第7話 出立

文字数 6,120文字

 ロッソがシュテリアに向かって駆け出すと同時に、我に返った術者たちから一斉に【射撃】が放たれた。
 これまでロッソに向けられたものとは比べものにならない威力と、殺意。
 シュテリアがとっさに張った【障壁】は紙切れほどの意味もなかった。
 炸裂音が響き、首が宙を舞う。

「シュテリア!」

 かけつけたロッソの目の前で、飛び散る肉片は一つの肉体へと収束していく。

「だ、大丈夫です」

 その声が震えていることには触れず、ロッソはただ一言「……そうか」とだけ返した。
 そのまま、術者たちの視線から震える彼女をさえぎるように立ち塞がった。敵が放つ次の【射撃】よりも早く、投げナイフを投擲する。
 それと同時に逃げるための方法を考えるが、思いつくのはシュテリアに頼るものばかり。
 自分の無力さに歯噛みしながらも、ロッソは口を開いた。

「シュテリア、飛べるか?」
「もちろんです」

 そう答えるや否や、二人の後ろに白い巨鳥が現れた。

 シュテリアの【飛行】、その像は巨鳥(アルゲンタヴィス)
 巨大な鳥に乗って、大空を(かけ)る空の舟。使用回数は一度きりの大技。

 巨鳥(アルゲンタヴィス)に飛び乗るシュテリアを横目に、白猫は気合いに満ちた声をあげた。

「じゃあ、私たちはアレですにゃ。シュテリアちゃんを守るために二人でここを抑え――」
「そんなわけあるか。一緒に逃げるに決まってるだろ」

 ロッソは落ちていたシュテリアのポシェットを乱暴に掴むと、肩に聖女を乗せたまま【飛行】へと飛び乗った。
 シュテリアは不死身だ。つまり、一人で空へ逃げても撃墜される恐れがある。だが、ロッソが一緒にいれば、敵は命を奪わない範囲の手段しかとれない。
 つまり、問答無用で撃ち落とすことはできないはずだ。

「にゃにゃ!? こういうのは『俺はいいから先に行けッ!』とカッコ良く言うのが定番では!?」
「知るか!」

 ロッソは叫びながら、投げナイフで牽制していく。
 【飛行】が飛び立ってしまえばこちらのもの。ゆえに、その前に妨害されるわけにはいかない。

「いきます!」

 シュテリアの声にあわせて、巨鳥(アルゲンタヴィス)が大きく羽ばたいた。
 砂埃が舞い上がる。

「させるかぁ!」

 拘束使いの男が叫んだ。
 男はロッソの投げナイフに貫かれながらも、気合で【拘束】を発動したようだった。
 地面から巨鳥(アルゲンタヴィス)めがけて白い鎖が伸びていくが、妨害を予想していたシュテリアは難なくかわした。

 一本を除いて。

「危ないにゃ!」

 白猫の瞳は、街路樹の幹から伸びる白い鎖を捉えていた。
 おそらく、地面から伸びるものは全てフェイクで本命はこの一本。
 忠告は間に合わず、シュテリアの右腕に【拘束】が絡まる。

 シュテリアとロッソの目が合った。

「ロッソ! お願い!」

 その瞳は怯えていた。

「シュテリア! 食いしばれ!」

 手段は選んでいられない。
 ロッソは木剣を振りかざした。

 白い鎖は対象以外は触れられないため、ロッソであっても切れない。
 切ることができるとすれば、

「ッ!」

 ロッソは唇を噛みしめながらも、迷うことなくシュテリアの右腕へと剣を振り下ろした。白い鎖ごと右腕が体から離れた。
 シュテリアは右腕を置き去りに飛ぼうとし、予想外の事態に声を張り上げた。

「なっ、なにこれ!」

 切り離された右腕はもはやシュテリアに繋がっていない。それにも関わらず、簡単には離れようとしなかった。
 断面からしたたる血液がゴム紐のように伸び、右腕とシュテリアを結んでいる。

