ここのつめの
文字数 7,946文字
人に降りかかる災厄に、前触れはない。
待てと言おうにも、責任者など存在しない。
俺が失ったものはほんの些細なもの。だけど、替えの利かない重大なもの。
ある日を境に、俺を支える旋律が消失した。
奇蹟のような音色が響くことは、もう一切ない。
ロックバンド・第究惑星はスリーピースだ。
ヴォーカル・ギター、十条杜司 。
ベース、白鳥葉哉 。
ドラムス、武蔵幹也 。
高校で結成したバンドは、地道なバンド活動が実を結び、晴れてメジャーデビューの運びとなった。
インディーズからのファンが俺たちの背を押してくれた。決して易しい道のりではないことは承知していた。
それでも。
ライブの高揚感、箱の中の宇宙を掌握した気持ち。何物にも代え難い、承認の波。
暗がりから伸びる無数の拳、拍手、歓声、アンコールの掛け声。
俺は、何よりもそれが好きだった。
もっと楽しみたい。もっと楽しませたい。
音楽は必ずしも人の生活に必要なものではない。余分であるにも関わらず、俺はそれを止められない。
何故なら、歌が俺を急き立てるから。
もっと高く、もっと遠く。刻む旋律は脳を震わせ、重低音は胃の底に轟く。
いち、にの、さん、で駆け出して、ライブやイベントに身を投じて、少しずつ、俺たちを知っている人が増えて。
それで満足だった。
満足だったのに、なんで。
★★★
第究惑星の活動は、ファーストミニアルバム発売、その後の幾つかのライブを最後に、ぷつりと途切れた。
原因は公表されていない。活動再開時期は未定。
だが、ファンの間に真偽の定かでない情報が流布し、再始動は見込めないとされていた。
曰く――ヴォーカル・ギター、杜司の左指が、事故により切断された、と。
★★★
深夜、湯屋那捺の電話からコール音が鳴る。
既に寝床に入っていた彼は、嫌々携帯を取る。コールの相手を確認するや、音もなく寝床を出て廊下に出た。
「はい」
相手は彼のバンド、the apple of discodeの仲間、第究惑星の葉哉だった。彼は微かな空笑いの後に、続ける。
『聞いてくれよぉ、ユヤタン』
「切るぞ」
那捺――バンドではyuya――はこの渾名が嫌いだった。冗談と判じ、終話ボタンに指をかける。
『ま、待てよ! 悪かった。大事な話なんだ』
葉哉は慌てて真面目な声色になった。那捺はもう一度、携帯を耳にあてる。
「どうかしたのか」
暫しの沈黙。電話越しの葉哉の息は、震えているようだった。囁くように、感情を殺すように、ゆっくりと言葉が紡がれた。
『第究惑星、解散の危機だ』
那捺は眉尻を上げる。
「何だって? 何があった」
電話の声は尚も震えている。向こうの葉哉はどんな表情をしているのか。
『あの、さ。うちのヴォーカル、杜司』
「ああ、杜司がどうした」
途切れ途切れの言葉を、何とか咀嚼しようと耳を傾ける。思えば、葉哉の様子は尋常ではない。
『左手、指、つ、潰れて、せつ、切断って』
最早鼻水を啜る音すら隠せていない。那捺もかける言葉を失っていた。
左手の指。楽器を演奏する者、特に弦楽器奏者にとっては、音色を決める要となるもの。
潰れて?
切断?
意味が、訳が、わからない。
「……原因を、聞いても?」
『ライブハネて、裏戻って、途中、セットが、杜司、ギター右手で庇って、左が』
ブツブツと断たれ文にならない文節を拾って、那捺は事態を把握した。
「それはさっきのことか? おまえ、今どこだ」
杜司はもちろん心配だが、取り乱した葉哉も不安だ。那捺は居間に入り、財布と鍵を持って外に出る支度をする。
『一週間前。杜司、退院してて、連絡取れない……』
何をやっていたんだ、と恫喝するのをぐっと抑える。今回の被害者は杜司本人だけじゃない。
『ユヤタン、どうしよう。俺、俺……』
「待ってろ。動くな。今行くから、何もするなよ?」
今にも死にそうな葉哉を宥め、居場所を聞いてから電話を切った。
ジャケットを羽織って出ていこうと扉に手をかけると、後ろから呼び止める声があった。
「俺も行く」
「紅児」
ドラムスの大間田紅児――madao――は、既に覚醒して身支度を済ませていた。
「いつから聞いてたんだよ」
「布団を出たところからだな」
「ふっ、全部かよ」
吹き出したところで、肩の力が抜けたのを感じていた。那捺は知らず、自身も動転していたのだった。
