第二十六話 鷹便

文字数 6,683文字

洞穴入り口の左右には石柱が置かれ、これが自然に産まれたものとは、とても言い難い。リアムに出会ってから、ほんの数分後にグァナフ抗に辿り着いた。
廃坑されてから時が経っているのもあってか、入り口には背の高い草達が生い茂り、天然の遮蔽物を生み出している。それは季節故、という事もあるのだろうが、やはり人々が随分と足を踏み入れていない事を間接的に教えている。リアムは両手でそれを掻き分け、廃坑が誘う闇が彼の靴先に触れた。二人は白馬を降り、オリビアが手綱を引く形でその背に続いた。
この背景には、やはり敬意が込められているのであろう。麓であるとはいえ、ここは神の住む頂きのお膝元である。木の梁が巡らされている辺りは、普通の坑道のそれと同じなのかもしれないが、足元には立派に石板が敷かれ、白馬の蹄が高い音を鳴らした。
それだけではない。入ってすぐの壁面には窪みがあり、神を模したであろう像が建てられ、入り口から差し込む光と坑道奥の闇をその身に受け、まるで世の調和を保つ様を具象化しているかのようである。
「良い装飾をした釘を使っておる。何本か失敬したいところだが、崩れ落ちても困るからの」
魔女が梁を留めるそれに感嘆の声を漏らした。無理もない。これも城下の選りすぐりの職人達が一つ一つ丁寧に作り上げており、おまけに司祭らの祈りまで付与されているのだから。
所々に痛みは見られるが、月日が流れていてもこうしてしっかりと形を留めているのを見るに、より慎重にこの坑道を作り上げていったのが伺える。その作業を任された炭鉱夫達が自棄を起こし、欲に負けた気持ちはわからないでもない。
「馬をこちらへ」
言葉のすぐ後に、前方が明るみを得た。リアムが石を使い、自身の松明に火をつけたのであった。炎は坑内を赤に染め、潜んだ脇道を晒け出す。
ここに来るまで、白馬とリアムの間には、相変わらずの距離が置かれていた。その距離が到頭変わった形を見せた。リアムがその道の脇に立ち止まり、少女に馬をこの先に進ませるよう促したのである。脇に立つリアムの表情は変わらない。が漂う鋭い緊張感。それを脇目に白馬は少女の指示に従い、促される道の奥へと歩を進めた。
白馬の行く手はすぐに岩の壁に防がれた。その壁面には数個の金属の輪が撃ち込まれ、無造作にぶら下がっている。
「私も時折、ここに馬を留めています。ここはもう鉱石は枯渇しており、辺りには獣もいます。人が寄ることはありません。馬の首元にガルダの爪をかけておけば問題ないでしょう」
一呼吸置いて彼は付け足した。
「……まぁ伝説の白馬であれば、その必要もないかもしれませんが」
革で覆われた内にある、この馬の正体。それは鷹便が彼に教えてくれていた。流石のリアムも疑いを避けられなかったが、族長の言葉であれば信用せざるを得ない。ましてこの距離を短時間で辿り着けるのはシルキーでしかないであろう。
(……しかし、いくらなんでもこんな少女に懐くなんて)
伝説の白馬、シルキーの存在は勿論リアムの耳にも届いている。帝国の上流騎士たちが、こぞって懐かせようとした話は実に新しい。そしてその結末も。ここに辿り着くまでの距離間は、その恐ろしさを知る者が故のものである。
「あの……」
少女の戸惑いの声が、ほんの少し生まれた彼の隙を割いた。
「あぁ。そのまま手綱を壁面の金具に繋いで下さい。ここは炭鉱夫の監視を務める帝国兵が、馬を留める馬駐として使っていました。時が経っているとはいえ、そう簡単に壊れることはないでしょう」
少女がその指示を受け、手綱を繋ぐ間も、リアムは動きを見せない。魔女が馬の背を降り、少女が荷物を下ろした時、ようやく一歩を踏み出した。
「荷物は私が持ちましょう」
この細腕の何処からこんな力が出るのか。オリビアが両手いっぱいで、やっと抱えていた荷物もリアムは片手一つで持ち上げた。表情ひとつ変えずに言葉を放つ。
「この坑道から少し行った所に家屋があります。そちらに向かいましょう」
