あけずの櫃(ひつ)後編

文字数 20,065文字

第十章  石川五右衛門

時代は1594年に戻る、場所は金森長近の屋敷、千道安(田中肇)は、千利休の切腹の後、秀吉からある意味追放され金森長近の預かるところになったのだった。
「新七郎、よう来てくださった。おぬしは伊賀者ゆえ、あの石川五右衛門と旧知の仲と聞いておるが、それは本当なのか?」千道安(田中肇)はいつになく真剣な眼差しで新七郎に語りかけた。「もちろん、石川五右衛門こと真田八郎は、伊賀で共に修行を積んだ身、わしとは兄弟のようなもんじゃ」事実、新七郎と八郎はいずれも早い時期に両親をなくしており、伊賀の忍者の里で幼い頃から共に育った兄弟同然の関係だった。「それをな、見込んでの頼みなんや」いきなり千道安は田中肇に入れ替わった。
「俺はなぁ、どうなってもええんや、ただ俺の親父、千利休を殺したあの太閤秀吉、あの猿面冠者、あいつだけは許されへんのや、確かに俺と親父は長い間、仲たがい状態やった。でもやっとここに来て親子の関係が戻った矢先やったんや、せやから余計に許されへんのや!」 田中肇は口角泡を飛ばす様な勢いでそう熱弁をするのだった。そして孝司 「ようわかった、真田八郎、いや石川五右衛門は、今や天下の大泥棒、連絡をつけるのは至難の技かもしれん、せやけど俺がなんとか連絡をつけたる、そのかわり見返りは高くつくと思うぞ」 「なんやがめつい、やっちゃな」そこには
知らない間に紀子が来ていた。 「いくらいるんや」と田中肇が聞く、そして孝司「せや、石川五右衛門は時代の英雄やからなぁ、噂では、百両位のお金を積まないと動かないと聞いてる」 「百両ってまた無茶苦茶なこと言いよるな」紀子は目をまん丸にして大げさに驚いている振りをした。そんな姿が孝司には可愛く映った。しかし田中肇はそんな金額には驚いた様子も全くなかった。「おれは、親父から宝物の茶碗をたくさん貰い受けたんや。その金額は見当もつかへん・・・百両、安いものや」この言葉に孝司と紀子はあっけに取られるのだった。
「せやけど、そんなことしても孝司お兄ちゃんには何の得もないやないの」紀子は田中肇にそう言い放った。「紀子ちゃん、それは違うよ、秀吉はキリシタンの禁教令をいずれ出す事になってるんや、そうしたら新七郎も終わりじゃ」確かに田中肇(千道安)の言葉は真実だった。孝司も紀子それは良くわかっていた。過去を変えることは難しい事ではあったが不可能ではなかった。孝司も田中肇にこうして協力する事になったのだ。

場所は移って京都は南禅寺の石川五右衛門の隠れ屋敷、新七郎は石川五右衛門こと真田八郎と対峙していた。
「八郎、ここに百両ある。これはわしと八郎の二人だけの秘密として欲しい。」
「何を水臭い事を言うのじゃ、わしと新七郎の仲ではないか、なんでも言うてみぃ」
「実は、あの太閤秀吉を暗殺して欲しいのじゃ」
「な・・なんと言う事」さすがの石川五右衛門も新七郎のこの話には驚きを隠せなかった。
「新七郎、わしは確かに大泥棒かもしれんが、人は殺さん。さすがに新七郎の頼みでもそれは無理じゃ」石川五右衛門には取りつく島もなかった。
そこにいつもの様に突然、紀子が登場する。
「五右衛門さん、太閤秀吉は五右衛門さんを釜茹の刑で殺すよ」
そう言うと紀子は一瞬で消えた。真田八郎こと石川五右衛門は目が点になっていた。
「今、確かにここに女子が・・おなごがいたよな?新七郎?」
「ああ、確かにいた、あの子は、未来から来た子だ、未来がわかるのだ」
その話を聞いてガラッと五右衛門の態度が変わった。
「確かにわしの首には百両の懸賞金がかかっている・・そうか、秀吉は忍びを俺に差し向けるつもりなのか?」 五右衛門は、宙を見上げ何やら思案をしているかと思うとかっと眼を見開き、新七郎の目を見つめこう言い放った。
「わしに任せろ、殺される前に殺してやる!金はいらんぞ」
こうして石川五右衛門は、秀吉の暗殺に動き出したのだった。

京都からの帰り道 紀子と新七郎

「紀子ちゃん、俺は、あの真田八郎がこの話に乗ってくるとは、正直思ってなかった、実は今でも信じられんのや、ほんまに暗殺するつもりがあるんやろか?」
「真田のお兄ちゃんは、秀吉を暗殺しなあかん理由があるんや」と紀子
「なんや、その理由って」
「あんな、あの真田のお兄ちゃんは大泥棒って言う表向きの顔の他に別の顔を持ってんねん」
「他の顔って?」
「陰陽師や」
「陰陽師ってなんやそれ?」
「陰陽師っていうのはな、天文学と方位学を使った占い師みたいな者や、真田八郎はその中でも呪術を使う呪術師で有名なんや、単なる泥棒やないから秀吉も警戒してるんや」
「呪術って・・・なんや恐ろしいなぁ、あの八郎がそんなんになっとったんか・・・」
「秀吉も陰陽師がある意味恐ろしかったんやなぁ、陰陽師を追放し始めたんや・・なので真田八郎は陰陽師の頭として秀吉の暗殺をもともと計画してたんや、俺は人は殺さんとか言うてたけど、それはお兄ちゃんを巻き込みたくなかったからやと思う」
「そうか、八郎はそんな優しいところが昔からあったわ、せやからお金も受け取らなかったんやな・・・」

石川五右衛門が秀吉の暗殺に乗り出すのは、新七郎との密会の翌週の事だった。
しかし、秀吉は石川五右衛門を完全にマークしており数人の隠密を張り付かせていたのだった。これには、さすがの五右衛門も太刀打ちできなかったのだ。

