第8話 彼方から貴方へ
文字数 3,953文字
「なんとか逃げ切れましたけど、ここからどうしましょう」
「少なくとも、このままじゃ戻れないな」
なんの対策もなく白都シュクライハに戻ったところで、再び襲撃に遭うのがオチだ。
すると、ロッソの肩に戻ってきた聖女が提案した。
「シュテリアちゃんをこちらで保護するよう、私が手を回してもいいですけど――」
「それは遠慮します。保護といえど四六時中人につきまとわれるのは、ちょっと嫌ですから」
ちょっと、と言ってはいるが、シュテリアの口調は断固としたものだった。
「にゃあー、お嬢様みたいな暮らしも乙なものだと思いますけどにゃ」
「そういうの私はいらないですし、もっと普通の暮らしがしたいんです」
シュテリアの意志は固いが、普通が一番難しいとはよく言ったものだ。
「うーん、では、このまま他の国に飛ぶのが一番ではにゃいですかにゃ」
聖女もそれ以上食い下がることなく、他の案を口にした。
「そうですね……ロッソはどう思います?」
「いいんじゃない」
帰ったら追われるから、帰らない。シンプルで実にわかりやすい。
「……まじめにきいてました?」
「きいてたよ!」
「ご、ごめんなさい、なんか反応が薄かった気がしたので」
聞いてないとはひどい言いがかりだが、流れに任せる気満々だったのは事実だ。このまま黙っているとまた言われそうなので、ロッソはゆっくり口を開いた。
「あー、それで、どこかに行くといっても、どこにするんだ?」
「『にゃんにゃんニャイランド』とかはどうでしょうにゃ」
「なんだそれ」
「猫の猫による猫のための島ですにゃ」
「へえ」
「雑です! 反応が薄すぎます! にゃ!」
一人と一匹が言い争っていると、シュテリアが口を開いた。
「ロッソの剣を取り返しに行くべきです」
そして、ロッソたちの前に情報端末 の画面を差し出した。
「幸い、ザーク・リボルバーグはSNSを見ればどこにいるかわかります。この機会に追いかけて【白炎の剣】を取り戻しましょう!」
「……気合い入ってるな」
「だって、神宝を奪われたんですよ! 勇者の証ですよ! むしろ、ロッソの気合いが入ってなさすぎるんです!」
「焦ってどうなるものでもないし」
「本当ですか? ぶっちゃけ、このままでもいいかな、とか思ってません?」
懐疑的なセリフとともに、ジト目が向けられる。
ロッソはそれに答えることなく、情報端末 の画面へと視線を落とした。
「ザークの居場所は、オクルサイトか」
オクルサイト。その国には聞き覚えがあった。単眼の種族【凝視するもの 】たちの国。
つまり、シュテリアと同じ種族の国。
一瞬「いいのか?」と口に出しそうになって、止めた。よくなければ、そもそもこの画面を見せるはずがない。
そして、シュテリアがいいのであれば、ロッソの立場は決まっている。
「よし、行こう、オクルサイトに」
「了解です! 任せてくださ……」
二人と一匹を乗せた【飛行】がぐらりと揺れた。
「おい! 大丈夫か!?」
「は、はい。ちょっと、ほんのちょっとだけ、疲れがたまってただけなので」
シュテリアはそう言って「あはは」と笑った。
◆
結局、疲労困憊 のシュテリアに頼る形で、なんとか日が暮れる前にオクルサイトへたどり着いたロッソ一行。
本人は強がっていたが、彼女が疲れきっているのは側から見ても明らかだった。
「……すぐ寝ついたな」
「張りつめていた気持ちが緩んだんでしょうにゃ」
寝台に横になるなり、シュテリアは寝息をたて始めた。
今日、一日の激戦を思えば無理もない。
オクルサイトに向かう間に聞いたところ、シュテリアがあの女神像――【拘禁】から抜け出した方法は、想像を絶するものだった。
シュテリアは延々と【射撃】を発動し続けたのだという。
どれだけ頑丈な容器でも、際限なく物を詰め込めはしない。空気を入れ続ければ、いずれ風船は破裂する。
つまり、シュテリアは白働術 で内部を埋め尽くすことで、無理やり【拘禁】の限界容量を超えたのだ。
【射撃】の使用回数が多い高位の術者だったこと、圧死することのない不死身の体を持つこと、それらをあわせ持つシュテリアだからこそできた方法だ。
だが、その過程で彼女の感じた苦痛はどれほどだっただろう。
暗闇。
密閉空間。
全身に突き刺さるトゲ。
身体が押しつぶされていく恐怖。
唱える度に減っていく白働術 の使用回数。
