連れていけ。」

  「だってジキルかハイド連れて行けば、私に何かあった時、シャルルにすぐ連絡してくれるでしょ!?ハンヌもモルダンも私の可愛い家族だから、怪我させたくないなんて思っていないからね!だから連れて行っていいでしょ?」

  「お前の血液の半分を俺に上納するなら考えてやろう。」

  いつまでも終わらない二人の言い合いに慣れている光は、ミシェルに自分のストラシスを連れて行って良いと言うと、不満気な顔をされたが、それで納得してくれた。

  「はぁ。こいつら疲れる。」







  魔女狩りの現状を調べるために、ミシェルが変装をして一人で偵察に向かったあと、光は残されたモルダンに餌を与える。

  ハンヌは勝手に餌を取って食べるため、どうでもいいのだが、モルダンにはあげないわけにはいかない。

  時間になると、ニャー、と鳴きながら近づいてきて、お座りをして待っているのだ。

  それは学校にいる間も同じで、光と侑馬の後をついてくると、そのまま学校の敷地に入ってきてしまい、友也と共に面倒を見ている。

  「へー。大変だな、大柴も。」

  「まあな。最近、石黒が一番の理解者になりつつある。」

  二人同時にため息を吐いたところで、一番の問題である侑馬がやってきた。

  「おやおや。猫を学校に連れて来てはいけませんよ?君たち、規則も守れないようでは、停学処分になってしまうかもしれませんよ?」

  クスクスと天使の頬笑みを撒き散らしながらやってきた侑馬は、体育館の裏の階段に腰掛けると、野菜ジュースにストローをさしこむ。

  チューチュー吸いながらモルダンを眺めていると、侑馬の方にフラフラ近づいてきて、モルダンは首を捻りながらも侑馬の足に懐いてきた。

  「意外と動物には好かれるんだな。」

  特に深く考えないで言った光の言葉を聞くと、侑馬は野菜ジュースの側面を思いっきり潰し、光にぶちまけた。

  ニコニコ笑いながら謝ると、綺麗に畳んであるハンカチを光に渡す。

  また階段に戻ると、モルダンは侑馬を待っていたかのようにまた寄り添い、言葉通りの猫撫で声を出す。

  モルダンを抱きかかえて自分の膝の上に置くと、頭から背中にかけて撫でる。

  「よければ、先程の“意外と”と“動物には”の意味の詳細を教えていただけますか?」

  「い、いや。お、思った通り、動物にも、好かれるんだな・・・。都賀崎君って・・・。」

  光の訂正した答えにニッコリと微笑むと、侑馬は階段から腰を上げて、モルダンを光に手渡して教室の方へと向かって歩き出した。

  だが、モルダンは侑馬の後ろをついていく。

  人には全く好かれないというのに、こうも動物に好かれるのが何故だろうか、それともモルダン限定なのだろうか、猫限定なのだろうか、と余計な事を考えていると、今度は友也にモルダンを引き渡してきた。

  今度はしっかりと抱き抱えてみたが、友也に抱きかかえられた瞬間、爪で手の甲を引っ掻いて、また侑馬の許に擦り寄っていった。

  女生徒達に向ける笑顔のまま、モルダンの首根っこを掴みあげ、強めに光に向けて投げつけると、その後すぐにダッシュして逃げて行った。

  ポカン、と口を開けて見ていると、モルダンは侑馬の後を追いかけて行ってしまった。

  「どうする?」

  隣で同じようにボケッ、としている友也に聞くと、口の斜め下あたりを指でかきながら、面倒臭そうに答えた。

  「あー・・・放っておいていいんじゃね?好かれてるわけだし。」

  「・・・・・・だな。」

  二人はじめじめした体育館裏から出て、お日様の下へとまいもどった。

  午後の授業開始時刻が近づき、教室に戻ってみると、侑馬の席にはいつも通り女生徒たちが群がっていた。

  その中心には、ニコニコと笑顔で対応している侑馬と、侑馬から離れようとしないモルダンの姿があった。

  女生徒たちはキャーキャーと騒いでいて、『可愛い』を連呼している。

  チャイムが鳴ってようやく侑馬から離れて散らばるが、モルダンはチャイムはが鳴ろうと先生が教室に入ってこようとお構いなし。

  ずっと侑馬の膝の上で寝ていたのだ。







  「いい加減にしろ、モルダン。お前の主人は今出かけているんだ。大人しく部屋で待っていろ。」

  「寂しいんだよ、きっと。どうせミシェル今日か明日には帰ってくるんだろ?一日二日くらい、一緒に寝てやれよ。」

  学校にいる間、掃除中、トイレに行くときも、そして帰り道もずっと侑馬から離れないモルダンは、城に戻ってきた今もシャルルから離れない。

  モルダンの世話をさせようと光を連れてきたが、友也も猫を飼っていると聞いたため、友也も連れてきて、なんとか自分から遠ざけるように言う。

  だが、光や友也が抱こうとすると、モルダンはやけに嫌がる。

  匂いなのか動物の本能なのか、それとも単にシャルルが好きなのか、それはモルダンにしか分からないが、ジキルとハイドは遠くから嫉妬するように見ている。

  一方、ストラシスを貸してしまった光は、何か物足りないため、カラスのハンヌで我慢している。

  「分かった!」

  「何がだ。」

  いきなり口を開いた友也は、得意気に胸を張って答えた。

  「きっと、ミルクの臭いがするんだよ!」

  「・・・・・・察するに、俺がか?」

  「当然だろ。誰の話してると思ってるんだよ。」

  「・・・・・・。光、棺桶を用意しろ。」

  「わー!止めろ、シャルル!それだけは勘弁してくれ!」

  自分からミルク、つまり赤ちゃんのような臭いがしていると聞けば、誰でもいらっとくるだろう。

  容易に想像できたであろう結末を考えもせずに発した友也の言葉に、平常心を失いかけたシャルルが牙を向けたため、慌てて光が止めに入る。

  光の必死の行動のお陰で、なんとか棺桶の用意もしないで済みそうだ。

  椅子に乱暴に座って足を組み頬杖をついたシャルルの許に、またモルダンがやってきて、ニャー、と可愛げに鳴いたが、シャルルは無視をする。

  「おいでおいで。」

  あまりに健気なモルダンを不憫に思った光が、掌を上にして呼び寄せるが、今度はモルダンが光を無視する。

  両膝と両掌を床について落ち込む光に、友也がポンポン、と優しく慰める。

  一向にシャルルから離れようとしないモルダンを睨みつけても、シッシッと手で払ってみても、靴のつま先部分に前足を乗せてきたモルダンを、足首を動かして退けようとしても、なかなかしぶとい。