 シュテリアは右半身を強く引っ張られる形となり、急上昇する巨鳥(アルゲンタヴィス)の背で大きく体勢を崩した。

「キャッ!」
「危ない!」

 ロッソはシュテリアの肩に手を伸ばし、力強く引き寄せ、叫んだ。

「このまま、飛ぶんだ!」
「でも」
「強引にでも飛ぶしかない! 絶対なんとかなる! する!」
「……わかりました!」

 シュテリアは唇を一文字に結んだ。
 大地との距離が開くほどに、血でできた赤い糸はみるみる細くなっていく。
 雲の上にくる頃には、赤い糸は完全に切れていた。

「はぁはぁ、逃げ切れましたか?」
「……いや、まだだ」

 なんとか空には逃げれたが、これで終わりとはしてくれないらしい。

 後方から迫る二組の【飛行】を見つけ、ロッソは忌々しげにつぶやいた。

 片や蝙蝠(コウモリ)、片や翼すらもたない長躯の龍。どちらも白一色ということは白働術(テウルギア)【飛行】だろう。

「【飛行】持ちを追うなら、当然そっちも【飛行】を用意してくるよな」
「ロッソ、どうすれば」
「どうもこうも振り切るしかない。『竜の巣』に向かって逃げてくれ」

 追手はどちらも二人一組、計四人。あの厄介な拘束使いは見当たらないことに、少し安堵した。
 仮にいたとしても、足場も何もない空で【拘束】が脅威たり得るとは思えないが、散々辛酸を舐めさせられた相手がいないのは心境的にずいぶん楽だ。

「コウモリと龍ですかにゃ。ふーむ、これは私の出番ですかにゃ」

 聖女がそう宣言すると、白い蝙蝠(コウモリ)の頭上にバツ印のついたスピーカーアイコンが現れた。どうやら白働術(テウルギア)を使ったらしい。

 プレーニャの【抑制】、その像は弱音器(ミュート)。つまり、これで蝙蝠(コウモリ)は声や音を出せなくなったことになる。

「コウモリの視界を封じましたにゃ! 今なら撒けるはずですにゃ! ……たぶん」
「えっと……わかりました」

 巨鳥(アルゲンタヴィス)の急な方向転換に白龍はついてきたが、白い蝙蝠(コウモリ)はそのまま明後日の方向へ飛んでいった。
 聖女の言葉通りとはいえ、あまりの呆気なさにシュテリアは目をまたたかせた。

「聖女さま、何をしたんですか」
「コウモリは自分で出した音の反響音を聴くことで周囲の状況を把握しますからね。【抑制】でそもそも音を出せなくしてしまえば、視界を奪ったも同然です……にゃ」

 得意げに語る聖女に、ロッソは疑問を投げた。

「でも、あれはあくまでコウモリを模した白働術(テウルギア)であって、コウモリそのものじゃないんだろ。……おかしくないか?」

 白働術(テウルギア)の効果は理屈でなく、イメージで決まる。
 今、こうしてロッソたちが空を飛べているのも、シュテリアの「大きな鳥なら人を乗せて飛べそう」というイメージを再現しているからだ。
 この巨鳥(アルゲンタヴィス)を解剖しても、骨や臓器が出てくるわけではない。

 彼らの【飛行】――白い蝙蝠(コウモリ)も同じはずだ。
 蝙蝠(コウモリ)のイメージではあるが、決して蝙蝠(コウモリ)そのものではない。

 一方、聖女が語ったのは、蝙蝠(コウモリ)の生物構造を逆手にとった理屈だ。
 どうして、生物の構造を持ち得ない白働術(テウルギア)に、その理屈が通用するのか。

「だから『たぶん』と言ったのです。術者がどこまでコウモリに対して明確なイメージを持っているか。……もし、術者がコウモリの反響定位(エコロケーション)を存じてなければ、すなわち『コウモリが音で周りを見ている』と知らなければ、さっきのは無意味でした」
「なるほどな。でもそれだと身もふたもないことを言うと、白働術(テウルギア)はバカな方が好き勝手にイメージできて強いってことにならないか?」
「そうでもないですよ。聴覚が未発達であれば、目眩しが普通に効きますし。なによりイメージの正確さは――」

