経験者は役に立つか
文字数 7,821文字
日曜日も良く晴れた。夜明け前から起き出し支度 をする。暗い旧道を自転車で飛ばし、連絡船に乗った頃に朝日が昇り始めた。そのまま、島平 市の駅まで行き、切符を買う。予定通りの電車に乗れて漸 く緊張がほぐれる。スマートフォンの乗り換えアプリを何度も眺 めて過ごし、慣れない新幹線の乗り換えに戸惑 いながらも、自由席の車両に1つの座席を確保できると、一気に安堵 が訪れ、眠気となって襲 ってくる。眠ってしまった自分に驚いて目覚めた時には、もう京都は目の前になっていた。慌 てている自分を落ち着かせながらホームに降りる。どっちに行けば待ち合わせ場所があるのかも分からない。自分の住んでいる島平 とは比べ物にならない位 に人がいる。人の流れに逆らわずに歩きながら、スマートフォンを操作して、待ち合わせ場所までの地図を表示して歩く。写真を何度も見て脳裏 に刻 み付けた時計のある場所まで迷わずに辿 り着くと、直 ぐに一人の男性が近づいて来る。
洗い晒 しのコットンシャツ姿の痩 せた男の顔に見覚えがある。『もりとえらび』の当時、ニキビだらけだった頬は見違 える程 綺麗 になっているが、所々にその名残 があり、掛けていた眼鏡も今は無い。
「和人君かい?」
爽 やかな声で先に声を掛けて来る。
「はい。すいません。わざわざ時間作ってもらっちゃって。」
和人はぺこりと頭を下げると、照 れ隠しの笑顔になる。
「ああ、良いさ。ちょっと、どこかでコーヒーでも飲みながら話そう。」
創太郎は行く方向を人差し指で指すと、先に立って歩いて行く。和人は黙って、彼の後について人混みの中を縫 って行く。田舎者の和人の感覚では、恐ろしく早い速度で人が行き交 っている。反対から歩いて来る人とうまく呼吸が合わずに、何度もぶつかりそうになりながら、創太郎を見失わないように付いて行く。二人が一つのテーブルを挟んで腰掛けたのは、三つ目に覗 いた珈琲店だった。メニューの選び方が分からず、和人はアイスコーヒーを頼み、後悔しない程度にガムシロップとミルクを入れた。
「和人君、『もりひこ』になるんだ。」
「はい。」
「そうか。もう七年経 ったのか。それで、電話でも言っていたけど、前日じゃないのに自分が『もりひこ』になるのが分かっているって?」
和人はその辺 りの事情を詳しく話した。美里さんの名誉 の為 、どうして自分が知る事になったのかは、説明しなかった。
「そうかぁ。僕が島に居る時からそういう状態だったって事だよね。誰か引っ越して人が減ったとかじゃなく。」
和人は、黙って頷 く。
「僕らの時も、対象者の人数は少なかったけど、遂 にそういう事態が発生するようになったのか。まあ、時間の問題で、いずれ避けられない事だけど。」
「あの…」和人は話を切り出す。時間がない。今日中に一ノ島まで帰り着かなければ。「『もりとえらび』で選ばれた者は、その日あった事を話してはならないって言いますよね。」
「ああ。」
創太郎は、それまでの遠く懐 かしむような優 しい表情から、急に真剣な顔つきになる。もう、此処 迄 話しただけで、和人が何を言おうとしているのか理解したに違いない。
「前日に当人に知らされる決まりが守られている内はそれでも良かったんだと思います。でも、ずっと前から、自分が『もりひこ』をやると知っていて、だけど、どんな事をやらなけりゃならないかは教えてもらえないなんて、おかしいじゃないですか。」
和人は、仕来 りが機能不全に陥 っている事を強調し、同じ年に行われる御柱 の立て替えも、既 に昔の仕来りを維持 出来 ずに重機を使ったやり方に見直されているから、『もりとえらび』もそうしたやり方の見直しをすべきだと思うと、汗を掻 きながら早口で話した。創太郎は黙って、それを聴いていた。
「だから、」ここからが今日の目的だ。「『もりとえらび』の全体を把握 して、どうやって今に合った形にするか考えて、氏子 会に提案したいのです。それで見直した最初を自分がやってみて、新しい形でも『もりとえらび』が繋 げて行ければ…」