紅児と那捺は、連れ立って指定されたファミレスに入った。杜司に連絡が取れないことに慌てた葉哉は、当然ながら幹也に真っ先に連絡しており、部屋に籠るのは良くないからと外に連れ出されたそうだ。賢明な判断だった。
「よう」
「ああ」
那捺に応じたのは幹也だった。葉哉はうつ伏せになったまま身じろぎすらしない。
「大丈夫か、こいつ」
那捺は冷静に、冷静たらんとしつつ、うつ伏せの葉哉をつつく。幹也は冷めた顔で軽く首をすくめた。
「葉哉が言っていたのは本当か?」
ふたりは着席し、飲み物を頼んでから切り出した。動かない葉哉に変わって、幹也が説明する。
「本当だ。杜司には入院中も一切会えなかったし、今はマネージャーさんに探し回ってもらっている」
the apple of discodeと第究惑星の担当は同じ男だ。出掛けに那捺も連絡を入れていたが、一向に出なかったのはそういう訳か。
不意に、呻くように葉哉が発言した。
「うう……杜司……杜司がいないと、終わりだ……」
「……」
背筋に悪寒が走ったのは、どうして。
那捺は首を振って悪い感触を払い、しっかりとふたりを見た。隣には、紅児がでかい図体で沈黙している。大丈夫だ。バンドのリーダーとして、発言した。
「俺たちは身内じゃないが、仲間ではある。杜司は死んだわけじゃない。ギターが弾けないなら、ヴォーカルだけでも頼めば良いんじゃないか? サポメンにうちの妹馬鹿を貸すから」
「駄目だ」
強い否定。発したのは、顔を上げた葉哉だった。腫れて充血した目に、鈍い光が灯っている。
「十条杜司はうちの要だ。ビジュアルも、歌も、ギターも、どれが欠けてもいけない。ましてや代理なんて、お断りだ」
「葉哉」
幹也が窘めるが、舌鋒は止まらない。
「同情しに来たのか? ふざけるな、される方が惨めなんだよ。杜司のギターパートはあいつのためだけの旋律だ。あいつを想ってつくったんだ。それを他人に弾かせてたまるか」
☆☆☆
「で、なんでオレのとこ来たの。ここじゃあすぐバレるよ? さっきだって、マネージャーさんから連絡あったし」
深夜のワンルーム。妹馬鹿と罵られていることを知らない、the apple of discodeのギター、和久津晴景――waku――の部屋である。
深夜であるにも関わらず、彼の部屋には来客があった。
毛布を借りて包まり、震えている……騒動の中心、十条杜司その人だ。
「良いんだ。少し時間が欲しいだけ。落ち着いたら、すぐに出て行くから。ごめんね、迷惑かけて」
「迷惑なんて思ってないから、良いんだけど……」
呼び鈴が鳴ったのは、日付が変わった頃。
助けてくれ、と細い声で懇願する杜司を拒むのは、人としてどうかしている。
扉を開けた晴景は、やつれ、ひとまわり小さくなった杜司に驚き、更に左手に巻かれた包帯を見、かける言葉を失った。
明らかに、巻いている面積が小さい。
すらりと伸びていたはずの指、そのうち二本――人差し指、中指の先が、ない。
晴景はその理由を聞くことができなかった。
詮索するな、と杜司の目が物語っていたから。
杜司は、メンバーにも誰にも連絡を取らないでほしいとだけ言った。晴景はそれに従い、但しこっそりと那捺にだけはLINEを残し、彼と対峙している。
「君の部屋さ……凄いね」
杜司は表情に乏しい声で呟いた。彼の目は、部屋の四方八方に張り巡らされた写真に釘付けだった。
あちらこちらに貼られている写真にはひとりの女だけが写っている。風呂上がりの写真、洗い物をしている写真、あらゆるものが普通のポートレートではなく、盗撮に近い印象を受ける。
「凄く、可愛いだろ? 千景はオレの自慢の妹だ!」
妹なのか。
妹に対する愛情以上の執念を感じるが、それは訊いてはいけないことだろう。
晴景の平素と変わらぬ態度、加えてちょっと、かなり異様な部屋の影響があり、杜司の強張った神経は少しずつ穏やかになってきた。彼は出された烏龍茶をひとくち飲むと、息を吐いて、吸って、訥々と事情を語り出した。
「実は、……葉哉くんのことなんだけど」
★★★
重ねられる暴言に、立ち上がって掴みかかろうとした那捺を制したのは、隣の紅児だった。
「待て」
「止めるな紅児! 聞いてりゃこいつ、勝手ばっか言いやがって。ぶん殴らないと気が」
「待て」
紅児は低い声で那捺を諫めた。表情の変わらない真っ直ぐな眼差しに、那捺は言葉を呑み込み、舌打ちをして座り直した。