五右衛門は秀吉と対峙していた。

「石川五右衛門、お主をわしに差し向けたのは、一体誰じゃ、正直に言えば死罪を免せてやっても良いぞ」 秀吉は、石川五右衛門の単独犯ではないと見ていた。そして何とか自分を殺そうと画策した人間を探し出そうと必死だった。
それには、秀吉は方々に隠密を放っており、それらの報告で、秀吉の命を狙っている人間の情報は的確につかんでいたのだった。その中でも、秀吉の後継者と言われていた豊臣秀次や、千利休の息子である千道安の名前も上がっていたのだった。
そして新七郎が五右衛門と密会していた事も実は秀吉の耳に入っていたのだった。
「東野新七郎、この名は知っているはずじゃ、千道安の一派でイエズス会ともつながりがあるとわしは見ている。どうじゃ五右衛門、早う本当の首謀者の名を言わんか!東野新七郎がお主の黒幕なんじゃろ、今、全てを話さんとお主の子供もお前と一緒に釜茹でにしてしまうぞ!」 秀吉の尋問は、小一時間は続いた。





石川五右衛門、真田八郎は新七郎の名前は決して言わなかった。石川五右衛門はそういう男だった。

そして刑は執行された。
「ええい、五右衛門よ、お前は本当に強情者やのう、秀吉様の温情も分からんのか?」そう言うと京都所司代の前田玄以は、五右衛門を縄で縛り馬に乗せた。
市中引き回しの刑だった。五右衛門の前には罪状が書かれた木の捨札や紙でできた幟、刺股や槍を持った非人身分の雑色が周りを固めていた。五右衛門は京都中をその様な格好で引き回された。 その後、京都三条の河原で釜茹での刑が五右衛門を待ち構えていた。
「八郎! 聞こえるか俺だ!新七郎じゃ!なんでお前は俺をかばうんじゃ!このままじゃとお主の家族も皆殺しにされるぞ!」 新七郎は与力や同心が五右衛門の検視役としてびっしりとついているのも気にもとめず大声で五右衛門に声をかけるのだった。五右衛門は、そんな新七郎の声には耳を貸さなかった。しかしその本意は、新七郎を巻き込みたくないと言う石川五右衛門の友達への思いだった。石川五右衛門は自らの子供の命よりも新七郎の命を助けたのだった。石川五右衛門の心の中では、家族は一心同体、死ぬのも一緒にという思いがあったのだった。

釜茹での刑・・・当時の日本においては植物油が貴重品であったことから非常に贅沢な死刑方法だった。もちろん五右衛門風呂というのは、この釜茹での刑から来ている。
石川五右衛門の処刑が実行されたのは、現在の鴨川にかかる三条大橋の周辺だった。今でこそ、京都らしい風情のある景観だが、この当時は堤防も無く現在の河原町通りぐらいまで石がゴロゴロしていた、堤防もなかった為、大雨でも降れば周辺の家々は水浸しになったものだった。橋の上や河川敷には大泥棒の最後を見ようと
多くの民衆が群がっていた。突然、民衆の中から、石川!石川!と五右衛門を讃える声援が湧き上がった。そう石川五右衛門は民衆の人気者だったのだ。五右衛門は民衆に応えるように辞世の句を叫んだ!「浜の真砂は尽きくるとも世に盗人の種は尽きまじ」この辞世の句に民衆は拍手喝采した。五右衛門は笑みを浮かべながら傍にいた五郎市を抱きかかえると一気に窯の中に飛び込んだ。またしても民衆の拍手喝采が起こった。五右衛門は五郎市を両手で抱えあげ我が子を守るべく必死に耐えた。
役人は両手でしっかりと我が子を守る五右衛門に業を煮やしついに熱湯に油を注ぐのだった。次々に足される油、油、ついにドンという大きな音がして油に引火するとさすがの五右衛門もすでに息絶えていた五郎市とともにズルズルと窯の中に消えていった。新七郎には最後に五右衛門が新七郎に微笑みかけていた姿をはっきりと見た。
その姿を新七郎は忘れる事はできなかった。

時は1594年10月8日だった。








第十一章  大きな愛

そして現代に話はまた戻る、中津教会の礼拝の時間
「なんや夢見とったんか?俺は・・・」 宣教も終わりにさしかかっていた。ほんの30分くらいの間に孝司は、時代を380年も遡り数十日をその時代で過ごした事になる。
「夢ちゃうで」紀子がちょこんと隣の席に座っていた。 礼拝中だったので、前に座っていた年配のおばさんが「しー」と人差し指を口の前の立てて振り返った。孝司はすいませんと頭をさげるポーズをした。
川田牧師の宣教も終盤にさしかかっていた。
「ヨハネによる福音書15章12節から読みましょう。ヨハネによる福音書15章12節・・・わたしがあながたを愛したように、互いに愛しあいなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。まず、皆様の中には、三浦綾子さんの「塩狩峠」を読まれた方もいらっしゃるでしょう。主人公は永野信夫氏(実名は長野政夫氏=クリスチャン)これは、明治42年2月28日に起こった実際の出来事です。旭川から北に約30km,天塩(てしお)の国と石狩の国の国境にある峠、深い山林の中を曲がりくねって越えるかなり険しい峠を、自分の身を犠牲に暴走した客車の乗客の命を救った長野政夫氏の勇気と功績に感謝した多くの人々の思いは、今も変わらず慕われています。JR塩狩駅には、長野政夫氏の石碑が建てられています。それでは最後に心を合わせて祈りましょう。
愛する天の父なる神様、あなたの御名を心より賛美いたします。友の為に命をすてる事、これより大きな愛はないと聖書より学びました。私たちはともすると我を我をと自分中心の考えをしてしまう者です。どうか心の王座をあなたに明け渡し、いつも主を見上げ生活をする事ができますように私たちひとりひとりを助け、力を与えてください。
イエスキリストの御名を通してこの祈りを御前におささげ致します。アーメン」
こうして礼拝は終わった。
孝司は友のために命を捨てる事、これ以上の大きな愛はないという聖書の言葉を何度も何度も口に出して繰り返した。
涙が止まらなかった。幼なじみの真田八郎は、自らの子供よりも自分を助けてくれた。本当は孝司自身が釜茹でにされていてもおかしくなかったのだ。そんな孝司に紀子は声をかけた
「孝司お兄ちゃん・・・しかたないんや・・どないもしようがないんや・・・過去は変える事はでけへんのや・・・」
「わかってる、わかってるけど涙が止まらんのや・・・過去は変える事は本当にでけへんのか?紀子ちゃんは、なんで俺にかまうんや?過去を変える事に関係あるんとちゃうのか?」
「そうや、今まで内緒やったけど孝司お兄ちゃんの言う通りや、私がここにいる理由は今はまだ言われへんけど、過去のある出来事に関係している・・・過去は変える事がでけへんって言ったけど、実は過去は変える事ができる、でもそれは現在の過去じゃなくなるということやねん、過去が変われば現在が変わるわけでそれがどういう風に変わるのかは誰もわからへん、現在と過去は一対一の関係という事や、その意味では過去は変えられへんのや・・」
「なんやわかった様なわからんような話やな」孝司は涙を拭きながら紀子ににっこり笑いかけた。何か紀子は昔からよく知っている様な気がした。この感覚は実は前から時々あった感覚だった。
その時、川田牧師が二人の前(と言っても勿論、牧師には紀子は見えなかったのだが・・)に来て孝司を教会学校に誘った。
「どうですか?時間があれば、これから皆で今日の宣教の分かち合いの時を持ちますので東野さんも参加しませんか?」
孝司は教会学校というものがどういうものか分からなかったが興味もあったので参加する事にした。
孝司は川田牧師に連れられて礼拝堂の隣のラウンジに移った、そこにはすでに幾つかのグループに分かれていてこれから教会学校なるものが始まろうとしているところだった。孝司は川田牧師のグループに参加する事になった。川田牧師のグループは中学生から大学生までの学生で構成されたグループだった。
「それでは、学生グループの教会学校を始めたいと思います。今日は、この教会に初めて来られた東野孝司さんが参加してくださいました。私はこのグループのリーダーの岩崎さゆりと言います。よろしくお願いします。」岩崎さんと言うその女性は、綺麗な標準語を話した。「じゃ、最初に東野さん、自己紹介をお願いします。」孝司はいきなり自己紹介を振られ正直ドキドキした。そんな事をした経験がなかったからだ。「はぁ、」孝司は自分では「はい」と言ったつもりが、腑抜けた返事をしてしまった。となりで紀子が笑っていた。もちろん他の人には見えなかったのだが・・・
「えーっと名前は、東野孝司と言います。下音羽中学の2年生です。」 

