第1話 ソンナワケハナイ

文字数 5,000文字

 内山利也は雪解け水で黒いアスファルト道を慎重に走っていた。左右には白く染まった田畑が広がり、朝陽を反射する。
「凍ってない、人も自転車もいない。少し飛ばそう」
 真っ直ぐに延びる道路の先を顎で示し、助手席の中原太朗が言う。
「まずいだろ」
 ミラーで後部座席に視線をやる内山。四月で小学三年になる外園良二は玩具のロボットを握りしめ、寝息を立てていた。
「起きたってかまやしないだろ」
「落ちて怪我でもされたらことだ。じゃなくても、玩具が壊れるかも」
「あんなの、お年玉でいくらでも買えるだろうに」
 肩をすくめる中原。
「夕べ、俺はへべれけになって覚えてないが、四兄弟の次男だけが残った訳は?」
 年末の二十九日、内山は社会人になって初めての里帰りをした。二年ぶりだった。中原を呼んだのは、昨春のトラブルの際に世話になった礼。元々、同僚の中で一番の親友だ。
「良二だけ泊まりたいとごねて、外園の叔父さんが折れた」
 酒宴の疲労感が甦った内山。ついでに思い起こしたことも。
「初めて会った子達によくお年玉を渡したな。感心した」
「正月に呼ばれたら仕方あるまい」
「いくら渡した?」
「三千円。やる立場は初めてで相場が分からん」
「四人とも同じ額か」
「おまえは年齢で区別したと」
「上から五、四、三、二千」
 内山の返事に、何やら指折り計算する中原。
「おまえの方が二千円多いのか。公平なのは俺だが、子供らに感謝されるのはおまえ」
「さもしいな」
「俺は真面目だぞ。三千円なんて半端じゃなく、一人に一万円ずつ、気前よく渡したいが四人はきつい。一人、いや、二人までなら一万円ずつあげるのに」
「計算が変だ。二人に一万ずつで二万。その二万を四人で割れば、五千円ずつになる。なのに三千円ずつしか渡さないとは、どういうこった?」
「細かいことは気にするな」
「五千だ三千だの世界で、二千の差は決して細かくはないぞ」
「分かった分かった。見栄を張った。六千ずつだ」
「一万ずつぽんとやりたい心理は充分うなずける。ま、リッチになるこった」
「お互いにな」
 乾いた笑いが車内を漂ったとき、目指す家の屋根が見えた。

 二月半ば、平日なのに内山は寮の自室にいた。療養中である。営業の車に同乗した際、停止中に後続車から追突されて鞭打ちになり、おまけに左肘の骨にひびが入った。
 昼下がり、実家から携帯に電話があった。時間帯からして父は仕事中。よって母親からであると容易に推測できた。
「大丈夫かいっ?」
 気負った声で聞いてくる。大げさだな、鞭打ちとひびぐらいで。昨夜、電話をくれたばかりじゃないか等と思いながら、内山は穏やかに「平気だよ」と答えた。
「本当に? 悪化してないね?」
「元々、大した怪我じゃない。じきに復帰するさ」
「よかった……」
 胸をなで下ろす母の姿を想像するのは、難しくなかった。
「どうかしたの?」
 変だなと思い始めた内山。
「健三君が事故で亡くなったのよ」
 外園叔父さんの三男坊の名前だ。賢いが素直すぎるきらいがあった。いじわるクイズを出されては正解できず、悔しがっていた。
「え、何で?」
 動揺の余り、やり取りが食い違う。母は「だから事故で」と繰り返したあと、続ける。
「マラソン大会の練習で校外を本番同様に走って。川沿いの道を走ってるとき、健三君が急に外れて土手を下って、勢いが付いて止まらなくて道路側に出たみたい」
 情景を思い浮かべつつ、内山は黙って聞いた。同じコースを走った記憶がある。
「折悪しく通ったトラックに跳ねられて」
 母親が慌てて電話してきた理由が分かった気がした。同じ交通事故、心理的に結び付けたに違いない。
「あの土手下の道路、ガードレールがあった気がするけど」
「だいぶ傷んでいたようだから、撤去したんじゃないかしら。あの辺り、木も植えてあるし。それよりも明後日、お葬式だから。帰って来られる?」
「うん。どうせ今、会社休んでるし、顔を出すくらいなら」
 くれぐれもよろしく言っておいてと頼み、電話を切った。