  激しく足首を動かしているうちに、シャルルの方が疲れてしまい、諦めてため息を吐く。

  ゴロゴロとシャルルの足下で寛いでいるモルダンを見て、シャルルとは違う意味で光はため息を吐く。

  ジキルとハイドはシャルルに近づきたいのに近づけず、もどかしそうにピクピク身体を動かしていると、光が諦めモードで手招きをしてきた。

  互いに顔を見合わせると、一旦シャルルの方を見て、シャルルは欠伸をしながらモルダンと足で遊んでいる為、光の許へと飛んでいく。

  飛んできてくれたジキルとハイドに、光は潰れるのではないかと思うほど強く抱きしめた。

  その様子を眺めてた友也は、コウモリに抱きついている光の神経を疑いながら、シャルルは意外と動物好きなのだと理解した。

  「遅い。」

  モルダンとじゃれ合っていたシャルルが、いきなり口を開いた。

  「何が?」

  「ミシェルだ。どうしてこんなに時間がかかる。片道九時間もあれば行けるはずだろう。魔女狩りの進行具合、被害状況、ミラー達の動き、それらをまとめて報告書で出せと言っただけだぞ。なのにどうしてこんなに時間がかかる。どうしてこれほどまでに時間を喰う?どうやったらこんなに無駄な時間を過ごせる?一体どういう調べ方をしていたらここまでかかる?」

  「そのへんにしておけ、シャルル。だいたいにして、報告書にしろって、なんでそんな無意味なことさせるんだよ。どうせ読まない癖に。」

  「読む価値があれば読む。」

  「またそうやって・・・。」

  ジキルとハイド、そしてハンヌによって、ストラシスのいない寂しさから回復しつつある光に制止されると、シャルルはまたギロリと軽く睨む。

  足下にいるモルダンがシャルルの膝に乗ると、それを見て光は悔しそうに拳を作る。

  普通の学生なら遅くても寝ているであろう午前三時過ぎ、友也はダウンしてテーブルにうつ伏せになって寝ていた。

  気持ちよく夢を見ながら寝ていると、いきなり、ガシャーン、と以前にも聞いたことのある大きな物音が耳を貫通する。

  一気に心臓が飛び起きて、それにつられて身体もゆっくり起き上がる。

  ジキルとハイド、ハンヌはバサバサと翼をばたつかせて、音とは真逆の方へと飛び立ってしまい、モルダンはビクッ、と反応するとシャルルの膝で丸くなった。

  頬杖をつき、音のした方を横目で見ながらため息をついたシャルル。

  「お前はまともに飛ぶことも出来ないのか。」

  「ちょっとは私の心配してよー!!!馬鹿ー!!!」

  箒に乗っていたのか、手に箒を持ちながら階段を下りてきたのは、変装を解いて普段の魔女服に戻ったミシェルだ。

  少し遅れて、空からストラシスがやってきて、光の許へと優雅に飛んできた。

  「ストラシスー!!!!!」

  「ヴェアル、五月蠅い。」







  感動の再会を果たした光とストラシスに、全く興味の無いシャルルは、膝の上に乗ったままのモルダンの背中を撫でる。

  ハンヌはすぐにミシェルの許により、箒の先端に止まった。

  一方、シャルルを取られたままのジキルとハイドは、獲物を狙う目つきでモルダンを睨み、徐々にシャルルの方へと近づいていく。

  モルダンはそれに気付いていながらも、シャルルに撫でられているのか気持ちいいのか、全く動こうとしない。

  ズンズンと大股で歩いてくるミシェルに、シャルルは欠伸をして無反応を示す。

  「元気そうでなによりだ。」

  「元気なわけないでしょ!!!ふざけんじゃないわよ!!」

  「それだけ耳障りな声が出せれば問題ない。何が分かった。」

  歯をギリギリと噛みしめながらも、隠れ家として住まわせてもらっている以上、ミシェルは文句を言う事も出来ずにいる。

  マイペースに話すシャルルの前に、数枚の紙をバンッ、と勢いよく叩きつけるように置いた。

  どこからかコピーを取ってきたのか、それは今回の魔女狩りの首謀者とされている三人について書かれたものだった。

  写真もクリップで止められており、事細かに素情が載っているのを、シャルルは軽く目を通していく。

  「モルダン~おいで~。」

  自分の傷ついた心を癒そうと、ミシェルはシャルルの膝に乗っているモルダンに声をかけ、手招きをするが、モルダンはシャルルの膝の上で気持ちよさそうに目を閉じていた。

  「ちょっとどういうことよ!?私がいない間に、モルダンを口説くなんて!!!なんでそんなに懐いてるのよ!?キーッ!!!」

  「馬鹿も休み休み言え。・・・・・・いや、休んでも言うな。」

  ペラペラと適当に捲り、全ての用紙がテーブルに下りると、シャルルはミシェルの資料を光に投げつけた。

  いきなりのことだったが、光は難なく受け取ると、同じように簡単に中身を読んでいく。

  膝に乗っているモルダンの毛並を一本一本揃えるように丁寧に撫でながら、シャルルはまた根そうになっている友也を見た後、天井で逆様になっているジキルとハイドに視線を移す。