再生するのはあくまで肉体だけ。心はすり減り続け、ストレスは澱 のように溜まっていく。
それがどれほど過酷なことか、ロッソには想像することしかできなかった。
「……では、私はそろそろ戻りますかにゃ」
「え?」
「え? じゃないですにゃ。今の私は【分割】で切り離した意識を【伝達】に乗せているだけの存在。この可愛い可愛い姿は、いわば、仮の姿です」
白猫は得意げに顔を上げた。
「今の私の記憶を、本体の私が共有するには、術を解除しなければいけません。つまり、可憐な白猫プレーにゃんとは、残念ながらここでお別れですにゃ」
意識の一部を届けたのだから、その意識が本人の元に戻らなければ、記憶も情報も伝わらない。その『戻る』に当たる行為が、術の解除ということだ。
「何か伝言はないですかにゃ?」
「伝言ね……」
ぼんやりと宙を見つめること数秒。
ロッソは「そうだ」と呟くと、白猫へと視線を戻した。
「シュテリアってたしか鳥を飼ってただろ。あいつの家族……弟あたりに世話を頼んでくれると、シュテリアも助かるんじゃないかな」
「それはお安い御用ですけど……ロッソ自身は何かないのですかにゃ?」
「おれは特に」
「……じゃあ、ご家族には私の方から適当に説明しておきますにゃ」
「うん、ありがと」
彼女の口からとなると、ずいぶん脚色が混じる気もするが、必要なことは伝えておいてくれるだろう。
「シュテリアちゃんと二人きりだからって、邪なことを考えたらダメですにゃ」
「しないよ」
「にゃにゃ。それはそれで根性がにゃいというか」
「あー、もう、いいから、さっさと帰れ」
白猫の顔をガシッと鷲掴みにすると、しばらくジタバタしていたが、やがて「では、ご機嫌ようですにゃ」の声と共に消えていった。
部屋に聞こえるのはシュテリアの寝息だけ。
一匹いなくなっただけで、ずいぶん静かになるものだ。
ロッソは壁に背中を預け、瞼を閉じた。
◆
焼けるような熱さで目を開けた。
熱さの原因は、身を包む炎だ。それだけではない。目に見える全て、世界そのものが炎でできていた。
だが、ロッソは慌てない。これが火事ではないこと、それどころか現実の出来事でないとよく知っていたからだ。
その見慣れた景色を前に、ロッソは意識を研ぎ澄ませた。
この世界は夢だ。
それも、いつも見るありふれた夢。
いつものように痛覚をコントロールして、体が燃える痛みを耐えられるレベルにまで落とす。
すると、瞬く間に体から痛みは去っていった。ゼロではないが、もはや瘡蓋を剥がすくらいの刺激でしかない。
普通の夢を見ていた頃など、思い出せないくらい長い間、ロッソは炎の中で夜を越えてきた。それはあの炎の剣を手にした時から、ずっと続いている。
始めは身を焼かれる激痛に悶えるばかりだったが、夢であると自覚してからは、少しずつ世界を操作できるようになった。今では手慣れたものだ。
だが、どれだけ夢の世界を操れても、この炎だけは消すことができない。
カードゲーマーの男、ザークに剣を奪われた時、実は少しだけロッソは期待していた。剣が手元を離れたら、この炎に包まれる夢を見ることもなくなるのではないかと。
だが、実際はそんなことはなく、未だにこうして眠りに落ちれば、灼熱地獄が待っている。
おそらく、これは一生続くのだろう。
『……け……て』
ふと、炎が爆ぜる音の中から、意味のある音の羅列が聞こえた気がした。
焼け焦げた体で、耳を澄ました。
『たす、け……』
幻聴ではない。助けを求める声が、たしかに聞こえる。
「……だれだ?」
返事はなかったが、しばらく待っていると再び声が響いた。
だが、この声の主は、今こうしてロッソに届いていることすら知らないのかもしれない。そう思わせるほどに、その声は悲壮で、なによりも一方通行だった。
眠りが覚めるまですることもないロッソは、ただひたすらに声に耳を傾ける。かすれた言葉をつなぎ合わせ、穴の開いたセリフを想像で埋めながら、よりはっきりと声を聞き取れるように、自身を、世界を変えていく。
その地道な作業は、さながらラジオのつまみを回すのに似ている。
でたらめに届く、かすれかけた声を取りこぼさないように、ひたすらチャンネルを合わせていく。
でも、時間ならある。
どうせ、ここは夢の世界。
目が覚めるまでは炎に焼かれるだけで、他にすることもないのだ。
ロッソは炎に包まれながら、ただひたすら彼方からの救難信号に思いを馳せた。