「それで、」和人の話が終わる前に創太郎が割り込む。それまでとは違う強い口調 だ。「その夜に何があるのか僕に教えて欲しいと言う事か。」
和人は生唾 を飲んだ。
何だろう、この言い知れぬ圧力は。
「…はい。」
和人は、言って良いものか逡巡 した挙句 、それだけ口にする。創太郎の表情が元の温和 な表情に戻る。
「和人君、それ、無理だ。」
覚悟していた、簡単に教えてもらえない事は。はい、そうですかと引き下がるなら、遠く京都まで交通費を使って出て来ない。
「何故 ですか?話していけない決まりだからですか?」
「話していけない決まりだからって言ったら、それで納得するのかい?」
「いえ、そんな決まりがあるから、くだらない噂 が出ます。」
「くだらない噂か。他人の憶測 を生まない様にすべて公 にしてしまおうということか。」
そうだ。
「一体、当日何があるんですか。」
創太郎の話からも、当日あるのは、康親 が説明した事だけとは思えない。
「そう言われると難しい。実は何もないと返事するが正しいのかも知れない。」
何だ、この人。あると言ったり、無いと言ったり。
「『もりひこ』の当人なのに、そんな曖昧 な答えになるのは何故ですか?」
「う~ん。」
創太郎は腕組みをして考え込む。和人は、それ以上言わずに、創太郎の結論を待つ。
「…これ以上は言えない。仕来 りがあるからじゃない。それよりも大切な事がある。折角 来てくれた君には悪いけれど、僕は僕で大切にしたい事がある。」
徐 に話し出した言葉が和人をイラつかせる。
「伊邑 さんは勝手に『もりひこ』に選ばれたんですよね。自分でも『もりひこ』になることを望んでいたんですか?」
「いや、どちらかと言うと、『もりとえらび』自身に関心が無かったな。だから、自分が選ばれた時にはびっくりして、次の日、神酒井 神社に行くまで、地に足が着いていない感じだった。」
「そんな、…言葉は悪いですが、自分にとってどうでも良かった『もりとえらび』なのに、大切にしたい事って何ですか?」
「そう来たか。そうだな、あの時の僕は今の君と同じだったろう。きっとあの時、君の話を聞いていたら、僕も古い仕来 りなんか変えてしまう意見に賛成したな。でも、今はそうじゃない。きっと、君も『もりとえらび』を経験すれば変わるよ。もうすぐあるんだろ?いつかな?」
なんだか、大事な部分ははぐらかして、揶揄 われているようだ。
「もう、二日後です。その日になれば分かるのは当たり前です。俺は、その前に知りたいんです。二日後に知るなら、今知っても同じじゃないですか。」
「君はいろんなことを言うね。でも、それも違う。今知っては駄目 なんだ。それにね。変えて良いものと変えちゃいけないものがあるだろ。例えば…そうだな、さっき、君が言っていた御柱 の話、あれならば、どうやって立てるかは変えても、立てる事をやめてしまったら駄目 なんだ。君は、島の皆が集まって立てる事に意味がある筈 だって言ったよね。その気持ちもわかるけど、だからと言って、島の皆が集まる事を優先して、みんなで浜に行って地引網 を引く事にしたんでは意味がない。同じ様に、『もりとえらび』は何も知らない、数 え十八の男女が執 り行わなければならない。だから、経験したものは、そのことを言ってはいけない。…分かってもらえるかな。」
「いえ、全然わかりません。」
和人は両手の拳 を握りしめて俯 く。大声で詰問 したいが、珈琲店の中では周囲が気になる。
「そうか、そうだよな。」
創太郎は窓の外を眺 める。
「あの、結局、どうしても、教えてもらえないんですか。」
「御免 、これは、そうしなければいけない。」
「そんなに大切な事なんですか。」
「きっと、そうだ。僕はそう思っている。」
「一体、何が大切なんですか?」