余る片手に握られた松明の光を頼りに、そそくさに表に出ようとするリアム。それに続くグリンデ。
オリビアも急いでそれに続こうとしたが、やはり足先を翻した。坑道内は空気が籠り、野生を過ごした馬からすればけして寒くはないだろうが、気にかかって当然であろう。変えの上着はリアムの片手に担がれる荷物の中だ。今が着ている物を脱いでは、自身が参ってしまう。
人が訪れる気配がないという事、そして夜中には再びここに訪れるという事。やはり何よりも少しでも安心させようという想いからであった。少女が感じた、様々な点が未来の岐路を大きく変えた。オリビアは自身の肩に下がる革鞄をシルキーの首元へと掛け、それを預けると、頭を撫で、急いでその揺らめく炎の影を追った。
歴史に"もしも"などという幻想はない。だが仮にこの時にリアムが少しの余裕を見せ、肩に担ぐ荷物から少女に上着を渡していたら、この先の運命は変わっていたのかもしれない。ほんの些細なことで未来は変わるという事を、一行は知る由もなかったのである。

再び一同が光を覚えてから、約千秒。しばしの長い沈黙が続いた。それを割いたのは少女オリビアであった。
「あの……リアムさんはどうして郷を出られるのですか?」
この質問は正しくはない。正確にいうと"郷を出て何をしているのですか"という問いが相応しい。その過ちを導いたのはリアムの出す"空気感"故である。出会った時、カシムと同じような香りがしたが、どうも少し違う。彼からはなんら嫌悪感を抱かないが、どうも異質だ。柔らかな笑みが必死にそれをかき消そうとしているが、時折、弦を張ったような緊張感が彼から湧き出るのを感じるのだ。その緊迫感が、少女の問いの行く先を少し反らしたのであった。
片手に大荷物、険しい山道を何食わぬ顔で行く青年が振り返った。その表情は涼しく、変化はない。
しかし、この時ようやく少女は気づくことが出来た。彼の頬に、横一線に走る二つの切り傷を。その切り傷の原因を、彼は一言で間接的に片づける。
「……私は郷の調達人です。ヌカの木や、それこそガルダの爪を各地で仕入れて郷に調達しているのです」
この言葉で彼に眠る"異質さ"の正体に気づいたような気がする。ルドラが認め、郷を出入りすることを認められただけはある。やはり想像を超えた死線を乗り越えてきたのかもしれない。郷を出て、各地に素材を入手しに向かう。この"素材"の中には、入手するのも困難なものも多いであろう。そしてそれは郷の将来を左右する。その重責たるものが彼を育てたに違いない。
「……ふむ。鷹便は使えるのか?」
坑道を進んでいた時ぶりに、久しく魔女が口を開いた。『鷹便は使えるのか』。この会話はこの地域を良く知る者同士でしか、成り立たたないであろう。魔女にとって、無駄な時間は不要なのだ。基本的に、簡潔に答えを導ける問いしかしない。
「えぇ。仰るように、めったな事がない限り、使うことはないです。……届くこと自体が少ないですからね」
言葉が刺さったのか、目を丸くする少女に向けて言葉を付け足す。
「エルビス山脈の山頂付近には、この爪の主"ガルダ"が巣を成していると言われています。その食物連鎖の頂点の下にも、多くの獰猛な生き物が生息しています。……つまり届かないんですよ。鷹が」
ガルダは、地上に住む生き物を襲うこともあるが、滅多に地上に降りることはない。人間も時たまに、小さな子供が攫われることがあるという噂がある程度で、襲われた実績は少ない。それが故にこの爪の入手も非常に困難で、彼を悩ましてきた種の一つでもあるのだが。
では何を捕食しているのか、という話になるが、これが何と同族の鳥類を餌にしているとの見方が強いのだ。その憶測の根はこの鷹便の話に繋がる。
かつてこの地を開拓しに、ならず者を連れ、帝国兵が訪れた訳だが、やはりアリエ中枢との連絡を取る術が必要であった。従来通り鷹便を使い、互いに返事を待ったのだが、何日経っても届かない。数日の遅れを見せて、届いたものは半分にも満たなかったという。