そして、どれほど経っただろうか。
「うそだろ」
誰もいない世界で、ロッソはぽつりとつぶやいた。
『たすけて、ロッソ』
夢の世界に届いたSOS。その声は、他でもない――シュテリア・ポストロスの声とよく似ていた。
「少なくとも、このままじゃ戻れないな」
なんの対策もなく白都シュクライハに戻ったところで、再び襲撃に遭うのがオチだ。
すると、ロッソの肩に戻ってきた聖女が提案した。
「シュテリアちゃんをこちらで保護するよう、私が手を回してもいいですけど――」
「それは遠慮します。保護といえど四六時中人につきまとわれるのは、ちょっと嫌ですから」
ちょっと、と言ってはいるが、シュテリアの口調は断固としたものだった。
「にゃあー、お嬢様みたいな暮らしも乙なものだと思いますけどにゃ」
「そういうの私はいらないですし、もっと普通の暮らしがしたいんです」
シュテリアの意志は固いが、普通が一番難しいとはよく言ったものだ。
「うーん、では、このまま他の国に飛ぶのが一番ではにゃいですかにゃ」
聖女もそれ以上食い下がることなく、他の案を口にした。
「そうですね……ロッソはどう思います?」
「いいんじゃない」
帰ったら追われるから、帰らない。シンプルで実にわかりやすい。
「……まじめにきいてました?」
「きいてたよ!」
「ご、ごめんなさい、なんか反応が薄かった気がしたので」
聞いてないとはひどい言いがかりだが、流れに任せる気満々だったのは事実だ。このまま黙っているとまた言われそうなので、ロッソはゆっくり口を開いた。
「あー、それで、どこかに行くといっても、どこにするんだ?」
「『にゃんにゃんニャイランド』とかはどうでしょうにゃ」
「なんだそれ」
「猫の猫による猫のための島ですにゃ」
「へえ」
「雑です! 反応が薄すぎます! にゃ!」
一人と一匹が言い争っていると、シュテリアが口を開いた。
「ロッソの剣を取り返しに行くべきです」
そして、ロッソたちの前に
「幸い、ザーク・リボルバーグはSNSを見ればどこにいるかわかります。この機会に追いかけて【白炎の剣】を取り戻しましょう!」
「……気合い入ってるな」
「だって、神宝を奪われたんですよ! 勇者の証ですよ! むしろ、ロッソの気合いが入ってなさすぎるんです!」
「焦ってどうなるものでもないし」
「本当ですか? ぶっちゃけ、このままでもいいかな、とか思ってません?」
懐疑的なセリフとともに、ジト目が向けられる。
ロッソはそれに答えることなく、
「ザークの居場所は、オクルサイトか」
オクルサイト。その国には聞き覚えがあった。単眼の種族【
つまり、シュテリアと同じ種族の国。
一瞬「いいのか?」と口に出しそうになって、止めた。よくなければ、そもそもこの画面を見せるはずがない。
そして、シュテリアがいいのであれば、ロッソの立場は決まっている。
「よし、行こう、オクルサイトに」
「了解です! 任せてくださ……」
二人と一匹を乗せた【飛行】がぐらりと揺れた。
「おい! 大丈夫か!?」
「は、はい。ちょっと、ほんのちょっとだけ、疲れがたまってただけなので」
シュテリアはそう言って「あはは」と笑った。
◆
結局、
本人は強がっていたが、彼女が疲れきっているのは側から見ても明らかだった。
「……すぐ寝ついたな」
「張りつめていた気持ちが緩んだんでしょうにゃ」
寝台に横になるなり、シュテリアは寝息をたて始めた。
今日、一日の激戦を思えば無理もない。
オクルサイトに向かう間に聞いたところ、シュテリアがあの女神像――【拘禁】から抜け出した方法は、想像を絶するものだった。
シュテリアは延々と【射撃】を発動し続けたのだという。
どれだけ頑丈な容器でも、際限なく物を詰め込めはしない。空気を入れ続ければ、いずれ風船は破裂する。
つまり、シュテリアは
【射撃】の使用回数が多い高位の術者だったこと、圧死することのない不死身の体を持つこと、それらをあわせ持つシュテリアだからこそできた方法だ。
だが、その過程で彼女の感じた苦痛はどれほどだっただろう。
暗闇。
密閉空間。
全身に突き刺さるトゲ。
身体が押しつぶされていく恐怖。
唱える度に減っていく
再生するのはあくまで肉体だけ。心はすり減り続け、ストレスは
それがどれほど過酷なことか、ロッソには想像することしかできなかった。
「……では、私はそろそろ戻りますかにゃ」
「え?」
