文字数 5,837文字

「事件の時、重隆さんは?」
「僕、遠くの高専に行かしてもらったもので、中学卒業してすぐ親元離れてるんです。例の事件の時は三年生だったかな。その二年後に卒業して会社入って。清隆が帰ってきて働き始めたのが……一昨年だったかな? 埼玉かどこかの施設にいたような話ですけど、親父もお袋も僕にはあんまり詳しいこと話さない。僕も心が狭いもので、追求してまで知りたいと思わないし、今さら積極的に清隆と交流持とうという気にもなれない。そのせいか向こうもあまり話しかけてこないですね。同じ家にいても口をきいたのはここ二年で何度か、ってくらいかな」
「これだけ大きいと、同じ会社で働いてても顔をあわせることはない?」
「ですね。人事でも考慮してくれてるのか、清隆の現場は僕のとこの管轄じゃないから、社内で顔を会わせることはまずない。奴は朝は始業ぎりぎりに会社に入って定時で上がる。僕は……まあ頑張ってるの自慢しちゃいますけど、朝はスタッフの誰より早く出社して一旦現場回りますし、少しでも早く解決したい問題があるときは、時間かまわずやっちゃうほうなんで夜も遅い、休日もなんだかんだで出てきますんでね。家で会うこともあんまりなくて。奴がどっかをふらふらして引き揚げてきたタイミングで、たまたま会社帰りの僕と玄関先でばったり、とかその程度かな」
「じゃあ、最近弟さんの様子に何か変化がなかったかどうか、とかお聞きしても……」
「お話ししたようにほぼ顔合わせることがなかったんで、僕自身の実感として語れることは何もないですかね。ただ、最近お袋のグチが多くなってね『清隆、今日も朝起きてこれなくて休んだの、有給休暇もう危ないのよね』とか。玄関に飾ってあった花瓶とかもいつの間にかなくなってたから、どうしたの? って訊いたら、清隆が床に叩きつけて割った、とか言いますしね。イライラしてたんじゃないですか? 限界だったのかなあ……」
「限界、と言うと?」
「うん。もう一年以上、地道に働いてたわけですけど、奴にしたらすごいことだと思ってたんですよ。色々支えてくれる人もあって、そのおかげで多少は性根も直ってここまでやってこれたんでしょう。たいがいの人はそうやって更生していくんだろうけど……ここへ来て、飽きちゃったのかな、清隆は。奴の場合は残念ながら持って生まれてきたものがまた頭をもたげはじめて来てしまった、と。こんな時こそ家族のサポート、とおっしゃるかもしれないけど、申し訳ないけど僕は自分のことでいっぱいいっぱいで、こんな体にしてくれた弟のためにエネルギーをさく気力はないし、お袋は色々世話は焼きたがるんだけど、あれはサポートっていうのとは違う気がする。親父はこのところ体調がすぐれませんでね」
「ええと……ご家族は?」
「それで全部です」
 一応、清隆が殺された状況を簡単に説明する。蝶爪屋敷のことをなにか知らないか? 清隆が話していたことはないか? 彼は背中に翼をまねた妙な金属加工物を背負って死んでいたがそういう物について何か心当たりはないか? という質問には全て知らない、聞いたこともない、という返答だった。
 田代が、宗教はどちらでしょう? とか聞いたのは、頻出する十字架のことを考えたのかもしれなかったが、重隆は、家のお寺は確か曹洞宗の系ですかね、僕もあんまり意識したことなかったし、清隆に至ってはもっと無関心だったんじゃないかと思います、という返事だった。
「清隆氏の行方がわからなくなった前後に、特に変わった様子に気づかれることはなかった、と?」
 中口清隆は、一月二十日に定時まで勤務した後、自分の車に乗って退社した。会社の作業服が自室に脱ぎ捨てられてあったので、一旦家に帰ったようだが、その後やはり自分の車に乗って出かけたらしい。上坂晃のほうは母子家庭なのだが、その上坂を十九時ちょっとすぎに迎えにいっていて、そこをた上坂の母親に目撃されている。それ以降の行方が杳としてわからない。彼の自動車も発見されていない。
「二十日でしたっけ? お袋も出かけてたし、定時で会社終わって家に帰るなり出ていったとみたいだけど、家のものは誰も見ていないのは前にもお話ししたとおりで」
「警察で彼の友人を探して訊いたところ、でかいことをやるんだけどそのためにまず『オイルサーディン』になるとおっしゃってたそうですけど、この言葉の意味にお心当たりは?」
「『オイルサーディン』になる、って言ってたんですか? どうもあいつの考えてることはわからんなあ。僕と同じように扱ってたなら、親父も小さい頃の清隆に、『鯨のようなでっかい男になれ』とか『滝を昇りきって竜になるという鯉のように生きろ』とかは言ってたかもしれないですけど、油漬けの鰯になれとは言わなかったでしょうねえ」