「葉哉からは俺が話を聞く。おまえらはあっちだ。ここは禁煙席だから」
静かな声には有無を言わせぬ圧力があった。おまえら、と示されたのは那捺と幹也だ。別々に話をする、ということらしい。
「……わかったよ。行くぞ」
那捺は幹也と目配せをして席を立った。紅児が奥に移動し、ボックス席には奥にふたりが向かい合う形となった。
「……」
紅児は再びうつ伏せになった葉哉を見つめたまま黙している。話を聞くといいつつ、打たねば響かぬのが彼のスタイルだった。
「……杜司は」
葉哉が語り出した。紅児は黙って続きを促す。
「杜司は、俺の理想形なんだ」
「……そうか」
「杜司は格好良い。ハーフだろう? 英語もペラペラで、背も高くて、声も良い。俺が夢見たロックスターそのもの、なんだ」
「ふむ……」
相槌を打っていると、葉哉がやおら頭を上げ、上擦り熱を帯びた声で、言う。
「あいつは、俺だ」
☆☆☆
「葉哉くんは、僕に理想像を見ているようなんだ」
「はぁ?」
状況と関わりがわからない告白に、晴景は声を裏返らせた。
「冗談みたいだろう? そうだったら、良かったんだけど」
表情を翳らせた杜司の様子を見て、晴景は居住まいを正した。全く関係ない話、というわけでもないらしい。
「僕、父さんが米軍の軍人なんだ。横須賀辺りじゃ珍しくもないんだろうけど、僕の家は千葉の近く。散々好奇の目で見られたよ」
と、指の断片が痛んだのか、杜司が小さく呻いた。晴景はビニール袋に氷を入れ、手早く即席の氷嚢を作ってやった。
「ありがとう。……葉哉くんの家はお隣で、ひとつ歳上なんだけど、いつも庇ってくれていた。良いお兄さんだった」
杜司は烏龍茶のコップを煽り、空にして、続けた。
「小学生のいじめなんて長く続かないものさ。そのうち僕は、同級生に溶け込んでいった。だけど、葉哉くんはそう思わなかった」
首を振り、
「違うな。誰かと仲良くすることには文句は言わなかった。そうはせずに、先に約束を取り付けて独占しだしたんだ」
烏龍茶のお代わりを注ごうとした晴景の手が止まる。晴景の凝視に後押しされるよう、話は続く。
「葉哉くんはそのときの気分で僕を連れ回した。嫌になって、高校は別のところを選んだのに、葉哉くんは僕に、ギターを持たせた」
杜司が顔を上げる。
「そのとき、葉哉くん、なんて言ったと思う?」
杜司は笑った。力ないそれは、見るだに痛々しかった。
「『俺の理想を叶えてくれ、杜司』」
★★★
店の外、灰皿だけが置かれた場所に、那捺と幹也は並び立つ。
幹也がジッポを点け、那捺の口に寄せた。煙草を銜えた那捺は、その先を火に向ける。
一息目を吸い、吐いて、那捺は徐ろに質問を始めた。
「葉哉のアレは、なんだ?」
幹也も息を吐き出す。煙を吐くには少し長い、溜め息。
「……いつもの発作だよ」
那捺は渋面を作り、煙草を持った手を振る。
「発作? そんな大層なモノじゃあなかったろう。あれは、ただの癇癪だ」
「いいや、」
幹也は穏やかに首を横に振る。
「発作なんだよ。第究惑星は葉哉の夢。誰でもなかった、何者かになりたかった葉哉が、世間に認められるための、ね」
詰問するつもりだった那捺の口が、はの字で固まって止まる。顔の全面が「理解に苦しむ」と訴えている。
幹也はふ、と軽く息を吐き、説明をした。
「おれが葉哉と出会ったのは高校の頃だが、軽音部に入った時点で既に、自己顕示欲の権化だった。しかも質が悪いことに、あいつにはご立派な幼馴染みがいたんだ」
「……それが、十条杜司」
煙草を銜えた幹也は、緩やかに煙を肺に入れる。国産ではないのか、華やかな香りが漂い、パチパチと先端が爆ぜる音がした。
「男のおれから見ても、杜司は格好良かった。葉哉が、理想のロッカーを投影するのも無理はない。その行為を肯定するつもりはないがね」
ふたりは同時に、灰皿に灰を落とした。そのまま口をつける幹也に、那捺は煙草を下げたまま問う。
「第究惑星の実質的リーダーはおまえだ、幹也。発足したときから拗れていた人間関係を、修復しようと思わなかったのか? いや、そもそも、何故これまでおまえたちは波風立たなかったんだ」
幹也は声を立てて笑った。那捺はここにきて、ようやく疑問を抱いた。葉哉があれほど取り乱していた、彼でなくてもショックだろう仲間の事故で、何故この男はこうも飄々としていられる?