学生グループは岩崎さん、川田牧師の他に数名の学生がいて、皆いっせいに歓迎の拍手をした。孝司は気恥ずかしくなったが、頭をかく仕草と苦笑いでそれをごまかした。
「東野さんはなぜこの教会に来たのですか?」リーダーのさゆりさんが質問をした。
「なぜ?と言われてもなぜでしょうね?自分でもようわからんのですが、何故かキリスト教が気になるというか・・・遠い昔からキリスト教に関係していた様な気がするんです。」それは孝司の正直な気持ちだった。
「へぇそれは不思議な話ですね?」川田牧師だった。「他の皆さんはどうですか?この教会をなぜ選んだのでしょうか?」
さゆりさんが答えた。「私の場合は、おばさんがバプテスト教会の教会員だったので自分もバプテストがいいなぁと思っていたんです。そしたら家の近所にバプテストの教会があったのでこれは、神様が導いてくれていると確信したんです。」 「そうなんですか?初めて聞きました。」そう言ったのは、副リーダーの島田さんだった。島田さんは中津の大学の1回生という事だった。おかっぱ頭のかわいい女の子だった。孝司はかわいい人だなぁと最初から気になっていた。
「私は、最初、別の教会に行ってたんやけどなんか違うなぁ・・という気がしてきて・・・それは・・えーと、なんでかというと前の教会はほとんどおじいいちゃん、おばあちゃん、あっ、もとい・・・年配の人ばっかりで、聖歌隊もなければ、牧師の話も眠たくなる様な話ばっかりで・・・それでこの教会に友達の紹介で来てみたら、明るい雰囲気で全然違うので今はハッピーって感じです。」島田さんは思いの外、軽い感じの話ぶりだったので孝司は少し期待はずれな感じだった。
「ひとそれぞれですね・・それでは教会って言葉の意味って考えた事がありますか?」川田牧師が皆に問いかけた。最初に島田さんがこう答えた。「教会って神様の言葉を教えるところだから教会って言うんじゃないんですか?」 島田さんは自信満々だった。東野さんは、どう思いますか?島田さんが孝司に質問を振ってきた。孝司は何も考えていなかったので、慌ててこう答えた。「教会ってこの建物のことを教会って言うんと違うんですか?」 「そうですね、多くの人が教会っていうと漠然とキリスト教を信仰している人の集団や建物自体をイメージするのではないでしょうか?たしかにそれも間違いではないのですが、教会という言葉はギリシヤ語のエクレシアと言う言葉から来ていて、その意味は呼び集められた者と言う意味なんですよ、すなわちここに集う人々は、不思議な力、神様の力で呼び集められた人々なんですよ」
「呼び集められた・・・」孝司は小さく呟いた。
「そう、私たちは呼び集められたの・・・」紀子が答えた。

