第1話

文字数 8,738文字

 昔々、神々と人とが曖昧な関係にあった時代。
 特に神に気に入られ、特殊な力を与えられた者の一族が、いくつか存在した。
 ひっそりと、その血を紡いでいた一族たちは、時を追うごとにその力を弱まらせ、それに焦りを覚えた種族が弱くなった種族を吸収することで、更にその数を減らしていた。
 その問題の種族も、そんな一族の一つだったが、数を減らさざるを得なかった事情は、少々異なった。
 彼らはただ一度、伴侶と決めた者以外とは、子を望まないという、少々厄介な取り決めをしている一族だったのだ。
 伴侶と、子を作る前に死別してしまえば、その子孫は途絶える。
 その為に、彼らは絶滅の兆しがあったのだが、それより前に滅びる事となった。
 その原因は、とある種族との抗争だった。
 戦闘民族でもあったその血を求め、突如襲い掛かった種族は、様々な力を駆使して力任せの種族を叩きのめしたのだ。
 そして、種族の族長の娘を連れ去ったと、伝えられていたのだが……。

 その刀の抜き身は、フユと呼ばれる猫の主が、その額縁に描いた絵画の中に招き入れたのだという。
「……で、自分を襲ったその白い猫に頼み込んで、世話をさせているんです」
「……」
 フユと言う名の、今は(つじ)ながれという画家の姿をした獣と、宮本満繁(みやもとみつしげ)に出迎えられた後、案内されたそこで説明を受けながら、その男女は呆然とその絵を見上げていた。
「……これを、シュウレイさんは?」
 いつもは優しい笑顔を絶やさない女が、案内してくれた父親違いの弟に、顔を強張らせて問う。
 満繁は、その尋常でない様子の姉に、慎重に答えた。
「知っています。ついでに、その弟さんも」
「……そうか」
 溜息とともに頷いたのは、隣に立つ優男だ。
 懇意にしている建設会社の現場で起きた事件を皮切りに、色々な出来事が突如動き、色々な疑問が浮上した。
 その一つが、あの銀髪の男に喧嘩を売った若者が、武器として出した仕込み杖の経緯、だった。
 ほんのりと、金色に色づいた刃肌の刀は、この目の前の絵画の中にある、血色の刃肌の抜き身と、感覚がよく似ていた。
 何も言わずその場を離れ、二人は応接間に当たる場所に戻って行く。
 それに続いた満繁は、ソファに座る男女をすり抜けて、自分の事務机に両肘をついて座るながれの傍に立った。
 座った男女の向かいには、出された茶を啜りながら、冷静を取り戻していた褐色の肌の男と、小柄な女がいる。
 オキと言う昔馴染みが、そろそろ新年度が始まるというこの時期に、重大な報告をして来た。
 捕り物の、大詰め。
 どの捕り物の話なのかと戸惑う面々に、普段は黒猫として方々を渡り歩く男は、この場所を紹介した。
 狭い場所に飾られたそれを、先に見に行ったロンは、珍しく混乱顔で戻って来た。
 一緒に来た御蔵優(みくらゆう)を、エンと(みやび)が絵画を見て来るまでに質問攻めにし、ようやく落ち着いたところだった。
 混乱がひとしきり続いた後、ここを紹介された理由に思い当たる。
「……あの、神出鬼没の男を、セイちゃんが追い詰めたのっ?」
 ぼんやりと、話は見え始めたが、喜べる話ではない。
 問題は、どうやってその行方を突き止め、追い詰めているのかだ。
「まさか、自分を囮にしたわけじゃ、ないわよね?」
 まだまだ寒い季節なのに、室内は更に寒くなった。
 同時に、フユと満繁が首を竦める。
 初めての客三人の内、褐色の男は室内に入った時、前に立つフユを見て目を見張り、次いで険しい目になった。
 フユの方も目を剝いて、丁度顔を出していた満繁の背後に身を潜めてしまう。
 全身で威嚇する男を背に、自分も逃げ腰で何とか笑顔を向けると、大柄な褐色の男の後ろから、父親違いの姉が顔を出した。
「あれ、満繁? 今日は、休みなのか?」
「は、はい。ご無沙汰しています」
 挨拶した途端、不穏な空気が霧散した。
 褐色の男が、殺意に似た空気を先に解いたのだ。
「もう割り切っているとばかり思っていたのに、小父様ってば」
 そう言いながら、男の後ろに居たもう一人の女が姿を現し、フユに微笑みかける。
「御免なさいね。でも、この人にも話さないといけない事態になったから、連れて来るしかなかったの」
「……客は、四人と聞いているが」
「そう、エンちゃんも一緒よ」
