這いずるように飛び回る者

文字数 6,184文字

 二人は鑑識の邪魔にならないよう遠巻きに足跡を見に行く。
「なんか確かに往復分しかないですね」
 塩野はしゃがみこんで低い位置から、五センチ厚さくらいある足跡のある部分の雪を観察した。野上の車のすぐ横は、パイロンを立てて車一台分ほど駐車できないようになっており、その右は建物の大きな入口の一つの正面なので人の通るスペースが確保されている。そこを飛ばしてもっと左の駐車スペースを見に行って帰ってくると
「なんか、他の場所の雪ってきれいな平面で積もってますけど、この車の運転席ドアの周辺ってでこぼこしてません」
「あ~、そうですね。この車のドアまわりだけってわけじゃなくて、その横のスペース、パイロン立ててあるところも似たような感じになってんな。ちょっとでこぼこしてる」
「何でだろ?」
 塩野はふと思いついて、建物から離れて屋根の上を見上げてみる。
「あ~、もしかして……それに、このスペースにパイロンをたてて駐車禁止にしてる、ってことは……」
 再びコンビニの店長を探してその場所を見せ、思いつきを話して、あっているかどうか訊ねてみる。
「おっしゃるとおりなんです。ただ、建物の施工ミスか故障かなんで、私らテナントとしてもすぐにどうこうという訳にもいかんのです。家主さんにはちょくちょく苦情を入れてるんですが、なかなか腰が重くて。苦肉の策みたいなもんで、あそこに車をお停めになるお客さんがいらっしゃらないように、ああいうふうにしてるんですが」
 話が呑み込めていないような田代に、塩野は建物の屋根を指さして
「パイロンで駐車禁止になってるスペースのちょうど上のところを見てください」
「え? あれ? ちょうどそこのとこだけ屋根に雪がない」と田代。
 店長が説明する。
「そうなんですよ。屋根の雪が解けたときに見ていただくとわかるんですが、その部分に『雪止め』―屋根に何センチ幅かの金具みたいなのが並んでるの、ご存知でしょう? ―あれがないんですよ。ちょうど車一台ちょっとの幅だから四個分とか五個分とかでしょうけど、まとめて無くなってる。その並んだ幾つかだけ最初から固定が弱かったのか、何かぶつかってそこだけ外れたのか知りませんけどね。去年の冬まではこんなことなかったんで、春から秋の間に落ちたんでしょうけど、全然気がつかなくて。それである程度雪が溜まると、あの部分だけ、屋根から雪が滑り落ちてくるんです。運悪くその時に、例えば前向き駐車で縁石にタイヤが当たる程度に車を出しておかれると、運転席のへんとか、それよりちょっと後ろ側まで、真正面から車に雪がかぶっちゃう。びっくりしたお客様から一度苦情がありましてね。それ依頼このスペースは駐車禁止にしてる、ってわけで」
「ああ、そうか。車の真正面から雪をかぶるのはパイロン立ててるスペースだけど……」
「そうですねえ。その一つ横のスペースも右側は少しだけかぶっちゃいますかね。こんどはそこも駐車禁止にしますんで。すいません」
 帰っていった店長の背中を見ながら田代は
「なるほど。あの記者さんが出ていった後で、屋根から雪が落ちて来て、その雪のかたまりの右端の分が、最初にドアから出ていって建物に入った記者さんの足跡を消した。それで三組あるはずの足跡が二組しか残ってなかったんだ。……や、でもそれなら誘拐犯の足跡が残っていないのもそれで説明できるじゃないですか? そいつは記者さんが出ていってからすぐに車にやってきて、なんとかして後ろの席から被害者を引きずり出して運転席から降ろさせる。それで彼を連れて普通に歩いて出て行くんだけど、その後屋根から雪が落ちて来て、足跡を埋めてしまう。これでできあがりだ」
「ところがそうもいかないんです」
 塩野は首を振って、扉口にまだ立っている巨大恵方巻きを指さす。
「誰もこちら側から出ていないという目撃者がいる」
「目撃者? 塩野さんの指さしてるとこには誰もいませんけど……」
「いや、ほらあそこ。あの海苔巻の中」
「海苔巻って……え! 着ぐるみだったんですか? 身じろぎもしないからてっきり置物かと」
 もう一度恵方巻き君に、野上美咲以外誰も右側の車のドアから出てこなかったか確かめる。ついでに間違いなく屋根から雪が落ちた、ということと、その時間は美咲が買い物をしている間のちょうど真ん中あたり、二時と二時二十分の間の真ん中あたりだから二時十分くらいと思う、という証言を得た。
「これ、困りましたねえ」と田代。
「なにしろ車の左側には何の跡もない。車も一台も入ってきていなさそうだし、人が歩いた跡だってない」
 一時ものすごい勢いで降った雪のために外出を控えた人が多かったのかもしれないが、全体的に駐車場の車も少なく、しかも美咲の停めた場所はコンビニとパスタレストランの入り口に近い側だったのだが、このパスタレストランというのが経営不振で近頃閉店したという。こちら側に用事のある人は二時以降いなかったわけだ。
 鑑識の写真撮影が終わった後、まさかとは思うが、車の中になにか秘密スペースがあって彼が隠れているのではないか、という可能性を探るために車内を徹底確認する。当然いない。
「どうも犯人は足跡なしで出没するのが得意みたいですねえ」
 田代がため息をついた。
「おまけに嫌なことを思いつきました」
「何ですか?」
「もしも空を飛べる魔物がいたなら、雪の上に足跡を残さずに今回の犯行が可能です」
「そうですけど……まあ、架空の話に反論してもなんですが、それだけじゃあ駄目ですよね。右側の扉からとか、あと左側の扉から普通に出たら、いくら空中に浮かんでいても、恵方巻き君に目撃されてしまう」
「そうです。ですからその魔物は、左側の扉からそっと出て、低空飛行で、車高以下の高さで飛び去らないといけないです。言い方をかえると……わかりますよね」
 塩野は疲れた顔で頷いた。
「この犯行が可能なのは『這いずるように飛び回る者』だというわけですね」
    

 辺利京が目覚めたとき、最初に感じたのは畳の香りだった。毛布を掛けられている。自分で脱いだのか脱がされたのかわからないが、ジャンバーが枕元斜め上方で丸まっていた。それでも寒くはないくらい、暖房が適度にかけられた部屋だった。頭がガンガンする。喉もいがらいし、水かなにか飲みたいところだが……ここはどこだろう?