「波乱はあったさ。しょっちゅうだ。おまえたちと対バンしただろう? あの時も楽屋で揉めていた。葉哉が作った曲やセットリストに対する、意見の相違だった」
幹也は笑い続ける。手元の煙草が揺れて、灰が散った、ひらひらと――。
「葉哉は、エゴのために杜司を利用し続けた。酷い話だと思うか? おれはそうは考えなかった。どんな形であれ、理想を追いかけ続ける葉哉が、おれは好きだったんだ……」
☆☆☆
「僕はね、指が潰れたとき、ああ、ようやく葉哉くんが僕を諦めてくれる、って安堵したんだ」
杜司は氷嚢を除けて、欠けた左手の指をルームライトにかざした。
「やっと、僕自身のための暮らしが出来る、って。僕さ、人前に立つの、苦手なんだよ」
「まじで!?」
聞いていた晴景は頓狂な声を上げた。何度か見たことがあるが、第究惑星のライブは威風堂々たるもので、新人らしからぬ風格すらあった。
「大体が演技だよ。僕は、あっ、ライブのとき大体『俺』って言ってるよね。全部、葉哉の思い描いたロックスターをなぞっているだけなんだ」
「オレ……馬鹿だから、真似できねぇわ……」
頭を抱えた晴景に、杜司は柔らかに微笑んだ。
「晴景くんは、勉強が出来なくても、頭が悪い訳じゃないと思う。きっとバンドの皆も、わかって……」
笑顔が翳った。杜司は俯き、欠けた指を確認するように掌を握ったり開いたりした。
「駄目だね。やっぱり駄目だ。互いが互いを理解する関係、なんかじゃなかったよ。僕ら、最初から破綻していたんだ……」
ポケットから携帯を取り出した杜司は、ひとつ頷くと電源を入れた。
「晴景くん、連絡するよ。葉哉くんに」
そばにいてくれる? と問う声は力を取り戻していたが、語尾が掠れていた。晴景は隣に座り肩を組み、力強く応じる。
「もちろん。頑張れよ」
ファミレスに居座るふたりは膠着していた。葉哉は杜司への熱情を語り終えるや、また泣き崩れ腕の中に閉じこもり、紅児は少しも話しかけない。呆れているわけではなく、葉哉を慮っての行動だった。
不意に、テーブルに置かれた携帯が着信音を喚き出した。バネ仕掛けのように飛び起きた葉哉は、画面を見て狂喜した。
「杜司だ!」
紅児は無言で頷く。許可を得た葉哉は、その場で通話ボタンを押した。
「もしもし? 杜司だな? 心配したんだ、どこにいる?」
輝きを取り戻した葉哉の表情は、話し込むほどに鈍り、別物に変じた。
――それは、憤怒。
「っざけんな! なんで、どうして辞めるんだよ!? 俺たち、上手くいってたじゃねぇか! このままプロでやれるんだぞ!?」
怒声がファミレスに響いた。店員が注意をしようと寄ってくる。だが、葉哉にはそんなものは見えていない。
「俺がおまえにギター教えたんだろ!? ライブの楽しさを! ステージの興奮を! 全部、なかったことに出来るのか、おまえは!」
『出来るよ』
スピーカーから洩れ出した杜司の声が、紅児の耳にも聞こえた。震えてはいるが、意志の籠もった言葉が。
『僕にとって、バンド活動は必要じゃなかった。指が欠けてわかったんだ。もう、僕らは一緒にいるべきじゃない』
葉哉の携帯が、握りしめられ軋みを上げた。怒りに燃えていた瞳から、不意に色が消えた。
「……わかった今からそっちに行く待ってろ」
一息に告げると乱暴に電話を切り、葉哉は出ていこうとした。
「待て」
「部外者には関係ない」
「やる気のない者に、無理強いをするつもりだろう」
葉哉は鬼の形相で紅児を睨む。紅児は怯むことなく、正面からその目を受け止めた。
「もし音楽を続けたいのなら、どんなに苦難があろうとも、手段を選ばず再び立ち上がるはずだ。そういうやつを、俺は知っている」
紅児は淡々と、事実を突きつける。
「だが、杜司は果たしてそうなのか?」
「……ッ!」
葉哉は紅児から顔を背け、駆け出した。最後に見えた表情は、怒り、悲しみ、苦しみ――どれとも取れるし、どれとも異なっていた。
紅児はひとつ息をつくと、ゆっくりと会計を済ませ、ファミレスの扉を開けた。
「お疲れ」
そこには、片手で応じる那捺の姿だけがあった。
「幹也は」
「行ったよ。葉哉が飛び出したろう? あれを見て、血相変えて追いかけてった」
「そうか。……一本、もらっても?」
「良いぜ」
那捺の手から煙草をもらうと、ライターで手早く点火した。
深夜の街は、すっかり寝静まっていた。ファミレスの灯りに照らされたふたつの影が、長くアスファルトにしがみついている。なんともなしに、ふたりは地面を眺めていた。
「もう、第究惑星の復活はないだろう」
「ないな。あのふたりは、杜司に会いに行けない。心が折れてたからな」