  その意味を理解したジキルとハイドは、バサバサと翼を大きく動かしながら、友也の頭上へと飛び立った。

  スレスレどころか、思いっきり友也の頭にぶつかると、何かが自分に当たったことに気付いた友也の目がパッチリと開く。

  辺りをキョロキョロ見渡し、シャルルの前に置いてある、火のついていない蝋燭の上に乗っているジキルとハイドと目が合う。

  「貴様、他人の家で呑気に睡眠を取るとは・・・・・・。そんなに暇を持て余しているのなら、俺が直々に仕事を与えてやろう。」

  そう言うと、シャルルは組んでいた足を床に下ろしたため、当然ながら膝で休んでいたモルダンは床へと置かれてしまった。

  逆側の足を組み直すと、またモルダンは膝の上を目指してジャンプしてくる。

  シャルルに嫌がらせを受け、さらに上から目線の言葉を浴びせられた友也は、ピクッと頬を引き攣らせた。

  「てめぇ・・・・・・。俺だって好きで此処に来てるんじゃねぇぞ!?それに、普段はもう夢の中の時間だっつーの!あ、お前らって、いつ寝てるんだ?」

  自分は夜寝ているが、シャルルと光に至ってはいつ寝ているのか分からない。

  その事に今更気付いた友也がシャルルに聞いてみるが、聞こえていないフリをしてモルダンとじゃれている。

  光の方に視線を向ければ、ストラシスとの再会をまだ噛みしめている。

  ミシェルは疲れているのか、ハンヌを連れて借りている部屋へと戻っていってしまい、友也は誰からの答えも得る事は出来なかった。

  だが、部屋に戻ったはずのミシェルはすぐにまた下りてきて、偉そうに足組みをしているシャルルの近くの椅子に腰かけた。

  「・・・・・・。お母さん達も友達も、みんな捕まってたわ。」

  「そうか。ならすぐに喧嘩吹っかけに行った方がいいな。」

  物騒な事を口走ったシャルルに、友也は思わず顔を顰める。

  ストラシスとの再会を十分に堪能した光が会話に参入すれば、ミシェルも、シャルルよりも親しみやすい光に話を進めていく。

  「すでに数人が犠牲になってて、その中には、まだ魔女になっていない幼い子もいたの。もう、私どうしたらいいのか分からなくて・・・。」

  「魔女狩りによって捕まった魔女たちは、裁判も受けること無く裁かれていく・・・。単なる殺戮と一緒だな、それは。」

  眠気に襲われる友也は、二人が真剣に話をしている間、ウトウトと船を漕いでいた。

  そんな安眠のひと時も、この場にいるたった一人の悪魔のような男によって、簡単に遮られてししまうこととなった。

  テーブルを思いっきり下から足で蹴飛ばすと、友也だけでなく、光とミシェルまで驚いた顔でシャルルを見る。

  「魔女狩りが始まってから魔女が死刑にされるまでの平均日数は約七日。平均時間にすると約百五十九時間。つまり時間との勝負だ。早ければ早いほど生存者数は増え、遅くなれば遅くなるほどそれは急激に減っていく。助けたいなら今すぐ行ってこい。」

  「いや、シャルル?行って来いって・・・お前は?なんで棺桶用意してるんだ?なんで寝ようとしてるんだ?」

  言うだけ言って、自分は寝ようとしているシャルルに、光は誰よりも先にツッコミを入れると、シャルルは目を半開きにして言う。

  「最近不眠続きでな。それに加え、俺の欲を満たすほどの上質な血液に巡り会えていない。それから、俺は部屋は貸してやると言ったが、力を貸すとは言った覚えは無い。勝手に行って来い。アドバイスはしてやる。」

  そう言うと、シャルルは棺桶の蓋を閉めてしまった。

  その中で本当に寝ているのかどうか、確認のしようがないのだが、残された光たちはこれからどうして良いか分からない。

  「あー・・・。俺も帰っていいか?」

  シャルルよりも寝不足であろう友也が申し訳なさそうに告げると、ミシェルの目には光るものが見え始め、光にも止められたため、仕方なく残ることになってしまった。

  シャルル抜きの三人で計画を立てようとしたが、良く考えてみれば、友也を戦力に入れて良いものか、とても迷った。

  もともとは無関係だった友也を巻き込んだのは、誰であろうシャルル本人なのだから。

  「とにかく、明日は俺も一緒に行くよ。石黒は・・・シャルルの世話を・・・。」

  「なんでだよ!そもそも世話ってなんだよ!こき使われるのが目に見えてるだろ!てか、シャルル・・・ああ、もう都賀崎でいいや。都賀崎なら一人でも平気だよ。絶対。確実に。」

  「まあまあ。」

  なんだかんだ話しているうちに上手く丸めこまれ、友也は結局、シャルルと侑馬の面倒を見ることになってしまった。

  少し休んでから、光はストラシスを連れて、ミシェルはハンヌとモルダンを連れて何処かに行ってしまった。

  ギィ・・・と重い音が聞こえてきたかと思うと、棺桶からシャルルは出てきた。

  「都賀崎、タヌキ寝入りしてただろ。」

  「何の事だ。さっぱり分かりかねる。全くもって理解不能だ。」

  きっとシャルルのことだから、棺桶の中で一通り話を聞いていたのだろうが、起きてきたかのように欠伸をして誤魔化している。

  鈍い動きで定位置の椅子へと座ると、ジキルとハイドがシャルルに近づいてきた。

  「行かなくていいのか?」

  「何故俺がわざわざ行かなければいけない?敵が何処にいるのかも分からないのに、無駄な労力だろう。」

  頬杖をつきながら、眉間にシワを寄せて目を瞑っていたシャルルが、少しだけ目を開けば、赤く染まった瞳だけが存在感をみせつける。

  「で?何考えてるんだ?」

  「何とは?」

  「都賀崎なりの考えがあるから、此処に残ったんじゃねぇのか?」

  「貴様はつくづく馬鹿だな。」

  頬をピクピク引き攣らせながらも、シャルルに対する文句を喉で留まらせることの出来た友也は、グッと唾を飲んでから、口を開く。

  だが、開いた口から声が出ることは無かった。

  シャルルがいきなり立ち上がり、テーブルの上に乗ったかと思うと、友也の方に歩いてきて、そのまま床にスタッと下りたのだ。

  一々テーブルの上に乗った理由は分からないが、何とかと煙は、という言葉が、友也の脳裏に浮かんだことは確かだ。

  大人しくシャルルの後を着いていくジキルとハイドは、それぞれ両肩に止まった。

  「いいか。一度しか言わないから良く聞け。」

  「は?え?ああ。」

  「ミラーはともかく、シレ―ヌとファウストはそれぞれ生息地が限定されている。シレ―ヌは人魚だから、当然海でしか生活が出来ない。ファウストは独りを好む傾向があるため、そういう場所にいる。ミラーは誰にでも姿を変える事が出来ることから、俺達の誰かに姿を変え、その人物以外の奴に接触してくる可能性が非常に高い。よって、俺と貴様は、ミシェルとヴェアルをペアで見なかった場合、その二人に連絡をする。逆に、ミシェルとヴェアルの前に、俺か貴様が現れたら、それも連絡するように伝えろと、モルダンに言っておいた。」

  「?????????えーと・・・・・・。つまり、俺はミシェルって子か光を見つけたら、連絡すればいいってことか?」

  「そうだ。貴様の仕事はそれだけだ。どうだ?実に簡単だろう。猿でも出来るほど簡単なことだろう?」

  言い方に棘があるというよりも、言い方に毒があるというのか、常に人を見下した話し方をするシャルルだが、今の友也の頭はパンク状態で、それに気付くことも出来なかった。

  「ミシェルはあれでも魔女だ。何かあればそれなりに役には立つだろう。ヴェアルも狼男になれば、力では決して負けない。心配事があるとすれば、貴様が足手まといにならないかどうかだな。」