 起き上がって目の前に見えたものに愕然とする。部屋の一面は、腕がようやく通るくらいの隙間の木の格子でできていた。時代劇の牢屋さながらだ。今いるスペースは六畳くらいで綺麗にかたづけられていて……とするとここは、いわゆる座敷牢?
 格子の両隣の二面は全面白塗りの壁。相対する壁には高いところに明り取りの窓があるが、幅は広いものの高さは三~四センチくらいだろう。出られやしないし、第一身一つではいっぱいに手を伸ばしたところでわずかに届かない。端のほうにドアがある。これは、と思い開けて見ると思ったとおりトイレだった。十センチ四方の換気扇とおもわれるフードがあるだけで、やはりどこにも脱出口になるものはない。
 何故、俺はこんなところにいるのだろう、と考える。そうだ、野上美咲さんと飯を食っていてつい飲み過ぎ、意識を失ったんだ。朦朧としながら、しまったどこかへ行かなきゃ、と焦った憶えがあるのと、半覚醒状態で袖を引かれながら歩いた記憶も途切れ途切れだがある。それで車に乗って……そこからがさっぱりだ。
 だが小ざっぱりとしたスペースだとはいえ、監禁されているということは、その後自分に対して敵意のある者に拉致されたということか? いったい誰だ? 普段会社で、ぼ~っとして役に立たない奴、とあまり良くは思われていなかったとしても、積極的に自分に危害を加えるのに手間をかけるほど暇そうな人はどうも思い当たらない。う~ん。
 明り取りの窓からはぼんやりした光。まだ昼? それとも一晩開けて朝? どちらにしろ、雪雲がまだ居座っている、そんな状況なのかもしれない。格子の向こうには「前室」というのとは違うかもしれないが、四畳半程度の畳があってその向こうは障子。障子の向こうから光は入ってこないので、まだ雨戸とかが閉まっているのだろう。
 妙なことに、意識を失う前にどんなことを考えたか、口に出したかはやけに明確に浮かび上がってくる。内容は例の殺人事件のことだった。我が身の心配をしなければならないところかもしれないが、つい昨夜の自分の言葉をフィードバッグしながら、もう一度、事件について把握している情報を頭の中で整理してみる。今までぼんやりとしか想像されていなかった事態が少しづつはっきりしてくる。パズルのピースが全部とは言わないがはまりあってきて。
 ああ、これは……
 喋っている時点では多分真相らしきものに気づいていなかったのだが、言葉の綾で口をついてしまったこと、今思い直すと……少なくとも犯人からみれば、見破られた! と取られる可能性のある言葉をいくつか発していたかも? それも周りにもかなりよく聞こえる大きな声で。考え過ぎだろうか? あの中華料理屋に犯人がいた? そんな都合のいいことがあるか?
 もしそうだとしたならば。殺人事件の真相をつかんでいる奴、と思われたなら?
 口封じで殺されたりするのだろうか?