生まれた時から手懐けられ、途中で鷹が仕事を放棄したことも考えられない。その最中、嘆く兵士たちの間で報が舞い込んだ。なんでも、鉱石を掘る炭鉱夫が、用を足しに外に出て空を見上げた際に、人三人分ほどはあろうかという翼を持つ鳥が、他の鳥を襲う様を目撃したというのだ。この話から、鷹が襲われたのではないかという説が有力視されたのであった。
魔女はガルダの存在を認知していたが、鷹便が届かないという事実は知り得ていなかった。魔女が幼少の時代でも、鷹を使い文書を届けるという文化は存在したのだが、彼女が育った環境では『自然は自由でこそ美しい』という教えが強く、扱われることはまずなかったのだ。十数年前に恒例の郷の長、ルドラの母が訪れた際に「わざわざ出向くのも難ではないか」とふと話題に上がり、この地域では滅多に鷹が届かないという情報を得たのである。
「族長からの文には、五羽の鷹を飛ばしたと書いてありました。そのうち届いたのは一羽だけ。あまりに損失が大きすぎるため、勿論私たちも滅多に使うことはありません」
一呼吸置いて、彼は付け足した。
「北に【ラピスホーク】という種の鷹が生息しているのですが、その鷹は閃光の如く駆け抜けると言われるほど、脅威的な速さで飛ぶことが出来るそうです。その速さからか、敵に襲われても逃げ切れるのでしょう。今までの鷹便より確実に文を飛ばせるそうで、帝国兵たちも、こぞって育成に励んでいるそうですが、やはりどうも難しいようで。何よりラピスは希少性も高くて、私も一度見たきりです。とても郷では育てられない。……やはり私たちはこの手段での伝達は向いてはいない」
"この手段での伝達は"。では別な手段で連絡を取っているのか。鋭い人間であれば、彼の残したこの僅かな隙を見逃さないであろうが、相手は未熟な少女である。気づく間もなく、リアムは言葉を重ねる。
「我々が今もこのように獣に襲われないように、この爪……ガルダから得られるものは恩恵だけではないのですよ」
「そも……自然とはそういうものであろう。ガルダがおるお陰できっとこの地は守られておる。我らが不躾に踏み込みすぎておるのだ。干渉しすぎては壊れる。このくらいで良いのだ」
これで終わりであれば、美しく締まるものだが、魔女は違う。
「それ小娘。自然に習い、我らも爪を外すか?皆で外して、町まで競おうではないか。足が遅い者が真っ先に食われるぞい。見ものだわい」
「やめてください!」
恒例のやり取りだが、魔女の笑い声は響かず、対する少女の声も小さい。それはこの旅が二人にって最後のものであり、このやり取りに何処か物憂げさを感じているという訳ではない。歩を進めているこの環境が、余裕を産まないほどに緊迫していることを示しているのであった。
今まで進んでいたものとは大きく違う。木々の向こうから大きな"圧"を感じるのだ。もしかしたら、雲の遥か上におわす神の眼差しか。それが何者によるものなのかはわからない。沈黙は更なる沈黙を呼び、足音と風の音だけが、森の中で微かな痕跡を刻んだ。

それから千とその半分を数えたくらいであろうか。大きな煉瓦造りの塀が、草木の隙間から覗いた。聳えるそれは、一般のものよりも随分と高く、見上げる少女の倍はあろかというほどである。
「ここはオルドの町の町長が別荘にと建てたのですが、町の中心から離れているのもあって、夜中に獣が多く姿を見せるとのことで今は誰も住んではおりません。私が調達した素材との引き換えに譲って頂きました」
「……獣」
「なに、私たちにはガルダの爪があります。滅多なことがない限り、彼らは近寄りませんよ」
オルドの町に住む人々は、ガルダの爪が獣除けに使えることは知らない。郷の人間のみが知り得る理由は、過去にこの地に住まわれた、ある民族のみ知り得た知識が根にあるからである。しかしリアムも易々とそれを教える訳にはいかない。もし仮に伝えたとしたら、ガルダの爪の入手はより困難になり、郷に住む人々が窮地に立たされるであろう。
