高句麗本紀第一 始祖東明聖王

文字数 2,904文字

 扶余王解夫婁は後継ぎの誕生を願い、山川の神々に詣でたことがある。解夫婁は老人だったけれど、子どもがいなかったのだ。鯤淵までやって来ると、乗馬が大きな石を見つめて涙を流しはじめた。気になって従者に石を転がさせる。するとカエルのような姿をした金色の幼子が現れた。
「天が授けてくださった」
 解夫婁は喜んでその子を連れ帰り、金蛙と名付けた。成長した金蛙は王太子に立てられた。

 その後、扶余国の宰相だった阿蘭弗がこんなことを言い出した。
「この間、天啓ってのを授かった。天帝の子が地上に国を作るんだそうだ。だから、ここにはいられなくなる。ただ、いい話もないわけじゃない。新しい都だ。ずっと東南に行ったところに迦葉原っていう豊かな土地があるらしい」
 阿蘭弗はこれを解夫婁に伝え、扶余国は迦葉原に遷都した。以後、国号を東扶余に改める。
 旧都には解慕漱という男が現れた。どこから来たのかは誰も知らなかったけれど、自分を天帝の子だと言っていた。

 解夫婁が薨去して、金蛙が王位を継いだ。この頃、太白山の南にある優渤水で、金蛙は一人の少女と出会っていた。名前は柳花、河伯の娘だという。
「年下の子たち連れて出かけたら、解慕漱ってヤツに出会ったんだ。自分のこと天帝の子だなんて言ってた。熊心山のあたりかな、鴨緑江の岸辺にあった屋敷に誘われて、そこで一夜を過ごしてさ。でも、そいつ出てったきり帰ってこなかった。父さんも母さんも『勝手に知らない男のものになった』ってすごく怒って、それで追い出されちゃった」
 柳花の事情を聞いて思うところもあり、金蛙は彼女を屋敷の中に閉じ込めた。室内に太陽が照りつけた。柳花が日陰に逃げると、日差しも追ってくる。そのうち彼女は妊娠して、五升くらいの大きなタマゴを産んだ。

 金蛙はタマゴを処分しようとした。ところが犬や豕にやっても食べようとしない。道端に捨てても牛や馬は踏まないように避けてゆく。野原に捨てれば鳥が飛んできて温める。最後には金蛙自身が砕いてしまおうとしたけれど、やはりできなかった。結局、タマゴを柳花に返すことにした。
 柳花はタマゴを包んで暖かい場所に置いた。そうして一人の男の子が生まれる。将来の英雄を思わせるような子だった。後の始祖、東明聖王だ。
 七歳になる頃には飛び抜けた才能を見せるようになった。自分で弓矢を作り、獲物は絶対に外さなかった。扶余人は弓術に優れていることを朱蒙と言った。それで朱蒙と名付けられた。

 金蛙には七人の息子がいた。いつも朱蒙と遊んでいたけれど、弓の技術では誰も敵わなかった。長子の帯素が金蛙に訴えた。
「オヤジ、朱蒙は人間の子じゃないんでしょう。それに怖いもの知らずだ。あいつを放っておいたら、後で大変なことになる。生かしておくべきじゃないヤツだ」
 しかし金蛙は聞きいれず、朱蒙に馬の面倒を見させるくらいだった。朱蒙は良馬を見つけると、エサを減らしてやせ細らせた。そうでない馬にはたくさん与えて健康そうに見せた。金蛙は健康そうな馬を自分の乗馬として、やせた馬を朱蒙に与えた。
 その後、東扶余国で狩猟が行われた。「弓には自信があるんだろう」と朱蒙にはわずかな矢しか与えられなかった。それでも多くの獲物を射止めてみせた。「やはり朱蒙は殺すべきだ」と王子たちも臣下たちも考えるようになった。柳花は彼らの悪意に気づいて朱蒙に言った。
「みんな、あんたを殺そうとしてる。誰もあんたに敵わないからって。逃げて。グズグズしてたら手遅れになる。遠くまで逃げて、あんた自身で何者かになりなさい」

