スケルトン・ダンス

文字数 4,175文字

 アイドルとバンドが見るもの、ステージから見える景色には、限りない差異がある。
 アイドルのコンサートは、自分たちをまず光らせる。照明で、衣裳で、演出で、歌で、客の視線を奪うのだ。呼応して客は様々な色のペンライト、応援うちわで舞台を照らす。天の川が現れたように光が波打ち、歌やダンス、パフォーマンスを祝福してくれる。
 対して、バンドはどうだろう。東園黎は、舞台袖からその景色を見ていた。
 ライトはない。もちろんステージの照明はある。だが客席から光が送られることはない。
 代わりに、無数の拳。掌。汗にまみれて、曲に呼応する叫び。
 物理的に輝いてはいない。暗くしているおかげで――人間が内面に持っている、喜びとか、楽しみとか、そういう意思の光が見える、気がする。
 黎はバンドメンバーに向き直った。彼らもきっと、客席と同じように、ぎらぎらとした魂を燃やしている。
 サングラスで隠した洸汰の目も、爛々と輝いているに違いない。
 生きているのだから。
 バンドマン、西野洸汰は、死んじゃいないのだから。

「ちょっと窮屈かも知れないけれど」
 再会して何度目かの席、洸汰はケロイドのない方の皮膚をくしゃりと縮ませて、控えめにケースに入れた紙片を机に滑らせた。
「客席からじゃなくて、今回は俺と同じものを見てほしいんだ」
 そうして渡されたバックステージ・パス。「永遠の果実なんてなかった ――the apple of discord全国ツアー」と書いてあるそれを首にかけて、黎は楽屋口で立ち尽くしていた。
 どうしたらいいのかわからないわけではない。東園黎はアイドルだ、それもそろそろ中堅と言って支障ないくらいの芸歴がある。今回の「ハコ」も、勝手は知っている。
 いや、知りすぎている。
 国内で最も知名度がある会場。そこで歌えば、アイドルでもミュージシャンでも一流の箔がつく。実力が備わってきた彼ら、通称・リンゴも、今日その「一流」を背負うことになる。
 黎も何度か、ここでツアーの最後を飾ったことがあった。
 そのうちの、最初のコンサート。
 かつて、黎がユニットでアイドル活動していた頃のことだ。
「……ここで、西野は」
 黎の視点は入口の一点に張り付いて、動かない。
 ドアノブよりやや上、腐食した上から塗り直された、わずかな塗装の色味の違い。
 関係者は皆知っていて、黎にだけ知らされていなかった、ある男の死。
 ーーある、アイドルの、ひんやりとした死の話。

『…………』
『ん、どうしたのかな。悪いけど、この後も予定があるから、お話できなくてごめんね』
『……のもの』
『え?』
『洸汰くん洸汰くん洸洸汰くくんはわた私私のものののだから無理ヤダ誰誰にも渡さないいい!』
『……ッ!』

Meltin’ meltin’ meltin’ down
I heard meltin’ my poor head
My voice is hoarse from a cry
In the cloudy day, I lost my way

 黎ははた、と顔をあげた。
 ここはもうステージ袖だ。手元よりも、苛烈な現場を見ておきたい。
 刻むギターに乗って、西野はAメロを歌い終えようとしていた。音は跳ね軽快で、なのに寂しい歌詞。
 歌い続けたせいではない、少し嗄れた声色が、更に哀を誘った。

あの日 俺は 腐ったんだ
そう言って カタカタ 笑う 笑う
たとえ この身 朽ちても
愛してくれるかな? なんてね。

 サビヘ向かって高まる観客へ、西野の歌声はむしろ、頭を冷やせと諭すように穏やかだった。かつて黎の隣で響いていた音。まるで青い薔薇のよう、とは、半ば物販諸々のプロモーションの意味合いを含んだ文句だったが……。
 何がしかの決意があるのだろう今日のライブ。無事に済んだら渡そうと思い持ってきた、黎の腕に抱かれた青薔薇のブーケが、熱くなっていく脈動に合わせて揺れていた。

スケルトン スケルトン ダンス
骨になっても 踊れ
なりふり構ってらんねぇよ
踊らなけりゃ 足掻かなけりゃ
スケルトン スケルトン ダンス
指先を高く 掲げて
骨の先でも 届かせなきゃ
ほんの少し 掠らなけりゃ さぁ!

 一声、建物中が呼吸を合わせ、飛んだ。
 暴れるギターメロディ、整えていると見せかけてかなり出鱈目に爪弾くベース、気持ちシンバルが増えるが、本当の意味で曲を保っているドラム。
 会場が沸く。拳は天高く、「スケルトンダンス」のタイトルに恥じない狂騒を呈している。
 黎は、嵐を起こした張本人たちを、まばたきすら忘れて見守っていた。

Burnin’ burnin’ burnin’ up
Lost my way, but I’m alive!
My voice echoed in my bone
Stand up! Hurry up! Dush right now!

もうとうに 俺は 腐ってんだ
誇らしく ケタケタ 笑う 笑う
たとえ この身 朽ちようとも
愛してほしいんだ。 なんてね!