  「俺思ったんだけどよ、そもそもそのミラーって奴、俺のこと知らねぇだろ?俺のこと狙うか?」

  「だから貴様は馬鹿なんだ。」

  いっそのこと、この場でシャルルを殴ってしまおうか、と悩んだ友也だが、僅かに残っている理性を、なんとか繋ぎとめた。

  「ミシェルが偵察に行ったことはもうバレてるだろう。あいつらも馬鹿じゃない。自分達の事を知った奴は皆狙いに来る。当然、普通の人間である貴様のこともな。」

  ごくり、と唾を飲み込んで、自分の置かれた状況を改めて危険だと認識した友也の顔には、不思議と恐怖は無かった。

  シャルルがマントをバサッと広げると、同時にジキルとハイドが飛び立っていき、天井に吊らされているシャンデリアがパァッ、と明るくなる。

  視線をシャンデリアからシャルルに戻すと、いつの間にかシャルルの手にはワインがあった。

  「貴様が何されようが俺には無関係だ。・・・が、あいつらの思い通りに事が運ぶのは頗る胸糞悪い。あいつらの好きにはさせん。」

  思い切りワイングラスを握った為、グラスに罅が入ったかと思うと、予想通りに割れて中身が床を濡らしていく。

  チカチカしてきた電球は再び部屋を真っ暗闇にすると、朝日を感じ取ったジキルとハイドは、建物の裏手の方、じめじめした暗い場所へと戻って行った。

  鳥が囀りを始めると、シャルルはすぐに友也の首根っこを掴んで、学校へ向かう支度を始めた。







  「石黒君、あまり僕から離れないようにしてくださいね?」

  少女漫画の効果音を借りるとするのなら、“キラキラ”が妥当な笑顔を友也に向けている侑馬。

  光が学校を休むことを教員に伝えると、何の疑いも無く納得してくれた。

  いつもの優等生キャラがこんなところで役に立ったようで、侑馬も適当に相槌を打って話を終わらせると、友也を連れて屋上へ向かった。

  すぐに授業が始まるというのに、侑馬は野菜ジュースを飲みながら、景色を眺めていた。

  「お前でもそういう感性があったんだな。」

  「そういう感性、とは?」

  「いや、景色見て綺麗だなって思ったり・・・。」

  女性は勿論、男性でも景色は嫌いではないだろうが、侑馬が景色を見て感動したりすることもあるのだと、友也は思ったらしい。

  だが、それを聞いた侑馬は口は弧を描いたまま、目を細めて哀れんだ表情で友也を見る。

  視線を景色も戻すと、また野菜ジュースを少しずつ飲みだし、口調は変えずに話し始める。

  「景色を見ているわけではありません。ミラーが現れていないかを見ているだけです。」

  「あー・・・なんだっけ?ドッペルゲンガ―?死ぬ前に見るって奴だよな。あ、そういったら、俺都賀崎のこと見たから、お前の方が危ねぇんじゃねぇのか?」

  「僕が先に狙われるにせよ、石黒君が先にせよ、狙いに来る以上、僕達の前に実際に姿を現す必要があります。」

  「???ドッペルゲンガ―って、本人の前には現れないだろ?」

  「多分、直接息の根を止めにきますよ。あの方たちはそういう人なんです。だから僕は君とこうして一緒にいるんですよ?出来ればいたくありませんが。」

  飲みほした野菜ジュースの入れ物を掌で潰すと、侑馬は一人で屋上を出ていった。

  それから少しして授業開始のチャイムが鳴ったため、友也は急いで教室へと向かって走り出した。

  幸い、先生がまだ来ていなかったため注意を受ける事は無かったが、窓から外を優雅に眺めている侑馬を軽く睨みつけてささやかな抵抗をみせた。

  いつものように、侑馬は女子生徒と一緒に過ごすのかと思っていたが、珍しく友也と行動を共にしていた。

  あっという間に下校の時間になり、侑馬と友也は一緒に帰っている。

  「また俺行くのか?」

  「当たり前じゃないですか。それとも、死にたいんですか?」

  ニッコリと紳士的な笑みを見せた侑馬に、友也は顔を引き攣らせ、黙って着いていくことにした。

  だが、途中で侑馬がいきなり立ち止まったため、侑馬の背中にドスン、とぶつかった。

  鼻を押さえて侑馬に文句を言おうとした友也だが、侑馬の表情に浮かんでいるのが、笑みでは無いことに気付く。

  口を開こうとした友也の声は、鼻で笑った侑馬によって遮られた。

  「では、行きましょうか。」

  「???ああ・・・。」

  不気味な侑馬の家へと近づいてきたとき、ふと、また侑馬が立ち止まった。

  同じように友也も立ち止まると、城からはジキルとハイドがお出迎えに来て、侑馬の近くの木の枝に留まった。

  キョロキョロと友也が辺りを見渡して侑馬まで戻ると、いつの間にかシャルルへと姿を変えていた。

  「のわッ!!吃驚した・・・。おい、都賀崎。早く城に行かねぇのか?寒くなってきたぜ?」

  「黙っていろ。」

  自ら望んで来たわけでもないのに、友也はただ寒いその場所で待たされることになった。

  シャルルは目を瞑って耳を澄ませ、何か物音を感じ取っているようだが、当然、友也にそれは何か分からない。

  スッと赤い目が開かれると、シャルルは牙を出して笑いながら、やっと口を開いた。

  「ミラー、そこにいるんだろう。姿を見せろ。」

  「!??!☆△●!?」

  ドッペルゲンガーと本人が出会う事は無いはずなのだが、シャルルは確信を持ったようにそう呟いたため、友也は先程よりも素早く辺りを見渡す。

  だが誰もいないどころか、動物さえいなく、物音一つ友也には聞こえ無い。

  「おい、都賀・・・。」

  崎、と続けようと思った友也の目の前には、隣にいるはずのシャルルと全く同じ格好をした男が、ただ無表情に立っていた。

  赤い目も牙もマントも同じだが、唯一違うとすれば、表情が極めて少ない事だろうか。

  枝に止まっているジキルとハイドも、本物のシャルルの肩に止まり直すと、ミラーのシャルルを警戒し始める。

  ミラーもシャルルも、どちらからも近づくことは無く、しばらくの間睨み合っていた。

  「俺を殺しに来たか。めでたい奴だ。一人で俺に勝てるとでも思っているのか。」

  「・・・・・・。」

  「恰好だけを真似したところで、お前は所詮影の存在。本物には敵わないと分からないのか。それに、俺はそんな変な表情はしない。」