第十二章(サン・フェリぺ号事件) 
時は1596年秋 高山右近の屋敷にて 
「隼人、新七郎 ふたりともよく聞くのじゃ、土佐国の沖にスペインの船が漂着したことは知っておろう。土佐国の長宗我部元親が、その船の乗っていた7名の司祭を処刑するかもしれんとの話を聞いた。お主らに、その7名の司祭を助け出してほしいのじゃ」「右近様、その7名の司祭の命が危ないと言うことですか?」新七郎は事の成り行きが判らなかった。「そうじゃ、どうも船長のランデーチョと申す者が、五奉行の増田長盛に対してスペインがいかに強大な国で自分たちに逆らうとフィリピンの様になってしまうぞと脅かしたらしいのだ、そしてこの話が秀吉公の耳に入り秀吉公の怒りを買ってしまったらしいのだ、隼人、新七郎、しかと頼むぞ」 
この命を受け翌日、隼人と新七郎は土佐の国へと向かった。
その道中で
「新七郎、7名の司祭を助け出す命を受けたが、これは右近様のご慈愛のお心からの命であって、どうもイエズス会は、この司祭らを太閤秀吉に売ったのではないかという話だ」 「同じキリシタン同士、なぜそんな事があるのですか?」新七郎は、隼人の話が全く理解できなかった。「イエズス会は面白くないんじゃ、これまで日本のキリスト教の布教は彼らが中心であったのに、ここ数年はフランシスコ会がその勢力を伸ばしてきておったろう、それが秀吉公と親交のあったジョアン・ロドリゲスやオルガンチーノらのイエズス会の中心人物の逆鱗に触れ、フランシスコ会は日本をフィリピンの様に制服する野望を持っていると秀吉公に吹聴したという訳だ。」「な・なんとそれでは、ランデーチョ船長が脅かしたという話はでっち上げと言う訳ですね?」「そうじゃ、その通りだ」「なんと卑劣なやり方なんじゃ、キリシタンの名が廃るわ」 新七郎はいつになく言葉を荒げた。
そして
隼人と新七郎は、二日をかけて土佐の国に着いた。「司祭らを救う作戦じゃが、彼らは、今、牢屋敷に入れられている、この牢屋敷に新七郎、火を放すのじゃ、そして拙者が火事で見張り役人が気を取られている隙に牢屋敷の鍵を開けて司祭らを解放する、新七郎は用意している馬3頭に司祭らを乗せて逃げてくれ、拙者は後から新七郎を追いかける」 「わかりました・・・」新七郎はこの命がけの作戦に内心、恐れを抱いたが、デウス様の守りがあると信じ、祈りを持って決心するのだった。 司祭救済の決行日は、到着の3日後と決めた。隼人の情報によると4日目に司祭達は京都に移され、そこで処刑されるという情報があったからだ、この情報は1588年に元親と対立し切腹を命じられた吉良親実の家臣からの情報だった。また司祭を逃がすための馬3頭も同様に吉良親実の家臣に手配させた
決行当日、司祭救済の作戦は丑三つ時に決行された
「新七郎行くぞ」 「は!」黒装束に身を包んだ二人は司祭らが捉えられている牢屋敷に向かった。新七郎は3頭の馬を連れての出陣だった。これはまさに今後の日本に於けるキリスト教の行方を決める戦いだった。「兄じゃ、牢屋敷に忍び込むのは、命がけの仕事、是非、その仕事は拙者に任せてもらえないだろうか?」 もともとは忍びであった新七郎は、牢屋敷への潜入がいかに危険な仕事か十分心得ていたのだった。もちろん、隼人もそんな事は百も承知の事だった。「いや、この作戦の肝は、司祭らを3頭の馬でいかに逃がすか事ができるかというところだ、首尾よく司祭を馬に乗せ、3頭の馬を先導するのは並大抵の事ではないぞ、ここは新七郎の走馬の技が必要不可欠なんじゃ」 「兄者・・・」新七郎は、それ以上何も言えなかった、隼人の決意が揺るぎないものである事が分かったからだ。
「よし、行くぞ」小さく、しかし力強く隼人はそう言い放ち漆喰の闇の中に浮き上がる牢屋敷の塀からあっと言う間に屋根を伝って牢屋敷の中に消えていった。新七郎は隼人の言いつけ通り反対側に回り、用意していた燈油を牢屋敷の正面玄関に大量に巻きそして火を放った。その日はいつになく乾燥していたのか、新七郎が思った以上にすぐ火の手は大きくなった。牢屋番達が慌てふためき大声で叫ぶ声が聴こえた。新七郎は、すぐに牢屋敷の裏手に戻り、いつでも司祭達を馬に乗せ逃げられるように待機していた。叫び声が一段と大きくなった次の瞬間、司祭達が裏門から飛び出してきた、その後には隼人が牢屋屋敷の番兵ら数人に囲まれていた。「兄者!!」新七郎は、すぐに隼人の元に駆け寄ろうとした。それを隼人は制した。「拙者の事は気にするな、すぐに馬を走らせるのじゃ!一刻の猶予もないぞ!」新七郎は、唇をきっと噛み締め、隼人の言う通り司祭を連れ出す事を優先した。
新七郎は、自分の馬に1人の司祭を乗せ、残りの3頭に2人ずつ乗せ漆喰の闇の中をひたすら駆け抜けるのだった。心臓の鼓動が自分でも分かった。そして、背後では番兵らの叫び声と牢屋敷がメラメラと燃える音が聞こえた。
新七郎は後ろを振り返る事が出来なかった。番兵の叫び声からその数は、半端ない数である事が容易に思えたからだった。新七郎は恐ろしかった。そしてひたすら祈った。その祈りは次第に叫びになっていた。「デウス様!兄者を!兄者を助けてください!」 その叫び声はきっと隼人にも届いた事だろう。しかし、神様は隼人に大きな試練をこの後与えることになる。その事を新七郎は知る由もなかった。