 女が言った傍から、もう一人の男が顔だけを覗かせる。
 母親違いの兄の登場に、再び慌てて頭を下げ、満繁は昔馴染みを振り返った。
「……お前が非番で、偶々でも訪ねて来てくれて、助かった」
 真顔で礼を言われても、この面々を相手にする事を思うと、嬉しくない。 
 一体、どんな用件があって、この四人が訪ねて来たのか。
 その疑問には、フユが答える。
 客用のテーブルを挟んで、四人がそれぞれソファに腰を下ろし、緑茶を出した男が、不機嫌そうに切り出したのだ。
「目的は、あの絵、だな?」
「ええ。この三人にも見せてあげて。それが、一番手っ取り早いの」
 絵画が飾ってある場所は狭く、四人を一度に入れるのは息苦しいと、経緯を話してから二人ずつその絵画の前に連れて行き、鑑賞してもらった。
「……その出来損ないと言われている者が、ある家に匿われているようだというのは、セイに聞いていました」
 目を険しくしているロンに、雅が取り繕う様に説明する。
「確か、志門(しもん)君の従兄が、その家に入り込む画策をしているとかで。囮になるとか、そういう話ではなかったと、思うんですが……」
 そう言った女に、もう一人の小柄な女が頷いた。
「少しずつ、あの家の敷地の結界が、薄れているのは気づいていたわ。そろそろ、穴くらいは開けられるかも」
「幾重にも重ねられた壁で、内側の方が新しいらしく、その分弱いそうです。だから、内側に入り込んで、(めぐむ)君が気づかれぬようにそれを壊していくと、そんな計画だと思って静観していました」
 術師としても力をつけていた、ユウの言葉に頷いてエンも言うと、穏やかな顔を曇らせた。
「危ないことはしていないと思いますが、相手が相手です」
「声がかかったという事は、外からの干渉もできるようになったとの、判断でしょうね」
 ユウは隣の大男を見上げて、真面目に言った。
「出し抜かれたくないの。誰にも」
「……ユウちゃん」
「シュウレイちゃんの気持ちも、(きょう)兄さまの気持ちも、よく分かる。でも、あの二人にだけは、止めは刺させたくない。あの刀の事、小父様も知っているでしょう?」
 先程から、いつもの笑みを浮かべられないロンに、雅はやんわりと訊きたかったことを口にした。
「想像だけで、はっきりとは分からないんですが、今見た絵の刀の抜き身と、鏡さんの仕込み杖の中身。あれは、何でできているんですか? もしや、本当に、想像通りのものが、あれの元なんですか?」
 想像するだけで胸糞悪い。
 だが、確かめなければならないという思いで女が問うと、大男は大きく息を吐いた。
「まさか身近に、こんなにたくさんの犠牲が出来ていたなんて、思わなかったわ。ミヤちゃん、あなたのお父さんが、何故不用意に呪いをつけて戻ったのか、今まで全くの謎だったのよ」
 目を見開いた雅を見つめながら、ロンは言い訳じみた答えを返した。
「あの子の仕込み杖の中身を見るまで、気づかないなんて。本当に間抜けな話だわ。鏡ちゃんを傷つけた張本人を殺さず、あの刀だけを取り戻したかったんだわ。だからこそ、呪いを受けても術者本人を滅することを、考えなかった」
「鏡兄さまは、ずっと悔やんでた。あの時取り乱して、ミズ兄さまを迷わせてしまったことを、長い間ずっと。だから、決めたんだと思う」
 奴が作った刀で、奴自身を地獄に叩き落すと。
 それに乗ったのが、ミヅキのただ一人の弟子と、カスミの二人の娘だった。
 ただ、三人の娘の思いは別にもあった。
 鏡月が持つ刀も、シュウレイが可愛がる絵画の抜き身も、作り主が死んでしまっては、跡形もなくなる。
 大事なものが、完全に消えるのを承知で復讐を果たさせるのを、娘たちは躊躇っていたのだ。
「……何とか、そいつを封印できないものかと、その技を試行錯誤し続けているんだけど、未だにできない。その間に、犠牲だけが増えて行ってしまった」
 しかも、もう一人、ユウの妹にまで、その魔の手が伸びてしまった。
「……もう、待てない。恨まれたくないと躊躇ってたけど、そうも言っていられない。私が、あいつを、完全に消滅させてやる」
 血の錬金術師を名乗る男は、本来は人ですらなかったと言う。
「遠い時代に、メルの旦那さんのお父上、つまりカスミの旦那とあなたの祖父に当たる人が、ある一族を襲撃した時に連れ帰った人が、側近の騎士として連れてきた、捕虜となった人自身の分身だったと、耳にしたんですが、本当ですか?」