  ちらっとミラーの方を見て確認した友也だが、特に変わった表情はしておらず、いつものシャルルのように、人を見下した顔を多少、しているだけだ。

  だが、その顔が気に入らないのか、シャルルは独り事をひたすらミラーに向かって言いつづけている。

  好きで独り事になっているわけではないのだが、ミラーが話さないのだから仕方が無い。

  一言も発しないミラーに対し大きなため息を吐くと、シャルルはバサッとマントを靡かせ、そのままミラーに向かって飛んでいった。

  首筋に牙をつけるが、ミラーは冷静にシャルルの首筋に牙を突き立てる。

  自分の牙のことを誰よりも知っているシャルルは、少しだけ牙の先を喰い込ませたところで、素早く後ろへと戻った。

  ほんのりと、ミラーの首筋に二つの小さな丸い赤が出来ていて、シャルルの牙には若干の血液がついている。

  自分の首の噛まれた部分を掌で押さえると、ミラーはポケットから何かを取り出して、空中にヒラッと投げた為、ジキルとハイドがそれをキャッチしてシャルルへと渡す。

  そこに書かれていたのは、光とミシェルがいるのであろう場所だった。

  「・・・・・・何の真似だ?俺が助けに行くとでも思ってるのか。」

  「・・・・・・。」

  また何も答えずに、シャルルと友也に背中を向けて帰ろうとするミラーに、シャルルはただ不機嫌そうな顔を向けている。

  ジキルとハイドがバサバサと飛んでいき、ミラーの行く手を阻もうとしたが、シャルルがそれを止めた。

  「ジキル、ハイド、戻ってこい。」

  大人しく戻っていたジキルとハイドを肩に乗せながら、去っていくミラーに向かって、出来るだけ大きな声で言う。

  「てめぇには俺を殺せねぇ。今度俺の前に現れたら、てめぇの不味い血、全部飲み干してやるから、覚悟しとけ。」

  立ち止まることも無く、振り返ることも無く、聞いているのかさえ分からないまま、ミラーは霧へと消えていってしまった。

  くるっと踵を返して城へ入っていくシャルルの後を友也が追って行けば、自然と蝋燭に火が灯り、薄明かりの中、シャルルの赤い目がぼやっと浮かぶ。

  足を組んで頬杖をつくという、いつものスタイルではいるが、足首を小刻みに動かしている。

  「・・・落ちつけよ。」

  「落ち着いている。」

  誰がどう見ても貧乏ゆすりをしているのだが、シャルルは無意識なのか、それとも気付いていながら認めたくないのか、友也の言葉を否定する。

  シャルルから一番遠い席だが、向かい合える席に腰掛けると、友也は欠伸をする。

  「何をそんなに苛立ってんだよ。」

  「俺が苛立ってる?貴様の目は節穴か?そうか、節穴か。」

  「都賀崎、最近一人喋り多いな。そんなに友達いないのか?」

  「友也、良く聞け。」

  文句や厭味でも言われるのかと思った友也は、テーブルにうつ伏せになって、両腕をクロスさせて額にくっつけて寝ようとする。

  だが、ジキルとハイドが今にも友也に襲いかかってきそうだったため、少しだけ顔を上げて、適当に聞き流そうとした。

  「しばらくは城に近づくな。」







  「・・・・・・。ひとつ言って良いか?」

  「なんだ。」

  「来たくて来てたわけじゃねぇんだけど。」

  「よく考えてみれば、ミラー達はそっちでは存在自体が不確かなものになる。」

  「また無視かよ。」

  いつまでもマイペースなシャルルに呆れつつ、友也はふと、シャルルの話した内容に違和感を覚えた。

  顔を全部あげてシャルルを見ると、本人はワインを片手に優雅なものだ。

  「そっちってどっちだ?何の話してるんだ?」

  ワイングラスを揺らしながら月明かりに照らすと、赤というよりは紫にも近い半透明の色が、グラスを通してシャルルの顔を赤く染めている。

  唇にそっと触れてグラスを傾ければ、忠実にシャルルの喉に流れ込んでいく。

  喉仏が動いた事で、ワインが呑みこまれた事を知らせると、グラスをテーブルに置いて友也の方を真剣な眼差しで見た。

  「そもそも、俺達のような存在は、貴様達の世界にはいない。まあ、いないという言葉は適切ではないかもしれないな。架空の存在、もしくは伝説上の生き物、といったところだろう。」

  「ああ、確かに。テレビとか本とか、ネットとか?そういうのに載ってはいるけどな。」

  「この城は貴様たちの世界と俺達の世界の狭間辺りにある。あまり遠いと移動が面倒だからな。俺達とミラー達に何の違いがあるのかは分からないが、ミラー達は俺達ほど貴様たちの世界では身体の維持が出来ない。だから、どのみち貴様は貴様の生活をしていれば危険は無いことを思い出した。」

  連絡をしろだの、城に来て色々とコキ使おうとしていたシャルルは、悪びれも無くケロッと話す。

  シャルルを抗議するために作られた拳を、テーブルの下に隠したまま、友也は引き攣った出来損ないの愛想笑いをする。

  足を組み直すと、シャルルはまた話しだす。

  「ヴェアルとミシェルは生きてるとは思うが、この城にいるのも危険だということが判明した。俺はこれから城を空ける。貴様の監視役としてジキルとハイドをおいていく。もしもまたミラーが貴様の前に現れたら、ジキルとハイドが俺に連絡するようにしておこう。これで満足か?」

  「・・・なんで上からものを言うんだよ・・・。まあ、それでいいんじゃねえか?」

  おおよその事を決めると、シャルルは満足したように棺桶を用意し始めた。

  「待て待て。」

  「なんだ。」

  「おかしいよな?普通吸血鬼って、夜行性なんじゃねぇのか?なんで昼間起きて夜寝るんだよ。人間と一緒じゃねえか!!」

  眠たいのは友也も同じで、というよりも、シャルルよりも明らかに先に寝なければいけないのだが、目の前でこうも堂々と睡眠の準備をされると、流石に色々言いたいらしい。

  棺桶の中に横になり、上半身だけダルそうに出しているシャルルは、キョトンとした顔をしている。

  「夜行性・・・?貴様は俺をコウモリだと思っているのか?確かに吸血鬼は夜に行動することが多い。それは『陽の光の許では力が存分に発揮できない』からだ。太陽の光を浴びたからと言って、身体が燃え尽きるわけでは、決して無い。色々と伝説的なところはあるだろうが、俺は太陽を浴びないとやる気が出ない。体内時計とは実に大切なものだな。」

