裸の女王様

文字数 1,124文字

 ブラックライトを浴びるあの背中が、煙とともに消えていけばいいのに。
 火をつけたばかりの煙草を眺めながら無言で唱えた願いは、小さなため息となって広いベッドの向こう側にふっと消えた。
 仕方がないので口を開く。
「服、着なよ」
 薄暗い部屋に響く私の声。熱が引ききっていない体と対照的なその声は、先ほどのため息とは違い、今度こそソファーの上で煙を吐き出す彼の元に届いたようだった。
「何で?」
 愛想のない声で返事をする背中を見て願いが叶わなかったことを悟る。半ば諦めていたが消えてはくれなかったようだ。
「何でって……風邪ひくから?」
 当然、本気で心配しているわけではない。安いラブホテルの一室でつい数分前まで行われていた行為を思い返さないで済むよう、ただ肌を隠して欲しかった。
「ふーん。優しいじゃん」
「そうよ。知らなかった?」
 口から飛び出しそうだった「知るわけないよね」という言葉は飲み込んだ。「週末に二時間だけ会う女のことなんて」と惨めな自虐まで溢れてしまいそうだったから。
「わかった。ほら、着たよ」
 裸のまま目の前で仁王立ちする彼を見つめる。「……は?」言葉の意味が理解できなかったのは、私も彼のことをあまり知らないからなのだろうか。
「あーごめんごめん。嘘つきには見えない服なんだよね」
 どうやらそうではなかったらしい。
「なにそれ」
「知らない? 裸の王様の話」
「知ってるけど、嘘つきって関係あった?」
「あれ? 違ったっけ?」
 気持ちの悪い笑顔でそう惚けた彼は、私の横に転がり太腿に手を置いた。
「それに、嘘なんてついてないけど?」
 触らないで欲しいよりも面倒くさいが勝ったので無視する。
「えー。本当は服着て欲しくないんじゃないの?」
 調子に乗った彼は、その手を私の上でそっと動かしはじめた。「どういう意味?」一応聞いたが言いたいことはおおよそ見当が付く。
「裸のままベッドで待ってたのは、つまり……そういうことだろ?」
 そんなわけないでしょ。随分ポジティブな勘違いね。私は別にそういうことがしたいわけじゃないんだけど。それにもうすぐ二時間。帰らないと奥さんに怪しまれるよ。
「服着てるけど?」
 脳内に流れたセリフはどれ一つ言葉にならず、結局意味のわからない嘘を口にした。一瞬手を止めた彼は「なるほどね」と笑い、私の体を柔らかなベッドに押しつけた。
「俺、嘘つきだったみたい」
 今更気付いたのだろうか。「愛してるよ」そう言いながら覆い被さってきた彼の背中に私の両腕は自然と吸い込まれていった。
 見えるかどうかはさほど重要ではないし、おそらくこの先も見えないままなのだろう。
「私も。愛してるよ」
 見たくない現実にしばしの別れを告げ、いつものようにそっと目を閉じた。
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