第十三章(創世記・・夢・・エデンの園)
その夜、新七郎はボロ雑巾のように疲れ眠った。そして夢を見た、夢の中では新七郎は孝司になっていた。そして紀子が隣にいた。二人は森の中を歩いていた。風が心地良かった。
「紀子ちゃん、なんか見ないうちに大人になったなぁ?」確かに紀子は小学生の紀子ではなかった。孝司と同じくらいの年齢になっていた。「そう?自分ではようわからんけど・・」そんな話をしていると目の前の木に蛇がぶら下がっていた。その蛇は頭を持ち上げ紀子に目を合わせ、そして紀子に声をかけるのだった。 「おい、お前!」 「は?私?」紀子は怪訝そうにそう答えた。
「そうや、お前や お前は誰や?」「誰って?私は私やけど・・・何かようなん?」 「用があるから聞いてんねん、アホかお前は?」「失礼なやっちゃな・・・」紀子はむっとなった。蛇はさらに、こう続けた。「あんたの神は園のどの木の実も取って食べてたらあかんと本当に言うたんか?」紀子は答えた。「ちゃうちゃう、園のどの木の実も取って食べてもええけど、真ん中にある木の実は食べたらあかんで!死んでしまったらあかんからなと言われたんや・・」「そんな事は絶対ないぞ、その木の実を食べると目が開け、あんたらが神の様に善悪を知る者になる事を神は知ってるんや、死ぬ事はあれへん」紀子は、蛇の話を聞いて園の真ん中の木の実を今一度、見てみた。その木の実は見るからに美味しそうで、また賢くなれる様な気がした。紀子は思わず手を伸ばしその木の実を口にしてしまった。そして孝司にもその木の実を渡した。孝司も思わずその木の実を食べてしまった。その瞬間、二人は裸である事が分かったのでイチジクの葉を綴り合わせて腰に巻いた。 孝司と紀子は、その時、誰かが二人を探している気配を感じた。二人は茂みに身を隠した。それは神、いや・・・なぜか高山右近その人だった。高山右近は簡単に二人を見つけ、孝司に呼びかけた。「あなたは、なぜ隼人を助けなかったのか?」 孝司はたじろぎこう答えた。「右近様、兄者を助けたいのは誰よりもこの私が願っていた事です。」なぜかここは、新七郎になっていた。「まぁ良かろう、あなたの事を信じよう、じゃが、なぜ私の言いつけを守らず園の真ん中の木の実を食べたのか?」その時、右近は神の姿に変わっていた。「いえ、私ではなく、あなたが一緒にしてくださった。紀子が木から取ってくれたので私は食べたのです。」そこで主なる神は紀子に言った。「あなたは、なんて事をしてくれたのか!」紀子はなぜか標準語でこう切り返した。「いえ、あの蛇が私を騙したのです。それで私は食べたのです。」 ・・・と言うところで新七郎は目が覚めた。 新七郎は、しばらく放心状態だった。先ほどまでの夢が夢の様な気がしなかった。まさに何千年も遡り、最初の人であるアダムとシンクロしていたのだ。「デウス様、自分は兄者を救うべきだったのでしょうか?自分はアダムと同じ様に罪を犯してしまったのでしょうか?」新七郎はうなだれ頭を抱えた。その時、神様の声が新七郎に聞こえた。神様はこう囁くのだった。「加賀山隼人は、聖人となるだろう、そして私が再びこの地に来る時には肉体を持って復活することになる。新七郎、あなたは私の計画通り、正しい選択をした。あなたの苦しみは取り除かれたぞよ。」
「デウス様」新七郎はその言葉聞いて涙が止まらなかった。
「デウス様、あなたは、いつ再びこの地の戻られるのですか?」この問いに神様は
こう答えた。
「その日、その時は誰も知らない、天の御使いたちも、また子も知らない、だからあなたは目をさましていなさい。一日は千年の様であり千年は一日の様である。私は一人も滅びないで全ての人間が救われることを望んでいる。」
新七郎は、この言葉の意味が判らなかったが、デウス様が自らのひとり子であるイエスキリストを人類の罪の贖いの子羊として送って下さったこと、そのイエス様を心で信じ、口に出してイエスが自分の主であると告白すれば、アダムによって入り込んだ罪が取り除かれ、天国に入ることが許され、永遠の命が与えられると言う事は理解できたのだった。一度、救われた者は決して神様に見捨てられる事はないのだという事を・・・
罪とはすなわち神様から離れる事を指す。人類の始祖であるアダムは、神様の言いつけを守らなかっただけではなく、それを神様が与えてくれたエバに責任転嫁してしまった。またエバもその責任を蛇のせいにしてしまった。こうして人類は神から離れ、また自らが神を作ってしまった。すなわち神さえも自分の思い通りに作り変えてしまったのだ。










第十四章(26聖人殉教)
「新七郎、隼人は残念だが、長宗我部元親に捕らえられ秀吉様の元に送られたそうじゃ、どうも元親殿と秀吉様との間に何らかの取引があったのではと思うておる。」 「右近様、なんとか兄者を救う事はできないのでしょうか?」新七郎は、必死だった。ある意味、隼人は自分の身代わりで捕らえられてしまったからだ。
「もちろん拙者も隼人を助けたい、しかしそれは叶わぬ事だろう、なぜなら秀吉様は、あのサン・フェリぺ号の件がきっかけで禁教令を出し、京都奉行所の石田三成に命じて京都に住むフランシスコ会員とキリスト教徒を捕縛して磔の刑に処する様に命じたそうじゃ、隼人もその中の一人じゃ、隼人だけではなく拙者もどうなるかわからない何せ、隼人は拙者の家来なのだから」 「ま・・・まさか」新七郎は言葉にならなかった。 時は1597年1月隼人を含む24人は、京都堀川通り一条戻り橋で左の耳たぶを切り落とされ、市中引き回しとなったのだ。 
その場所に新七郎はいた。幼なじみの真田八郎が自分の身代わりとなって処刑され、今度は兄と慕っていた加賀山隼人が今まさに処刑されようとしていたのだ。堀川通りには何百人という見物人が出ていた。隼人たちは縄で縛られ、馬に乗せられていたその前には、罪状が書かれた木の捨札や紙でできた幟を持った雑色が周りを固めていた。先頭の馬に隼人は乗せられていた。罪状は「切支丹邪宗門」と書かれていた。
新七郎は大勢の見物人を押しのけ、最前列で隼人の乗った馬が来るのを待った。見物人たちは、大きな声で隼人たちを罵っていた。「こらぁ日本人なら日本人らしく日本の神様を拝め!」 「日本人のくせに毛唐のまねをしやがって馬鹿野郎!」という罵声が飛び交っていた。
隼人の馬が新七郎の目の前に来た時、隼人も新七郎に気がついた。新七郎は隼人を見上げた時、隼人の頭上に白い鳩が太陽の光の中に見た。見間違いではなかった。間違いなく隼人の頭上に白い鳩がいた。 隼人は笑みを浮かべ何も言わずただうなづいていた。それは「わしは大丈夫だ、心配するな」と言っているのが新七郎にはわかった。新七郎は涙で隼人の顔がゆがんで見えた。「兄者・・・」 新七郎が隼人の姿を見たのはそれが最後だった。
日本でキリスト教の信仰を理由に最高権力者の指令による処刑が行われたのはこれが初めてであった。この出来事は後世に「二十六聖人の殉教」と言われ。彼らは「日本二十六聖人」と呼ばれることになった。



 
  
