第1話
文字数 1,995文字
半透明の保存容器が、冷蔵庫に並んでいる。きんぴらも筑前煮も三日前のまま。
隣でため息をつく妻の肩をぽんと叩くと、中身を捨てる。
気を取り直したように換気扇がぶうん、とうなり、ごま油の香りが広がった。ししとうとじゃこが絡まる。茄子とピーマンの味噌炒め。ブリの照り焼き、味噌汁。人数分を食卓に並べる。
ほとんど会話もなく食事を終えると、妻が言う。
「おとうさん。瑞希 と二人で話したいんだけど」
「ああ。また、あとで」
駐車場へ向かい、煙草に火をつける。煙の方向に娘たちの顔が見えるようで、私は目頭を押さえる。
「瑞希はすっかり食が細くなった」
車へ戻ってきた妻がこぼす。
「真希 が食べずに出かけるせいだ、って言うの。自分だけでは、お惣菜の作り置きを片付けきれないって」
「そうか」
「真希を一人にしておけないから一緒に暮らす、と瑞希が言いだした時は本当に驚いた。そんなに妹のことを思っていたなんて」
「絆は強いんだよ」
瑞希と真希は双子の姉妹。真希の恋人、亮太 くんが二人のために誕生日パーティを準備してくれたあの日。楽しそうに出かけて行った車は、高速道路で多重事故に巻き込まれた。
「瑞希ときたら、真希は無口になった、って言うの。だから私、事故のせいで脳のどこかが傷ついたかもしれない、って答えたの」妻は泣くのを堪えている。
「それで真希は、一日中ソファに座って、隣に向かって微笑んで、頭をもたせかけるような仕草をするんですって」
私は首を左右に振る。辛い。
「瑞希に言わせると、真希には亡くなった亮太くんが見えていて、夜も抱きつくような格好で寝てるのだそうよ」
涙が胸の奥に逆流してくる。
「その真希が出かけるようになったんですって。どこに行くのかと思ったら、駅前のコンビニで忙しそうにしているのを見つけた、って」硬く握りしめられている妻の手に、こぼれた涙が伝っていく。
「真希が幸せなら、これでいい。亮太くんが一緒だから外に出るようになって、バイトまでできるようになったんだ、って、瑞希は」
妻の肩を抱いてやろうとするが、うまくいかない。
「瑞希には、真希が亡くなったことが受け入れられないのよ」
「一人にならないのが、自分を護るすべなのかもしれない。真希の幻影と暮らすことで、瑞希は自分を保っているのだろう」嗚咽する妻の隣で、私はやっとの思いで口にする。
「ねえおとうさん、真希のことが見えている時間が短くなってきているのが、回復の兆しだといいわね」
「ああ」
「瑞希をクリニックに連れていくのは、またでいい?」
「そうだね。きみが思うタイミングで」
「ありがとう。こうして話していると落ち着いてくる。おとうさんがいてくれるから、私は真希を喪った哀しみを抱えながらも、瑞希を支えていこうと思えるの」
…というのが先週の妻の様子です、と私は話し終えた。
娘二人の亡骸と共に病院を去った数日後、妻は、アパートに瑞希の様子を見にいくと言い出した。クリニックに相談に行くと、先生は真面目な顔で話を聞いてくれた。
しかし、なかなか妻を連れていくのは難しい。瑞希を診てもらおうと言うと、一瞬その気になるのだが、瑞希が乗り気でないからとごねられてしまう。
「また、ひとりで来てしまいました」
平身低頭するのだが、先生も看護師さんもいつも優しく対応してくれる。
娘二人を亡くした哀しみ。加えて、それをまだ受け入れることができない妻を護り支えることの苦しみ。ここで相談すると、妻に対する私の対応を肯定してくださるから、このまま見守っていこう、と自分に言い聞かせる。
「その『瑞希さん』のアパートを私たちにも見せてくださいませんか。奥様には内緒で、ご主人だけで」
観葉植物をベランダに出して水をやり、日にあてる。約束通り、先生と看護師さんが訪問してくれた。
冷蔵庫の中を見せる。
「しょっちゅう、来られているんですか」
「妻が行こうと言いますもので」
お二人にお茶を出しながら、ふっとベランダの方を向く。
「あのパキラ、もっと葉が繁っていたのに、どんどん落ちてしまうんです。娘たちが大切にしていたので、枯れないようにと世話をしているのですが」
「鉢が小さすぎるかもしれません。隙間が足りなくて、根が詰まっているような」
「人だけでなく、植物のことまでわかるなんてさすがですね」
私がそう言うと、お二人は笑った。
「6.5号の鉢に変えたらいいと思います。根は、軽くほぐすようにほどいてあげてください。きっと元気になりますよ」
看護師さんがアドバイスをくれた。ホームセンターへ寄って帰ろう。
「奥さんと娘さん二人を一度に失うなんて、受け入れ難いことだろうね」と医師。