 慎重にエンが尋ねると、ロンは少しだけ眉を上げた。
「やだ。もしかして、本物のあの方とは、既に会ってる?」
「ええ。堤の例の蛇を、刀に変えるところも、直に見ました」
 エンが頷いて言い、その後言うのを躊躇った言葉を、雅が代わりに付け加える。
「……(しのぎ)さんは、その辺りを知らないという事も、その時に聞かされてしまって、どうしろと言うのかと」
「そのまま、内密に願える? あたしも、これ聞いた時は、本当にどうしろと言うのかって、嘆いたもの」
 この話を人に漏らすとき、彼女たちは笑い話として話す。
 だが、聞く方は笑えない。
 カスミは多少笑ったが、それだけだ。
 カスミの祖父が、娶った妻との間に子を作れなかった理由は、一族の規約以前の問題だったのだ。
「……一族の者たちの転がる場で、襲撃して勝利した一族の長は言った。娘を差し出せば、これ以上の殺戮はしないと。わが一族の長は、私の伴侶だった男で、当時すでに自由に遊んでいた私は、そんなことになっているとは思いもしなかった」
 赤毛の女は今でも悔いていると、苦い顔で言った。
 戦闘民族として名高かったその長の娘は、その一族を誇る美女であったが、生まれつき病弱で、走る事さえも命に係わるほどだった。
「私が代わりに行ければよかったんだが、あのバカ男、私に知らせを持っていくこともせず、娘を差し出すことを了承してしまった」
 娘本人が、その申し出を受けたことも理由だったが、母親としてそれは許せない話だった。
「あの子は昔から、私が自由に旅に出て、その旅先の話を聞くのが好きだった。あの一族の中で戦力はなくても、裏方の衣食住の仕事は器用にこなすし、笑顔は癒しだったんだ」
 その一族が、最悪な一族に目をつけられた原因も、その娘であったとも仄めかされ、娘は早急に犠牲になることを決めてしまった。
 だが、それを誰よりも許せなかった者がいた。
 幼い頃に娘の許嫁となり、あと数年で契りを交わす約束をしていた男だ。
「力が弱い娘の傍で、献身的に仕えてきた男で、あの紛い物を作った張本人だ」
 男は、一族の中でも強い部類だったが、もう一つ、力を有していた。
 己の血を混ぜることで、他人の血を自由に操る力だ。
 その力で、男は死んだ一族の者たちの血を、すべて集めた。
 恨みばかりが籠っているそれを凝縮し、自分の姿を作り出したのだ。
 そうして自分自身は娘に姿を変え、勝者への献上品として連れ去られた。
「……つまり、嫁として迎えた人は、そもそも女ですらなかったと?」
 唖然として開いた口が塞がらないカ・セキレイの代わりに、エンが何とか確かめると、女は笑いながら頷いた。
「笑えるだろう? 旦那となった男は、それでも娘の偽物を大事にしていた。だから、奴も絆され、次に娘と会った時には、完全にそいつに惚れ切っていた」
 だからこそ、次の悲劇が起こった。
 許嫁だった男の主人が、子供を欲しがっている理由は、未だに何だったのかは分からない。
 自分の父を含む老害をせん滅するために、戦闘民族である連れ合いの血を紡ぎたいと、そう伝わっているのは先に聞いたが、それは言い訳だったのではと、女は言い切った。
「……本物を、手に入れたかったんだろう」
 姿さえ一緒ならと、受け入れたはずの連れ合いでは、満足できなくなった男が、女を手に入れるための言い訳だった。
 考え過ぎと言い切ることができないのは、実際、子を作る行為を連れ合いに課す前に、主人は幾日かの夜、女の元に通っていたからだ。
「……あたしのお父さんとその弟がそれに気づいたのは、母上だと思っていた人が、身籠ったしたと聞いた後だった。それまでは、いわゆるおしどり夫婦だった二人が、違和感のある空気を漂わせるようになった時は、喧嘩でもしたのかとそう思った程度だったらしいんだけど」
 不信に思った二人は、父親と母親の目を掻い潜り、その女を見つけた。
 偽物である母親など、及びもつかぬ美女がそこにいた。
「惚れるとか、好きになるとかそんな感情より先に、ついつい拝みそうになったって、お父さんも叔父さんも、当時の事を話してたわね」
 神がかって見えたのは、余命がそれほど残されていなかったからだ。
「ご主人である、あたしたちのお祖父さんは、子を産んだ後も、大事に慈しむつもりだったみたいだけど、連れ合いとなった人は違った」