隼人らは、京都で市中引き回しの刑を受けた後、厳冬期の中、長崎まで歩いて向かう事になった。当時の長崎奉行であった寺沢広高の弟であった寺沢半三郎は一行の中にわずか12歳の少年ルドビコ茨木がいるのを見つけた。 
「おぬしは、年はいくつじゃ?」半三郎は少年に問いかけた。 少年は答えた「12になります。」 「おぬしは、なぜ切支丹の教えにこだわるのじゃ?仏教でも極楽浄土に行けるぞ!なぜ切支丹の教えにこだわるのじゃ?」12歳の少年ルドビコ茨木は、こう答えた。「確かに仏教の教えでも極楽浄土に行けると教えています。でも本当の仏教の教えは心を浄めることで某脳をなくし悟りの境地に達することを教えています。阿弥陀仏にすがることで極楽浄土に行けるという教えは切支丹の教えを真似たものなんです。」 12歳の子供の言葉に半三郎は驚いたが、この子供を救ってあげたいという気持ちからこう切り返すのだった。「おぬし、切支丹の教えを棄てればわしがおぬしを救ってやろう。人生をここで終わらすことをおぬしの神も望んでいないだろう・・」 「いえ、この世のつかの間の命と天国の永遠の命を私は取り替えることはできません。」こうしてルドビコ茨木は毅然として寺沢の申し出を断ったのだった。
隼人やルドビコ茨木、26人は、キリストが処刑されたゴルゴダの丘に似ていると言う理由から西阪の丘での処刑を望んだ、この望みは叶えられた。処刑当日は外出禁止令が出されていたが、なんと4000人もの群衆が西阪の丘に集まって来たという。
隼人は、4000人が見守る中、自らの信仰の正しさを群衆に語った。群衆の中にはその証を聞き後に切支丹になった者も多かったと言う。


  






第十五章(細川ガラシャ)
隼人が殉教してすでに2年の年月が流れていた。しかし、いまだに新七郎は、兄としたっていた隼人を死に追いやったのは、自分に責任があったのではと、自らを責め苦悩する日々を送っていた。そんな時、新七郎の元に一通の手紙が届いた。
それは、中津の教会で出会った清原きこからの手紙だった。その手紙の内容は、この様な内容だった。 「東野新七郎様、 中津の教会では、本当にお世話になりました。コンテムツス・ムンジを頂いたのに何のお礼もできず、ずっと心苦しく思っていました。是非、近いうちに玉造の越中屋敷に遊びに来てください。皆、心待ちにしています。」と書かれていた。
新七郎は高山右近と共に全国あちこち転々としていたが、この1599年当時は、京都に居を構えていた。右近の足取りを遡ると、まず1587年に秀吉から信仰を捨てる様に命令され、それを断った為に追放されたところから始まる。右近は追放されて最初、小西行長の領内にある小豆島にオルガンチーノ神父と共に隠れ住む事になる。その後、小西行長の肥後への転封により右近も共に九州に移り住む事になり、有馬のセミナリオ(小神学校)などで過ごすうちに秀吉から何故か京都に来る様にと伝言を受け、秀吉の本心が分からないままに京都に戻って来たと言う忙なさだった。 
手紙はさらに続いた。その内容に新七郎は、驚き、戸惑い 居ても立っても居られない状態になってしまうのだった。
「実は、玉様は、ほとんど幽閉状態で24時間、2人の監視がついているのです。忠興様にしてみれば、秀吉様の赦しがあったと言えども、逆臣、明智光秀の娘である玉様を大阪城の目と鼻の先で迎え入れた訳ですから、何か事が起これば細川家の取り壊しにもなりかねない訳です。玉様は忠興様に離縁を願い出たとも聞いております。しかし、忠興様はそれを許さず、玉様は自殺するのではないかと侍女である私たちも心配の中、毎日を過ごしているのです。忠興様は右近様に全幅の信頼を置いておられるので、右近様の側近の新七郎様であれば喜んで迎え入れてくれるはずです。どうか、玉様を救ってください。お願いします。」 手紙はそこで終わっていた。 正直、新七郎にはその意味が判らなかった。「救う?この私が・・・」 
「お兄ちゃん、お兄ちゃん」紀子の声に新七郎の中の孝司が表に出てきた。
「紀子ちゃん、久しぶりやなぁ、どこに行ってたんや?」 「どこにも行ってないよ、ずっと一緒や、お兄ちゃんに一つ言っておきたい事があって出てきたんや、それはこれから起こる事や・・・細川玉様は、キリシタンや、せやから自殺はでけへん、自分を殺す事は“汝、殺すなかれ”と言う十戒を破る事になるからや、でも玉様は死を決意している。これはもう避ける事はでけへん神様のご計画や・・・でも玉様の侍女たちは救う事ができる。お兄ちゃんには、侍女たちを救ってもらいたいんや・・・きこさんもそれを望んでるんや・・」 紀子の頬に一筋の涙が流れた。 新七郎は無言でうなづいた。
時は1600年7月、豊臣秀吉の死後、豊臣政権は、5大老・5奉行によって運営されるようになり、関東の徳川家康が筆頭となっていた。その時、徳川家康に対抗できるのは、加賀の前田利家だけだった。
しかし前田利家が秀吉の没後、後を追うように病死すると、もう徳川家康に対抗できる大名は居なくなってしまったのだった。すなわち揉め事の仲裁役だった前田利家が死ぬと、豊臣秀吉時代から内在していた軋轢が表面化するようになり、黒田長政・加藤清正・福島正則などの武断派の7将が、朝鮮出兵の時に讒訴された遺恨から、朝鮮軍事奉行を務めた石田三成を襲撃すると言う事件にまで発展するのだった。
しかし、徳川家康が石田三成襲撃事件の仲裁に乗り出した事で、黒田長政ら武断派の7将は矛を収めざるを得なかった。
その一方、石田三成は徳川家康から隠居を勧告されたため、隠居して居城の佐和山城へと引き籠もり、豊臣政権から退く事になるのだった。
隠居した石田三成は、会津の大名・上杉景勝と結託し、徳川家康を討つ準備を静かに進めていた。そして、徳川家康は、会津の大名上杉景勝に謀反の兆しありと報告を受け、慶長5年(1600年)6月に上杉討伐(会津討伐)を発令し、諸将を伴って関東へと兵を進めた。
こうして、近畿から徳川家康派の勢力が居なくなると、佐和山城で隠居していた石田三成は慶長5年(1600年)7月、中国の毛利輝元を総大将にして挙兵したのである。
豊臣秀吉の時代から、各大名は大阪に屋敷を持ち、大名の妻子を大阪の屋敷に住まわせる決まりになっており、大名の妻子は人質であった。
細川忠興は大阪城の南にある玉造に屋敷を作っており、妻の細川ガラシャや長男・細川忠隆の正室・前田千世を住まわせていた。そこで、上杉討伐に加わる細川忠興は、小笠原秀清・稲富直家・河北石見など数名の家臣を玉造・細川屋敷の警護に残し、小笠原秀清らに「細川ガラシャの名誉に危険が生じるようなことがあれば、細川ガラシャを殺して、みなも自害するように」と命じて、関東へ向かったのだった。
時は慶長5年(1600年)7月17日 石田三成の使者が越中屋敷に来て事件は、始まる。
「小笠原秀清殿は、ご在宅か?我は石田三成公の使いである。」石田三成の使いと言うその男の背後には、数十人の兵が控えていた。

