スプリンター

文字数 5,684文字

 ゴール下の競り合い。シュートされたボールに向ってジャンプ。ボールに手がとどき、シュートを阻む。
 身体が落下すると同時に、敵チームの一人が私めがけて膝蹴りするようにジャンプした。私の右膝に敵の膝が激突したその瞬間、敵の脚を右膝を絡ませたまま右踵から床へ落下し、妙な態勢で床に頭を打ちつけた。
 二人の体重がかかった右踵と足首に激痛が走った。同時にホイッスルが鳴る。私は激しい痛みで叫び声を発した。意識は薄れ視界から色彩が消えるなか、床に転がった私は膝蹴りしたヤツを指さし、試合のビデオを撮っているコートの外のマネージャー見る。
 コイツ、怪我をさせる気であたしの落下を狙ってジャンプしたぞ!
 監督!撮ったビデオで、コイツが最初から怪我させる目的だったと証明してくれよな!

 女子バスケット部の監督が青ざめた顔で走り寄った。
「成瀬!騒がずに静かにしてろ!わかったから騒ぐな」
わかった・・・。
 私の膝と下肢を見ている。私の脚に異変があるらしいがよく見えない。おまけに 監督のユニフォームから色彩が抜けている。私の意識が薄れてゆく。

 なるせ・・・。
 なんだよ。
 なるせ。なるせさん・・・。
 なんだよ、監督。
 監督の顔が見知らぬ顔に変った。
「成瀬さん。終りましたよ。わかりますか?」
「なんだよ」
「病室に移動しますよ」
「どこへ」
「最初は集中治療室ですね」
 看護師は笑顔でそう言った。
「ああ、しゅうちゅ・・・ちりょ・・・」
 頭が痛い。ズキズキする。天井が見える。目がまわる・・・。

 頭が痛い。風邪のときみたいにズキズキする。右足が痛い!痛すぎる!右足が重い!゛どうしたんだ!ここはどこだ?そう思っていると看護師が説明する。
「右のアキレス腱を断裂して足首を骨折したので、緊急手術しました。
 右脚にギブスがまいてあるわよ。
 三日間ここにいて、それから病棟に移動ね。
 麻酔が抜けるまで頭痛がするけど、すぐに治るわ。
 手術したから、今は痛み止めを点滴してる。
 そのうち、点滴をやめるから、痛みが現れるかも知れないわ」
 看護師の言葉と態度は優しいが、冷たい対応だと思った。私はズキズキする頭を気にしながら尋ねる。
「歩けるようになるまで、どれくらいかかりますか?」
「担当の先生が来たら聞いて下さいね。何かあったらナースコールして下さい」
 看護師はほほえんで集中治療室を出て行った。冷たいほほえみだと私は感じた。
 ベッドの横で、両親や監督、バスケット部の顧問の教師、チームメイトが私の顔をのぞきこんで何か話している。頭がスギスギする。今は何も聞きたくない。静かにしていてほしいとつぶやいたら、両親が皆を病室の外へ出した。


 集中治療室に入って四日目の午前。私は小児病棟の女子の病室に移された。
 担当の須郷真医師と田辺美佳理学療法士が今後のリハビリについて説明する。
 アキレス腱断裂だけなら手術後四日で退院し、その後は通院しながらがリハビリするのだが、私は足首の骨折部分を補強具で固定されてアキレス腱断裂手術を受けてギブス固定されているので三ヶ月ほど入院し、骨折の回復を観察しながら、リハビリすると説明を受けた。
 経過が良好の場合の大まかな予定。
 三週間のギブス固定
 三週以降。
 ギブスを外しアキレス腱装具で患部を固定して荷重歩行訓練と足関節可動域訓練
 七週め。
 装具を外し荷重歩行訓練開始。

 ああ、なんてことだ。アイツのせいであたしは三ヶ月もここに居るのか。このあたしの美脚にキズが残った。私は膝蹴りした敵チームの女を呪ってやろうかと思った。


 入院二週目。
 ギブスにヒールを付け、歩行練習をはじめた。田辺美佳理学療法士の指示に従い、平行棒につかまって棒と棒のあいだをゆっくり歩く。ギブス内の患部が痛い。
 
 同じ小児病棟の男子の病室に、小学生の阿部リンタがいる。リンタは交通事故に遭い、脳と腰を損傷して足が動かなかったが手術が成功してリハビリ中だ。リハビリは大変らしく、リンタと私を担当する田辺理学療法士が、リンタはいつも失望の目をしていると私に話した。
 私には彼が失望しているようにも見えなかった。得体の知れない相手に怒りをぶつけようとしているように見えた。けれど、廊下で車椅子のリンタが車椅子の私とすれちがうと、リンタは、
「よお、お前もガンバレよ」
 他の人には見せない笑顔で声をかけた。私はそうしたリンタの言葉を私なりに理解して笑顔でうなずいた。

