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 芸人、ワイワイ河合は、1人の弟子をとることにした。

 河合は今年で芸歴15年目、齢は40を少し過ぎたところ。事務所には所属せず、いわゆるフリーで活動している。テレビに出た経験は、この15年間で3度だけ。そのうち2回は、再現ドラマのエキストラなので、お笑い芸人としての出演ではない。残りの1回はネタ番組だったが、ネタ自体はボツになり、最後の番組コールの場面で、右端に少し映っただけ。そんな体たらくだった。
 もちろんテレビに出ていなくても、面白い芸人はわんさかいる。賞レースやライブなどで大活躍し、一夜にして人気者になることも、この世界ならばないわけではない。だがこちらも、河合の成績はあんまりよろしくない。漫才師の頂点を決めるあの大会や、No.1のコント師を決めるあの大会、ピン芸人の一番を決めるあの賞レース、どれも河合の成績はパッとしなかった。
 漫才師の大会は、昔、同期の芸人と即席でコンビで組んで出て、一度だけ2回戦まで行ったのが最高記録。コントの大会は、これも仲の良い芸人とコンビを組んで出たが、全て1回戦落ち。ピン芸人の大会も、出られるうちは毎年エントリーしていたが、一度も2回戦進出者に名前が載ることなく、いつの間にか参加資格を失っていた。
 ライブでの働きも、芳しいものではない。ネタは構成力が弱いのか、いまいちウケが取れない。フリートークなどのいわゆる平場では、一定の評価を得ているが、それも他の芸人を押しのけるほどの高評価というわけでもない。
 そんな掃いて捨てるほどいる、売れない地下芸人の一人である河合が、弟子を取る。どういう風の吹き回しで、こんな事になったのか。

 ことの発端は、数日前までさかのぼる。河合はその日のライブで、客席をシーンとさせるほどすべり散らかし、ひどく不機嫌だった。打ち上げと称した居酒屋でやけ酒を引っかけ、悪酔い状態で店を出ると、男が立っている。その筋骨隆々でスキンヘッドのいかつい男は、河合を見るとすかさず土下座して、こう言った。

「今日のライブ、良かったよ。俺を弟子にしてくれよ」

普段ならば、こんなにありがたい言葉はない。弟子にするかどうかはともかく、ファンからこんなことを言われることなど皆無と言っていいのだから。だが、この時の河合には、そんな言葉は嫌みにしか聞こえなかった。キンキンにスベったライブを最高だと言われても、うれしくもなんともない。
 河合は、うっぷんを晴らすかのように、土下座した男のハゲ頭をパチーンとひっぱたいた。道を往く人々がクスクスと笑う。
 河合は、少しすっとしたのか、機嫌を直して家路につく。男は、河合にそんな仕打ちを受けても、土下座をしたままじっと動かなかった。

 明くる日。二日酔いで痛む頭を抱えて、バイトに出かけようとする河合を、昨日の男が門前で待ち受けていた。

「昨日のライブ、良かったよ。俺を弟子にしてくれよ」

ボロアパートの扉の前で、額を地にこすりつけ、昨日と全く同じことを言う男を見て、河合は思わず考え込んでしまう。
 こいつは一体何を考えて、俺みたいなつまらん芸人の弟子になろうとしているのか。どう考えたって、昨日のライブの俺を見て、弟子になりたがるやつがいるわけない。たぶん、からかっているんだ、そうに決まっている。ならば、ちょうどバイト前だ、腹ごしらえにでも付き合わせれば、きっと満足して諦めるだろう。
 河合は、男をなじみの定食屋に連れていくことにした。店に行く途中、取りあえず話ついでに名前を聞いてみる。

「俺は、美里 肇だ。ハジメでいいよ」

河合は、全身筋肉でスキンヘッドのハジメと定食屋ののれんをくぐる。そして、注文して出てきた飯を食いながら、こう言った。

「な。ここは払うから、食い終わったら、もうつきまとうのは終わりにしてくれよ」

ハジメは、この言葉を聞いて驚いた顔をし、箸を止めて首をブンブンと左右に振る。

「どうせ、冷やかしなんだろ。こっちも思ったより暇じゃないんでね、主にバイトでだけど」
「いや、俺は、おまえの弟子にしてほしいんだ」

威圧的な声で、再び弟子にしてくれと口走るハジメ。

「なあ、今どき芸人も弟子なんか取りゃしないよ。養成所に入るのが普通なんだから」
「……それでも、あんたの弟子にしてほしい」
「じゃあ、なんで俺なの? あのライブ、正直、全くいいとこなかったし。俺、別に売れてもないし」
「いや、そんなことない。良かったよ」
「……どこが?」
「うーん、ネタの独創性とか、トークの機転とか」

いまいち要領を得ないのは、からかっているからなのか、口下手のせいなのか。判断できずに困惑顔で席を立ち、会計をしようとする河合を見て、ハジメはあわてて土下座をして叫ぶ。

「あんたが認めてくれるまで、俺、諦めないからな」

いきなり大男が店内で土下座を始めたので、顔見知りの定食屋のおばちゃんが苦笑いをしている。河合は、あわててハジメに土下座を止めるようにいい、支払いを済ませて定食屋を出た。

「いいな。何度来ても、駄目なもんは駄目だからな」

河合は、ハジメにそう念を押して、バイト先に向かう。だが頭の中で、自分が弟子を持ったらどうだろうか、という考えが次第にうずまき始めていた。

 バイトから帰ってくると、案の定、ハジメはアパートの前で待っていた。こんないかつい男に家の周りをウロウロされると近所迷惑だ。河合は仕方なく、ハジメを家に入れることにする。

 それから数日間。ハジメは、河合からの再三にわたる「帰れ」という命令を拒み続け、人の家に居座り続けた。しかも顔を合わせるたびに、例の言葉と土下座である。正直、むずがゆくてたまったものではない。
 もう、ここまでするのなら、いっそのこと弟子にしてやろうじゃないか。河合は、半ば根負けするような形で、ハジメを弟子にすることに決めたのである。
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