新七郎は、その光景を遠くから見ていた。隣には紀子がいた.「いよいよ、始まるよ、お兄ちゃん・・・うちは、この日の為に用意してきた事があるんや、まず、お兄ちゃんは屋敷の裏に廻って裏門から屋敷に入って玉様の部屋の隣で身を隠しといて・・・」「紀子ちゃん、せやけど裏門ってしまってるんとちゃうんか?」紀子と話をする時はいつも新七郎の中の孝司が出てくるのだった。「裏門は開いてるんや、大丈夫やうちを信用して」紀子の目は真剣だった。「わかった」新七郎は大きくうなづき、屋敷の裏門に回った。
確かに裏門の扉は開いていた、新七郎は、誰にも見つからないように屋敷の中に入った。玉様の部屋の場所は紀子ちゃんから聞いていたので少し迷ったがなんとか玉様の隣の部屋にたどり着けた。隣の部屋からは、ガラシャ(た様)の長男である細川忠隆の正室である前田千世とガラシャの声が聞こえた。
「ガラシャ様が自害されるのであれば、私も共に自害いたします。侍女も皆そう申しております。」「いいえ、千世は宇喜多屋敷に逃げなさい。あなたが自害する理由はないのです。」ガラシャの言葉には千世も逆らえなかった。
その時、玄関で石田三成の使いの対応をしていたはずの小笠原秀清がガラシャの部屋に来てこう叫んだ。「玉様、一大事です。直家が三成に寝返りました。一刻も早く逃げてください。もう奴らを食い止めることはできません。今が最後の時です。」なんと、表門で石田三成の手勢を防いでいた稲富直家が石田三成側に寝返ってしまったのだ、稲富直家は、元々は丹後の領主である、一色義清の家臣だったが、本能寺の変の後に細川忠興が一色義清を滅ぼしたさい、鉄砲の腕を買われて、細川忠興の家臣となり、細川屋敷の警護を任されていたのだった。

それを聞いた細川ガラシャは、侍女を呼び集めた。そこには、清原いと、そして清原きこもいた。
「いと、侍女を連れて千世と共に宇喜多屋敷に今すぐ逃げなさい。」
しかし、その言葉にいとは、こう返した。「ガラシャ様、私たちは決して逃げません。最後までガラシャ様と共にいます。」その声は涙で震えていた。
そして、ガラシャ「それはなりません。そなた達は、決して死んではいけません。」ガラシャは、その時、死を決意していたのだった。
これらのやり取りを紀子と孝司は隣の部屋から聞いていた。「お兄ちゃん、きこさんを助けてあげて、きこさんもお姉さんと一緒に自害する・・・」
「紀子ちゃん、わかった。でもどうやって?」「もう、無理やりでもこの屋敷から連れ去って欲しい。運命を変えるには、それしか方法は無いの・・このままだと、ガラシャ様と共に殆どの侍女は自害してしまう。」
石田三成の使者、そして兵は今まさに屋敷内に入ろうとしていた。
時間がなかった。ガラシャは、自分の形見や遺書を千世に渡し千世の背中を強く押しこう言い放った。「お逃げなさい、そなたは、私の最後を告げる役目があるのよ」千世はガラシャの遺書と形見をしっかりと握りしめ、涙で声を詰まらせながら「承知しました・・」と言い、紀子と孝司のいる部屋の障子を開け一目散に駆け抜けた。紀子と孝司は部屋の隅に隠れていたが、千世はまったく気がつかなかった。ガラシャは、千世が屋敷を出たのを見届けると、次に侍女たちも千世に続きなさいと促した。
多くの侍女達は、ガラシャの言葉に従ったが、きこといとは、決してガラシャの側を離れないとガラシャの着物の裾にしがみついた。ガラシャはそれを振りほどき、小笠原秀清にここを突きなさいとばかりに胸元を開くのだった。秀清は、「承知した。」と言い放ち次の瞬間に「ごめん」と長刀でガラシャの胸を突いた。「ガラシャ様!!」きこといとの叫び声が屋敷中に響き渡った。
その時、すでに石田三成の使者達の足音がすぐ近くまで来ており、まったなしの瞬間だった。いとは、短剣を取り出し、一本をきこに渡した。この時を覚悟して準備していたものだった。
この短剣でお互い刺し違えると二人は事前に申し合わせていたのだった。紀子が叫んだ「きこさん!ダメ!」その叫びと共に孝司は、部屋を飛び出し、きこの手を握り叫んだ。「逃げよう」孝司は必死だった。
もう後ろも見ず、きこと共に無我夢中で裏門から逃げ出した。どこをどう走ったのかも覚えていなかった。気がつくと大阪城の表門まで来ていた。
振り返ると玉造の越中屋敷が真っ赤に染まっているのが見て取れた。石田三成の使者が屋敷に火を放ったのだ。「お姉さん・・・」きこが涙を流していた。「お姉さんを捜しに行きたい」きこは、涙ながらに孝司に訴えた。それはとても危険な事だったが、孝司はそれを受け入れた。
屋敷近辺まで二人は誰にも見つからないように身を隠しながら戻った。屋敷はごうごうと音を立てて燃え盛っていた。その熱さに孝司の額からは汗が流れ落ちる程だった。
きこは、いとを探したが、どこにもその姿を見つける事はできなかった。二人はただただ屋敷が燃え崩れるのを見るほかなかった。時間だけが流れた・・・

