正月廃校ツアー

文字数 1,782文字

 今年の里帰りには、特別な目的が二つあった。
 娘は、受験生なので、家に残るといったが、気分転換もかねて連れてきた。娘は、お年玉をもらったら、もうそわそわしている。
 娘は、学校でいじめにあっていた。そのことを先生に言われるまでわからなかった。場所を変えそのことを話し合うのが目的の一つ。
 もう一つの目的は、私が卒業してまもなく廃校になった母校の中学校が、地震や降雪で倒壊の危険性があり、いよいよ解体されることになった。それで、帰省者が多い正月に、「お別れ廃校ツアー」が開催されると聞き、そのイベントに参加することだった。
 中学時代、私は、バレーボール部に入っていた。時代は「昭和」。スローガンは、「友情・努力・勝利」。スパルタな顧問のもとで、ボールを追いかけていた。と言えば、「青春」だが、運動オンチの私には、レギュラーの道は果てしなく遠い道だった。今は、体罰だ、パワハラだと、うるさいが、当時は、顧問による体罰は日常茶飯事で、少しでも、顧問の機嫌を損ねると、太ももを叩かれ、「ばか」「死ね」は、挨拶替わりに飛んできた。しかし、重要なことは、そのような攻撃を受けるのは、レギュラーや見込みのある生徒に限られていたことだ。被害を受けた本人は、「選ばれし者」として、誇らしげでもあった。だから、本人も、保護者も声を上げなかった。私は、バレーが嫌いではなかったし、人ががんばっているのを見るのが好きだったので、レギュラーに選ばれないのは、残念ではあったが、半面、ほっとしている面もあった。
 一月二日午後一時集合の廃校ツアーには、五十人ほどの人間が集まった。同級生が二、三人いた。皆、青春の思い出を確認するために参加したのではないだろうか。当時の生徒玄関にスリッパが用意され、「さようなら○○中学校校舎」の垂れ幕の前で旧友と共に自撮りをした。
 レギュラーでなかった私の思い出の地は、体育館ではなく、脚力強化トレーニングの聖地、西階段だ。真夏の部活は、体育館も、グラウンドも、とにかく暑い。それに比べて、窓からの風と日の差さない西側の階段は、私の楽園だった。
 シューズのヒモをしっかりと結び、みんな真剣に駆け上がる。そして、駆け降りる。汗が床を濡らす。頭の中をからっぽにして、何度も何度も往復した。
 今日、私が、このツアーに参加したのは、最後にあの階段を見たかったからだ。娘にも見て欲しかったので連れてきた。
 ここは、私にとって、レギュラーか補欠かといった相対的なものではなく、自分との戦いの場だった。ここには、体罰も罵声もなかった。目標とする回数を達成したときの達成感が私を強くしたのだと思う。
 私の時代の体罰といういじめは、優秀な生徒の証拠という一面もあったが、娘は、自分に対するいじめを劣等な生徒の証拠と捉えたのではないか。体罰もいじめもどちらも理由を問うことなく「絶対だめ」なのだ。体罰やいじめを人間の価値を計るものさしにしてはいけない。娘は、いじめの原因を自分の中に探して、沈んでしまったのだと、担任の先生に言われた。
「娘さんの自己肯定感を高めるために、お母さんの過去の経験をお話しなさってはどうでしょうか」と。

 目の前に、あの時の階段があった。私はあの時のように、一段飛ばしで駆け上がった。あの時の爽快な気分がやってきた。このまま一階から、踊り場経由、二階のフロアーまで。
 ところが、あの時、先生に怒られたことを思い出した。
「おい、かかとを潰して、スリッパ履きだと危険だぞ」
 そうだ、今日のツアーは、主催者が用意した正真正銘のスリッパ。私は、二階に到達する直前で、足を滑らしてしまった。
「えっ、まさかの骨折? それとも……」
と、空中をさまよう刹那、人生の回顧。その時、私の後ろを文句を言いながらついてきた娘の手が伸びて、私の片腕をしっかり掴んだ。
「お母さん、もうそんなに若くないんだからね」
「失礼な。でもありがと」
 ちょっと恥ずかしくなって、何か言い返そうと思った。
「そうね。あなたみたいに若くなかったわね。でも、あなたは、そんなに若いんだから、前だけ見て突き進んでいけばいいんじゃないかなあ」
 娘は、自分に対する私の心配を悟ったように口角を少し上げた。
 私は、娘に、体罰やいじめで自分を計るのでなく、自分自身のものさしを使い、自分を成長させてほしいと祈っている。
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