(十八)同盟

文字数 1,753文字

 高瀬夕子と稲村涼介は、向かい合って座っていた。初対面の挨拶の後、涼介が続けた。
「突然呼び出したりしてすみません」
 
 先週、藤本から異母兄弟の存在を聞き、新田からはその姉の話まで聞いてはもういてもたってもいられなかった。
 涼介はこの日、外回りの仕事を早めに切り上げ、新田を通して夕子を呼び出した。小さな町のこと、目立つことを怖れ、涼介の同級生が営む小さな喫茶店を一時間ほど借り切っていた。
 
「いいえ、私も涼介さんと一度お話をしたいと思っていましたので」
「あの父のためにあなたのお母さんには……その……」
「いいえ、お気遣いなく。親世代の出来事ですから私たちにはどうすることもできませんし……それに細かな経緯はともかく、私たち親子はお父様にお世話になったことは事実ですから」
「そう言われると何とも複雑ですが……
 今日お話を伺いたいのは、率直に申しまして弟さんのことです。あの家と会社を出ておいて、女々しいと思われるかと思いますが、噂を耳にしてつい気になってしまって」
「そのことでしたらご心配には及びません。弟がこちらの会社と関わることは一切ございません。
 当人は何も知らずに穏やかに暮らしております。私という姉がいることさえ知りません。それで弟の暮らしが守れるならば、私は一生名乗らなくていいと思っています。
 こちらと関わりを持たせないことが亡き母の強い遺志ですので。あ、すみません、お父様が悪者みたいな言い方になってしまって」
「いいえ、お気持ちもおっしゃることもよくわかります。実の息子の私ですら飛び出して来た家ですから」
「でも、涼介さん、そのお宅に戻っていただけませんでしょうか?」
「はあ?」
「まだはっきりとしたことはわかりませんので、詳しくは申し上げられないのですが、社長と涼介さんの不和に乗じて社内で不穏な動きがあるようなのです。
 正直申し上げて、最初私は弟を守ること、そして私たち親子が離別させられたことに対する憤りもあって、こちらの会社に飛び込んでまいりました。
 でも、私たち母子はこの会社に助けていただいたのも事実です。母の希望である弟さえ見逃してもらえれば、過去のわだかまりを解き、恩返しをするべきではないかと思うようになりました。ですから正当なご長男である涼介さんが後を継いで、会社を繁栄させていっていただきたいのです」
 思いもよらぬ申し出に涼介は言葉を失った。
 
(自分は無慈悲な親から家族を守るために家や会社を出たはずなのに、自分以外に後を継ぐ者が現れたらしいと知ると、どこか執着心が顔を出した。
 やはり心のどこかであの会社も家も自分のもので、いざとなれば父だって俺に引き継ぐだろう、そんな甘えがあったのかもしれない。それがまったく考えもしなかった者が横から突然現れてすべてを持って行ってしまう。そんな状況に愕然として、その相手方に探りを入れている自分が恥ずかしい。
 この人は、欲得なしに、名乗りあうこともできない弟と、母親の遺志を守ろうとしている。おまけに、決していい仕打ちをしたとは思えない父の会社のことまで心配してくれている)
 
 そのまっすぐな目は、初対面であっても信頼に値すると涼介には感じ取れた。
 
 
 会社からの帰り道、夕子は新田と連れ立って歩いていた。
 その日帰宅時間になると、新田はそれとなく夕子に目配せをして秘書室を退社した。少し間をおいて夕子も、みんなに挨拶をして職場を離れた。会社を出ていつもの角を曲がると、立ち止まっている新田の姿を見つけた。
「涼介さんとのことがどうにも気になってね」
「私もご報告しなければと思っていたところです」
「立ち話もなんだからどこか店に、と言いたいところだけど、この町は狭すぎるよね。大抵知り合いに会うからな。いつもみたいに丸木君が一緒なら気にすることもないんだけど」
「そうですね、私も見張られているかもしれませんし」
「君を見張るとしたら弟さんとの接触だから、僕が一緒なら問題外だと思うよ」
「それならお店でも入ります?」
「でも、変な噂が立つと君に悪いからな」
「私はかまいませんけど」
「ホント?」
「ええ」
「じゃ、上手い飯を食べさせてくれる店があるんだ。そこでいい?」
「はい、ごちそうになります」
 親しげに答える夕子に、新田は満足そうにうなずいた。

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