 既に、許嫁の女には情も何もなかった。
 ただただ、主人を取られるのを嫉妬し、女を乱暴に扱ったようだ。
 子が出来た後も、秘かに訪ねては男にあるまじきねちっこさで、チクチクと攻撃していた。
「……で、オキちゃんと同じ種の猫を、あの家に入れたのは、うちのお父さんが最初なの」
 主を死ぬまで守り、死んだあとはその身を己に取り込み、その姿をもらい受ける、猫又の一種のその猫を偶然見つけ、その一匹の雌猫を女に贈った。
「あの猫は元々、病弱で余命が少ない人間を標的にして主にして、体をもらい受ける種族なのよ。お父さんも、あの一族の中では虚弱の方で、弟が当主になったらその手足となれるよう、その猫を探していたから、丁度よかったのね」
 女にその猫を贈ったのは、死んだら終わり、ではなさそうだと危惧したからだ。
 父親は、子を産んだ後の女も囲う気でいるらしく、連れ合いはそれだけは避けたかったから、何とか子だけを手に入れて女は死なせたいと考えていた。
 好意と憎悪の塊を一身に受け、虚弱だった女は更に窶れ、子を産めるかどうかも分からないほどだったのだが、死ねば解放されるという救いは、あの父親や一族の性質上、あり得なかった。
「猫が主として人間を認めるのは、そう長くはかからない。娘が出産する時には、互いに心を許し合う仲になっていた。で、案の定、出産の衝撃に耐えられなかった娘は、その後すぐに息を引き取り、猫は娘の願いを聞き取って動いた」
 女はそう言って隣で微笑んでいる、娘の姿の猫を見た。
「一時期、当主の二人の子に匿われた後、私を探すために飛び出し、私と合流後は身を潜めた」
 愛おしい娘の姿の、猫の化け物だ。
 だが、その中身は主の思いに沿っており、母親は健康な体を手に入れたのだと、そう思った。
「……昔、うちの一族の老害たちの騒動で、叔父様が言ったでしょ? あたしの両親の死に際のお話。あれね、元々は親子喧嘩だったのよ」
 ロンの父親と弟は、秘かに当主の思い人の猫を逃がした。
 それが、何処からか漏れたらしく、度々衝突するようになった。
 家の継承権を放棄した長男は、先祖たちにも心証が悪く、少し気を抜いたら上げ足を取られるような状態だった。
 そんな状況で、当の長男が引き入れた一族の兄弟に当たる猫が、先祖側に取り込まれた。
「……オレは、今はこうして己のみの姿を持っているが、その前が長かった。死に立ち会えず、主の姿を貰えなかった事が、二度あった」
 三度目でようやく、その姿をもらえたキィは、師匠の逆隣りで苦い顔になった。
「初めの主には幼少の頃から付き合いがあったが、タイミングが合わなかった。次の主も……」
 そう口数少なく説明していたが、ロンはその説明を具体的に肉付けした。
「一人目は、あたしのお父さん。初恋の人だった、伯父様の御母上の猫と、許嫁とされていたキィちゃんに姿を与えて、姿だけでも女性と添い遂げたいという、ほのかな想いね。お母さんは、知らなかったらしいけど」
 当の女の姿の持ち主が生きていると、前当主たちに知られた旨を、女たちに知らせる役目を負って、キィが父親の元を離れている隙に、別な猫がその姿を奪った。
 主の死を待ってではなく、主を手にかけてのその所業は、種族間でも禁忌とされ、その禁忌を犯した者の血縁も、今は一人しか存在しない。
 その一人は、完全に独り立ちしているからこそ罰は免れて、今も師匠であり主の母親である女の元にいる。
「……あなたも、オキちゃんの時に見た通り、見届けるのはかなりの精神力がいることだわ。あの時のあたしも、まだ幼かったから、頭の中が真っ白よ」
 だから、血の繋がらぬ叔父がその後乱入し助かったことも、その前のもろもろの事情も、後にカスミの父親となった叔父と、更に後に紹介された女二人によって知らされた。
 そこでエンが、小さく息を吐く。
「それを聞いた時、ひやりとしました。数年前の老害掃滅の時、あの子の血縁も紛れていたのではと」
 それはないと、赤毛の女は一蹴した。
 何故なら、既に元凶の二人はこの世にいない。
「シノギの襲来に驚いて、二人手に手を取ってあの家から逃げ出した。そうして、私たちと鉢合わせた」
 死んだはずの娘の姿をした女を見て、元婚約者の男が青ざめる中、連れ合いであり、元は有力な力を持つ一族の当主だった男は、嬉々として近づいたが、それは無防備すぎた。