 夏期休暇を利しての里帰りも終わって社員寮に戻り、いよいよ明日からまた出勤だという日の夜、内山は土産物の饅頭を夜食とした。電話の音が響いたのは、饅頭を頬張った瞬間だった。
 母親からで、内山は先走って「忘れ物でもしてたかな?」と不明瞭な口調で聞く。だが、母は一気に話し出した。
「優一君が事故で亡くなったわ」
「え?」
 食べかけの饅頭を包み紙に戻す。
「そっちのニュースでやってない? 川に落ちたの。昨日、昼過ぎに遊びに出て帰らなくって、捜してたら、青年団の人が見つけてね」
「この間、遊んだばっかなのに。叔父さん達の様子は? 立て続けだし、心配だ」
「表面上は気丈に振る舞っているけれど、辛いに決まっているわ。私達身内だけになると、泣き崩れてしまう」
「他の子達も動揺してるんじゃないかな」
「そうねえ。でも、良二君はしっかりしてる感じ。一番上のお兄さんになって自覚が出てるのかも」
「あんまり気を張りつめさせるのもよくないよ。子供だからなおさら」
「まあ、良二君は優一君と二人で遊びに出て、途中で別れて帰って来ただけに、責任を感じてるみたいね」
 分かる気がした。あのとき自分が一緒に帰ろうと声を掛けていれば兄は助かったかもしれない……子供心にそう考えたに違いない。
「念のため警察が調べてるけど、何もなかったら明後日通夜で、明明後日が葬儀だって。おまえも参列できるかい?」
「きついけど帰れるよう努力するよ。中原の奴も行きたいと言うかもしれない。前に健三君が亡くなったとき、何で教えてくれなかったとどやされた」
「そうね。よく遊んでくれたし、いいんじゃない?」
 内山はたとえ数日遅れになっても、線香をあげに行こうと意を強くした。

 中原は煙草を吹かし、内山は缶紅茶を飲んでいた、蛍光灯が明滅する寮の談話室に二人きりだ。
「変だ。常識で考えてみろよ。一家の子供が二人続けて半年の内に死ぬなんて、どんな確率で起きるのか」
 中原は外園家を襲った不幸について聞き、疑問を呈した。
「計算では出ないだろ。統計値から一応の確率は出せても、暮らす環境や個人の性格が重要だ」
「変なところで厳密だな。まあいい」
 煙草を灰皿に押し付ける中原。煙が真っ直ぐに立ち昇る。
「あることを思い出して、気になってる。おまえの運転で次男を送り届けたろ。あの車中、俺は言っちゃならんことを言ったのかもしれない。寝てると思ってた次男坊が、本当は目覚めていたとしたら」
「あれか」
 思い出せなかったことが思い出せたときは、通常、すっきりとして、顔色も明るくなるものだろう。しかし、今の内山は全く逆だった。洗剤を口に含んでしまったような嫌な感覚に襲われ、表情に影が差す。
「お年玉の額云々てやつか。あれを聞いた良二君が……まさか。そんなことあるものか」
「長男と最後に会ったの、次男なんだろ」
「だから良二君が優一君を死なせたって? 馬鹿々々しい」
「証拠はないが否定もできまい。突き落とすぐらい、子供でも可能」
「万が一、良二君が優一君を川に突き落としたとして、じゃあ、健三君の場合はどうやった? マラソン練習にこっそり付いて行ったのか。同じ時刻、良二君は学校にいたはずだ」
「たとえば三男坊に、こう言い含めておいたら? 川沿いの道のある地点――標識の下とか、分かり易い地点――を道路側に下った地面にいい物を埋めておいた。明日の体育の時間中に見つけられたら、おまえにやるから探してみな、と」
「……そう言われりゃ一年生だものな。コースを突然外れ、土手を下るかもしれん。だが、道路まで飛び出すか?」
「地面すれすれに針金を張っていたら? または敢えて木の根っこがたくさんあるところを、問題の地点に選んだら?」
「ぐ、偶然頼みだな」
「小学生なら、この程度の計画でもありだろ。それにな、プロバビリティの犯罪と言って、百パーセントではないがうまく行けば死に至らせる、それでいて犯人は安全圏にいるというやり口があるんだ」
「お年玉ごときで兄弟を死なせるか」
「俺達が気付かんだけで、仲が悪かったとか」
「それはない。叔父さんや叔母さんの話を聞いてれば分かる」
 意固地になって反論するが、どことなく空回りの気がする。
「仲よくたって、許せない部分はあったかもな。お年玉の額の話がきっかけで、一気に走り出す恐れは否定できない」
「自分で言ってて嫌な気分にならないか?」
「だけど、確かめない訳にはいかん」
「どっちだっていいじゃないか。済んだことだ」
「直接聞かなくてもいい。来年のお年玉を今年と同額にすれば、反応があるだろ」
「できるかよ。それに、喪中にお年玉って変じゃないかな……」
「次男坊は最後の一人もやっちまうかもな。それでもいいのか」
「馬鹿っ、あり得ない。お年玉が目当てなら、一人っ子になる必要はない。一人でも二人でも同じ額を出すと、おまえはあのとき言ったんだから」
「そうだったな――って、内山。今の話、本気で聞いてたの?」
「は?」
 俯いた視線を戻すと、正面には中原のにやにや顔があった。嘲りではなく、仕方のない奴だという雰囲気。
「冗談に決まってるだろ」
「な……んだ。何で、そんな質の悪い冗談を言った?」
「おまえが結構、深刻に見えたからさ。自分では気付いちゃねえんだろうけど、ぼんやりが多くなってる。仕事もミスが増えてたしな。親戚の子の死に影響を受けてるんだと思って、言ってみたんだよ。ショック療法のつもりだ」
「ショックありすぎだよ……」