 二人が次の質問を考えているうちに重隆が先に切り出した。
「昨夜の僕のアリバイをお話ししましょうか?」
「ああ……そうですね。念のために伺えれば。お気を使っていただき申し訳ありません」
「いえいえ。ご存知かどうか、一週間くらい前から、父入院してるんですよ。今もう自分じゃ歩けないくらいでして。どうも長くはないんじゃないか、とか言われてます。親父はただのサラリーマンといえばサラリーマンですが、先祖にすごい人がいたおかげで、ここの株だとか何だとか、そこそこ財産はあります。逝ってしまったら、遺産は前の状態だったらお袋が半分、僕と清隆がさらにそれを半分づつ、つまり四分の一づつ相続するはずだったわけです。清隆が死んだことで僕の取り分が全体の半分、つまり倍増したわけですからね。動機はあるといえばあるわけですし」
 事件のあった昨日、一月二十四日は日曜日だったが、納期的に厳しい仕事があったので昼から出社した。共同で担当している課員二人もやってきて、夜の九時頃にようやく目途がついた。腹も減っていたので三人で近くのファミレスに移動。食事をしてから解散したと言う。
「店を出たとき、は……そうですね、何だかんだ話し込んでしまったので、十時近かったんじゃないですかね。一緒に行った者を後で呼びますから、確認してもらえますよ。ファミレスの店員さんももしかしたら憶えていてくれるかもしれません」
 皆、自動車通勤なので食事には三台で連れたって出たという。ファミレスは本当にこの本社に近い場所らしい。蝶爪屋敷までは車で二十~三十分かかる。食事時間が死亡推定時間にほぼぴっちり重なるので、裏さえ取れれば重隆氏は犯人ではありえないことになる。
 そうこうしているうちに、応接室のドアがいきなり乱暴に開かれた。きつめのパーマをかけてファッションサングラスをした五十年代の恰幅のいい女性が大股で入ってきた。後ろからさきほど受付にいたと思われる女子社員がオロオロしながらついてきていた。
「重隆! お父さんが具合が良くないらしいのよ。本当に最後になるかもしれないから、すぐに一緒に行くわよ!」
 重隆氏の母親らしい。女性社員は、申し訳ございません、御来客中なのはお伝えしたのですが……とか小声で言う。それを聞きとがめたのか中口家の母は
「本当のお客様だったらともかく、警察だって言うから、無視していいと思ってきたのよ。高い税金を払って養ってやってるこんな無能者どもになんか、遠慮する必要はないわ」
 おお! 剥き出しの敵意。女性はこの程度の罵詈雑言では満足できないらしく
「警察よ! うちの清隆に濡れ衣を着せて、挙句の果てに殺してしまった張本人は。絶対許しませんからね、私は!」
「母さん! 悲しいのはわかるけど、根も葉もないことを言ったら駄目だよ」
「いいえ証拠はあるの。最近見つけたのよ。あの事件の捜査はいいかげんだった。ちゃんと調べずに、一見怪しく見える行動をしていたうちの子に罪を全部なすりつけたのよ。清隆はあの予知能力者気取りのいかれた子を殺してなんかいない。それなのに警察は……あの子は警察に殺されたようなものよ。私は断固として闘って……」
 だんだんヒートアップしてきた母親に困惑した重隆は
「すいません。もう一つ部屋を取って、アリバイ確認に昨日一緒に休日出勤してくれた人たちと、あとご希望だったら都合がつけば清隆の配属先の責任者を呼びますから、お話しいただければ。僕のところは今日のところはお引き取りいただいてよろしいですか?」
「わかりました。お心遣い有難うございます。弟さんの上司の方も是非お願いします」
「じゃあ重隆、行くわよ」
「ちょっと待った母さん。ぼくも一応課を一つ任されてるんで、今日の分の指示だけでもしなきゃならないから、少しの間ここで待っててくれる?」
「本当にあなたはもう。いつも仕事、仕事って。もっと家族のことを優先で考えたって……」
 母親の愚痴の途中でドアをしめて部屋を出ると女子社員が手続きをしてくれて、エントランス脇の面談コーナーを手配してくれた。そのパーテーションで仕切られたスペースの椅子に腰を下ろすと、塩野の携帯電話が鳴った。
「野上美咲です~。重要な情報があるので会って話したいんですけど~」
「え? どんなふうに重要なんです?」
「蝶爪屋敷の不可能犯罪のトリックを解明しました~」
 本当かいなとも思うが、以前にも有用な情報をもらったこともあるし、あながち鼻で笑い飛ばせないところが歯がゆい。
「じゃあ一応お伺いはしますけど……野上さん、事件現場のそばまで来てるんですよね。屋敷にいるときに前の道をオレンジ色の頭が歩いてくの見ましたよ。夕方には担当の署に戻ると思いますんで、そのときまた連絡します」