深い溜め息がふたつ。お互いを見合い、軽く吹き出した。
「あいつら、ろくでもねぇ糞野郎どもだったわ。パフォーマンスには一目置いていたのに。第一、俺をユヤタンと呼ぶ奴にはろくなのがいねぇ」
「自覚の有無に関わらず、悪いことをしない人間はいない」
紅児の悟った物言いに、那捺が思い出して携帯を取り出した。
「そういや、晴景のLINE、既読スルーしてたの忘れてた」
「そら、見たことか。おまえも大概、悪い男だ」
にやりと笑い片目を瞑った紅児の言葉に、那捺はおどけて悪い笑みを浮かべた。
「違い無ぇ」
★★★
後日、事務所から正式に第究惑星の解散が発表された。
原因は、メンバーの失踪。噂と異なる結末に、ファンのみならず世間一般にその事件が知られることとなる。
かくして、第究惑星の名は「伝説」となった。
かつて、その栄誉を望んだ男がいた。深夜の街に駆け出した愚者の末路は、誰にも知られることはない――。
待てと言おうにも、責任者など存在しない。
俺が失ったものはほんの些細なもの。だけど、替えの利かない重大なもの。
ある日を境に、俺を支える旋律が消失した。
奇蹟のような音色が響くことは、もう一切ない。
ロックバンド・第究惑星はスリーピースだ。
ヴォーカル・ギター、
ベース、
ドラムス、
高校で結成したバンドは、地道なバンド活動が実を結び、晴れてメジャーデビューの運びとなった。
インディーズからのファンが俺たちの背を押してくれた。決して易しい道のりではないことは承知していた。
それでも。
ライブの高揚感、箱の中の宇宙を掌握した気持ち。何物にも代え難い、承認の波。
暗がりから伸びる無数の拳、拍手、歓声、アンコールの掛け声。
俺は、何よりもそれが好きだった。
もっと楽しみたい。もっと楽しませたい。
音楽は必ずしも人の生活に必要なものではない。余分であるにも関わらず、俺はそれを止められない。
何故なら、歌が俺を急き立てるから。
もっと高く、もっと遠く。刻む旋律は脳を震わせ、重低音は胃の底に轟く。
いち、にの、さん、で駆け出して、ライブやイベントに身を投じて、少しずつ、俺たちを知っている人が増えて。
それで満足だった。
満足だったのに、なんで。
★★★
第究惑星の活動は、ファーストミニアルバム発売、その後の幾つかのライブを最後に、ぷつりと途切れた。
原因は公表されていない。活動再開時期は未定。
だが、ファンの間に真偽の定かでない情報が流布し、再始動は見込めないとされていた。
曰く――ヴォーカル・ギター、杜司の左指が、事故により切断された、と。
★★★
深夜、湯屋那捺の電話からコール音が鳴る。
既に寝床に入っていた彼は、嫌々携帯を取る。コールの相手を確認するや、音もなく寝床を出て廊下に出た。
「はい」
相手は彼のバンド、the apple of discodeの仲間、第究惑星の葉哉だった。彼は微かな空笑いの後に、続ける。
『聞いてくれよぉ、ユヤタン』
「切るぞ」
那捺――バンドではyuya――はこの渾名が嫌いだった。冗談と判じ、終話ボタンに指をかける。
『ま、待てよ! 悪かった。大事な話なんだ』
葉哉は慌てて真面目な声色になった。那捺はもう一度、携帯を耳にあてる。
「どうかしたのか」
暫しの沈黙。電話越しの葉哉の息は、震えているようだった。囁くように、感情を殺すように、ゆっくりと言葉が紡がれた。
『第究惑星、解散の危機だ』
那捺は眉尻を上げる。
「何だって? 何があった」
電話の声は尚も震えている。向こうの葉哉はどんな表情をしているのか。
『あの、さ。うちのヴォーカル、杜司』
「ああ、杜司がどうした」
途切れ途切れの言葉を、何とか咀嚼しようと耳を傾ける。思えば、葉哉の様子は尋常ではない。
『左手、指、つ、潰れて、せつ、切断って』
最早鼻水を啜る音すら隠せていない。那捺もかける言葉を失っていた。
左手の指。楽器を演奏する者、特に弦楽器奏者にとっては、音色を決める要となるもの。
潰れて?
切断?
意味が、訳が、わからない。
「……原因を、聞いても?」
『ライブハネて、裏戻って、途中、セットが、杜司、ギター右手で庇って、左が』
ブツブツと断たれ文にならない文節を拾って、那捺は事態を把握した。
「それはさっきのことか? おまえ、今どこだ」
杜司はもちろん心配だが、取り乱した葉哉も不安だ。那捺は居間に入り、財布と鍵を持って外に出る支度をする。
『一週間前。杜司、退院してて、連絡取れない……』
何をやっていたんだ、と恫喝するのをぐっと抑える。今回の被害者は杜司本人だけじゃない。
『ユヤタン、どうしよう。俺、俺……』
「待ってろ。動くな。今行くから、何もするなよ?」
