いはでおもふぞ

文字数 1,191文字

「先輩!」

 エレベーターホールで呼び止めて来たのは後輩だった。
 ウィルスの関係でリモートワークに切り替わってから、会社へ出勤するのは二週間に一度になっている。
 大きめの会議室で距離を取りながらミーティングをしまくって一日が終わったところだった。
 部署は違うけれど後輩も出勤日だったのかと気付く。

「同じ出勤日だったのね」
「そうなんですよ。先輩は明日からの連休、予定あるんですか?」
「特にない。そっちは実家帰省……は、無理か」
「実家は、しばらく無理ですね」

 後輩が眉を下げて笑う。
 彼女の実家は岩手だったはずだ。
 何かの飲み会で隣の席に座った時、聞いたことがある。
 岩手銀行の赤レンガ館は辰野金吾の設計だと知っていたから、「行ってみたいな」「来てください」と盛り上がった記憶があった。
 それ以来、お互いの異動で部署が変わっても懐いてくれるようになった。
 正直、男性社員に抜群に人気のある後輩に慕われるのは悪い気がしないし、そもそもタイプだった。

「連休、予定あるの?」
「それがですね」

 後輩がポケットからスマホを取り出した。
 スクロールして画面を見せてくる。

「帰省できない代わりにって、母がこんなもの送ってくれまして」

 盛岡冷麺の詰め合わせだった。
 麺とスープの他に、トッピングの牛肉や卵までセットになっている。

「美味しそう」
「でしょう? 先輩は盛岡冷麺、食べたことあります?」
「昔、出張で行った時、焼肉屋さんで食べた気がするけど」
「どうでした? お口に合いました?」
「美味しかったって記憶はあるけど、詳しい味は忘れてる」

 私の答えに、後輩が少し胸を張りながら体を寄せる。
 彼女の胸が私の二の腕にグッと触れた。
 今日は距離が近いなと思ったけれど、突っ込まなかった。

「先輩、食べに来ませんか?」
「いいね、いつ行こう?」
「明日からの連休、ずっと」

 後輩は笑顔だった。
 でも、スマホを持った指先が少し震えている。
 緊張しているんだと気づいた。

 彼女に慕われている自覚はあった。
 好意を告げられたことはなかったけれど、今がそれなのかもしれない。
 とても遠回しで、計画的で、私じゃなければ気付かない告白だと思った。 

「なんなら、今夜からでもいいけど?」

 私の返事に、後輩がパッと明るい光を放つ。
 周囲が華やかになるような笑顔だった。
 今にも飛び跳ねそうな後輩を「まだ会社だから」と小声で嗜める。

「……嬉しい」

 後輩が小声で言って、私を見た。
 私は、彼女の頭を撫でてしまいそうになって、『まだ会社だから』と自分で自分を嗜める。

 彼女の気持ちも自分の気持ちも確認してはいない。
 だけど、言わなくても分かる。
 ついさっき、私たちの恋は始まったみたいだから。




<完> 
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