 叫び出したい。
 この歌詞は、この歌はーー間違いない、西野が作ったものだ。この場で初めて演奏された新曲だけれど……きっとそう、西野は、ここで、この歌を歌いたかったんだ。
 アイドルの彼が死んだこの場所で。
 まだ生きているって、この歌を。

スケルトン スケルトン ダンス
骨になっても 踊る
まだ動く 魂 振り絞って
踊らなけりゃ 足掻かなけりゃ
スケルトン スケルトン ダンス
拳を高く 掲げて
声が嗄れても 届かせるよ
ほんの少し 怯えてるけど

「ッ、メンバーの! 紹介!」
 サビの昂りを引き継いだまま、更には演奏を止めないまま、西野が叫ぶ。ギターが唸った。
「ギター! ーー和久津晴景!」
 観客が固まった。拳を下ろして、困惑しているのが袖からでもわかった。黎自身、開いた口が塞がらなかった。
 呼ばれた和久津が、バンドの象徴たる覆面を取り、地面に叩きつけて、にやりと笑ったからだ。
「ベース! ーー湯屋那捺!」
 湯屋も覆面を脱いで、客席へ放り投げる。
 彼らは覆面バンドだ。結成当時から、名を隠し、顔を隠して活動していた。それは半ば、塩酸で爛れた顔の西野への配慮だったはずだが……憶測にすぎないが、他のメンバーも、顔出しできない理由をもっていたのではないのか。
「ドラムス! ――大間田紅児!」
 ひときわ派手なロールの後に、大間田が顔を出した。
 音楽は止まっている。客席も、不安げにさわさわと揺らめいていた。
 覆面バンドが顔を見せた。その決意の重さを、わからない観客ではない。
 この流れだと……。
「西野……」
 黎が噛んだ唇が、白くなっていく。
「ヴォーカル!」
 コーラス用のスタンドマイクをひったくって湯屋が呼んだ。
「――西野洸汰!」
 客席が静まり返る。その名は、かつてアイドルだった、理由も公表されず消えてしまった男の名だ。
 死人が、生き返った。
 西野は、マスクに手をかけて――
「……! やめ、」
「ごめんね、これは外せない」
 そのまま、話し出した。
「……びっくりさせてごめん。ちょっと、昔の話をさせてください。
 俺と同じ名前の、アイドルがいたって知ってるかな。それが、俺なんだけど。ふたりでユニット組んで、ここでもコンサートしてたんだ。数年前、いきなり消えたのは、その仕事が嫌いだったんじゃない。ちょっと……事故があって。覆面、外せないのは、まだ顔にその傷が残ってるからなんだ。だから、当時の事務所とか、関係者とか……仲間、とか。責めないでほし
い」
 深く、息を吸って。西野は会場を見渡した。ちらほらと、涙を浮かべる客が見えた。
「泣かないで。ただの昔話だから。バンドやめるわけじゃないし、傷ももう痛まない。だけど、もうそろそろ、皆には本当のことを伝えなきゃって思ったから」
 痛いほど、間をおいて、拍手が起きた。ひとりから始まって、漣のように全体に広まる。
「kohー!」
「洸汰くん!」
「洸汰ー!」
 呼び声が波及する。

「歌って!」

 誰かが。
 観客の誰かが言った途端、会場は期待の色に染まる。
 囃し立てる手拍子、飛び交う指笛、誰も、誰もが、西野を、このバンドを鼓舞して。
「そのままでいいよ!」
「リンゴ最高ー!」
「続きまだー!?」
 西野がアイドルだったから好きになったんじゃない。このバンドだったから、音楽が聞きたいんだ。
 そう、オーディエンスが言うから。
 だから西野は、高く拳を突きあげた。
「オーケー!」
 ドラムスティックの4カウントで、歌は息を吹き返した。

だって まだ 死んじゃいない!
くたばるまで 歌う 踊るぜ

スケルトン スケルトン ダンス
スケルトン スケルトン ダンス

 いつしか会場がコールを覚えて、笑顔と、汗と、好ましい陽の気が大舞台を包む。

いつか空は 晴れて
星が灯る 指

 西野はサングラスの下を拭った指を、頭上に掲げた。
 そこにライトが当たって、ほんの一瞬、本当に星が着地したように見えた。
「ありがとう!」
 涙声の感謝に、万雷の喝采が応えた。
 メンバーは皆一様に、満足げに笑んでいた。
 覆面バンドは死んだ。
 ここにいるのは、等身大の男が四人。
 息を潜めて生きてきた死人が、カタカタと、不格好に立ち上がった。
 その再起を、会場の誰もが喜び、祝福したのだった。


 ……ここが出発点なんだ。黎は思った。
 アイドルとして死んだ西野が、バンドマンとして蘇生する、出発点。
 なんて幸せな蘇りだろう!
 黎の隣にもう彼はいないけれど、でも、それでもいい。
 西野はまだ歌っていられる。
 彼らしい、優しい歌を聞いてもらえる。
「……見せつけやがって」
 黎はすん、と鼻を鳴らして、舞台に背を向けた。
 袖を抜けて楽屋方面の廊下に出ると、蛍光灯に照らされて、手元の薔薇が色を取り戻した。
「…………」
 この花は、今の西野に必要ないな。
 帰り際に、あの楽屋口に供えていこう。
 かつて死んだ、アイドルの弔いに。
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登場人物紹介

東園黎《とうぞのれい》

ソロアイドル。かつて洸汰とstarrrrrrrというデュオユニットで活動していた。子役上がりで、自分の仕事に責任をもっている。

西野洸汰《にしのこうた》(koh)

the apple of discordのボーカル。ある理由からアイドルを辞め、覆面バンドのボーカルになった。歌うことが命よりも大事。

和久津晴景《わくつはるかげ》(waku)

the apple of discordのギター。重度のシスコン、元引きこもり。ボカロPとしての才能を那捺に見出されメンバーになった。ちょっとお馬鹿。

湯屋那捺《ゆやななつ》(yuya)

the apple of discordのベース、リーダー。自分に才能がないことはわかっているが、才能がある人の使い方は上手い。すぐキレる。紅児とは幼馴染、同棲している。

大間田紅児《おおまだこうじ》(madao)

the apple of discordのドラムス。寺の息子。那捺のバンドへの熱意に惚れ込んでバンドを始めた。寡黙。

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