「え? じゃないですにゃ。今の私は【分割】で切り離した意識を【伝達】に乗せているだけの存在。この可愛い可愛い姿は、いわば、仮の姿です」
白猫は得意げに顔を上げた。
「今の私の記憶を、本体の私が共有するには、術を解除しなければいけません。つまり、可憐な白猫プレーにゃんとは、残念ながらここでお別れですにゃ」
意識の一部を届けたのだから、その意識が本人の元に戻らなければ、記憶も情報も伝わらない。その『戻る』に当たる行為が、術の解除ということだ。
「何か伝言はないですかにゃ?」
「伝言ね……」
ぼんやりと宙を見つめること数秒。
ロッソは「そうだ」と呟くと、白猫へと視線を戻した。
「シュテリアってたしか鳥を飼ってただろ。あいつの家族……弟あたりに世話を頼んでくれると、シュテリアも助かるんじゃないかな」
「それはお安い御用ですけど……ロッソ自身は何かないのですかにゃ?」
「おれは特に」
「……じゃあ、ご家族には私の方から適当に説明しておきますにゃ」
「うん、ありがと」
彼女の口からとなると、ずいぶん脚色が混じる気もするが、必要なことは伝えておいてくれるだろう。
「シュテリアちゃんと二人きりだからって、邪なことを考えたらダメですにゃ」
「しないよ」
「にゃにゃ。それはそれで根性がにゃいというか」
「あー、もう、いいから、さっさと帰れ」
白猫の顔をガシッと鷲掴みにすると、しばらくジタバタしていたが、やがて「では、ご機嫌ようですにゃ」の声と共に消えていった。
部屋に聞こえるのはシュテリアの寝息だけ。
一匹いなくなっただけで、ずいぶん静かになるものだ。
ロッソは壁に背中を預け、瞼を閉じた。
◆
焼けるような熱さで目を開けた。
熱さの原因は、身を包む炎だ。それだけではない。目に見える全て、世界そのものが炎でできていた。
だが、ロッソは慌てない。これが火事ではないこと、それどころか現実の出来事でないとよく知っていたからだ。
その見慣れた景色を前に、ロッソは意識を研ぎ澄ませた。
この世界は夢だ。
それも、いつも見るありふれた夢。
いつものように痛覚をコントロールして、体が燃える痛みを耐えられるレベルにまで落とす。
すると、瞬く間に体から痛みは去っていった。ゼロではないが、もはや瘡蓋を剥がすくらいの刺激でしかない。
普通の夢を見ていた頃など、思い出せないくらい長い間、ロッソは炎の中で夜を越えてきた。それはあの炎の剣を手にした時から、ずっと続いている。
始めは身を焼かれる激痛に悶えるばかりだったが、夢であると自覚してからは、少しずつ世界を操作できるようになった。今では手慣れたものだ。
だが、どれだけ夢の世界を操れても、この炎だけは消すことができない。
カードゲーマーの男、ザークに剣を奪われた時、実は少しだけロッソは期待していた。剣が手元を離れたら、この炎に包まれる夢を見ることもなくなるのではないかと。
だが、実際はそんなことはなく、未だにこうして眠りに落ちれば、灼熱地獄が待っている。
おそらく、これは一生続くのだろう。
『……け……て』
ふと、炎が爆ぜる音の中から、意味のある音の羅列が聞こえた気がした。
焼け焦げた体で、耳を澄ました。
『たす、け……』
幻聴ではない。助けを求める声が、たしかに聞こえる。
「……だれだ?」
返事はなかったが、しばらく待っていると再び声が響いた。
だが、この声の主は、今こうしてロッソに届いていることすら知らないのかもしれない。そう思わせるほどに、その声は悲壮で、なによりも一方通行だった。
眠りが覚めるまですることもないロッソは、ただひたすらに声に耳を傾ける。かすれた言葉をつなぎ合わせ、穴の開いたセリフを想像で埋めながら、よりはっきりと声を聞き取れるように、自身を、世界を変えていく。
その地道な作業は、さながらラジオのつまみを回すのに似ている。
でたらめに届く、かすれかけた声を取りこぼさないように、ひたすらチャンネルを合わせていく。
でも、時間ならある。
どうせ、ここは夢の世界。
目が覚めるまでは炎に焼かれるだけで、他にすることもないのだ。
ロッソは炎に包まれながら、ただひたすら彼方からの救難信号に思いを馳せた。
そして、どれほど経っただろうか。
「うそだろ」
誰もいない世界で、ロッソはぽつりとつぶやいた。
『たすけて、ロッソ』
夢の世界に届いたSOS。その声は、他でもない――シュテリア・ポストロスの声とよく似ていた。