 ある日。リンタの病室から叫び声が聞えた。リハビリの成果が上がらないリンタの怒りが爆発したのだ。しかし、怒りの矛先を振りおろせない。リンタは小学五年だ。小さい子どもとはちがう。リンタ自身もそのことをわかっている。

 私は車椅子でリンタの病室へ行ってそっと中をそっとのぞいた。リンタは自分の足を何度も何度もたたいてターザンのように何度も何度も大声で叫んでいる。リンタの叫びにはリンタを事故に遭わせた運転手への怒りがあった。手術したら治ると言っていた医師への怒りもあった。
 そしてリンタは自分に怒っていた。自分の足なのに自分の意志ではどうにもならないことに怒っていた。自分の身体が自分の意志ではないものによって維持されているのを知って怒っていた。怪我して動かなくなった足を動かせるようにするのは、いったい誰なんだろう。そんな気持ちがリンタの中に渦巻いているのを、私はリンタの叫び声に感じていた。

「頭も腰も手術したんだよ。うまくいったよ。今度はリンタ君が、足を動かせるように練習するんだよ。足を動かす神経は、まだ産まれたばかりの赤ちゃんのままなの。赤ちゃんも歩く練習をするでしょう。リンタ君も、動くように練習しようね」
 担当の田辺理学療法士はリンタにそう言ったが、リンタは信じなかった。


 入院して三週間め目。
 小春日和の暖かい午後。私は車椅子でリンタの病室へ行った。
「今、眠ったとこよ。せっかく来たのに、ごめんね」
 リンタの母にそう言われ、私はしばらくここにいていいかと尋ねた。
「そしたら、買物に行ってるから、しばらく見ててね」
 リンタの母は快く許可してくれた。
 私はリンタの手を握り、ずっとリンタの寝顔を見ていた。

 私の気配に気づき、リンタが起きた。夢み心地で私を見た。
 私はつぶやくように言う。
「リンタ、リハビリしている足の親指をツマヨウジで突っつくよ。
 リンタもいっしょに、左足の親指をツマヨウジで突っついてね」
「浩子ねえちゃん。何だよ、それ?」
「感覚の連想ゲームだよ。左足の親指がツンツン痛いはずだから、リンタは、左足の親指のツンツン痛いのを、足の親指だと思いこんでね。
 これ記憶の刷り込みって言うの。短時間で感覚機能を回復するときにするんだよ」
 私はリンタと私を担当している理学療法士の田辺さんから教えられたことを話した。

「浩子ねえちゃんの新しいリハビリなの?」
「あたしを信じてね。魔力があるよ」
「アハハ、そんなのウソだあ」
「ウソでもいいいから突っつくよ。12の3・・・」
「おっ?いてえぞ!もう一回・・・」
「そしたら、12の3!」
「いてえ!はい、もう一度!」
「12の3!」
「あはは、もう一回やってね」
「12の3」
 そんなことを何度もして、私はリンタの足の人差し指をツマヨウジで突っついた。

「エッ・・・」
 リンタが私を見て妙な顔をした。
「もう一回、突っついてみてよ・・・」
 私は今度、中指を突っついて尋ねた。
「なんか感じる?」
「やっぱ、魔法だな。ちっとばっかし感じる気がする・・・」
「そしたら、お母さんに頼んで、何度も練習するといいよ。そのあとは、寝たほうがいいよ。寝てる間に記憶が整理されるよ」
 私はそう言ってリンタの足の指をツマヨウジで突ついた。
 何度くりかえすうちに、
「ちょっと眠くなってきた・・・」
 リンタはそう言ってベッドに横になった。

「ただいま。まだ、眠ってるのね」
 リンタの母が買物から帰った。
「さっき起きて、しばらくリハビリの話して、また眠りました。
 また、来ます」
「浩子ちゃん。ありがとね」
 私はあいさつして、眠ったリンタを起こさないよう静かに病室を出た。


 翌日の朝。
「うおっ!」
 と雄叫びがひびいた。リンタの病室からだった。バタバタと看護師が病室へ走り、担当医師と理学療法士の田辺さんが駆けつけた。
 しばらくすると駆けつけた全員が笑顔で病室から出てきた。リンタの母も出てきて、全員が私の病室に来た。
「リンタが、浩子ちゃんにお礼を言ってくれと話したのよ。
 リハビリの方法を、教えてくれたんですってね・・・」
 私は笑って理学療法士の田辺さんと医師に黙礼した。私の母は状況を飲みこめずキョトンとしていた。

 その日午後。私はリンタの病室へ行った。
「なあ浩子ねえちゃん。オレ、まちがってたよ」
「なにを?」
「自分と身体がいっしょだと思ってた。
 考えるだけで身体が動くと思ってたけどそうじゃないってわかった。
 心からそう思わないと、神経がつながってても、身体は動かないんだ。
 動かそうじゃなくって、動いてくださいって心から思うことが大切なんだ・・・」
「魔法がきいたね」
「うん、さっき手で足の指を動かしながら、心に足の指の動きをイメージして、動くように祈ったよ。そしたら動くような気がした。
 リハビリがんばるよ。心で足を動かすんだ」
 リンタの目がキラキラした。
「うん。そしたらまた少し眠りなよ。眠ってる間に心の整理ができるよ」
「うん・・・」
 リンタは眠った。私はリンタの母にあいさつして自分の病室にもどった。
 