「和人君、駄目 だよ。これ以上、何を質問されても説明する訳 にはいかない。」
創太郎は落ち着いた声で、しっかりと発音する。
此処 迄 来たのに無駄足 だったってことか。説得できると、たかが田舎の神社の伝統行事なんだからと、もっと簡単に考えていたのに。
「じゃあ、せめてアドバイスとか、お願いできませんか?」
もう、やけくそだ。只 で帰るのは悔 し過ぎる。
「アドバイスかぁ。僕が君の為 になるような事を言えるかな。」暫 く創太郎は和人の様子を見ていた。「…男気 って言葉、わかるかな。君に会うのは久し振りだが、すっかり立派 な青年だ。君の男気 を発揮 する機会だよ。今の君は、これから起きる事が分からず、自分の意思に関係なく、そんな理不尽 な状況に追い込まれているのが不満の様だけど、それはきっと今だけだ。下っ腹に力を入れて構 えていれば、きっといい経験になる。弓の『胴づくり』と同じだよ。」
そんな所で弓道の話を持ち出されても、この齢 になっても射法八節 の神髄 が会得 出来 ていないから、アドバイスにならない。
結局、それ以上話が進展することなく、珈琲店を後にした。店から京都駅の改札迄 創太郎は和人を送って行った。人混みの中を縫 いながら、創太郎は口を開いた。
「そう言えば、相手の『もりひめ』も決まっているのかい?」
雑踏 の騒音で聞き取り難 い。和人は創太郎の方に頭を傾げて何とか聞き取る。
「いえ、『もりひめ』になれる女子は三人いるので、決まっていません。」
「その中で、君がなって欲しい人がいるのかい?」
創太郎は面白そうに笑顔を作る。
「そんなの、いません。」不自然に力がこもる。和人は気恥 ずかしさを誤魔化 そうと、余計 な尾ひれを付ける。「それに、たった一日の儀式 の間だけじゃないですか。」
敢 えて、『一夜』という言葉は使わない。
「なるほど。僕も、その時は何も考えていなかった。…あ、それはさっき、話したね。でも、袖 すり合うも多生 の縁 って諺 、知っているかな?『もりとえらび』を一緒に経験したら、それはもう、袖 すり合う以上の縁 なんだ。」
そんなもんだろうか。それよりも美里さんに誤解されてしまわないか心配だ。
「伊邑 さんと一緒にやった『もりひめ』は今どうしているんですか?」
「さあ、お互い島を出たきりだ。連絡先も知らない。なんだかおかしいね。縁 だとか言っておきながら、自分は『もりとえらび』の時限 りだ。」
なんだ、この人。言っている事がばらばらだ。
「…そう言えば、和人君も弓道だよね?剣道じゃないよね?」
何なんだ。話が飛び飛びだ。
「はい。」
「そうか。僕と一緒だ。」
あれ?
「あの、『もりとえらび』と弓道って関係があるんですか?」
「ああ、いや、何でも無い。」
創太郎は掌 をひらひらさせて否定する。
「俺、弓道、上手 くなくて。同級の神酒井 神社の息子の方が、ずっと上手いです。」
「そうか、気にしているのかな。大丈夫、使わないから。」
あれれ?なんか、引っかかる。
二人は改札口の前まで来ていた。
「じゃあ、島のみんなによろしく。…って、僕に会った事を話す機会はないね。帰り路 気を付けて。」
和人は創太郎の言葉に黙って頭を下げると、鞄 から復路の乗車券を取り出し、改札を通って創太郎と別れる。人の流れが多く、見送ってくれた創太郎をゆっくり振り返る事もままならない。バタバタと追い立てられるように歩いて、気付いた時には、京都駅の新幹線ホームで次の列車を待つ列に並んでいた。その時から、新幹線を降りるまで、和人は創太郎との会話を何度も反芻 した。