「うちの娘は病弱で、一族が幼い頃から課している修行を、いつも途中で脱落していたが、あくまでも、うちの一族の修行で、だ」
 体が弱いのが邪魔して体力が持たず、続けて修行を受けられなかっただけで、それさえなかったら……。
「体が弱くて、抗えなかった男からの屈辱的な暴力を、健康なこの子が受ける謂れはなかったんだよ」
 結果、返り討ち及び、倍返しだった。
 黙ったまま微笑む娘の姿の猫を、赤毛の女は愛おし気に見つめ、内心ほっとしたエンと雅を見た。
 そうして、黙り込んでいるカ姉弟を見る。
「……奴の紛い物が消えなかったと知ったのは、随分後だ」
 何故、そんな事になったのかは、大体想像がつく。
「要は、取り込んでいた血が、別な血と混ざったんだろう」
 勿論、それだけで死んだはずの本物の支配から、逃れているはずはない。
 別な血が混ざる前に、その偽物は自立し始めていたのだ。
「男に夢中で、作ったものを放置していたんだろう。その間に、当主の親世代どもの考えに同調し、もう、作り主の事など、歯牙にもかけない位には自立してしまっていた」
 作った男も、少しは気にして窘めるくらいはしただろうと、一応思う事にしている。
 その後の障りを思うと、あのまま死なせるべきではなかっと、悔やみたくなるからだ。
「悔やんでないわけでもない。奴が消えずに残る引き金をひいたのは、うちの孫だからね」
 間違いなく奴に混じった血は、あの場で怒り任せに動いた大男の作った血の海だったから、聞いた時の後悔はひとしおだった。
「……一連の話を聞いた時、凌さんが少し可哀そうだと思ってしまったんです」
 辻ながれの画廊の事務所で、四人が情報の交換をしたのち、雅がぽつりと言った。
「ウルさんの店での話でも、あの人の出生は複雑だと思っていましたが、その上をいくとは思っていなかったので。本人が知らないのは幸いだなと」
 頷いたエンと雅は、少しだけあの銀髪の男に対する目を、和らげていた。
 少し前までは。
 去年の末に起こった出来事が、全てを覆してしまったが。
「……まああれも、溜飲は下がったんで、ここまでにしますが」
 困ったように笑うロンに、エンは気を取り直して切り出した。
「オキの話では、恵君は(はやし)家に入り込み、順調に壁を削っているそうです」
 そして、そろそろ、薄い部分から人を入り込ませることが出来そうだと、黒猫は報告してきた。
 一人こっそりと入り込んで、古谷(ふるや)志門の従兄の(つつみ)恵を連れ出せるようにして欲しいというのが、セイの頼みだった。
 儀式が行われる時ではなく、壁が壊れる時を見計らって、だという。
「薄くなっているのなら、あの家に恨みのある妖が、一気に破る危険があるわ。そうなると、手ぐすね引いていた者たちが、そこから一気になだれ込んでしまう。そうなると、人の個々を見分ける分別は、期待できないものね」
 ユウは、難しい顔で頷いた。
「ただ、恵君が何処にいるのか口で言われても、そこに辿り着けるか分からない」
 相手は、力のある術師だ。
 壁だけではなく、何らかの阻害の呪いを仕掛けている可能性もある。
「鳴子の存在も、考慮した方がいいわね」
 ユウの疑念に、ロンも難しい顔で頷く。
 侵入者を知らせるだけの鳴子ならいいが、捕らえる類だったら、目も当てられない。
「……術に強い子が、軒並み動けない時期なのが、歯がゆいわね」
 新学期を控えたこの時期、堅気の職を持つ知り合いたちは、それぞれ忙しかった。
 新年度を機に次代に継承しようと動き始める傾向があり、術師で知られる家柄の者は特に、この年にそう動き始めていた。
「塚本家の聖君以外、次代の子たちが成人しますから」
 正しくは、その前に成人した者もいるが、まとめて祝った方が、祝いをする方も受ける方も楽だという理由らしい。
 狙っていないよなと、エンは弟分の思惑を疑っているが、それはおくびにも出さずに話し合いに応じている。
 今の時代、襲ってくるからと言って、むやみに返り討ちにすることはできない。
 真剣に話し合った結果、とりあえず現地に向かい、そこにいるはずのキィに接触することにした。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み