  「・・・何言ってんの?もういいや、寝ろ。さっさと寝ろ。」

  「俺の睡眠を妨げたのは貴様だ。実に不愉快な奴だな。」

  上半身も全て棺桶の中に収まると、自ら蓋を閉めてしまったシャルル。

  本当に寝たのかは定かではないが、ジキルとハイドまでもが天井に逆様になったまま眠ってしまったため、友也は静かに城を出た。

  霧を抜ければいつもの道に出て、ふと後ろを振り返ると、そこには道らしき道は確認できない。

  自分がどこから来たのかも分からないほどの闇をしばらく眺め、自分の家へと歩き出す。

  家に着いたのは午前二時過ぎのころで、案の定、両親にはこっぴどく叱られたのだが、何を言われても耳には入ってこなかった。

  数日もの間、まともに睡眠時間を取れなったからか、友也はベッドに横になるとすぐに眠りに着いた。







  「ミシェル、大丈夫か?」

  「うん。なんとかね。」

  シャルルも友也もすっかり就寝している頃、光とミシェルは魔女狩りの様子を隠れて見ていた。

  何十人もの女性達がずらっと並んでおり、手首と足首に枷をつけられ、さらには腰に紐を巻いて前後の人と結ばれている。

  鉄製の鎧を着ている男達は、魔女達を次々に牢屋へ入れていく。

  抵抗した時についたと思われる痣が痛々しく、表情が暗くなっているミシェルに気付いた光が、もうその場から離れようと声をかけよとした。

  だがその時、一人の魔女が抵抗を試みた。

  「止めなさい!!ドラーシュ!!」

  「戻ってくるのよ!止めて!!!」

  周りの大人や友人だろうか、叫んでなんとか止めようとするが、当の本人は腰に巻いてある紐を引き千切り、男達に向かって魔法を繰り出そうとする。

  次の瞬間、ドラーシュと呼ばれた少女の身体は、冷たい何かによって貫かれた。

  バタン、と倒れた少女を捕まえると、男達は再び少女の身体に紐を巻き、牢屋へと押し込んだ。

  「まったく・・・。魔女っていうのは、どうしてこうも血の気が多いのかしら。」

  「ハハハハハ!!!まあ、俺は生脚を拝めただけでも満足だがな・・・!」

  「本当、ファウストは単純な男ね。」

  オオカミのような姿をしているが、全身が黒くなっている男の方は、ファウスト、つまりブラック・ドッグのようだ。

  ケルベロスにも似ていて、角や牙、爪が大きくその存在感を強調している。

  髪の毛は長く、ファウストが笑う度に強風が吹き抜けていくことから、あの声が凶器の一種と言っても過言ではない。

  その隣にはなぜか大きな噴水があり、そこから顔を覘かせている、色っぽい艶やかな女性らしい身体の持ち主は、一般的に言う人魚というやつで、確かシレ―ヌとかいう名前だ。

  下半身は魚のように鱗つきで、上半身は水着を着用している。

  長い長い、邪魔にも思えるほどの長い髪の毛は綺麗な薄紫色をしていて、噴水の中でふよふよ浮いているのが、さらに妖艶に感じる。

  「シレ―ヌ、お前なんで水着なんだよ。俺としては貝殻をつけてほしいところだ!」

  「・・・貝殻なんて流行らないのよ。真珠でも作ってくれる貝殻ならまだしも、貝柱の無い貝になんて、ほとんど価値は無いわ。」

  噴水の中を優雅に泳ぐシレ―ヌに対し、ファウストは噴水の端に腰かけて、牢屋に入っている魔女達の品定めを行っている。

  顎に手を当ててニヤニヤ笑いながら見ていると、バシャッ、と水を思い切りかけられた。

  「冷てッ・・・!!シレ―ヌ!てめぇ何しやがる!!!」

  勢いよく立ち上がり、水の中を未だ流れるように泳いでいるシレ―ヌに大声を出すと、その場に突風が吹き、小さな子供は数歩後ろへ動いてしまうほどだ。

  くるくる泳いでファウストをおちょくると、クスクス笑いながら、鼻から上を水面上に出した。

  「あら。水も滴る良い男じゃない?」

  「ったく・・・。で?この前変装してきた譲ちゃんは?」

  「さあ?いないなら、まだ捕まってないんじゃない?」

  「結構可愛かったんだけどな~。」

  「ロリコン?気を付けた方が良いわよ。最近の子はどういう反撃に出るか、分からないから。」

  「御忠告どうも。だがよ、早くしねぇとシャルルの奴誘き出せないじゃねぇか。」

  ミラー達の狙いがやはりシャルルであることを知り、光はすぐにシャルルに連絡を入れようとしたが、この場にストラシスを呼んでは、二人にバレテしまう。

  ミシェルに頼んでモルダンを呼んでもらおうとしたが、横顔を見た瞬間、言葉を詰まらせた。

  泣いてはいないが、視界は完全にぼやけているだろうほどに、目にいっぱい涙を溜めていて、唇を噛みしめているミシェルがいたのだ。

  小さく声をかけようとすると、光とミシェルの間を何かが素早く通り抜けた。

  それが、ファウストの遠吠えによるものだと分かった光は、すぐにミシェルの腕を掴んでさらに奥の岩陰へと隠れた。

  「(バレタか・・・?)」

  恐る恐る顔を少しだけ出してみたが、特にバレテいる様子は無かったため、光はひとまず安堵のため息を吐いた。

  視線をミシェルに戻すと、先程の涙は無くなっていて、シレ―ヌとファウストの様子をじっと観察しているようだ。

  もう帰ろうとしたとき、バサバサ、とどこからか不気味な音が聞こえてきた。

  「何かしら?」

  「あー?ミラーでも戻ってきたんじゃねぇか?」

  そのファウストの言葉の通り、まだシャルルの格好のままのミラーが現れ、光とミシェルは自分の目を疑った。

  常日頃から見ているシャルルと全く同じ格好、顔なのだが、表情が無い。

  シャルルに懐いているジキルとハイドがいないことからも、その場にいるのが本物ではない事が分かる。

  ミラーは何も喋らずに、シャルルの格好のまま魔女達を一瞥する。

  「ミラー!シャルルはどうだ?」

  「・・・・・・。」

  何も答えず、ファウストの顔を見て首を緩く左右に振ったミラーは、シレ―ヌが泳いでいる噴水の脇に腰かけた。

