文字数 1,184文字

 先週はひどい顔をしていたから、彼とは別れたのだろう。そう思っていた彼女から帰りがけのエレベーター前で話しかけられた。

「湯川さん、レトロゲームカフェって知ってます?」
「いや、知らないなあ。」
「行こうって誘われたんですけど、私全く興味なくて…」

 私は少し驚いていた。「彼と?」と聞きたいと思ったが、言葉には出来なかった。それを聞くのは、プライベートに踏み込み過ぎかもしれないと懸念したのだ。いや、もしくは怖かったのかもしれない。まだ彼と付き合っていると知るのが。

「私はゲームが好きだから、行ってみたいけどな」
「いや、そもそもレトロゲームって何あるかも知らないんです。それに、今のゲームだってやらないのに…」
「それは確かにきついかもね。レトロゲームでカフェといえば、インベイダーじゃないか?他にもテトリスとか…」

 それ以上、例は出せなかった。私もそもそもレトロゲームがあるカフェが現役だった頃には生まれていないのだから。

「全然分かんないです」
「まあ、私も正直よく分かっていないけれど。行けば楽しめると思う。何事も楽しもうと思い込むことにしているから」
「本当ですか?」

 彼女は訝しんで私の目を覗き込む。彼女の焦茶色をした目に射すくめられて、私は咄嗟に目を逸らした。

「ああ。心の持ち様だよ」
「そうですかね?でも、私何も分からないんですよ?どんなゲームがあるとか、そのゲームを、どうやって遊ぶとか分かっていれば、楽しめるかもしれないですけど…」

 そう念を押す彼女の一言に私は違和感を感じた。「今から下見にでも行ってみるか?」、彼女が期待している言葉はそうじゃないかと頭を過ぎったが、その言葉は飲み込んだ。私に彼氏持ちかもしれない女性を誘うほどの勇気はなかった。もしくは下心を持っているとばれて、距離を置かれたくなかったのかもしれない。何より妻帯者が発すべき言葉ではないだろう。

 エレベーターに乗り込み、玄関を出て、彼女と別れる。彼女があのときどんな返答を期待していたのか。日々彼女との距離は縮まって、勘違いだろうが私に好意の目を向けていると感じることもあった。今日のは、「私の興味ないところにデート誘うなんて最低」という彼の悪口か、それとも「私、今ラブラブなんです」という彼と復縁したことを示唆するのろけなのか、それとも本当に私に--。いずれにせよ、私の会話は彼女にとって正解ではないだろう。いや、正解を言えたとしたら、そこから私は引き返せるだろうか。私も刻一刻と彼女の魅力に取り憑かれていっているのに。
 これで良かったのだ。そう言い訳をしながらも、私は彼女の求めた答えを知りたくて、モヤモヤとした気持ちを抱えて週末を迎えることとなった。寒空は一層気持ちを冷やして、乾いた風が私の心から何かを奪っていく。空を押し下げる重い雲が垂れ込めて、圧し潰されそうな圧迫感を胸にもたらした。
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