何だか言っている事がちぐはぐな感じだった。誤魔化 されているというか、肝心 な事は何一つ話してくれなかった。ただ、一つだけ確信が持てた事がある。丈一郎の親父 さんが言っていた神事 の式次第 以外に確実に何かある。そしてそれは、『もりひこ』たる、自分がなさなければならない。それにしても、『もりひめ』とは縁 だとか言っておきながら、自身はそれきりになっていたり、『もりとえらび』に興味はなかったと言いながら、変えてはいけないとか、言っている事が滅茶苦茶 だ。あの人、医学部を出て医者になったら、伊邑 医院に戻って来るのかな?あの人じゃ、病気になっても掛かりたくない。いや、そもそもきっと戻って来ない。大学病院にでも残るだろう。島の伊邑医院も今の先生まででお終 いか。うちの畳 屋と一緒だ。父さんは島に残ったけど、畳屋継がなかったし。自分も…。自分はどうするんだろう。大学行くのかな。高校出て島に残っても、やることないし、大学行くんだろう。
和人の頭の中は、創太郎との会話の反芻 から始まって、あらぬ方向にずれて行く。そしてまた、『もりとえらび』の事に戻って始めから考え直す。新幹線の窓から飛び去る山野をぼんやりと眺 めて、和人は同じ事を繰り返し考えていた。
家に着いた時には夕飯の時間を過ぎていた。茶の間に上がり込み、テレビを見ながら一人で食事をした。決して珍しい事ではない。部活で遅くなった時、友達と本土で遊んで帰って来た時。家族も、最早 何をしていたか問い質 す者もいない。テレビを見ながら、和人は別の事を考えていた。創太郎は、下っ腹に力を入れて構 えていれば、良い経験になると言った。それは覚悟を決めろと言う事だろう。何だか自分がここ数日やっていたことが、やけにちっちゃな事に思えて来る。結局、食事の後も、ずっとそうやって一人考えて床 に就 いた。
月曜日は曇っていた。気温が下がって朝は過ごし易 い。いつもの様 に弓を持って、和人は港まで歩いた。待合所に行くと、丈一郎が既にいて佐多祁 姉妹と話していた。
「おはよう。」
和人が声を掛けると、丈一郎も振り返り挨拶 する。佐多祁 あゆみとあさみは、無言のまま軽く会釈 する。和人も会釈で返す。
「今日の午後は雨になるかも知れない。そうしたら、部活は一年生の指導に切り替える。和人も指導手伝ってくれ。」
丈一郎が部活の話を始めると、佐多祁 姉妹は静かにその場を離れる。丈一郎とは気兼 ねなく話せても、和人とは話せないように感じて気が滅入 る。
「ああ、良いが、俺より上手 い一年生が居るから、それはお前に任せる。」
「そんなことは無い。一年生はまだまだ気持ちが出来 ていない。形ばかりだ。」
「気持ち?…それは、俺も出来ていない。」
「すまない。金曜日の事、気にしているんだろ。やっぱり、出来ない様 なら言ってくれ。俺がやる。」
丈一郎は、佐多祁 姉妹が離れているのを確認してから小声で言う。
「いや、そんなんじゃない。俺、この休みの間にいろいろ考えたんだ。そうしたら、グダグダ言っている自分が、えらくちっちゃく見えてきて、なんだかな~って。」和人は口元で笑う。「自分が出来ていないって言うのは、本当のところ、素直にそう思うんだ。もっと大人になりたい。他人と自分を比べて安心したり、凹 んだりしている自分じゃ、みっともないって。」
「お前を悩ませてしまって、本当に申し訳ない。」
丈一郎は大きな体を縮めている。
「だから、お前のせいじゃないよ。俺が勝手に考えている事だ。部活の件も、『もりひこ』の件も大丈夫だ。こっちこそ、丈一郎を困らせちまった。悪かった。」
和人は、少し高い所にある丈一郎の肩をポンポンと叩 く。
「本当に大丈夫か?」
まだ丈一郎は心配している。
「ああ。」
短いが、しっかりと返事する。
何が待っているか知らないけれど、選ばれた人間だけが知り得 るなら、自分がその一人になってやる。
午後から雨になった。部活は室内練習になり、一年生の指導と基礎練習を終えて、和人は家に帰った。先週の雨の日は清吉が軽トラで港まで来ていたのに、今日はおらず、傘を差して家まで歩いた。
清吉は家で和人を待ち構えていた。家に帰るなり、和人は清吉の部屋に呼ばれた。部屋に入ると、畳の上に座布団が二客 あり、一方に和服を着た清吉が正座している。清吉は障子 を開けた和人を見上げると、自分の正面に置いた座布団の方を顎 で指し示す。和人は逆らわずに座布団の上に正座する。