  「ねえミラー。私も早く帰りたい。さっさとシャルルを倒して、帰りましょ?」

  「・・・・・・。」

  基本的にあまり喋らないのか、喋ることが好きなシャルルとは大違いだと思いつつ、何も喋らないため、何を考え思っているのかも分からない。

  だがそれでもシレ―ヌとファウストには少し分かるようで、互いに顔を見合わせて、またミラーに視線を戻した。

  「じゃ、まずは宣戦布告しておきましょうか?」

  「そうだな~。」

  ニィッと顔を歪めると、ファウストの身体はより一層真っ黒な毛で染まって行き、お腹が膨れるほど空気を吸い込んだ。

  お腹に溜めた空気を一気に吐き出したかと思うと、光とミシェルの隠れている岩をいとも簡単に砕いた。

  「チッ。逃がしたか。」

  「ツメが甘いのよ。」

  瞬時に判断した光が、ミシェルを連れてさらに別の場所へと隠れたようだ。

  次々に岩を崩して木を壊していくうちに、光とミシェルは追い詰められてしまい、二人の隠れている岩以外は全て粉々にされてしまった。

  ファウストが声を出す度に耳の奥が痛くなり、塞いでもなお痛みが引くことは無い。

  ついに最後の岩を狙って声を出したファウストよりも早く、今度はミシェルが杖を出して攻撃を弾いた。

  「今日はヴェアルは役立たずだったの忘れてたわ!!!」

  「第一声がそれかよ!」

  狼男である光は、満月の夜にしか姿を変えることが出来ないが、ミシェル一人抱えての移動くらいはわけない。

  ミシェルの言葉に少なからずダメージを受けた光は、ストラシスを呼んで頭を撫で始めた。

  「さーてとぉ???まずは譲ちゃんから・・・ってことでいいのか?」

  「魔女相手なら私で十分よ。」

  シレ―ヌがバシャッ、と水を両手で外へかきだすと、水は弧を描きながら数本の水の道を作り始めた。

  曲線美を描いた身体を水から出すと、水の迷路を通ってミシェルの許まで数秒もかからずに着いてしまう。

  髪の毛をミシェルの首に巻きつけると、ミシェルは苦しそうに表情を歪める。

  「まだ子供じゃない。顔つきも、体つきも。」

  語尾にハートマークをつけていそうな言い方をするシレ―ヌに、ミシェルは杖を向けて魔法をかけるのかと思ったが、杖をそのままシレ―ヌの腹に突いた。

  少しだけプニッとお肉が見えると、ミシェルはにんまりと笑って、今度は自分の首に向かって杖を向けた。

  そして髪の毛に向かって魔法をかけると、シレ―ヌの髪の毛はシワシワと元の場所へと戻って行った。

  そんな女同士の争いを見ていた光だが、ふと自分の背後に気配を感じた。

  ヒュンッ、と風が切られた音を聞きながら身体を捻ると、ファウストが筋肉質になった足で地面を割っていた。

  「あんだ~???今のてめぇじゃ、相手にならねぇな!!!」

  「・・・そう思うんだったら、今日は勘弁してほしいね。」

  「そうはいかねぇな。倒せるときに倒しとかねぇとな!!?」

  一気に光の顔目掛けて声を出してくると、その勢いで光の身体は数m砂埃を出しながら後方へと飛ばされてしまった。

  目を開けると目の前にはファウストがいて、光の腕を思いっきり掴みあげたため、腕の骨を折られてしまう。

  痛みに顔を歪めていると、今度は光の首を掴み、首の骨を折ろうとした。

  「ヴェアル!!!」

  ミシェルの叫び声が聞こえるが、シレ―ヌに視界を遮られた為、光の様子を見ることさえ出来ない。

  首を掴まれた光の意識が飛びかけた時、何かがファウストの視界に覆いかぶさり、光の首を離した。

  両手で必死にその黒い影の何かを払うファウストに近づき、シレ―ヌがその黒い影を追い払う。

  「ちくしょー!!何だ今のは!?」

  「コウモリよ。フフフ・・・いよいよ大御所の登場じゃない?」

  だが、ジキルとハイドだと思われるコウモリはどこかに消えてしまい、シレ―ヌもファウストも、潜んでいるその人物がどこにいるのか、全く気配を感じることが出来ないでいた。

  今まで何も言わずに座っていたミラーがゆっくり立ち上がると、ある一方向を見つけていた。

  ミラーの視線の先を追うように、シレ―ヌとファウストだけでなく、光とミシェルまでもが顔を向ける。

  すでに何も無いような場所には霧が立ち込めはじめ、視界が一気に狭くなる。

  静けさの中にただ響いたのは、バサバサ、と先程のコウモリが飛んでいる音だけで、その音さえもすぐに止まってしまった。

  聴覚を研ぎ澄ませて辺りを警戒し始めたミラー達だが、聞こえてきた声は、頭の上からだった。

  「実に滑稽な姿だな。ヴェアル、ミシェル。」

  「・・・やっとかよ。」

  徐々に霧が晴れてゆき、ミラー達も目を凝らしてその人物を見つける。

  ミラーと同じ格好をしている男が宙に浮いているが、表情は全く異なっていて、言葉通り、人を見下した笑みを浮かべている。

  ジキルとハイドはその男、シャルルの両肩に止まっていて、月をバックにしたその姿は頼もしくもあり、優雅でもある。

  シャルルのずっと下、地面には、シャルルに近づきたいのに近づけないでいるモルダンが、大人しくシャルルを見上げている。

  連絡役としての役割を果たしたハンヌは、休んでいた木からミシェルの近くの木に移動をする。

  漆黒のマントが夜空で靡いている間に、シャルルの赤い目と、ギラリと光る牙がよく見えた。

  口元を歪めながらミラーを見たシャルルは、未だに自分の格好をしていることに気付く。

  「なんだ?そんなに俺が気に入ったか?まあ、こんなに美しいものを真似る事が出来て、貴様もさぞかし光栄に思っていることだろう。俺のように完璧を具現化した存在はそうそういないからな。存分に堪能するがいい。それにしてもヴェアル、ミシェル、なんて無様なんだ。ヴェアル、本当にお前は満月にしか役に立たないのだな。ミシェル、お前も魔法でパッパッと出来ないのか。あんな黒いだけの犬と、アリ●ルに憧れてるような魚に、何をそんなに手こずっている。」

