【簡単な解説をしようじゃないか】

文字数 2,799文字

【レビ記22:24〜29】

22:22男が人妻と寝ているところを見つけられたならば、女と寝た男もその女も共に殺して、イスラエルの中から悪を取り除かねばならない。22:23ある男と婚約している処女の娘がいて、別の男が町で彼女と出会い、床を共にしたならば、22:24その二人を町の門に引き出し、石で打ち殺さねばならない。その娘は町の中で助けを求めず、男は隣人の妻を辱めたからである。あなたはこうして、あなたの中から悪を取り除かねばならない。22:25もしある男が別の男と婚約している娘と野で出会い、これを力ずくで犯し共に寝た場合は、共に寝た男だけを殺さねばならない。22:26その娘には何もしてはならない。娘には死刑に当たる罪はない。これは、ある人がその隣人を襲い、殺害した場合と同じような事件である。22:27男が野で彼女に出会い、婚約している娘は助けを求めたが、助ける者がいなかったからである。22:28ある男がまだ婚約していない処女の娘に出会い、これを捕らえ、共に寝たところを見つけられたならば、22:29共に寝た男はその娘の父親に銀五十シェケルを支払って、彼女を妻としなければならない。彼女を辱めたのであるから、生涯彼女を離縁することはできない。

yomogi

【解説】

 さあ、今回の聖書研究はまさかの「法」についてやっていきます。旧約聖書には、十戒をはじめとする様々な掟が出てきます。「殺してはならない」「偽証してはならない」「父母を敬え」なんかは皆さんも聞いたことがあるでしょう。これら、神様が人間に与えた掟の数々を「律法」というふうに読んでいます。


 律法は、エジプトの奴隷であったイスラエルの民が、神様に導かれて脱出したあと授けられました。その時、民を代表して律法を受け取ったのがモーセです。そのモーセが、人々に向かって語った最後の告別説教が、申命記という書物です。ここに、現代の諸問題にも関連した様々な「法」が出てきます。



 たとえば、今読んだ「浮気や不倫に関する規定」です。「男が人妻と寝ているところを見つけられたならば、女と寝た男もその女も共に殺して、イスラエルの中から悪を取り除かねばならない」……互いにパートナーがいるにもかかわらず、体を重ねてしまった男女は死をもって償わなければならない……一言でいえばそんな規定です。



 「浮気をした者は罰を受けなければならない」これにはほとんどの人が同意すると思います。さすがに死刑は重すぎる……という人はいても、互いの家族に対し、それだけ心に傷を残す、遺恨を残す出来事であるのは間違いないでしょう。子どもがいたら、なおさら被害は深刻かもしれません。



 互いに誠実な関係を結ぶため、相手を裏切らないように教えたこの掟、その精神は、今でも大事にしなければならないものでしょう。でも、次の掟はどうでしょう? 「ある男と婚約している処女の娘がいて、別の男が町で彼女と出会い、床を共にしたならば、その二人を町の門に引き出し、石で打ち殺さねばならない」



 今の日本なら、付き合っているだけのカップルが浮気をしても、法的に裁かれることはありません。しかし、かつてのイスラエルにおいて「婚約している男女」の関係は、「結婚している男女」の関係とほとんど同じものでした。つまり、浮気や不倫に関する規定も、結婚している2人と同様に適用されたわけです。



 でも、あまりに簡潔なこの規定……ちょっと問題ないでしょうか? たとえば、女性の方はその気がなかったにもかかわらず、男性の方が無理やり襲ってきたとしたら……2人とも石で打ち殺すのは、さすがに乱暴と言うものです。ここ数年の間、酔っている女性を無理やり襲った男性の事件が何度か話題になりました。事件の被害者にもかかわらず、その女性まで罰を受けなさいというのは理不尽な話です。



 ところが、男性と一緒に女性も打ち殺すべき理由を、聖書はこう記しています。「その娘は町の中で助けを求めず、男は隣人の妻を辱めたからである」……なるほど、町の中なら助けを呼べば誰かが来る、同意のない行為は断れる……そういう理論でしょう。実際、25節と26節にはこうあります。



 「もしある男が別の男と婚約している娘と野で出会い、これを力ずくで犯し共に寝た場合は、共に寝た男だけを殺さねばならない」「男が野で彼女に出会い、婚約している娘は助けを求めたが、助ける者がいなかったからである」……野原なら、周りに助けを求めても人がいないので逃げられません。確かにこれは仕方ない?



 そう、現代の法でも、レイプした男性を裁く争点となるのは、女性の方に「同意があったかなかったか」「抵抗したかしなかったか」です。けれど、ちょっと考えれば分かります。「騒げば殺す」と言われたら……突然捕まって、恐怖のあまり声も出せなくなっていたら……被害者は町の中でも助けを求めることができません。



 「黙っていたから同意した」と見なすのは、襲った男性の方に都合の良すぎる展開です。しかし、昔も今も、「いやいや、襲われたなら叫ぶでしょ」と考える人は後を絶ちません。弱者の視点に立たない掟、大事なものを見落とした規定……まだまだあります。



 「ある男がまだ婚約していない処女の娘に出会い、これを捕らえ、共に寝たところを見つけられたならば、共に寝た男はその娘の父親に銀五十シェケルを支払って、彼女を妻としなければならない」……色んな漫画や小説で「責任とって!」という台詞が出てきますが、これもその展開の一つですよね。



 成り行きで関係を持ってしまったとしても、その責任はちゃんと果たさなければならない……一見、誠実な掟のように思えます。でもこれ、突然捕らえられ、犯されてしまった女性の意志は、一切考慮されません。逆に言えば、「俺はあの子と結婚したい」と思った男性が、力に任せて無理やり既成事実を作る……ということが認められてしまうんです。



 いくつかの国では、一部の地域で今でもこのような慣習があり、「誘拐婚」と呼ばれる行為が残っています。キリスト教を信じる人も、「聖書にこう書いてあるから」という理由で都合よく現実を解釈する危険が、全くないとは言い切れません。事実、この箇所でなくても、他の聖書の記述を持ち出して、「こう書いてあるからこうすべき」「これをやってもかまわない」と自分たちの行為を正当化している現実が、あちこちに発見できるでしょう。



 しかし、聖書の規定の精神は、「文字通りに捉えられることだけに目を向けよ」と言っているんでしょうか? 神様が与えた掟の数々は、強者に都合よく、弱者を虐げるやり方で適用されていいんでしょうか? 今こそ、「斜にかまえる」「斜にかまえない」両方の視点から、掟を見つめ直すときかもしれません。さあ、議論を始めましょう……

yomogi

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