「二人ともッ! そんなことより、今はどう逃げるか考えてくださいよ!」

 シュテリアの叱咤で、二人は我に返った。
 気づけば白龍はかなり近づいている。

「……にゃー。私は一仕事しましたので、後はロッソに任せますにゃ」

 先ほどの頼もしさはどこへやらだ。

「わかった。聖女さま、どいてて」

 ロッソは白猫をシュテリアの肩に預けた。
 視線を下に向けるとそこには見覚えのある山があった。タイミングは悪くない。

「シュテリア、高度をできるだけ下げて『竜の巣』の周りを旋回して」

 落ちたら命はない上空での戦い。
 自分が落ちれば死ぬのはもちろん、相手を落としても同族殺しの禁忌を犯すことになる。
 つまり、ここでの打開策とは、互いの命を奪わないものでなくてはならない。

「ロッソ? なにを」

 ぐんぐん高度を下げながら、シュテリアはいぶかしげにつぶやいた。
 白龍はしっかり後をついてきている。やがて巨鳥(アルゲンタヴィス)と白龍の高度が再び揃い、ロッソはゆっくりと立ち上がった。

「じゃあ、行ってくる。後は任せた」

 つとめて明るくつぶやいた次の瞬間、ロッソは白龍へと向かって巨鳥(アルゲンタヴィス)の背を蹴った。

「にゃ!?」
「ロッソ!?」

 二人の驚きを背に受けながら、空中に身を躍らせる。なんとか白龍に飛び乗ると、落ちないように慌てて白龍の背にしがみついた。
 ロッソの行動に驚いたのはシュテリアたちだけではなかった。