「良いか、これが正式な言い渡しだ。お前を今年の『もりひこ』と成す。」
和人は黙ったまま、小さく頷 く。
「『もりとえらび』の『もりと』とは、守り人 の事じゃ。お前は明日、神酒井 神社に出向 き、『もりひこ』としての大役 を果 たさねばならない。」
「なんだよ。そんな話、爺ちゃん知っているなら、早く教えてくれれば良いのに。」
和人は不満を口にする。
「阿保 。途中で口を挟 むな。最後までちゃんと聞け。儂 とて、初めての口上 じゃ。憶えるのに苦労したわい。」
そうなんだ。この齢になって覚えたのじゃ、苦労したろう。
「ええと、どこまで話したかな…」清吉は袖 から紙切れを取り出すと、目を細めて紙を遠ざけたり、近づけたりして見る。「えー、お前は明日、午後になったら家に戻り、神社に向かう身支度 をしなければならない。まず、禊 ぎで身を清め、その上で参詣 の装束 に着替える。酉 の刻に神社に参るべし。寸刻 たりとも遅れる事、相 ならん。かしこみて拝命すべし。…大体、こんなものかな。」
「何だか、有難 みがないなぁ。」
「何を言う。仕来 りに則 った言い渡しじゃ。」
「そうかも知れないけど、カンペ見ながらじゃ、興醒 めっていうか、何と言うか。」
「良いから、明日は午前中で高校から帰って来るんだ。」
「え、午前中、学校行くのか?いっその事、休んじゃえば良いでしょ。」
「阿保 ぅ!学生が怠 けちゃいかん。学校には儂 から連絡しておくから、ちゃんと行って来るんだ。」
和人は反論しない事で意志を表明する。
「お前、酉 の刻は分かるか?」
「知らん。でも、爺ちゃんが時間になれば、教えてくれるだろ?」
「何じゃ、人頼みでどうする。酉の刻は夕方六時じゃ。ちゃんと時間を気にして、その時間には神酒井神社の拝殿前に着けるように家を出るのだぞ。」
「俺一人で行くのか?軽トラで送ってくれないのか?」
清吉が溜息 をつく。
「何を言っている。『もりひこ』も『もりひめ』も歩いて神社に向かう。まあ、儂 はついていくがな。」
「なんだ。じゃあ、時間は爺ちゃんが気にしてくれるな。」
「全く、世話のやける『もりひこ』じゃ。他に聞いておくことは無いか。」
「『もりと』が守り人だって言っただろ。つまり、『もりひこ』はその男の方って事だよね。その…大役 ?ってなんだ?」
「そんなもん…、その、ほら。この島、一ノ島を災厄 から守るって言う事じゃ。」
何か、思い付きで言ってないか?
「ふうん、なるほど。で、何やるんだ?」
「お前、何度言えば…」
「あ、御免 、御免。それは『もりとえらび』に選ばれた者だけが知っている秘密なんだっけ。明日になれば、嫌 でも分かるから良いや。」
「もう、良いか。他に訊 かなくても。」
清吉はもう解放して欲しい様 だ。
「ああ、もう良いよ。」
「和人」清吉は改 まった声で静かに話し出す。「お前は公頭 の代表だ。しっかり役目を果 たしてくれ。」
和人は清吉の顔を見る。清吉も真顔 で和人を見ている。こんなに清吉の顔は小さかっただろうか。顔だけじゃない。丸まった背中、骨と皮だけの足。和人の記憶の中にある清吉は、齢 は取っていても、もっと力を持っていた。
「大丈夫、大丈夫。任せておいてよ!」
和人は胸を張って、自分の手で叩 く。清吉の顔がみるみる心配気 な表情になる。
「やれやれ。」
「あれ?そこは、『よし、頼んだ』でしょ。」
「もう、良いから、部屋に戻れ。夜更 かしするなよ。明日に響くからな。」
清吉は手を振って、和人が部屋を出て行くように仕向 けた。
洗い
「和人君かい?」
「はい。すいません。わざわざ時間作ってもらっちゃって。」
和人はぺこりと頭を下げると、
「ああ、良いさ。ちょっと、どこかでコーヒーでも飲みながら話そう。」
創太郎は行く方向を人差し指で指すと、先に立って歩いて行く。和人は黙って、彼の後について人混みの中を