今にも死にそうな葉哉を宥め、居場所を聞いてから電話を切った。
ジャケットを羽織って出ていこうと扉に手をかけると、後ろから呼び止める声があった。
「俺も行く」
「紅児」
ドラムスの大間田紅児――madao――は、既に覚醒して身支度を済ませていた。
「いつから聞いてたんだよ」
「布団を出たところからだな」
「ふっ、全部かよ」
吹き出したところで、肩の力が抜けたのを感じていた。那捺は知らず、自身も動転していたのだった。
紅児と那捺は、連れ立って指定されたファミレスに入った。杜司に連絡が取れないことに慌てた葉哉は、当然ながら幹也に真っ先に連絡しており、部屋に籠るのは良くないからと外に連れ出されたそうだ。賢明な判断だった。
「よう」
「ああ」
那捺に応じたのは幹也だった。葉哉はうつ伏せになったまま身じろぎすらしない。
「大丈夫か、こいつ」
那捺は冷静に、冷静たらんとしつつ、うつ伏せの葉哉をつつく。幹也は冷めた顔で軽く首をすくめた。
「葉哉が言っていたのは本当か?」
ふたりは着席し、飲み物を頼んでから切り出した。動かない葉哉に変わって、幹也が説明する。
「本当だ。杜司には入院中も一切会えなかったし、今はマネージャーさんに探し回ってもらっている」
the apple of discodeと第究惑星の担当は同じ男だ。出掛けに那捺も連絡を入れていたが、一向に出なかったのはそういう訳か。
不意に、呻くように葉哉が発言した。
「うう……杜司……杜司がいないと、終わりだ……」
「……」
背筋に悪寒が走ったのは、どうして。
那捺は首を振って悪い感触を払い、しっかりとふたりを見た。隣には、紅児がでかい図体で沈黙している。大丈夫だ。バンドのリーダーとして、発言した。
「俺たちは身内じゃないが、仲間ではある。杜司は死んだわけじゃない。ギターが弾けないなら、ヴォーカルだけでも頼めば良いんじゃないか? サポメンにうちの妹馬鹿を貸すから」
「駄目だ」
強い否定。発したのは、顔を上げた葉哉だった。腫れて充血した目に、鈍い光が灯っている。
「十条杜司はうちの要だ。ビジュアルも、歌も、ギターも、どれが欠けてもいけない。ましてや代理なんて、お断りだ」
「葉哉」
幹也が窘めるが、舌鋒は止まらない。
「同情しに来たのか? ふざけるな、される方が惨めなんだよ。杜司のギターパートはあいつのためだけの旋律だ。あいつを想ってつくったんだ。それを他人に弾かせてたまるか」
☆☆☆
「で、なんでオレのとこ来たの。ここじゃあすぐバレるよ? さっきだって、マネージャーさんから連絡あったし」
深夜のワンルーム。妹馬鹿と罵られていることを知らない、the apple of discodeのギター、和久津晴景――waku――の部屋である。
深夜であるにも関わらず、彼の部屋には来客があった。
毛布を借りて包まり、震えている……騒動の中心、十条杜司その人だ。
「良いんだ。少し時間が欲しいだけ。落ち着いたら、すぐに出て行くから。ごめんね、迷惑かけて」
「迷惑なんて思ってないから、良いんだけど……」
呼び鈴が鳴ったのは、日付が変わった頃。
助けてくれ、と細い声で懇願する杜司を拒むのは、人としてどうかしている。
扉を開けた晴景は、やつれ、ひとまわり小さくなった杜司に驚き、更に左手に巻かれた包帯を見、かける言葉を失った。
明らかに、巻いている面積が小さい。
すらりと伸びていたはずの指、そのうち二本――人差し指、中指の先が、ない。
晴景はその理由を聞くことができなかった。
詮索するな、と杜司の目が物語っていたから。
杜司は、メンバーにも誰にも連絡を取らないでほしいとだけ言った。晴景はそれに従い、但しこっそりと那捺にだけはLINEを残し、彼と対峙している。
「君の部屋さ……凄いね」
杜司は表情に乏しい声で呟いた。彼の目は、部屋の四方八方に張り巡らされた写真に釘付けだった。
あちらこちらに貼られている写真にはひとりの女だけが写っている。風呂上がりの写真、洗い物をしている写真、あらゆるものが普通のポートレートではなく、盗撮に近い印象を受ける。
「凄く、可愛いだろ? 千景はオレの自慢の妹だ!」
妹なのか。
妹に対する愛情以上の執念を感じるが、それは訊いてはいけないことだろう。
晴景の平素と変わらぬ態度、加えてちょっと、かなり異様な部屋の影響があり、杜司の強張った神経は少しずつ穏やかになってきた。彼は出された烏龍茶をひとくち飲むと、息を吐いて、吸って、訥々と事情を語り出した。
「実は、……葉哉くんのことなんだけど」
★★★
重ねられる暴言に、立ち上がって掴みかかろうとした那捺を制したのは、隣の紅児だった。