 葬式には合わせられなかったが、線香を上げに戻った。
「ところでさ」
 良二のキャッチボール相手を務めた内山はいささか不自然ながらも切り出した。ちなみに四男・康四郎のゲームの相手は中原だ。
「何?」
 返球が力強い。乾いた音が、近くの塀で反射したのかよく響く。
「お正月のこと、覚えてるかい?」
「んー、だいたい」
「それじゃ、僕が車で送っていったことは?」
「覚えてるよ」
「よく寝てたな。ロボットの角が頬に当たって痛くなかったか?」
「ああ、あれ」
 ボールを握ったまま、投げずに腕を振り下ろした良二。グローブを填めた手を下げた内山は、どうした?という風に顔を覗かせた。
「あのとき、起きてた」
 悪戯を見つかった風な顔の良二はキャッチボールを再開した。取り損なう内山。あのときの会話を聞いていたか確かめるつもりだったが、あっさり判明。ボールに追いつき拾い上げると、投げることなく、内山は話し掛けた。
「何で寝てるふりを?」
「目が覚めたらお年玉の話してたから、そのまま聞こうと思った」
「どんな話か覚えてる?」
「うん。人数が少ない方がもらえるお年玉が多い」
 思わず、グローブで頭を抱えた内山。まだ夏だというのに、うなじの辺りに冷や汗を感じたのは気のせいだろうか。
「そのこと、誰かに話した?」
 真相がどうであろうと、あのときのやり取りを良二以外の誰も知らなければいい。
「話したよ。兄ちゃんや弟達に」
「兄弟に話した……だけ?」
「あたりきだよ。他の人には関係ないもん」
「そうか。話したら、みんな何て言ってた?」
「あんま覚えてないや。兄ちゃんは、大人のじじょーも分かってやれよって」
「……はは、は」
 疲れた笑いが勝手にこぼれた。
 中原の冗談を引きずって悩んでいたのが、すっきりした。こんな小さな子が、兄弟を殺すなんて恐ろしいことをするはずがない。
 内山は改めて笑い声を立てた。線香をあげに来た身として、遠慮気味に。
「何してんだよー。ボール早くー!」
 良二のすねた口調が、鼓膜を刺激した。

 年末を迎え、帰省支度を始めた内山に、母から電話があった。
「呪われているとしか思えなくなってきたよ。二度あることは三度あると言うけど」
「まさか」
 思わず、康四郎君が?と口走りそうになったのを辛うじて留める。だが脳裏には、これまでのことはやはり良二の仕業だったのかとの疑念が渦巻いていた。ともかく、母の次の言葉を待った。
「良二君が……火鉢の火が、服に燃え移って」

――終

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