0 幸せの代償

文字数 1,564文字

「うん。そうなの、ありがとう」
 楠花穂(くすのきかほ)は通話を切ると部屋を見渡した。
 2年という日々は過ぎてみればあっという間だったのかもしれない。
 最後に恋人と会ったのは夏の長期休みの時。彼は約束通り、遠く離れたこの地に会いに来てくれた。離れがたかったのを覚えている。
 後数か月だからこそ辛いと言えば『これまでに比べればあっという間だよ』と言って彼は笑った。

「やっと日本に帰れる」
 こちらで買ったものは友人に処分を頼んである。
 不要なものはすべて処分し、必要なものだけを持って戻ろう思う。
「明日には会えるのね」
 時差など計算していないが、空港までは義弟が迎えに来てくれることになっていた。恋人にはサプライズしたいから、もちろん秘密。
 ベッドに突っ伏してスマホの画面に目を向ける。
 そこには義弟が送ってくれた恋人の写真。
「ちっとも変わらないわね、彼」
 数か月前にも会ったが、2年前とちっとも変わらない恋人に本当に年取っている? と思ったものだ。
 
 予定よりも早くなった帰国に、彼は喜んでくれるだろうか?
 少し不安になってしまうのは、1つ下の恋人……『白石奏斗(しらいしかなと)』がとてもモテるからである。

「また面倒なことに巻き込まれていなければいいけれど」
 ため息をつきながら呟く。
 そもそも花穂が海外留学することになったのは、奏斗の元恋人の策略。
『2年、離れていても気持ちが変わらないなら諦めてあげるわ』
 彼女はそう言った。

 奏斗を知ったきっかけは大学部1年の時、先輩の噂から。
 後悔すると釘を刺されつつも、彼の写真を見せて欲しいと強請ったのは自分。後悔などしたことはないが、一目ぼれだった。
 出会うきっかけもないまま、父が彼の同級生の母と再婚。
 まさか義弟の恋人になるとは思わなかった。

──結果的には奪ったことになるのかしら?
 
 義弟、元カノ、当時の彼女とライバルに打ち勝ち彼を手に入れたが、そこからが地獄。元カノは彼を諦めるつもりはなかったのだ。

──わたしも人のことは言えないけれど、執念深すぎる。

 辛いことは忘れよう。
 そう思い、目を閉じる。

 本来なら正式にお付き合いをはじめて、一緒に暮らす予定でいた。
 その話が流れたのは、元カノの策略によるもの。父の会社に圧力をかけて来たのだ。そんな力が美月にあったなんて知らなかった。
 父は従業員たちを守るため条件を呑むしかなかったのである。
 選択は2つに1つ。奏斗と別れるか、2年間海外留学するか。

 ずっと好きだったのだ。
 やっと想いが叶ったというのに、別れを選択するわけがない。 
 帰国したら一緒に暮らす約束もしている。その為の住居を用意したと先日、彼から連絡があったばかり。これでもう、二人を阻むものは何もないのだ。

 声が聴きたい。
 その温もりに触れたい。

 会いたい気持ちが募る。
 もうすぐだ。

 再びスマホに視線を向け、SNSのDMの画面を開いた。離れていた間のやり取りはずっとここで。たまに動画を送ったりもした。
 あの頃に想いを馳せながらいつしか花穂は眠りについていたのだった。

『わたしね、ずっと後悔しているの。ずっとよ』
『うん?』
 花穂は奏斗の胸に頬を寄せた。
『あんなにチャンスがあったのに、好きと言えなかった自分に』
 彼が花穂の腰に両腕を回し、指先を組む。
『花穂。人はね、結果を知っているからやり直したいと思ったり、後悔したりするんだ。だから、もしやり直したとしても同じなんだよ』
 そんなことわかっているというように、花穂はぎゅっと彼の背中に腕を回した。
『人は未来へしか行けないんだ。どんなに過去を悔いても』
『わかってる』
『この試練を乗り越えて一緒に未来を歩こうよ、花穂』

 時々わがままでヤキモチ妬きだったけれど、彼はいつだって優しかったことを思い出す。
『ずっと傍にいるから』
 その温もりが恋しかった。
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