  「んだと?」

  犬扱いされたことに不機嫌になったファウストが、空中に立ったまま浮いているシャルルに向かって遠吠えをしようとするが、いきなり横から顔を殴られて、それは叶わなかった。

  身体を起こした光が止めたようだが、シレ―ヌが背後から光に近づき、死の唄声を響かせようと口を開いた。

  「!?」

  だが、口もとにはいつの間にかガムテープが張られていて、それを必死に取ろうとしているうちに、ミシェルに水の中に電流を流される。

  「キャアァァァァァァァァァッ・・・!!!!」

  水の道を急いで泳いでいき、元の噴水に勢いよく入ると、ミシェルを思いっきり睨む。

  「このガキがぁッ!!!」

  シレ―ヌからは牙が生え、奇声とも言える声で唄を唄い始めようとしただけでなく、倒れていたファウストまでもが遠吠えをするために、肺に空気を吸い込み始めた。

  そしてシャルル達に向かって攻撃・・・をしようとしたのだが、ファウストの前にミラーが現れ、攻撃を制止したため、ファウストは大人しくなった。

  シレ―ヌから牙も消え、髪の毛を直し始めた。

  「おい、ミラー!なんで止めるんだよ!!!?」

  「・・・・・・。」

  腕を痛めている光の許にミシェルが駆け寄ると、二人の前に立ちはだかる様にしてシャルルはゆっくり下りてきた。

  睨み合っているシャルルとミラーは、互いに何を言うわけでもなく、しばらくじっとしていた。

  ミラーがマントを大きく動かせると、シャルルに背中を向けて歩き出してしまった。

  「ミラー!おい!」

  「仕方ないわ。今日は引きあげましょう。」

  捕まえた魔女を、鎧を着た男達に任せると、シレ―ヌは噴水からまた水を出して水の道を作り、そこを通ってミラーの後を追って行く。

  ファウストも舌打ちをしつつ、二人についてその場を去っていった。







  「やられたな。」

  「来るのが遅いんだよ。」

  「文句ならハンヌに言え。それとモルダン、いい加減俺から離れろ。」

  やっと地面に下りてきてくれてシャルルに、嬉しそうに寄り添うモルダンを抱きかかえたミシェルは、ヘナヘナと尻もちをついた。

  「ミシェル・・・。」

  家族や仲間が捕まっているのを見ていただけで、助けることの出来なかった自分が悔しいのだろう、ミシェルはホロホロと泣き出してしまった。

  モルダンを抱きしめて顔を見えないようにするミシェルに、光が優しく声をかける。

  「まだ時間はある。絶対に助けよう。な?」

  コクン、と一回頷いただけで、あとはずっと肩を小刻みに震わせていた。

  ハンヌも心配そうにミシェルに寄り添い始め、光は自分の腕を掴みながら、眉をハの字に下げてじっとしている。

  そんな空気の中、欠伸をした男がいた。

  「ふぁあああ・・・。じゃあそろそろ帰るぞ。」

  「シャルル!こんな時に・・・!」

  「泣いてる暇があるなら立て。今日はこれで終わりだ。明日また来る。だからさっさと気持ちを切り替えろ。今のお前じゃ足手まといなだけだ。」

  「明日大丈夫なのか?あいつら、思ったよりも強いぜ?」

  「ヴェアル、お前は自分の身体の事も分からないのか?」

  「は?」

  「明日は満月だ。」

  くいっと首で空を指したシャルルの言葉を聞き、光も先程はシャルルに隠れてよく見えなかった月をもう一度よく見てみる。

  満月にも見えるが、まだ少し足りていないことが分かると、自然と気持ちが晴れてくる。

  学校に通っていては見せられない姿、力を、久しぶりに発揮出来ることに対する、本能の喜びだろうか、痛んでいたはずの腕までもが急に楽になった。

  ストラシスを呼んで自分の肩に乗せると、ハンヌも一緒に肩に乗せ、ミシェルを立たせる。

  ペロペロとモルダンに頬を舐められると、ミシェルは少しずつ泣き止んできて、すでに歩き出してしまっているシャルルの後を、光と一緒に着いていった。

  「なあ、シャルル。」

  「なんだ。」

  「さっきシャルルの背中見て思ったんだけどよ、やっぱりお前、なんか威厳があるよな。威厳?いや、えーっと・・・。うん。お前についてきて良かったよ。」

  「・・・気持ちの悪いことを言うな。」

  褒めているのだが、その光の選んだ言葉が気に入らないのか、それとも褒められていることに慣れていないからなのか、シャルルは眉間にシワを寄せる。

  徐々に夜が明けてきて、空には月もまだいるというのに太陽が早々と姿を現し始めた。

  「シャルルは今日学校行くのか?」

  「今日は休む。あいつらとの対戦を前に、悠々と学生生活なんて送れるわけないだろう。友也に休むと連絡を入れておけ。俺は帰ってすぐに寝る。」

  そう言うと、シャルルはマントを広げて先に帰ってしまった。

  薄情だと思う反面、ここまで来てくれたことへの感謝もあり、光はウトウトし始めているミシェルをおぶり、シャルルの城まで向かった。

  数時間かけて城に着くと、シャルルはすでに棺桶の中で熟睡しており、ジキルとハイドも天井で揺れていた。

  ミシェルを部屋に運んでベッドに寝かせると、モルダンはミシェルに抱かれたまま寝ていて、ハンヌは窓際に飛んでいき、羽根を休めた。

  一番疲れた光だが、携帯を取り出して友也にメールで連絡を入れた。

  こんな時間で悪いとは思ったが、今やらなければ忘れてしまいそうだし、だからといってあと数分も起きていられないことは、自分が一番良く分かっていたからだ。

  ピッ、と送信ボタンを押すと、光はテーブルの上に横になって眠ってしまった。







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登場人物紹介

シャルル:ヴァンパイア

憎たらしいほどの才色兼備。

ジキルとハイドというコウモリを愛でている。

ぬらりひょんとは知りあい?


『耳障りだ』

ヴェアル:優しい狼男

ストラシスという梟を愛でている。

シャルルのことを見守る。


『いい奴なんだよ』

ミシェル:魔女見習い

THE魔女な格好をした魔女見習い。黒猫モルダンとカラスのハンヌを愛でているが、モルダンにはなかなか懐かれない。



『見習いじゃないわよ!』

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