もし嫌な夢を見そうなら

文字数 1,998文字

1日を終わらせるのにふさわしいごはんがある。

大学、サークル、バイト、課題、資格試験の勉強……朝から晩までギチギチにスケジュールを詰めた締めくくりには、米、パン、麺など炭水化物をたっぷり。脂も大事。物足りないならデザートも。お腹がパンパンに膨らんで苦しくなると、間もなく耐えられない眠気に襲われる。これ、これを待ってた。ノックダウン、わたしは昏倒する。夢も見ずに朝まで眠る……。
大学の仲間にこれを話すと感心される。「ミチルちゃんのパワーの秘密が分かった」って。ガンガン動きどっさり食べてしっかり眠る、なるほど、と。

それにケチをつけたのがアヤコだ。

「ミチル……あんた、だから毎日そんなに食ってるのか」

アヤコとはこの女子学生寮で知り合った。色々な学校の人が集まる寮で、自炊用の共用キッチンがあり、彼女とわたしはそこを使う者どうし。彼女は女子大で栄養学を学び、管理栄養士を目指している、わたしが通っている大学にはいないタイプの子だ。わたしの学校にいるのは競争に強く、誰かの上に立つつもりでいる人ばかり。

アヤコと最初にキッチンで会ったとき、ジロジロと見られた。二人前ほど作った山盛り肉焼きそばとレンジコロッケ、それからジャンボプリンを載せたトレー、そしてわたしの顔を。あまりに見るのでこっちから声を掛けた。ダイニングスペースで一緒に夕食を取りながら雑談。何度もそういうことがあって、そのうち互いの手の内を見せ、深い話をしても大丈夫な間柄になる。それでわたしの食事のことを教えた。「わたしはこういう人間だ」って。身体を鍛えている人が力こぶを見せるような感じで。みんなそれで驚いたり感心したりする。でも、アヤコはあからさまに呆れた。

「それ『ドカ食い気絶』ってやつだ。満腹でめっちゃ眠くなって、そのまま倒れるのが気持ちいいんだろ? でも、続ければ身体がボロボロになってあんた死ぬよ」

「あんた死ぬよ」
「死ぬ」
アヤコが投げつけたその一言が記憶の暗いところを掘り返して、わたしはぼうっと――。

パパが職場で倒れて学校に連絡が来てわたしとママと弟はタクシーで病院に行って/パパは手術を受けたけれど助からなかった/線香の匂い読経の声パパの会社のひとたち/がつぎつぎお焼香/わたしたちはみんなにお辞儀/して花/に埋もれたパパの顔/棺が火葬炉に吸い込まれ/る/灰とお骨/を拾う骨壺を抱いて家に戻る//そして夜が来る眠れない夜が///

「わっ、どうした? 何で泣く?」

わたしは知らずに泣いていた。アヤコが差し出すティッシュで顔を拭いながら「大丈夫、何でもない、アヤコのせいじゃない」とだけ言った。アヤコはわたしが落ち着くまで一緒にいてくれた。 
それからアヤコは必ずわたしと一緒に夕食を取るようになった。わたしの帰りが遅い日も待っていて、わたしの食事を見張っているみたいだった。そのうち「一緒に作ろうぜ」と声がかかった。ごはん、味噌汁、小間切れ肉と野菜を炒めて一味を振ったやつ、フライパンで焼きししゃも、きゅうりと塩昆布……ふつうの簡単な料理をアヤコと作って、同じものを食べるようになった。「こうすると品数が増えるな」とアヤコは笑った。

自覚している。わたしは夜が怖い。眠れない夜が、さびしさが怖い。でもそれに捕まってしまったら一歩も前に進めなくなる。さびしさで人生が止まればわたしも死ぬ、怖い。
だからわたしは食べた。動いた。パパがいなくなったのはわたしが高校生のとき。弟はまだ小学生だったからママはそっちにかかりきり、寄りかかれない。でも猛勉強をして部活に打ち込んで、ときには友達と遊び、限界まで充実させた一日をお腹いっぱいで締めくくれば、何も考えずに眠れて次の日も無敵だ。食事と睡眠で回転する機械になって難関大学に受かり、地元を離れてここに来た。そしてここでも回転を続けた。速度を更に上げながら。

けれどアヤコが、アヤコとのごはんがその歯車を外してしまった。
不安で仕方なくて部屋で隠れ食いをした。スナック、菓子パン。そのたびアヤコを思い出した。


「いっぱい食べないと、寝つきが悪くて嫌な夢を見る」

すごく忙しかった日、焼き飯とわかめスープ、きゅうりとトマトの遅い夕食を用意しながら、「最近どう?」とアヤコが話を振ってきたのでそう答えた。それだけ伝えた。深夜のキッチン、ダイニングには他に誰もいない。床もテーブルもしんとしている。

「……それ、毎日?」
「ん……それなりに」

打ち明け話の気まずさにわたしはうなだれた。アヤコはため息をついてしばらく黙り、それからぼそりとつぶやいた。

「もし嫌な夢を見そうなら声を掛けて。どんな遅い時間でも毎日でも。そしたらあんたのところに行くから。あんたと一緒にいるから」

それでわたしはまた泣いた。泣きに泣いてアヤコのティッシュで顔を拭いた。拭きながら「冷める前にごはん食べちゃおうぜ、な?」と言うアヤコに頷いた。
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