第1話

文字数 1,125文字

 先日、高校のクラス会での話だ。
 同級生が海外でクレジットカードが使えなくなった。困って国際電話でカード会社のサポートデスクに電話をし、「カードが使えないので何とかしてくれ」と対応を依頼した。散々待たされたところで返って来た返事は、「カードを調べましたが、カードに問題はありませんでした。」だった。どうやらマニュアルに沿ってチェックしたが異常は見つからなかったらしい。
 話はそれで終わりだった。
 「えっ!?、それで…。俺、カードが使えなくて困ってんだけど…。」

 もう一人の同級生の話。
 職場の企画の説明会で若い職員が、「その部分はこの URL から入って読んでおいて下さい。」
 話はそれで終わりだった。
 「えっ!?、それで…? そこには何が書いてあるの? それが分からないと先に進めない。」

 皆、いい歳になった高校の同級生が憤慨しているのは、これらの話に共通している、「相手の求めていることに果たして自分は答えているか?」「自分が知っていること、言いたいことが相手にちゃんと伝わっているか?」の思考配慮に欠けている点だ。

 医療の現場では少し進歩しているようだ。
 最近、インフォームド・コンセント(Informed Consent:十分な説明を受けた上での同意)という言葉をよく耳にする。医療の安全を確認する行政機関の立ち入り検査や、安全・質を評価し認定する評価機構の審査で、医療の現場でインフォームド・コンセントが適切に行われているかを調べられる。
 説明をした内容のカルテ記載は当然なことで、さらに求められるのはその説明を家族が理解したか?についての客観的なカルテ記載である。

 コミュニケーション【communication】 とは、社会生活を営む人間が互いに意思や感情、思考を伝達し合うこと( goo 国語辞典から引用)である。伝達し合うという相互の、行ったり来たりの動きが大切なのだ。
 世の中、情報量が多くなり過ぎ、人と相対して物事を考え判断する暇がなくなった。マニュアルを相手に機械的にチェックすれば解決したと錯覚する。そして、自分がしたことはきっと相手も理解してくれるだろうと一方的に勘違いしていることが多いのでは?と思うこと(しき)り。

 さて写真は2013年8月4日に上野動物園の猿山で撮影した。

 自分は猿山のサルを見ていると飽きない。サルにも個性があり、集団の中での立ち位置がそれぞれ異なるのだ。
 サルは言葉を持たないが、写真のように唸り声をあげて、何か話しかけようとする表情をする時がある。最近のマスクをしてスマホの画面に見入っている人たちより表情が豊かで、人らしく感じることすらあるのだが…。ふ~、考え過ぎかの~。

 んだ。
(2022年6月)

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