 外で足音がして、障子の向こうが左側から順に明るくなってきた。雨戸を開けて歩いているらしい人に向かって、辺利京は思わず叫んでいた。
「殺さないでくれ~」
 外の足音は一瞬止まったが、すぐにまた障子の明りを増やしながら、右の方へと過ぎて行ってしまった。
「いやだ。死にたくない~」
 格子に取りついて引っ張って見るがびくともするものかは。あきらめてぼんやりと向こう側の畳の間を見るとはなしに見る。
 元々こんな造りだったのだろうか? 前の間の、辺利から見て左手側に小さな床の間があって、漆塗りだろうか、お膳のようなものが置いてあった。上に置いてあるのは……写真立てが二つ。表面が光って中の写真までは見えない。その横になにか置いてある。薄い直方体の缶のようなもの。まだ薄暗い中で目を凝らすと、だんだんと見えてくる。表面に書かれた独特のタッチの絵。
 あれはこの手のものに疎い辺利でも見覚えがある。実物は遠くて細かいところまで見えないが、記憶をたぐれば。脚をプロレス技の四の字固めをかけられた時の形にあわせ(確か曲げた方の足が真っ直ぐな足の下になっているのでそこは四の字固めとは逆だが)、顔のあたりから後光を発している男。実はまっすぐな方の脚の足首を横木に縛って逆さに吊るされているはずだ。
「吊るされた男」。そう、タロットカードのうちの一枚。
 カードを入れる缶の表面にこれが印刷してあるのだろう。つまり缶の中にはタロットカードが収められているのだ。この事件では死者の横に置かれていくタロットカード。蝶爪屋敷の三階の床上に放置されていたカードは田代刑事に見せてもらった。「審判」。膳の上のカードセットから使われたのだろうか? ここはやはり犯人のアジト? それなら俺の死体の横にも何か置かれるのか?
 頭をかかえて思わず、うわ~~! と叫ぶ。
「やかましいぞ」
 障子を開けて老人が入ってきた。白髪頭を短く刈りこんだ頭。皺が深い。がっしりした体だが、右腕の袖がひらひらしている。どうやら片腕らしい。ワゴンのようなものに水差しとコップを乗せてはいってきた。
「飲み過ぎで声が割れてるのに、それ以上叫ばないほうがいい」
と言ってから付け加えた。
「ここで叫んでも、外には聞こえない」
 辺利は振るえあがって
「お願いです。殺さないでください」
「殺す? 私は人を殺さない」
「じゃあ、なんで僕をこんなところに閉じ込めて?」
「知らん。あの方が連れてきただけだ。どんなお積りかはわからん」
「じゃあ、じゃあ」
 格子を掴む手に力が入る。
「あんたが殺さなくったって『あの方』とやらの言うとおりにするんなら、あんたが殺したも一緒だ。そいつはきっと僕を殺すんだから!」
 けっ、と吐き捨てた後、それでも少しは話を聞こうと思ったのか、老人は
「どういうことだ? あの方が何でお前を殺さねばならん?」
「そいつがどうやって人を殺したか、僕が知ってしまったからだ」
「あの方が人を殺した?」
「そうさ。もう五人死んでる。僕を六人目にするつもりだ。『シングロイド予告殺人』とかいわれている件だ。知らないのか?」
「世間からのいらない情報には触れないようにしている。心を乱す元だからな。それが教えだ、だが」
 ぎろりと辺利を睨んで
「あの方が絡んでいる、少なくともお前はそう言うわけだな。それなら話は別だ。もっと詳しく話せ!」
「え? ああ」
 辺利は事件のあらましを話して聞かせた。終わると老人は
「まだ犯人があの方と決まっているわけではないのだろうが? そもそも犯人はどうしてそんなに次々と人の命を奪うのだ?」
「あの方」が誰のことかわからないので最初の質問には答えられないが、辺利は二番目の質問に対して
「今のところは、六年前に赤崎悟という中学生が殺された復讐だろうと考えられてる。殺されたのは一人を除いて、その殺人犯と、彼らをそそのかしたり、見て見ぬふりをした上に死後に被害者を貶めるような言動をした人たちだ。」
「六年前? 赤崎……サトル?」
 老人はゆっくりと後ろを振り向いた。何を見ているのだろう? 床の間の膳の上に置かれた写真立てのほうを向いていたように辺利には見えた。彼は辺利に向きなおると
「まあ、水を飲め」
ワゴンの上のコップに水差しから水を注ぐ。そうして鍵を開け、格子の一部に仕込んだ扉を開け放った。
「え? 出ていいの?」
「じきに戻る。ここでじっとしていろ」
 老人は辺利を睨みつけた。
「逃げられはせん。片腕の老いぼれだが、まだまだ貴様ごときを追いかけ捕まえ叩きのめすくらいは朝飯前だ」
 そう言って出ていった。見た目確かに自分のかなう相手ではなさそうなので、辺利はおとなしく水を飲み、待つ。写真立ての前に行って、写真を見てみた。目がくりっとした男の子、小学生くらいに見えるが、これがサトル君だったのだろうか? どこかで良く似た男性を見たような気がするが、気のせいか?
 となりのもう一つの写真立ての中身の人には完全に見覚えがあった。辺利はお酒を恵んでもらった人のことは忘れない。小谷直子。蝶爪屋敷で亡くなっていたおばさんだ。
 それと……タロットカード。そうっと手を伸ばして見る。そのとき、廊下をこちらにやってくる足音がした。反射的に缶をズボンの後ろポケットに突っ込む。入ってきた老人は辺利の顔を見ると
「わしは人殺しに関わりたくはない。例えあの方のしたことであれ。お前の言うことが本当かどうかは知らんが、疑わしいことは避けたいからな。お前はここから出してやる」
「え? 本当ですか? 有難う!」
「だが、ここの場所を知られるわけにもいかんのでな」
 喜んでいた辺利の意識が飛んだ。老人の当て身が効いたのだった。
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