今は昔

文字数 1,996文字

 比叡山に属する学僧がいた。その学識は深かったが下賤の出自のために貧しかった。仕方なく籍を京都の雲林院(うりんいん)に移した。雲林院は淳和天皇が狩場の宿として建立した寺院で荒野にぽつんとある寂れた僧坊だ。
 僧は一人だけ仕えている小法師にいつも嘆いていた。小法師はやれやれという顔で鞍馬寺に詣でてそこにおわす毘沙門天様にお願いしたらどうかと言うと、僧はその気になって翌日鞍馬山に参った。
 それからは鞍馬寺に参って毘沙門天を拝むのが習慣となった。当時の鞍馬寺は比叡山の末寺であり、御所の北にあるので何かと羽振りが良く、僧が行くと宿坊で寝泊まりできて十分に食事も摂れたからだ。
 ある年の九月に鞍馬寺に参りその帰りのことであった。
 寂しい出雲路のススキの中ですすり泣く声がするので、狐狸の類かと小法師がいぶかしみススキに分け入った。そこには一人の小綺麗な身なりの稚児が寂しくて泣いているのだった。
「そこなお方・・・どうなされた?」
 僧は小法師を追いやり稚児に声をかけた。狐狸に化かされる恐ろしさよりも、高貴な生地の水干と短袴を着けた少年に興味を持ったからだ。
 少年が顔を向けると、それは天女のような(かんばせ)、手足は細くたおやかである。
「私は・・・仕えておりました法師と仲違いして飛び出してしまいました。身よりもないので途方にくれ、夜になれば狼に食われてしまうだろうとこうして泣いておりました。・・・よろしかったら私を連れにして頂けないでしょうか?」
 声も玉を転がす響き。
 僧は怪しむ気持ちも吹き飛び、これは毘沙門天のお導き、と食事を宛にして参内していたことも忘れ、喜んで稚児を雲林院まで連れて帰った。
 雲林院の自室に招き入れると、
「このように何も無き辺鄙な所にある寺ですが、私が責任持ってあなたをお世話いたしましょう。こう見えても叡山では学僧として多少名の売れた者です。私にもし仕えて頂ければ不自由にはさせません」
 稚児は隅に経典が山積みされている小さな部屋を見渡しながら、
「私はありがたいお経を学びたく前の師に付きました。でも師は私を閨で可愛がるだけで書を教えてくれませんでした。お坊様は教えて頂けるのでしょうか?」
 僧は胸を張って、
「もちろんで御座います。それにあなたが嫌がることは一切致しません」
 この懐にふいに飛び込んできた小鳥を逃すまいと必死になった。

 それから僧は托鉢に出る際に稚児に部屋から出てはなりません、もし前の師が探しに来たら引き戻されますよ、と言った。稚児はそれが恐ろしく大人しく部屋に引きこもっていたが、庭で草花を摘んでいる姿を見られ、たちまち噂となった。皆、僧がかような美しい稚児を得たということを羨ましがった。

 稚児は僧に経典を習った。僧は約束通り稚児の肌には触れなかった。だがある日、水垢離をしてその濡れた髪を梳いている稚児の(うなじ)を見て不安となった。
「貴方は、ひょっとしておなごではないですか?私は母以外に女性を知らないのですが、もしあなたがおなごならば私は大変な罪を犯していることになります」
稚児はおかしそうに答えた。
「もしそうと知りつつ私をお抱きになれば三宝を犯した罪は重うございましょう。でも私は稚児で通っています。貴方の私を大切にされていらっしゃる心は分かっております。でもご辛抱も辛いでしょう」
 稚児は帷子の胸を開けた。そこには男とも女とも見分けがつかない脂肪でふっくらとした乳房があった。
「ああ・・・!もうどちらでも良い!私はあなたと添い遂げる!」
 僧はそう言うと稚児を懐き蝋燭を消した。

 僧と稚児は昼間は師弟としてふるまい、夜は恋人として睦み合った。
数ヶ月は夢のように過ぎた。僧は生きがいを見つけ本来の勤勉さを取り戻した。雲林院の僧達も各地の千手観音に願をかけに出かけ、それが縁で院の檀家も増えていった。

 ある夜、事のあと僧は満足してうとうとしていたが、稚児の泣き声に目を覚ました。
「どうしました?」
 稚児は顔を僧から背けて消え入るような声で言った。
「懐妊・・・したようです」
 僧は仰天して寝床から飛び上がった。
「懐妊!?やはり貴方は女であったのか?私は・・・ああ!仏罰が当たる!」
 しかし次に稚児の気持ちを思いやり、
「・・・済んだことはしかたがない。私はどうしたらよいのか?」
「何もしなくともようございます。せめてのお願いは離れの小屋に畳を敷いてそっとしておいて下さい」
 僧は稚児が望むようにしてやった。
ある夜、小屋を覗くと稚児の姿はなかった。中に入ると藁の上に上着が掛けてある。
「もしや・・・?」
 僧がそれをめくると赤子ではなく枕ほどの石があった。
 月明かりに鈍く光っている。
「き・・・金じゃ!金の塊じゃ!」

 僧はそれから金を少しずつ削り取り、金貸しを営んでたいそう裕福になった。黄金を子金というのもそのことからだろう。

 鞍馬寺の毘沙門天は千手観音の垂迹されたお姿である。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み