「長女さん」

文字数 1,040文字

 これまでの人生で52年間次女をやってきた。母に言わせるととにかく「手のかからない子」だったらしい。そもそも生まれた時も、産気づいた母が、迎えのタクシーの車内で破水して、病院に着くとともに転がり落ちるように取り上げられたほどの安産だった。赤ん坊のころは放っておけばいつまでも一人でスヤスヤと寝ていたそうだ。

だいたい次女というのは要領がいいものと相場が決まっている。
言い出したらきかない姉と甘えん坊の末っ子の弟に挟まれて、目立たず、居心地のいい、自分だけの巣を作るようにして誰にも干渉されずに気ままに過ごしてきた。

30代のころ、父に「自分が得になることばかりやっていたらダメだ」と言われたことがあった。仕事でもプライベートでも、調子のいいことをいいながら、肝心なところで逃げを打つ。娘の弱点を的確に言い当てた父に反発するより、親ってさすがだなぁ、と感心したのを覚えている。

 根っからの次女気質の私が「長女さん」と呼ばれたのは、持病の悪化で母が緊急入院した先でのことだ。付き添っていた私はそう呼ばれてとっさに「いえ、次女です」と訂正した。なぜ次女の私が「長女さん」と呼ばれたのか。姉は前年に他界していてその場にはもう居なかったからだ。病院側にしてみれば、私が次女だろうが、三女だろうが関係ない。母の第一の家族として「長女さん」と呼ぶのは当然だ。

「勘弁してくれよ」と思った。治療のこと、介護のこと、これから私が「長女さん」として全責任を負うのか。と同時に、いままですべての責任を負ってくれていた姉に対して、果てしない慙愧と尊敬の念が押し寄せてきた。
その後も何度となく「長女さん」と声をかけられたが、そのたびに往生際悪く「あ、はい」と歯切れの悪い返事をしていた。

  数日経って、病室に母を見舞った。
「調子はどう?」「ごはんは食べられている?」
話していると、ふいに母が言った。
「お姉ちゃんはどうしてる?」

「お姉ちゃんは去年亡くなったよ。この病院で」
母は両手で顔を覆った。
「一緒に見送ってあげたよね」

「お姉ちゃんを弔ってあげなくちゃ」
「そうだね。だから早く良くならないと」

この先、きっとこのやりとりは何度も繰り返されるのだろう。
母のなかで、少しずつ辛い記憶が消えていく。

面会を終えたとき、看護師さんに声をかけられた。
「長女さん、ちょっとよろしいですか?」
「はい」
初めて躊躇なく答えることができた。

 病院の外に出ると梅雨の気配を含んだ少し湿った風がまとわりついてくる。
5月は姉の誕生月だった。

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