「待て」
「止めるな紅児! 聞いてりゃこいつ、勝手ばっか言いやがって。ぶん殴らないと気が」
「待て」
紅児は低い声で那捺を諫めた。表情の変わらない真っ直ぐな眼差しに、那捺は言葉を呑み込み、舌打ちをして座り直した。
「葉哉からは俺が話を聞く。おまえらはあっちだ。ここは禁煙席だから」
静かな声には有無を言わせぬ圧力があった。おまえら、と示されたのは那捺と幹也だ。別々に話をする、ということらしい。
「……わかったよ。行くぞ」
那捺は幹也と目配せをして席を立った。紅児が奥に移動し、ボックス席には奥にふたりが向かい合う形となった。
「……」
紅児は再びうつ伏せになった葉哉を見つめたまま黙している。話を聞くといいつつ、打たねば響かぬのが彼のスタイルだった。
「……杜司は」
葉哉が語り出した。紅児は黙って続きを促す。
「杜司は、俺の理想形なんだ」
「……そうか」
「杜司は格好良い。ハーフだろう? 英語もペラペラで、背も高くて、声も良い。俺が夢見たロックスターそのもの、なんだ」
「ふむ……」
相槌を打っていると、葉哉がやおら頭を上げ、上擦り熱を帯びた声で、言う。
「あいつは、俺だ」
☆☆☆
「葉哉くんは、僕に理想像を見ているようなんだ」
「はぁ?」
状況と関わりがわからない告白に、晴景は声を裏返らせた。
「冗談みたいだろう? そうだったら、良かったんだけど」
表情を翳らせた杜司の様子を見て、晴景は居住まいを正した。全く関係ない話、というわけでもないらしい。
「僕、父さんが米軍の軍人なんだ。横須賀辺りじゃ珍しくもないんだろうけど、僕の家は千葉の近く。散々好奇の目で見られたよ」
と、指の断片が痛んだのか、杜司が小さく呻いた。晴景はビニール袋に氷を入れ、手早く即席の氷嚢を作ってやった。
「ありがとう。……葉哉くんの家はお隣で、ひとつ歳上なんだけど、いつも庇ってくれていた。良いお兄さんだった」
杜司は烏龍茶のコップを煽り、空にして、続けた。
「小学生のいじめなんて長く続かないものさ。そのうち僕は、同級生に溶け込んでいった。だけど、葉哉くんはそう思わなかった」
首を振り、
「違うな。誰かと仲良くすることには文句は言わなかった。そうはせずに、先に約束を取り付けて独占しだしたんだ」
烏龍茶のお代わりを注ごうとした晴景の手が止まる。晴景の凝視に後押しされるよう、話は続く。
「葉哉くんはそのときの気分で僕を連れ回した。嫌になって、高校は別のところを選んだのに、葉哉くんは僕に、ギターを持たせた」
杜司が顔を上げる。
「そのとき、葉哉くん、なんて言ったと思う?」
杜司は笑った。力ないそれは、見るだに痛々しかった。
「『俺の理想を叶えてくれ、杜司』」
★★★
店の外、灰皿だけが置かれた場所に、那捺と幹也は並び立つ。
幹也がジッポを点け、那捺の口に寄せた。煙草を銜えた那捺は、その先を火に向ける。
一息目を吸い、吐いて、那捺は徐ろに質問を始めた。
「葉哉のアレは、なんだ?」
幹也も息を吐き出す。煙を吐くには少し長い、溜め息。
「……いつもの発作だよ」
那捺は渋面を作り、煙草を持った手を振る。
「発作? そんな大層なモノじゃあなかったろう。あれは、ただの癇癪だ」
「いいや、」
幹也は穏やかに首を横に振る。
「発作なんだよ。第究惑星は葉哉の夢。誰でもなかった、何者かになりたかった葉哉が、世間に認められるための、ね」
詰問するつもりだった那捺の口が、はの字で固まって止まる。顔の全面が「理解に苦しむ」と訴えている。
幹也はふ、と軽く息を吐き、説明をした。
「おれが葉哉と出会ったのは高校の頃だが、軽音部に入った時点で既に、自己顕示欲の権化だった。しかも質が悪いことに、あいつにはご立派な幼馴染みがいたんだ」
「……それが、十条杜司」
煙草を銜えた幹也は、緩やかに煙を肺に入れる。国産ではないのか、華やかな香りが漂い、パチパチと先端が爆ぜる音がした。
「男のおれから見ても、杜司は格好良かった。葉哉が、理想のロッカーを投影するのも無理はない。その行為を肯定するつもりはないがね」
ふたりは同時に、灰皿に灰を落とした。そのまま口をつける幹也に、那捺は煙草を下げたまま問う。
「第究惑星の実質的リーダーはおまえだ、幹也。発足したときから拗れていた人間関係を、修復しようと思わなかったのか? いや、そもそも、何故これまでおまえたちは波風立たなかったんだ」
幹也は声を立てて笑った。那捺はここにきて、ようやく疑問を抱いた。葉哉があれほど取り乱していた、彼でなくてもショックだろう仲間の事故で、何故この男はこうも飄々としていられる?