この屋敷後に、約300年後、玉造カトリック教会が建立される事になる、その玉造カトリック教会の正面玄関の左側には、高山右近の像が、右側には細川ガラシャの白い像が今も立っている。
そして細川ガラシャの辞世の句が彫られた碑が立っている。
このような句である
「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」 それは、
花は散る季節を知っているからこそ、花として美しい、私もそうありたいと言う詩である。
細川ガラシャ享年38歳、ガラシャの死の数時間後、オルガンティノ神父は細川屋敷の焼け跡を訪れてガラシャの骨を拾い教会で彼女の為にミサを行い、堺のキリシタン墓地に葬った。細川忠興はガラシャの死を深く悲しみ、後に大阪の崇禅寺へ改葬した。














第十六章(猫間川のほとりで)

猫間川は玉造の付近で船溜りになっていて水運による物流の集積地としても賑わっていた。現代では、失われた川となってはいるが・・・

その猫間川のほとりに二人は気がつくと来ていた。そして二人は、川の土手に座った。遠くに越中屋敷の火が夜の暗闇に浮かんでいた。なぜかそれは、新七郎には、遠い世界の出来事であった様で現実感が湧いて来なかった。

しばらくは、沈黙の時間が流れた。最初に口を開いたのは、きこだった。

「新七郎さん(当然きこには、孝司は新七郎だった)、ガラシャ様も姉上も天国に行ってしまった。天国ってどんなところなのでしょう?」 
「きこさん、天国には苦しみも、悩みもない世界と聖書は言っています。姉上もガラシャ様も今頃はデウス様に忠実な僕よ、よくやったと抱きしめられている光景が目に浮かびます。」
「新七郎様・・・きこは、姉上と共に天国に行くつもりでした。ここに新七郎様と共にいる事がデウス様のお導きならば、私は新七郎様と共に生きて行きとうございます。」 新七郎は、まさに自分が思っていた事を先にきこに言われてしまったので驚きを隠せなかった。
「拙者もまさに、今ここに生かされている事が、デウス様からの啓示の様な気がしてなりません。きこさんを初めてお目掛けした時から拙者は、きこさんが自分にとってのマリアだと思っていました。」 

「私も初めて新七郎様とお会いした時から、運命的なものを感じていました。」 

それ以上の言葉は二人には必要がなかった。
猫間川に飛び交う無数の蛍の光は、暗闇に残像として光の線を描き、二人はそれを無言で何時間も見つめていた。

そしてその3か月後・・・

天下分けの合戦、「関ヶ原の戦い」が始まるのだった。














第十七章(そして現代へ)

「きこ! はよ起きなさい、教会に遅れんで」と紀子、そして食卓には、朝ごはんのトーストとハムエッグが出来上がっていて、孝司は新聞を読みながらコーヒーを飲んでいた。 きこが起きてきた。きこは、今年小学校に上がったばかりだった。
「おはよう」きこは目をこすりながらそう言うと孝司の横に座った。
「きこちゃん、歯磨いたんか?」
孝司の言葉にきこは頭をかきながら「あっ、忘れてた」と言って洗面所に向かって行った。そんなきこを見て紀子は笑った。

その10年前・・・

孝司は、高校を卒業し京都のミッション系の大学に進んだ。悪友の慎二も同じ大学だった。

二人は、地下鉄烏丸駅を出て今出川のキャンパスに向かっていた。多くの学生が二人の前を歩いていたが、ちょうど前にいた小柄な女の子が振り返った。

「あっ」孝司は声にならない声を出した。 それは紀子だった、紛れもなくあの少女だった紀子が大学生になって孝司の前に現れた様だった。

その少女は、孝司になんとも言えない微笑みを返し、また前を向いて今出川キャンパスに消えていった。

「おい、孝司、あの女の子お前の事知っとんのか?なんか意味深な笑いをしてへんかったか?」

慎二のその問いかけになんと答えれば良いのか孝司は判らなかった。
「せやな・・知ってる様な、知らん様な・・・」
「なんやそれ?あほとちゃうか!まぁあんな可愛い子が孝司の事を気にするはずないもんな・・・」

二人は、その大学の商学部になんとかかろうじて合格した。お互いに奇跡の合格と笑いあったものだった。大学のクラスは、あいうえお順にクラス分けがされていたので、孝司と慎二は別のクラスだった。

「ほんなら、昼休みに学食で・・」
「わかった・・・」

孝司は、慎二と別れると一限目の英語の授業まで時間があったので、休憩室で時間を潰そうと商学部の校舎の東の端にある休憩室に向かっていた。気がつくと、自分の前に朝のあの彼女が歩いていた。 彼女もどうやら休憩室に向かっている様だった。
孝司はその後を追いかけた・・・というか孝司も休憩室に行きたかったからだったのだが・・休憩室に入ると先に入っていた彼女は入り口の対面にあるベンチに座っていた。
孝司は、入り口の左にあるベンチに腰をかけ、履修科目の一覧表を見ながら履修科目の選択をする事にした。ただ、どうしても自分から見て左にちらちら見える彼女の事が気になって仕方なかった。朝のあの微笑みは何だったのか?
彼女は、あの紀子ちゃんなのか? でも年が違いすぎるし・・そんな事を考えていた時・・・

「あの・・・隣に座っていい?」 彼女だった。

「・・・あ どうぞ」

孝司は、年甲斐もなく顔が赤くなっているのが自分でもわかった。

「こんな話・・・信じてもらえんと思うけど・・・うちの遠い先祖は、自分の遠い先祖に助けてもらったんや」

「え?どういう事なん?」孝司には何の事かちんぷんかんぷんだった。孝司には

時間を超えての一連の出来事は全く記憶に残っていなかったからだった。

「うちの先祖・・・江戸時代の先祖やけど、清原きこと言う名前やねん、彼女は、自分の先祖の新七郎という人と結婚の約束をしていたんや、せやけど新七郎さんは、二人が結婚のちぎりを交わしたその後にすぐ起こった、関ヶ原の戦いで戦死してしもうたそんなんや、きこさんは、新七郎さんと結婚する事はでけへんかったけど、命を救ってもらった新七郎さんといつかきっと結婚したい、代は変わっても遠い将来であっても結婚したいと思うてたんや・・・うちの名前は、清原紀子・・清原きこの末裔なんや・・」

「やっぱり紀子ちゃんなんや?」孝司は紀子ちゃんの記憶だけは残っていた。

「うん、ずっと一緒やったあの女の子はうちなんや・・・」

そして紀子は一冊の本を孝司に手渡した。

それは、コンテムツス・ムンジだった。

そうあの時の・・・コンテムツス・ムンジだった。





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