町の町長は、リアムと何度も取引をしている。そして彼が優れた腕を持っていることも知っている。それ故にこの家を引き渡したと推測される。
一同はその塀に沿って歩を進めた。ちょうど屋敷の裏手に辿り着いていたらしい。二つ角を曲がると、金属でできた鉄柵が姿を現した。鉄柵の前には砂利が引かれ、緩やかに下りを見せている。このまままっすぐ向かえばオルドの町に向かうのだろうか。
ここまでは普通である。一つだけ違和感が少女を襲った。柵の向こうには、家があるのだが、その左右にある生垣の植物がどうも奇妙なのだ。夕暮れを終え、今にも夜が訪れるであろう瞬間の空を思わせる。赤紫色の花弁を持つその花は、少し離れたここからでもわかるほど大きく、爪のように尖る形状をし、文字通り異彩を放っている。
疑問を他所に、隣で金属がぶつかる音がした。次に門が軋む音が響く。
注意喚起を含めてでもあろう。リアムは勿論、鉄柵を除く少女の眼差しを見逃してはいなかった。
「これは【ドラゴンクロウ】。"竜の逆鱗"の異名を持つ所以でもあるのですが、触れると火傷を負ったように、皮膚が爛れてしまいます。絶対に触らないように」
流石の少女も、そのような花をここに咲かせる理由を聞かなかった。むしろそれ以外の用途が思い浮かばない。獣除けであることが容易に想像できたからだ。
「……触れるなら、修道院に行った後にしておくれよ。面倒だからの」
あの魔女が"面倒だ"というからには、触れると本当に危険なのであろう。これまでの付き合いから考えるに、そこまで危険がないのであれば、彼女は間違いなく指先に触れて慌てる様が見たいに決まっているからだ。
魔女の嫌味に答える間もなく、金属と木材ががぶつかる少し鈍い音が響いた。
「どうぞお入りください」
リアムに促され、玄関をくぐる一同。しかし、よくここまで顔色ひとつ変えずに歩めたものだ。扉を閉めた直後、リアムの持つあの大きな荷物がどさりと床を鳴らした。
「……うわぁ」
田舎育ちの少女は、思わず感嘆の声を漏らした。
目の前には、人三人は並べて歩ける大きな階段。頭上には豪華なシャンデリア。左右には黒光りする豪華な木戸。アリエ中枢の上流階級の物に比べたら、それは勿論劣るが、流石は町の長の物であっただけはある。どうも三人で過ごすには勿体ないくらいである。
「……ふむ。早々、不躾にすまぬが寝室は何処だ?」
「どうぞ二階へ」
何を塗ったらここまで艶が出るのか。却って手を滑らせて、つまづきでもしたら危ないのではないか。一同は目の前に構える階段に音を鳴らした。
少女にとって、新たな幸福が訪れた。階段を上った左手に、その寝室はあった。両手いっぱいに広げても、届かないであろう寝台。それが二つも並んでいるのだ。
「小娘。うつつを抜かす出ないぞ。日が沈み、少しもしたら向かう。あまり悠長に時間を食うわけにもいかんのでな。少しもしたら眠るがよい」
そうだ。これは遊びではないのだ。この夢のような時間も、泡のようにすぐに消え去る。未来に備えて休息を得るのが効率的であろう。
「でも……」
魔女が相手であろうが、少女が不服を言いそうになるのも無理はない。太陽はまだ、日没を知らない。眠れと言うにも無理がある。
「そうですね……。私はこれから町に向かおうと思うのですが……オリビアさん、どうですか?一緒に付いてきますか?」
『外の世界に憧れを覚えたらどうする。こやつはこれから郷に住むのだぞ』。声にこそ出なかったが、魔女の瞼は鋭く尖った。
(まぁ……オルドも辺境。行ったところで憧れるものなどなかろう、か)
結局は魔女も言葉を飲み込み、リアムの配慮に従うのであった。
これはもしかしたら運命であったのかもしれない。この何気ない"些細"の積み重ねによって、ある大きな邂逅を果たすことになるとは、少女と青年は思いもしないのであった。
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