「波乱はあったさ。しょっちゅうだ。おまえたちと対バンしただろう? あの時も楽屋で揉めていた。葉哉が作った曲やセットリストに対する、意見の相違だった」
幹也は笑い続ける。手元の煙草が揺れて、灰が散った、ひらひらと――。
「葉哉は、エゴのために杜司を利用し続けた。酷い話だと思うか? おれはそうは考えなかった。どんな形であれ、理想を追いかけ続ける葉哉が、おれは好きだったんだ……」
☆☆☆
「僕はね、指が潰れたとき、ああ、ようやく葉哉くんが僕を諦めてくれる、って安堵したんだ」
杜司は氷嚢を除けて、欠けた左手の指をルームライトにかざした。
「やっと、僕自身のための暮らしが出来る、って。僕さ、人前に立つの、苦手なんだよ」
「まじで!?」
聞いていた晴景は頓狂な声を上げた。何度か見たことがあるが、第究惑星のライブは威風堂々たるもので、新人らしからぬ風格すらあった。
「大体が演技だよ。僕は、あっ、ライブのとき大体『俺』って言ってるよね。全部、葉哉の思い描いたロックスターをなぞっているだけなんだ」
「オレ……馬鹿だから、真似できねぇわ……」
頭を抱えた晴景に、杜司は柔らかに微笑んだ。
「晴景くんは、勉強が出来なくても、頭が悪い訳じゃないと思う。きっとバンドの皆も、わかって……」
笑顔が翳った。杜司は俯き、欠けた指を確認するように掌を握ったり開いたりした。
「駄目だね。やっぱり駄目だ。互いが互いを理解する関係、なんかじゃなかったよ。僕ら、最初から破綻していたんだ……」
ポケットから携帯を取り出した杜司は、ひとつ頷くと電源を入れた。
「晴景くん、連絡するよ。葉哉くんに」
そばにいてくれる? と問う声は力を取り戻していたが、語尾が掠れていた。晴景は隣に座り肩を組み、力強く応じる。
「もちろん。頑張れよ」
ファミレスに居座るふたりは膠着していた。葉哉は杜司への熱情を語り終えるや、また泣き崩れ腕の中に閉じこもり、紅児は少しも話しかけない。呆れているわけではなく、葉哉を慮っての行動だった。
不意に、テーブルに置かれた携帯が着信音を喚き出した。バネ仕掛けのように飛び起きた葉哉は、画面を見て狂喜した。
「杜司だ!」
紅児は無言で頷く。許可を得た葉哉は、その場で通話ボタンを押した。
「もしもし? 杜司だな? 心配したんだ、どこにいる?」
輝きを取り戻した葉哉の表情は、話し込むほどに鈍り、別物に変じた。
――それは、憤怒。
「っざけんな! なんで、どうして辞めるんだよ!? 俺たち、上手くいってたじゃねぇか! このままプロでやれるんだぞ!?」
怒声がファミレスに響いた。店員が注意をしようと寄ってくる。だが、葉哉にはそんなものは見えていない。
「俺がおまえにギター教えたんだろ!? ライブの楽しさを! ステージの興奮を! 全部、なかったことに出来るのか、おまえは!」
『出来るよ』
スピーカーから洩れ出した杜司の声が、紅児の耳にも聞こえた。震えてはいるが、意志の籠もった言葉が。
『僕にとって、バンド活動は必要じゃなかった。指が欠けてわかったんだ。もう、僕らは一緒にいるべきじゃない』
葉哉の携帯が、握りしめられ軋みを上げた。怒りに燃えていた瞳から、不意に色が消えた。
「……わかった今からそっちに行く待ってろ」
一息に告げると乱暴に電話を切り、葉哉は出ていこうとした。
「待て」
「部外者には関係ない」
「やる気のない者に、無理強いをするつもりだろう」
葉哉は鬼の形相で紅児を睨む。紅児は怯むことなく、正面からその目を受け止めた。
「もし音楽を続けたいのなら、どんなに苦難があろうとも、手段を選ばず再び立ち上がるはずだ。そういうやつを、俺は知っている」
紅児は淡々と、事実を突きつける。
「だが、杜司は果たしてそうなのか?」
「……ッ!」
葉哉は紅児から顔を背け、駆け出した。最後に見えた表情は、怒り、悲しみ、苦しみ――どれとも取れるし、どれとも異なっていた。
紅児はひとつ息をつくと、ゆっくりと会計を済ませ、ファミレスの扉を開けた。
「お疲れ」
そこには、片手で応じる那捺の姿だけがあった。
「幹也は」
「行ったよ。葉哉が飛び出したろう? あれを見て、血相変えて追いかけてった」
「そうか。……一本、もらっても?」
「良いぜ」
那捺の手から煙草をもらうと、ライターで手早く点火した。
深夜の街は、すっかり寝静まっていた。ファミレスの灯りに照らされたふたつの影が、長くアスファルトにしがみついている。なんともなしに、ふたりは地面を眺めていた。
「もう、第究惑星の復活はないだろう」
「ないな。あのふたりは、杜司に会いに行けない。心が折れてたからな」
深い溜め息がふたつ。お互いを見合い、軽く吹き出した。
「あいつら、ろくでもねぇ糞野郎どもだったわ。パフォーマンスには一目置いていたのに。第一、俺をユヤタンと呼ぶ奴にはろくなのがいねぇ」
「自覚の有無に関わらず、悪いことをしない人間はいない」
紅児の悟った物言いに、那捺が思い出して携帯を取り出した。
「そういや、晴景のLINE、既読スルーしてたの忘れてた」
「そら、見たことか。おまえも大概、悪い男だ」
にやりと笑い片目を瞑った紅児の言葉に、那捺はおどけて悪い笑みを浮かべた。
「違い無ぇ」
★★★
後日、事務所から正式に第究惑星の解散が発表された。
原因は、メンバーの失踪。噂と異なる結末に、ファンのみならず世間一般にその事件が知られることとなる。
かくして、第究惑星の名は「伝説」となった。
かつて、その栄誉を望んだ男がいた。深夜の街に駆け出した愚者の末路は、誰にも知られることはない――。