 入院後、三ヶ月目に入った。
 私もリンタも順調に快復した。
 入院中。両親と監督の立合いで、刑事と弁護士が何度も病室に来た。私に怪我をさせた相手チームの選手とそのチームの監督は障害罪で起訴されていた。決定的な決め手は、あたしのチームのマネージャーが撮っていたビデオだ。そこには怪我をさせろと話す監督の唇の動きと、私に怪我をさせる選手のシーンが克明に撮られていた。

 入院当初。私は、怪我をさせた選手を同じ目に遭わせてやりたいと思った。しかし、その思いはリンタとリハビリしているあいだに消えた。怪我させられたことを忘れたわけではない。加害者の罪を明らかにして罰を与えることは弁護士と刑事に任せておけばいい。私はリハビリに励むリンタを見ていて、もっと大事なことを見つけた気がしていた。


 入院後、四ヶ月目。
 担当医師は、
「担当医の私が許可するまで、スポーツをしてはいけないよ」
 と言って、私に退院を許可した。
 スポーツを許可されても、私はバスケットボールも他のスポーツもする気になれなかった。今回の怪我をさせられた一件で、フェアであるべきスポーツ精神は言葉だけで、その精神はかんたんに踏みにじられるのを知ったからだ。

 私は退院し、通院してリハビリをつづけた。リンタとは毎日リハビリテーション室で顔を合せた。リンタと会うたびに、私はリンタに、
「回復するのを応援しているから、リンタもがんばってね」
 と励ました。
 リハビリに(かよ)って数日過ぎるとリハビリテーション室でリンタが、
「浩子ねえちゃん。俺が治るまでリハビリつきあってくれないか・・・。
 俺、短距離の選手だった。
 もう一度グランドを走りたいんだ。スプリンターになりたいんだ・・・」
 寂しそうにそうつぶやいた。
「いいよ。つきあうよ」
 私は即座に承諾して今後のことを話した。
「あたし、リンタに会えなくなると寂しいんだ。それに、もう運動はやめようと思う。だけど、しっかりリハビリして、日常生活にこまらないようにしたい。
 あたしみたいにアキレス腱が切れるのは、運動に向かないらしい。先生がそう話したわけじゃないけど、先生の話の雰囲気でわかるよ」

 担当医が暗に、運動はしないほうがいいと言いたいのを感じたのは事実だ。
 そのことより、私はリンタの孤独な気持ちを感じていた。少しでもリンタの心の支えになれば、リンタはふたたび運動できるようになる。なぜなら、リンタは脚の組織を怪我したのでないし、私みたいに、運動に向かない体質だと暗に医師から話されてもいない。
 私は、リンタは必ず回復できると語った田辺さんの言葉を信じ、リンタが最後にかならずリンタ自身に勝って、ふたたび走れるようになると確信していた。

「ああ、よかった!ひとりでリハビリするのかと思うと、なんかこう・・・」
 リンタは涙ぐんでいる。
 私はリンタを抱きしめた。これまでリンタは自分自身の気持ちを誰にも話したことがなかったのだろう。
「ああ・・・、浩子ねえちゃんのオッパイ、気持ちいい・・・」
「ああ、こいつめ!どさくさにまぎれて、なに考えてる!」
 私はそう言ってリンタの頭を胸に抱きしめた。
 リンタは笑いながら静かに泣いていた。


 それから半年後、春。
 リンタは順調に回復し、運動できるようになって退院した。リンタが通院してリハビリしている期間、私はリンタにつきあってリハビリした。

 一年後の秋。中一になったリンタから高一になった私に、
「中学の陸上競技大会に出るから、見に来てほしい」
 と連絡が来た。私は、
「必ず応援に行くよ」
 と伝えた。リンタはとても喜んでいた。

 一〇〇メートル競争の試合当日。私は市営グランドの選手控え室をそっとのぞいた。
 リンタはベンチに座って祈っていた。
 他の選手や監督やリンタの関係者はリンタのそうした祈りを、気持ちを試合に集中しているとか、勝利を祈っているとかささやいていた。

 私にはリンタの祈りがわかった。
「オレの足と身体に祈ります。早く走ってください」
 リンタの心に、風のようにゴールを駆けぬける姿が浮んでいるらしかった。
 
 私は、リンタが最後にかならずリンタ自身に勝つと確信していた。リンタはつらいリハビリに負けなかった。そして、私が思っていた通り、リンタがまたグランドにもどってきた。リンタのリンタは、スプリンターのリンタだ。

(了)
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