 朱蒙は鳥伊、摩離、陝父たち三人を仲間にすると、東扶余国から逃げて淹淲水までたどり着いた。しかし橋が架かっていない。追っ手に見つかることを恐れて、朱蒙は淹淲水の神霊に訴えた。
「オレは天帝と河伯の血を引くモンです。今日、東扶余国から逃げることになりました。でも、いつ追っ手がくるかわかりません。オレたちの行く道、示してください」
 すると、魚や亀が浮いてきて橋になり、朱蒙たちが渡り終えると散っていった。追っ手は河を渡ることができなかった。
 それから一行は毛屯谷まで行って、三人の男に出会った。一人は麻衣、一人は衲衣、一人は水藻衣を身に着けている。
「あんたたちは誰だ? どこのモンか名乗れよ」
 朱蒙が尋ねると、麻衣の男は「再思」、衲衣の男は「武骨」、水藻衣の男は「黙居」と名乗った。誰も姓をもってはいなかった。それで、再思に克、武骨に仲室、黙居に少室の姓を与えた。朱蒙は仲間たちに告げた。
「オレたちはこれからオレたちの国を作る。そいつは天命だ。三人と出会ったのも天意に違いねぇ」
 朱蒙は三人を幹部として迎えた。それから一行は卒本川にたどり着く。豊かな要害の地だった。都が置かれた。王宮を築くような余裕はなかったから、沸流水沿いに小さな屋敷をいくつか建てただけだった。国号は高句麗。ここから朱蒙は高を姓とした。
 この時、朱蒙は二十二歳。漢孝元帝の建昭二年、新羅の始祖赫居世の二十一年、甲申の歳のことだ。

 高句麗が建国されると各地から人々が帰順してきた。靺鞨国と勢力を接するほどになった。侵入されないように国境付近の靺鞨人を追い払ったけれど、靺鞨国は恐れて反撃してこなかった。
 ある日、朱蒙は沸流水の上流から野菜くずが流れてくるのを見た。上流で誰かが生活している。狩猟のついでに川上に向かい、沸流国にたどり着いた。
「オレはこんな田舎のモンだから、君子ってヤツを見たことがなかった。あんたがその君子サマなのか? それならありがたいことだけどよ。あんた、いったいどこの何者なんだよ?」
 国王の松譲が現れてそう言った。
「オレは天帝の子よ。ここらはオレが支配する」
 朱蒙が宣言すると、松譲も言い返した。
「ウチは昔からこの辺の王だ。もう一人の王はありえねぇ。新参者ならウチの下に付け。そうだろ?」
 怒った朱蒙と松譲は言い争いになって、弓の技術で勝負をつけることにした。しかし、松譲では相手にもならなかった。

 二年、夏六月、沸流国が帰順してきた。その旧領に多勿都と名付けて、松譲を領主とした。高句麗の言葉で「旧領を回復する」ことを多勿というのに由来する。

 三年、春三月、鶻嶺に黄龍が現れた。
 秋七月、青と赤の慶雲が鶻嶺の南に現れた。

 四年、夏四月、濃霧が発生した。七日間、色もわからないほどだった。
 秋七月、城郭と宮城を造営した。

 六年、秋八月、宮庭に神雀が集まった。
 太白山の東南に荇人国があった。冬十月、鳥伊と扶芬奴に荇人国を制圧させて城邑を築いた。

 十年、秋九月、王府に鸞が集まった。
 冬十一月、扶尉猒を沃沮に攻め込ませた。沃沮を滅ぼして城邑を築いた。

 十四年、秋八月、朱蒙の母、柳花が東扶余国で薨去した。金蛙は柳花のために太后の格式で葬儀を行って、神廟を建てた。
 冬十月、柳花の葬儀を行ったことへの答礼として、東扶余国に礼物を贈った。

 十九年、夏四月、東扶余国から王子の類利とその母親が亡命してきた。朱蒙は喜んで、類利を太子に立てた。
 秋九月、朱蒙は薨去した。享年四十。龍山に埋葬した。号は東明聖王。
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