「和人君、『もりひこ』になるんだ。」
「はい。」
「そうか。もう
和人はその
「そうかぁ。僕が島に居る時からそういう状態だったって事だよね。誰か引っ越して人が減ったとかじゃなく。」
和人は、黙って
「僕らの時も、対象者の人数は少なかったけど、
「あの…」和人は話を切り出す。時間がない。今日中に一ノ島まで帰り着かなければ。「『もりとえらび』で選ばれた者は、その日あった事を話してはならないって言いますよね。」
「ああ。」
創太郎は、それまでの遠く
「前日に当人に知らされる決まりが守られている内はそれでも良かったんだと思います。でも、ずっと前から、自分が『もりひこ』をやると知っていて、だけど、どんな事をやらなけりゃならないかは教えてもらえないなんて、おかしいじゃないですか。」
和人は、
「だから、」ここからが今日の目的だ。「『もりとえらび』の全体を
「それで、」和人の話が終わる前に創太郎が割り込む。それまでとは違う強い
和人は
何だろう、この言い知れぬ圧力は。
「…はい。」
和人は、言って良いものか
「和人君、それ、無理だ。」
覚悟していた、簡単に教えてもらえない事は。はい、そうですかと引き下がるなら、遠く京都まで交通費を使って出て来ない。
「
「話していけない決まりだからって言ったら、それで納得するのかい?」
「いえ、そんな決まりがあるから、くだらない
「くだらない噂か。他人の
そうだ。
「一体、当日何があるんですか。」
創太郎の話からも、当日あるのは、
「そう言われると難しい。実は何もないと返事するが正しいのかも知れない。」
何だ、この人。あると言ったり、無いと言ったり。
「『もりひこ』の当人なのに、そんな
「う~ん。」
創太郎は腕組みをして考え込む。和人は、それ以上言わずに、創太郎の結論を待つ。
「…これ以上は言えない。
「
「いや、どちらかと言うと、『もりとえらび』自身に関心が無かったな。だから、自分が選ばれた時にはびっくりして、次の日、
「そんな、…言葉は悪いですが、自分にとってどうでも良かった『もりとえらび』なのに、大切にしたい事って何ですか?」
「そう来たか。そうだな、あの時の僕は今の君と同じだったろう。きっとあの時、君の話を聞いていたら、僕も古い
なんだか、大事な部分ははぐらかして、
「もう、二日後です。その日になれば分かるのは当たり前です。俺は、その前に知りたいんです。二日後に知るなら、今知っても同じじゃないですか。」
「君はいろんなことを言うね。でも、それも違う。今知っては
「いえ、全然わかりません。」
和人は両手の
「そうか、そうだよな。」
創太郎は窓の外を
「あの、結局、どうしても、教えてもらえないんですか。」
「
「そんなに大切な事なんですか。」
「きっと、そうだ。僕はそう思っている。」
「一体、何が大切なんですか?」
「和人君、
創太郎は落ち着いた声で、しっかりと発音する。
「じゃあ、せめてアドバイスとか、お願いできませんか?」
もう、やけくそだ。
「アドバイスかぁ。僕が君の
そんな所で弓道の話を持ち出されても、この
結局、それ以上話が進展することなく、珈琲店を後にした。店から京都駅の改札
「そう言えば、相手の『もりひめ』も決まっているのかい?」
「いえ、『もりひめ』になれる女子は三人いるので、決まっていません。」
「その中で、君がなって欲しい人がいるのかい?」
創太郎は面白そうに笑顔を作る。
「そんなの、いません。」不自然に力がこもる。和人は
「なるほど。僕も、その時は何も考えていなかった。…あ、それはさっき、話したね。でも、
そんなもんだろうか。それよりも美里さんに誤解されてしまわないか心配だ。
「
「さあ、お互い島を出たきりだ。連絡先も知らない。なんだかおかしいね。
なんだ、この人。言っている事がばらばらだ。
「…そう言えば、和人君も弓道だよね?剣道じゃないよね?」
何なんだ。話が飛び飛びだ。
「はい。」
「そうか。僕と一緒だ。」
あれ?
