第1話

文字数 1,993文字

 新羅・牟梁里―
 女の悲しげな泣き声が今日も聞こえてきた。
「気の毒だよな」
「たった一人の子供だったからね」
 村人たちは声の主に同情するのだった。
 数日間、泣き続けている女の名は慶祖といい、村の長者である福安の屋敷で働いていた。早くに夫を亡くし、息子と二人慎ましく暮らしていた。
 息子の名前は大城といい、頭が大きく額が平らかで、あたかも城壁のようだったので、両親がこのような名前を付けたのだった。
 大城は賢く親孝行な子供だった。
 ある日、福安の屋敷に興輪寺の僧・漸開がやって来て、法会を開きたいのでといって御布施を求めた。仏心厚い福安は布五十疋を与えた。
 漸開は礼を言った後、
「お布施を一つすれば万倍になります、長者さまは平穏に長生きするでしょう」
と有り難い言葉を残して去って行った。
 これを聞いていた大城は母親のそばに行ってこの話を伝えた。
「結局、私たちが貧しいのは前世の行ないが良くなかったからでしょう。今からでも遅くないので私たちもお布施をしましょう」
 息子が大人びた口調で真剣に言うので慶祖は
「そうね、そうしましょう」
と同意した。
 その後、二人は少しづつ金を貯めて田圃を購入し、興輪寺に寄進した。
「これで私たちもこれからはいいことがあるわね、きっと」
 だが、慶祖の言葉通りにはいかなかった。大城が死んでしまったのである。
 突然のことに慶祖は茫然自失となった。村人たちの助けで葬儀を済ました後は昼夜を問わず泣くばかりだった。
 大城が世を去って十日ほど経った頃、慶祖のもとを訪れる者があった。
「こちらは大城の家か?」
男の問い掛けに慶祖は
「はい、でも息子は十日前に死んでしまいました」
と涙声で答えた。
「いえ、お子さんは生きてますよ」
男が予想外のことを言ったので慶祖は訝しげな表情を浮かべた。すると男は
「私は金文亮宰相の家の者で‥」
と身分を明かし、ここに来た事情を説明し始めた。
 十日前、宰相家で男の子が誕生したが、夫人が子供を産んだ瞬間、天から声が聞こえてきた。
「その子は牟梁里の大城の生まれ代わりなり」
 不思議なこともあるものだと宰相家の人々は思ったが、夫人の体調が思わしくなかったため、そちらの方に気を取られてしまった。
幸い夫人は程なく回復し、子供もとても元気だった。ただ左手は握ったままひらかなかった。
七日後、その手は開き、そこには「大城」と書かれた金の札があった。
これを見た宰相は先日の“天の声”のことを思い出し、その真偽を確かめることにしたのである。
「その子は頭が大きく額が城壁のようになっていますか?」
話を聞き終えた慶祖は勢いこんで訊ねた。
「ええ、お坊ちゃまは城壁のような額をしています」
「多分、いえ絶対、大城です。その御子に会わせて下さい」
 宰相家の使いは元よりそのつもりであったので、彼女を連れて屋敷に戻った。
 彼女を出迎えた宰相夫妻は、さっそく息子を慶祖に会わせた。子供は彼女を見るとにこにこしながら抱きつこうとした。
「大城や」
慶祖は赤子を抱き上げた。
 この様子を見た夫妻は天の声が事実であったことを知り、慶祖を子供の親として迎えることにした。
 宰相は慶祖を側室にしてくれたため、彼女は貧乏な生活から抜け出すことが出来た。
ふと大城と生前、寺院に喜捨したことを思い出した。これは仏様のお陰なのだろう、本当にこの子は親孝行だと改めて思うのだった。
 宰相夫人と慶祖は仲良く、息子を育てた。その甲斐あって賢く、優しい子に成長した。
 成人した大城は、宰相の勧めるまま朝廷に出仕し、官吏となった。
家では三人の親に孝行をし、外では国に忠誠を尽くす大城は人々から称賛された。
こんな大城にも欠点があった。それは猟を好むことだった。無用な殺生を好まない二人の母親は諫めるのだが聞き入れなかった。
 ある日、山に行き熊を獲った。その夜、夢の中に熊が変身した鬼が現れて「何故、我を殺したのか。生まれ変わって汝を殺してやる」と怨言をいった。恐れ慄いた大城が許しを請うと、鬼は自分のために寺を建ててくれれば許すといった。
 翌日、彼は熊を獲った場所に寺を建てるようにした。そして、これを機に彼は狩猟を止めたのだった。親たちはこのことをとても喜んだ。
 さて、歳月は流れ、年老いた親たちは彼岸へ旅立っていった。
 まず、冥界に行ったのは慶祖だった。
 今わの際に彼女は、集まった親族たち~宰相夫妻、息子大城とその妻子たちを一瞥すると満足そうに笑みを浮かべた。このように多くの親族を得られたのは、やはり仏さまのお蔭なのだろうと思いつつ念仏を唱えながら息を引き取った。
 彼女の後を追うように宰相、宰相夫人も世を去った。
 大城は、その間ずっと自分を慈しみ育ててくれた親たちに感謝した。そして、その恩に報いる意味で慶祖とその夫~大城の父親のために石仏寺、宰相夫妻のために仏国寺を建てて仏さまの御加護を願ったのだった。
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