「あ~、辺利さんも一緒にと思ってるんで~ 一般の方を待たせたりまた呼び出したりじゃ悪いかな、って思うんですけど~、え? 誰って? そちらさんでたっぷり捜査情報を与えて下さった一般の方ですよ~ 彼が、与えていただいた情報をもとに考え付いたんです。っと、塩野さん、今、中口精密(株)とかにいます~? 本社?」
「え? 何でわかったんですか?」
 不気味な姉御だ。
「電話越しに後ろで社内呼出しのアナウンスしてたの聞こえましたよ~。『生産技術のなんとかさん、至急内線何番とかにお電話ください』って。それで物を作るような会社の中にいるんだろうな、って見当はつくじゃないですか? 今だったらきっと、被害者の勤務先の中口精密かなあ、って。本社だったらここから二十分くらいで着きますから、正門の前で車を停めて御用が終わるまで待ってます」
「いや確かに本社ですけど……ちょっと待っ」
 切られてしまった。

 重隆氏がすぐばれるような嘘をつくはずもなく、昨日の行動は間違いないことが確認された。一緒に休日出勤していた二人というのは、三十代手前で若手ではあるが、明らかに重隆氏よりは年上、それが部下という扱いになっているのだが、少し話してみた感じではその点で鬱屈した様子はなかった。同族会社だから仕方ないや、という諦めではなく、重隆氏の実力やら努力がそれなりに認められているように塩野は感じた。
 一人は妙に几帳面な性質らしく、清算が終わってファミレスのドアを出た瞬間が九時五十三分だと証言した。
 被害者の清隆が働いていた作業場の場長は、たしかに有給休暇がほぼ残っていないことを確認した。最近は仕事上でのミスも多発していて、集中力に欠けてきてはいる、ということだった。
 もう一人の被害者、上坂晃もこの会社で働いていたというので、彼の作業場の場長にも会わせてもらう。こちらは毎日会社には来ていたという。ちょっとした言葉のやり取りですぐかっとするようなトラブルは時々起こすようだが、仕事自体はまじめにしているようだった。ただ時々、職場に携帯がかかってくると長時間持ち場を離れたりすることがあるようで
「どうもね、そういうことが有る日は、あっちの方が休んでる日みたいでね。自分が暇だから掛けてくるんじゃないか、とか思うんですが」
「あっちの方?」
「ほら、中口常務の息子さんの、弟さんのほう」
と声を潜める。中口清隆のことらしい。
 職場でも同僚とも普通に話しているそうだが、行方不明になる前になにか言っていたとか、変わったことがあったということはなかったらしい。

 四人に話を聞いて、四十分とかはかかったので、外に出るともうオレンジの頭が待っていた。公道から入ってすぐ、守衛詰所との間に、ちょっとした時間調整とかのために守衛手続きをまだしてない車も停めておける駐車場があって、そこで待っていた。青いジャンバーの男と車の前に出てなにか話してる。塩野は彼女のステーションワゴンの横にこちらの車をつけた。
「結構時間かかりましたね~、一体どんな話を……」
「話を聞くのはこっちです! 田代さん、中口課長が日曜日に行ったファミレス、近いんですよね? 行くついでにそこで話聞きましょうか?」
「ナイスアイデアです」
「捜査の進展とか聞かせてもらえたら、ドリンクバーくらいは社の費用で出るんですけど~」
とか話しているうちに、シルバーの高級車が横をゆっくり通り抜けて、公道に出ていった。
「見ました~? 後ろの席のおばさん、すごい目をしてこっち睨みつけてましたよ」
「見ました。中口清隆の母親ですよ。清隆は濡れ衣をきせられた、とかすごい剣幕でしたから。僕らがわかったんでしょう、警察が気にくわないんですよ」
塩野が返すと、となりで田代が
「常務の家族になると運転手つき社有車がつくのかな? 兄貴も横に乗ってましたね」
「あ、重隆さん~?」
「ご存知なんですか?」
「ここの創業家の第三世代の中だと~、今度の件の被害者を除けば一番若いんですけど、一番の切れ者じゃないか、って言われてるようですね~。重隆さんのお父さんって、創業者さんの三人息子のうちでは一番下で~、上の二人の息子さんにもやっぱり二人づつのお子さんがいて……まあ清隆さんは別として、五人の孫のうちで群を抜いてるみたい。うちの県の経済人との交流会とかでも、若手の集まりみたいなのには彼が派遣されてくるみたいですよ~。若手っていったって四十代くらいの人がメインのところで、働き始めて三~四年の人なんて他にいません。社の偉い人も、次代のエースと思ってるんじゃないですか~」

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