「あの、『もりとえらび』と弓道って関係があるんですか?」
「ああ、いや、何でも無い。」
創太郎は
「俺、弓道、
「そうか、気にしているのかな。大丈夫、使わないから。」
あれれ?なんか、引っかかる。
二人は改札口の前まで来ていた。
「じゃあ、島のみんなによろしく。…って、僕に会った事を話す機会はないね。帰り
和人は創太郎の言葉に黙って頭を下げると、
何だか言っている事がちぐはぐな感じだった。
和人の頭の中は、創太郎との会話の
家に着いた時には夕飯の時間を過ぎていた。茶の間に上がり込み、テレビを見ながら一人で食事をした。決して珍しい事ではない。部活で遅くなった時、友達と本土で遊んで帰って来た時。家族も、
月曜日は曇っていた。気温が下がって朝は過ごし
「おはよう。」
和人が声を掛けると、丈一郎も振り返り
「今日の午後は雨になるかも知れない。そうしたら、部活は一年生の指導に切り替える。和人も指導手伝ってくれ。」
丈一郎が部活の話を始めると、
「ああ、良いが、俺より
「そんなことは無い。一年生はまだまだ気持ちが
「気持ち?…それは、俺も出来ていない。」
「すまない。金曜日の事、気にしているんだろ。やっぱり、出来ない
丈一郎は、
「いや、そんなんじゃない。俺、この休みの間にいろいろ考えたんだ。そうしたら、グダグダ言っている自分が、えらくちっちゃく見えてきて、なんだかな~って。」和人は口元で笑う。「自分が出来ていないって言うのは、本当のところ、素直にそう思うんだ。もっと大人になりたい。他人と自分を比べて安心したり、
「お前を悩ませてしまって、本当に申し訳ない。」
丈一郎は大きな体を縮めている。
「だから、お前のせいじゃないよ。俺が勝手に考えている事だ。部活の件も、『もりひこ』の件も大丈夫だ。こっちこそ、丈一郎を困らせちまった。悪かった。」
和人は、少し高い所にある丈一郎の肩をポンポンと
「本当に大丈夫か?」
まだ丈一郎は心配している。
「ああ。」
短いが、しっかりと返事する。
何が待っているか知らないけれど、選ばれた人間だけが知り
午後から雨になった。部活は室内練習になり、一年生の指導と基礎練習を終えて、和人は家に帰った。先週の雨の日は清吉が軽トラで港まで来ていたのに、今日はおらず、傘を差して家まで歩いた。
清吉は家で和人を待ち構えていた。家に帰るなり、和人は清吉の部屋に呼ばれた。部屋に入ると、畳の上に座布団が
「良いか、これが正式な言い渡しだ。お前を今年の『もりひこ』と成す。」
和人は黙ったまま、小さく
「『もりとえらび』の『もりと』とは、守り
「なんだよ。そんな話、爺ちゃん知っているなら、早く教えてくれれば良いのに。」
和人は不満を口にする。
「
そうなんだ。この齢になって覚えたのじゃ、苦労したろう。
「ええと、どこまで話したかな…」清吉は
「何だか、
「何を言う。
「そうかも知れないけど、カンペ見ながらじゃ、
「良いから、明日は午前中で高校から帰って来るんだ。」
「え、午前中、学校行くのか?いっその事、休んじゃえば良いでしょ。」
「
和人は反論しない事で意志を表明する。
「お前、
「知らん。でも、爺ちゃんが時間になれば、教えてくれるだろ?」
「何じゃ、人頼みでどうする。酉の刻は夕方六時じゃ。ちゃんと時間を気にして、その時間には神酒井神社の拝殿前に着けるように家を出るのだぞ。」
「俺一人で行くのか?軽トラで送ってくれないのか?」
清吉が
「何を言っている。『もりひこ』も『もりひめ』も歩いて神社に向かう。まあ、
「なんだ。じゃあ、時間は爺ちゃんが気にしてくれるな。」
「全く、世話のやける『もりひこ』じゃ。他に聞いておくことは無いか。」
「『もりと』が守り人だって言っただろ。つまり、『もりひこ』はその男の方って事だよね。その…
「そんなもん…、その、ほら。この島、一ノ島を
何か、思い付きで言ってないか?
「ふうん、なるほど。で、何やるんだ?」
「お前、何度言えば…」
「あ、
「もう、良いか。他に
清吉はもう解放して欲しい
「ああ、もう良いよ。」
「和人」清吉は
和人は清吉の顔を見る。清吉も
「大丈夫、大丈夫。任せておいてよ!」
和人は胸を張って、自分の手で
「やれやれ。」
「あれ?そこは、『よし、頼んだ』でしょ。」
「もう、良いから、部屋に戻れ。
清吉は手を振って、和人が部屋を出て行くように