「なッ、貴様正気か!?」
「……いかれてる」

 驚愕する敵二人。
 散々煮え湯を飲まされてきた相手の驚く表情を見て、緊張や恐怖よりも痛快な気分が勝り、ロッソは口角をつり上げた。

「三人乗せても揺らがない。いい白働術(テウルギア)だな」
「勇者の相手は俺がする! お前はこの【飛行】を死んでも維持しろ!」
「……りょ」

 生真面目そうな声の方が腰の剣を抜いた。
 焦りつつもすぐさま対処しようとする二人に感心しながら、ロッソは変わらず軽口を投げかけた。

「おいおい、腰が引けてるぞ、立たなくていいのか?」
「こんな場所で立てるか! だいたい、それを言うなら貴様もだろ!」
「いや、おれはもうやることやったからさ」

 そう言って、ロッソは木剣をしまった。

「……え?」

 剣をしまったということは、それまで剣を抜いていたということに他ならない。
 では、ロッソはいつの間に剣を抜き、いったい何を斬ったのか。

 その答えはすぐに明らかになった。

「……どうしよ。これ以上、飛べない」
「は!? なにをいきなり!」
「……龍を、斬られた」

 二人が気づいた時には、白龍の首から先が綺麗に切り取られていた。
 形を維持できなくなった白龍は【飛行】としての力を持たず、三人を背に乗せたまま落下していく。

「なッ、なッ、なッ、なッ、なぁあああァ!」
「……ああ、おわった」

 元凶のロッソを除き、二人の顔には絶望が浮かんでいる。

 いくら高度が下がり、龍の上にいるとはいえ、大地に叩きつけられたら衝撃を殺し切れるはずもない。よくて重傷、十中八九死だ。

「ロッソ!」

 上空から叫び声と共にシュテリアの【飛行】が向かってくるが、間に合うはずもない。

 三人の乗った白龍はなす術なく、叩きつけられた。
 ただし、地面ではなく、水面へと。

 ザークとの闘いで『竜の巣』周辺は水没していた。この辺りには今、剥き出しの大地は数えるほどしかない。
 水面に落ちるのは当然だった。

 白龍の胴体が水面とぶつかり水飛沫をあげる。同時にロッソの全身を激しい衝撃が襲ったが、そのほとんどを水と白龍が吸収し、白龍の背にいるロッソたちの命には届かない。

「ふぅ、なんとかなった」
「ロッソ!」

 水面から顔を出したロッソへと向かって空から白い巨鳥(アルゲンタヴィス)が降りてきた。
 シュテリアに引き上げられ、水浸しの体で【飛行】の上に座り込む。

「……助かった」
「なにやってるんですか! 一歩間違えたら、死んでましたよ!」
「シンプルにバカですにゃ」

 罵声を受けながら、少しでも泥の臭いから逃れようと顔をぬぐう。

「……ん、まあまあ、結果オーライだろ。えっと、あの二人は」

 水面には二人の人間が浮いていた。
 さすがに白龍の姿は跡形もなくなっていたが、二人とも意識はあるようだ。
 彼らが生きていることを確認し、ロッソはようやく安堵の息をもらした。

 白働術(テウルギア)【飛行】はかなりの大技。シュテリアであっても一日に一度しか使えないものだ。
 一度落とした以上、もう追ってこれないだろう。

「よし、これで安心して逃げられる」
「……もし、死んでたらどうするつもりだったんですか」
「えっと、どっちが?」
「どっちでもですよ」

 シュテリアの単眼がじとりとにらみつけてくる。

「どっちにしても、おれが命を落とすか、禁忌を犯して白神教徒でなくなるだけだ。シュテリアは逃げ切れてたさ。……まあ、さすがに後味は悪いけど」

 ロッソの返答にシュテリアの単眼がさらに細くなる。
 その隣で聖女は深いため息をついた。

「ロッソ、そういう方法はダメですにゃ」
「いや、おれだって良いとは思ってないけど」

「本当ですかにゃ?」
「もちろん、こんな危険な方法、できるならやりたくなかったよ」

「では、二度とやりませんって誓えますかにゃ」
「誓うもなにも、それは状況次第だろ」

「……やっぱり嘘じゃないですかにゃ!」
「待て待て、おれが好き好んで死ににいく奴みたいに言うな。できるならやりたくなかったって!」

「ロッソ」

 言い争う一人と一匹は、シュテリアの声に口を閉じた。
 ゆったり空を飛ぶ巨鳥(アルゲンタヴィス)から手を放し、シュテリアは振り向いていた。気づけば右腕も再び生えてきたのか、元に戻っている。
 大きな単眼には水浸しの自分の姿が映っていた。

「な、なに?」

 見つめられるのが珍しくて、思わずロッソも見つめ返していると、シュテリアはふいと顔を前に戻してしまった。

「あの、言い忘れてましたけど……来てくれて、ありがとうございます」

 てっきり非難されると思っていたが、シュテリアの口から出たのは優しい言葉だった。

「聖女さまのおかげだよ。おれは何も知らなかったし、シュテリアの居場所もわからなかった」
「そうですにゃ」
「聖女さまも、ありがとうございます」

 シュテリアは、自慢げな白猫の頭をなでた。

「でも、どうしてわかったんですか?」
「急に連絡がつかなくなったので、一度【伝達】を送ったのですよ。そうしたら、ものの見事に何者かに消されまして、ああこれはニャにか事件があったにゃと」

 もし、それがなければシュテリアはなす術もなく連れ去られていただろう。
 全てが薄氷を踏むような行動で、どれか一つでも噛み合っていなければ、こうして話す機会すらなかった。

「いずれにせよ、無事でよかった」

 ロッソの声が雲の間に消えていった。
 三人を乗せた巨鳥は静かに地平線を見ろしていた。
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