「入れ子のように亮太さん、真希さん、瑞希さん、そして奥さん。幻影は一つずつ、ほどけて落ちていくのでしょうか」と看護師。
二人が振り返ると、男性が鉢植えを部屋の中へしまうところだった。
<了>
隣でため息をつく妻の肩をぽんと叩くと、中身を捨てる。
気を取り直したように換気扇がぶうん、とうなり、ごま油の香りが広がった。ししとうとじゃこが絡まる。茄子とピーマンの味噌炒め。ブリの照り焼き、味噌汁。人数分を食卓に並べる。
ほとんど会話もなく食事を終えると、妻が言う。
「おとうさん。
「ああ。また、あとで」
駐車場へ向かい、煙草に火をつける。煙の方向に娘たちの顔が見えるようで、私は目頭を押さえる。
「瑞希はすっかり食が細くなった」
車へ戻ってきた妻がこぼす。
「
「そうか」
「真希を一人にしておけないから一緒に暮らす、と瑞希が言いだした時は本当に驚いた。そんなに妹のことを思っていたなんて」
「絆は強いんだよ」
瑞希と真希は双子の姉妹。真希の恋人、
「瑞希ときたら、真希は無口になった、って言うの。だから私、事故のせいで脳のどこかが傷ついたかもしれない、って答えたの」妻は泣くのを堪えている。
「それで真希は、一日中ソファに座って、隣に向かって微笑んで、頭をもたせかけるような仕草をするんですって」
私は首を左右に振る。辛い。
「瑞希に言わせると、真希には亡くなった亮太くんが見えていて、夜も抱きつくような格好で寝てるのだそうよ」
涙が胸の奥に逆流してくる。
「その真希が出かけるようになったんですって。どこに行くのかと思ったら、駅前のコンビニで忙しそうにしているのを見つけた、って」硬く握りしめられている妻の手に、こぼれた涙が伝っていく。
「真希が幸せなら、これでいい。亮太くんが一緒だから外に出るようになって、バイトまでできるようになったんだ、って、瑞希は」
妻の肩を抱いてやろうとするが、うまくいかない。
「瑞希には、真希が亡くなったことが受け入れられないのよ」
「一人にならないのが、自分を護るすべなのかもしれない。真希の幻影と暮らすことで、瑞希は自分を保っているのだろう」嗚咽する妻の隣で、私はやっとの思いで口にする。
「ねえおとうさん、真希のことが見えている時間が短くなってきているのが、回復の兆しだといいわね」
「ああ」
「瑞希をクリニックに連れていくのは、またでいい?」
「そうだね。きみが思うタイミングで」
「ありがとう。こうして話していると落ち着いてくる。おとうさんがいてくれるから、私は真希を喪った哀しみを抱えながらも、瑞希を支えていこうと思えるの」
…というのが先週の妻の様子です、と私は話し終えた。
娘二人の亡骸と共に病院を去った数日後、妻は、アパートに瑞希の様子を見にいくと言い出した。クリニックに相談に行くと、先生は真面目な顔で話を聞いてくれた。
しかし、なかなか妻を連れていくのは難しい。瑞希を診てもらおうと言うと、一瞬その気になるのだが、瑞希が乗り気でないからとごねられてしまう。
「また、ひとりで来てしまいました」
平身低頭するのだが、先生も看護師さんもいつも優しく対応してくれる。
娘二人を亡くした哀しみ。加えて、それをまだ受け入れることができない妻を護り支えることの苦しみ。ここで相談すると、妻に対する私の対応を肯定してくださるから、このまま見守っていこう、と自分に言い聞かせる。
「その『瑞希さん』のアパートを私たちにも見せてくださいませんか。奥様には内緒で、ご主人だけで」
観葉植物をベランダに出して水をやり、日にあてる。約束通り、先生と看護師さんが訪問してくれた。
冷蔵庫の中を見せる。
「しょっちゅう、来られているんですか」
「妻が行こうと言いますもので」
お二人にお茶を出しながら、ふっとベランダの方を向く。
「あのパキラ、もっと葉が繁っていたのに、どんどん落ちてしまうんです。娘たちが大切にしていたので、枯れないようにと世話をしているのですが」
「鉢が小さすぎるかもしれません。隙間が足りなくて、根が詰まっているような」
「人だけでなく、植物のことまでわかるなんてさすがですね」
私がそう言うと、お二人は笑った。
「6.5号の鉢に変えたらいいと思います。根は、軽くほぐすようにほどいてあげてください。きっと元気になりますよ」
看護師さんがアドバイスをくれた。ホームセンターへ寄って帰ろう。
「奥さんと娘さん二人を一度に失うなんて、受け入れ難いことだろうね」と医師。
「入れ子のように亮太さん、真希さん、瑞希さん、そして奥さん。幻影は一つずつ、ほどけて落ちていくのでしょうか」と看護師。
二人が振り返ると、男性が鉢植えを部屋の中へしまうところだった。
<了>